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封印

 漁師町を散策中に見つけた怪しい商店。建物は木造で、他の建物と同じくかなりボロい。近付いてみると、予想した通り食料品店だった。主な商品は海産加工品で、多くの干物が並んでる。

 干物は各家庭でも作られているような気がするのだが、商売として成り立つんだろうか。


「どうしたんです?」


 ルーシアは、そう言って勝手に歩き出した俺を追ってきた。


「すみません、気になる店を見つけたんです」


「ん? 見ない顔だね。なにか用かい?」


 店主らしきおじさんが、俺に話し掛けてきた。


「すみません。ただの冷やかしですけど、見せていただいてもいいですか?」


「ああ、どうせ暇だからな。ゆっくり見てってくれ」


 そう言われたので、並べられた干物に目を落とす。

 アジとサバの開き、これはイワシだろうか。シシャモっぽい干物もある。ラインナップは日本とよく似ているようだ。ただ、干物なら街でも買えるんだよなあ。わざわざここで買う必要はない。


「これは街でもよく見ますね」


「そうですね。街で売っている干物は、この漁師町で作られているんですよ」


「おっと、お嬢ちゃん。それは違うぜ」


 おじさんが突然口を挟んだ。得意げな顔で腰に右手を当てるおじさんに、質問を投げ掛ける。


「どういうことです?」


「街に卸しているのは、あっちで作っている街用の干物だ。うちで売っているのは、街じゃ出回らねえ」


 おじさんはそう言って、遠くの網を指した。来る時に見た、大きな柵と網がある。見た目では、どう違うのかが分からない。


「何が違うんです?」


「じっちゃん自慢の干物なんだよ。腐りやすいが、こっちの方が断然美味え」


 店主はそう言って、親指の先を店の奥に向けた。どうやら工房になっているらしい。そこでは、貧相な老人が目にも留まらぬ速さで魚を捌いている。精密機械を見ているようだ。

 タレが違うのか、干し方が違うのか。とにかく他の店とは違うものを売っているようだ。まあ、そうでもしないと店が成り立たないもんなあ。とにかくこの店は、この地域に住んでいる人に向けた食料品店であるということが分かった。


「なるほど……」


 俺がまじまじと干物を眺めていると、横に居たルーシアがおじさんと話を始めた。


「これはサバですよね?」


「ああ、そうだ。ちょっと小ぶりだが、味は保証するぜ……っと、味と言えばこれだ。アジの開き。これもオススメだ」


 クソつまらないオヤジギャグを交えつつ、商品の紹介をしている。そのトークだと逆に売上が減りそうだぞ……。


「おじさま、売っていただけますか?」


 あ、ルーシアは買う気になったんだ……。まあ、ギャグセンスと味は関係ないからなあ。


「あいよ。1尾100クランだ。できれば今日中に食ってほしいけど、明日なら大丈夫。それ以上は保証できねえから、できるだけ早く食ってくれよ」


 干物のくせに日持ちしないらしい。保存のための干し方じゃないんだな。たぶん、味を良くするために干しているんだ。これは期待できそうだな。


「ちょっと高いですね……」


「かぁぁ! 街で売ってるモンと比べないでくれよ。別モンなんだ」


 干物の相場なんて知らないが、どうやらこの店は少し高いらしい。街よりも産地の方が高いのか……。それだけ特殊な商品なのだろう。たった2日しか持たない商品なんて、街では売れないからなあ。


「そうですか……。分かりました。では、サバとアジを6尾ずつお願いします」


「おっ、ありがとな。今包むから、ちょっと待っててくれ」


 おじさんは、右手1本で器用に干物を紙に包んでいる。なぜ片腕なのか、なんてヤボなことは聞かない。おそらく片腕になってから長いのだろう。そう思わせるほど、器用に右腕を使っている。片腕では船に乗れないから、ここでこうして店を開いているんだろうな。


 商品を待つ間、暇なのでもう一度陳列棚を眺めた。すると棚の隅の方に、厳重に封をされた瓶が置かれている。何だろう……。


「すみません、この中は何が入っているんです?」


「……それに目を付けたか。開けて見せてもいいが、後悔しないな?」


 おじさんは不敵な笑みを浮かべた。ヤバイ物が入っているらしい。とは言え、食べ物には間違いないはずだ。


「ははは。そう言われてしまったら、余計に気になるじゃないですか」


「それもそうだな。いいか? 開けるぜ?」


 おじさんは瓶の蓋に縛り付けられた紐を引き、蓋を外した。途端に周囲に嫌な空気が立ち込める。


「くさっ!」


 ルーシアが慌てて口元を抑えた。辺り一面が酷い生臭さに包まれた。腐った魚が浮いたドブ川のような、強烈な臭いだ。その悪臭の源はさっきの瓶。その中には、茶色い液体が波々と入っている。

 ただ、この臭いと液体の色には覚えがある。


「魚醤じゃないですか」


 有名なところで言うと、秋田の『しょっつる』やタイの『ナンプラー』だ。さすがにここまで酷い臭いではないが、似たような臭いがする。


「え……これですか?」


「調味料の1つです。臭いは酷いですが、美味しいですよ」


「兄ちゃん、よく知ってるね。ガルムっていうんだ」


 おじさんがにっこりと笑って言うと、ルーシアは口に手を当てたまま涙目で言う。


「ただの腐った塩水じゃないですか……」


 酷い言い草だが、ある意味正しい気がする。知らない人が見たら、絶対に腐っていると思うだろう。


「まあ、発酵した魚ですからねえ。おじさん、この調味料の原料は何ですか?」


「いろんな魚の内臓だ。サバとイワシが多いかな。言っとくが、毒のある魚は使ってねえぞ」


 俺が知っている魚醤とは材料が違う。これが臭いの違いだろうか。


「なるほど……。買いましょうか。いくらです?」


「ええ? 買う? これをですか?」


 ルーシアがこもった声を出す。鼻で呼吸することができなくなったらしい。このガルムとかいう魚醤は、俺が知っている魚醤よりも遥かに臭い。魚醤初心者には辛いだろう。


「くっくっく。その反応は当然だ。街じゃ絶対に売れねえ。この臭いだからな」


「美味しいんですけどね……。個人用に買いますよ」


「やめてくださいっ! 台所が臭くなります!」


 そんなに嫌か……。仕方がない。臭くなるのは間違いないしなあ。


「分かりました。今回は諦めます。おじさんも、臭いが控えめな物を作ってみてください。内臓じゃなくて身を使えば、多少はマシになるんじゃないですか?」


「それは難しいぞ。魚の身は売りモンだ」


 どうやら、魚の捨てる部分を使って作るようだ。売り物になるとは考えていないんだから、それは当然かな。俺が出資して作らせるのは難しいし、魚醤は諦めよう。


 蓋を元に戻したが、辺りはまだ臭いままだ。『開けたら後悔する』というのは本当だった。さらに厳重に封印して、臭いの発生を食い止めた。

 商品の受け渡しを済ませたら、さっさとここを離れよう。そう思って商品棚に視線を移したのだが、棚の横に無造作に置かれた桶の中に、見覚えのあるトゲトゲが……。


「あっ! これは!」


 思わず叫んでしまった。おじさんは、怪訝な表情を浮かべながら聞き返す。


「どうした?」


「ウニですね。このあたりには居ないのかと思っていました」


 手のひらサイズの黒いトゲトゲが、うにょうにょと動いている。おそらくムラサキウニだ。


「へえ。こいつを知っているとは、なかなか通だね」


「いくらです?」


 俺が興味を示すと、ルーシアが怪訝な表情で俺を見た。


「え……? こんなものを買って、どうするんですか?」


「食べるんですよ。好き嫌いは分かれますが、美味しいですよ」


 俺のこの言葉に、おじさんも驚いて目を見開いた。


「は? 兄ちゃん、これを食うのか?」


「食べないんですか?」


 どうして売っているんだ? いや、売るつもりは無かったのか。桶の中に放り込まれて、捨てられる寸前だ。もったいないなあ……。


「食わねえよ……。こんなものを食うなんて、棟梁んとこくらいのもんだぜ」


「棟梁?」


「ああ、この辺の漁師の元締めだよ。とにかく魚が大好きな爺さんだ」


 聞き覚えがある。虫大好き富豪、テレサの身内じゃないだろうか。とにかく魚ばかり食べているという噂だ。ウニ以外にも、いろんな珍魚を食べていそうだな。是非お近付きになりたい。


「食べる人は居るんですね。その方とは気が合いそうです」


「同感だよ。あんた、名前は?」


「ウォルター商会の、ツカサと申します」


「分かった。棟梁に話を通してやる。今度会ってみるといい」


 テレサの身内で漁船の元締めとなれば、間違いなく金持ちだ。新鮮で美味しい魚料理が食べられる。テレサのパーティみたいな地獄絵図にはならないだろう。


「ありがとうございます」


「……私も同席した方がいいですか?」


 ルーシアは、困ったような、そわそわしているような、複雑な笑みを浮かべて言う。行きたいけど行きたくない、そんな感じだ。


 たぶんその人に会ったら、怪しい魚がフルコースで出てくる。ルーシアは街で流通しない魚介類が苦手みたいだから、ちょっと厳しいかもしれない。


「いえ。フランツさんを同席させましょう。その方のご家族に心当たりがあるんです。フランツさんとも面識がありますから、連れて行った方がいいと思います」


「そうですか……。分かりました」


 ルーシアはそう言って、嬉しそうだが寂しそうな、複雑な表情をした。ルーシアの感情がよく分からない……。


「ん? 兄ちゃんは棟梁を知っているのか?」


「いえ、お孫さんに心当たりがあるだけです。その方かどうかは、お会いしてみないと分かりませんね」


「へえ……。それも伝えておくよ。棟梁はしょっちゅうパーティーをやっているんだ。棟梁の気が向いたら招待状が届くと思うから、気長に待っててくれ」


 ああ、これはテレサの身内で間違いないかな。テレサと同じパーティーピーポーだわ。


「分かりました。お待ちしています」


 話をしているうちに干物の梱包が終わった。まだ臭いので、さっさと退散しよう。



 魚パーティーは少し楽しみでもある。テレサと面識があるフランツを連れていけば、多少は会話が弾むはずだ。

 最近のフランツはいいことが無かったから、これくらいのご褒美をあげてもいいだろう。美味しい魚料理が食べられれば、少しは元気が出るんじゃないだろうか。

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