表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
153/219

男の原動力

 いろいろ問題があったけど、印刷工房は無事に可動し始めた。俺はと言うと、少し居心地が悪くなった。ウルリックの余計な一言のせいで、ルーシアやメイと顔を合わせにくい。気にしすぎなんだろうけど、少し気恥ずかしさがある。まあ、そうも言っていられないか。仕事は仕事だ。


 朝になり、みんな揃って朝食を食べる。2階の自室から1階の食堂に下りてくると、サニアが給仕をしているところだった。フランツがその手伝いをしていて、ウォルターは偉そうに椅子でふんぞり返っている。

 俺が席につくと、ルーシアとメイが並んで階段を降りてきた。昨晩はルーシアとメイが話をしていたらしいのだが、どうやらそのままルーシアの部屋に泊まったようだ。部屋は隣なんだから、帰ればいいのに。


「おはようございます」


 そう声を掛けると、ルーシアも気恥ずかしそうに顔を赤くして返事をした。


「おはようございます……」


 やりづらい。ウルリックのせいだぞ……。まあ、そのうち直るだろ。

 ルーシアの態度とは対象的に、メイは元気いっぱいの様子で食堂に顔を出した。


「おはようございます! 今日もよろしくお願いします!」


「今日も元気だな。張り切って頑張るように」


 ウォルターは偉そうに言う。何様だよ……いや、オーナー様か。何もしていないけど、この店で一番偉いのはウォルターだった。


「言われなくても、メイちゃんは頑張ってるわよ」


 サニアはそう言いながら朝食を運んでいる。


「うむ。それは分かっておる。このまま一生ここに居てほしいくらいだ。いっそフランツの嫁にどうだ?」


 ウォルターがそう言うと、フランツは口に含んだ水を吹き出した。


「ちょ! 何を言っているんですか!」


 フランツは明らかに動揺した態度で、大きな声を出す。一方のメイは冷静な顔で椅子に座り……。


「ふふふ。妙な冗談はやめてください。あり得ませんから」


 軽く受け流した。全く本気にしていないのだろう。当のウォルターも、本気で言ったとは思えない。軽い冗談だ。まあ、これもセクハラだけどね。メイは気にしていないようなので、今回は注意しない。


「ふふふ。確かにあり得ないみたいね。だって、ね……?」


 ルーシアがメイを見て茶化すように言うと、メイは頬を赤くしてルーシアと目を合わせた。


「もうっ! それはお姉さまも同じでしょっ?」


 ずいぶん仲良くなっているな……。昨晩何があったんだろう。呼び方も「お姉さま」になっているし……。百合? いや、違うよな……。よく分からない絆が生まれたようだ。


 俺は触れない方がいいかな。


 と思っていたのだが、ウォルターが突っ込む。


「どうした、短い間にずいぶん仲良くなっているようだが……」


「なんでもないわ」


「なんでもありません。私とお姉さまがライバルになっただけですっ」


 ルーシアに続き、メイが笑顔で返事をした。


「……ライバル? まあ、同じ目標を持つのは良いことだ。頑張りなさい」


 ウォルターは怪訝そうな表情を浮かべると、1人で勝手に納得して頷いた。俺には何がなんだか……。


 これ以上突っ込んだ話は聞かない方がいいような気がする。さっさと朝食を済ませ、逃げるように店を出た。



 今日は実験用工房に籠もって広告の原稿を仕上げる。今回の広告は、コンサルタントの客たちの分だ。印刷機の完成が近かったので、今まで保留していた。

 印刷機の活字に合わせてレイアウトを組み、文章を完成させていく。フリーハンドよりも手間が増えたが、量産することを思うとかなり楽だ。俺やルーシアの時間が取られないので、気兼ねなく枚数を増やせる。


 ただ、デメリットが無いわけではない。イラストや図が入れられなくなったので、少し無機質な仕上がりになる。2色刷りで対応すれば多少はマシかな……。追々考えていこう。


 金物店は広告を出さないつもりだったのだが、印刷機があれば話が違う。遠慮なく広告をばらまく。5店分の原稿を書き終えた頃には、すでに日が沈みかけていた。早くウルリックに引き渡そう。



 印刷工房に顔を出すと、ウルリックはカウンターテーブルに向き合って何かをしていた。

 勝手に印刷機を動かして、印刷の練習していたようだ。必要なことなので、別に文句は言わない。


「ウルリックさん、さっそく仕事をお願いします」


「おっ! いいね。待ってたぜ」


「原稿はこれです。この通りに版を組んで、見本を持ってきてください」


 今回の原稿は、ただの案だ。一度店主に確認してもらい、問題がなければ量産を開始する。誤字脱字は致命傷なので、この手順は省けない。


「了解だ。任せとけ」


 版組みとサンプル印刷だけなら明日には終わるだろう。ただ、版組み用のトレイが足りない……。これは大至急追加注文が必要だな。

 床の隅に活字が並べられていることに気付いた。トレイが足りないから、組んだ版を崩さないように床に置いたらしい。確かに、こうしておけば大丈夫だ。でも、それだといずれ活字が足りなくなる。やっぱり活字も追加注文が要るなあ……。


「今日はこれだけです。他に足りないものはありませんか?」


「ああ、特に無いな……」


 ウルリックは気のない返事をすると、俺が持ってきた原稿に目を落とした。ブツブツと呟きながら真剣な顔をしている。邪魔をしたら悪いかな。


 ふと視線を動かすと、机の上に練習用であろう紙が数枚置かれていた。適当に文字を並べたわけでは無さそうだ。何か意味のある文章になっている。気になるなあ……。


『曇天の下、向かう先に思いを馳せて心は晴々としている。ここに居るはずのない人、あるはずのないもの、全てが自分のために存在しているのではないかという錯覚に陥る……』


 小説? 小説でも書いていたのか? 続きが気になる……。途中で読み飛ばし、2枚目に手を掛けた。


『彼は唐突に下半身を(まさぐ)り……』


 ん……? 様子がオカシイ。さらに読み飛ばして3枚目を手に取る。


『彼に備えられた大きな槍は、今にも彼女を征服しようと……』


 官能小説じゃないか! 大事な印刷機を使って何を書いているんだよ!


「ウルリックさん……?」


「あっ! 読んだのか? 読んだんだな! どうだ! いいだろう!」


 渾身の力作だったらしい。


「はぁ、まあ……」


「この仕事が終わったら続きを書く。それまで楽しみに待ってろ!」


 別に楽しみではないんだけど……。でも、印刷機が一般的じゃないのに、小説という文化はあるのか。不思議だな。


「このようなものは一般的なんですか?」


「うん? そうだな。紙に書いて売るんだよ。意外と良い値で売れるらしいぜ」


 同人誌みたいなものなのかな……。全て手書きなので、量産できるものではない。大規模に売ることはできないが、小遣い程度にはなるようだ。

 しかし……これは売れるのかな? いや、売れそうだぞ。男のエロパワーを侮ってはいけない。性的な娯楽が少ないこの国では、爆発的大ヒットになる可能性すらある。


「なるほど。試しに売ってみましょうか」


「待て待て! それはさすがに恥ずかしい! オレのは趣味なんだよ。売り物になるレベルじゃねえ!」


「だったら安く売ればいいじゃないですか。いくらでも作れるんですから、安くしても問題ありませんよ」


「そういう問題じゃねえよ……。恥ずかしいじゃねえか」


 下手だろうがなんだろうが、小説なんて書いたもん勝ちだ。紙代だけでも回収できるなら、とりあえず売った方がいい。

 それにこの内容……。うちの店の客からは人気が得られそうだぞ。客の大半がおっさんだからなあ。


「だったら、作者名を伏せればいいでしょう。ペンネームというやつです。肖像画が載るわけじゃないんですから、誰が書いているかなんて分かりませんよ」


「あ……そんな手があるのか」


 少しその気になった。このまま押し切ろう。


「今なら空き時間が結構あると思います。暇でしょう? 書きたいように書いてください。紙とインクはどれだけ無駄にしてもいいですから」


 どうせコータロー商店から引き取った激安の紙だ。たとえ高級品であったとしても、多少無駄になったところで痛くはない。


「そうか……? それはありがてえけど……」


「売れなくてもいいじゃないですか。せっかく書くんですから、読んでいただけるだけで十分でしょう」


「こんな妄想話……受け入れてもらえるかなあ……」


 さっきの自信はどこに行ったんだよ……。不特定多数に読まれることを意識して、急に萎縮してしまったようだ。


「堂々としてください。100人が否定したとしても、1人が認めてくれればいいじゃないですか」


 それが同人誌というものじゃないか。商業誌でその調子では困るけど、趣味の延長ならそれでいい。


「そうかな……」


「趣味の延長でいいですから、とりあえず書いてみてください」


「分かったよ。でも、売れなくても文句を言うなよな……」


 ウルリックは不承不承に頷いた。なんとか納得できたらしい。

 実際、売れるかどうかはやってみないと分からない。だが、売れなくてもそんなに困らない。たとえ売れなくても、印刷技術のアピールにはなるはず。これ自体を広告だと考えれば、紙の無駄にもならない。売れなければ無料で配るだけだ。



 帰り際、最後にもう一つ質問する。


「ところで、いつも書いているんですか?」


「そうだな。狩りは待ち時間が多くて暇なんだよ。やることがねえから、何作も書いた」


 ストックは十分だな。完結している話があるのなら、多少忙しくなっても大丈夫だ。


「では、順次発行していきましょう」


「いや……昔の作品は本当に下手だぞ……?」


「構いませんよ。気になる部分があれば、版組みの時に修正してください」



 ウルリックを上手く口車に乗せて、本の作成が決定した。

 儲かることが分かっていて本や新聞の発行に乗り出さなかったのは、原稿を書く時間が取れないからだ。書いてくれるやつがいるのであれば、喜んで発行する。まあ、今回は官能小説なんだけどね。


 ただ、店番がルーシアとメイでは、客は買いにくいかもしれない。フランツを窓口にすればいいかな……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ