新工房
心配だった1日目を終え、数日が経った。メイは何とか慣れてきたようで、ルーシアの小言も減ってきた。もう少し仕事を覚えれば、ルーシアに休みを取らせることができそうだ。
ちなみに、フランツは結構休んでいると聞いた。裏方はサニアもやっているので、上手く交代できるそうだ。一方のサニアはと言うと、カフェスペースの料理があるので休めない。この店で暇なのはフランツだけだ。暇しているのは可哀想だから、近々負担を増やしてやろうと思う。
そして今日。外回りから帰ってくると、閉店作業を終えたルーシアが困った顔で話し掛けてきた。
「ツカサさん。さっき、とんでもなく重い荷物が届いたんですけど、あれ何ですか?」
ルーシアの視線の先を見ると、大きな木箱に入った謎の包みがあった。包みの大きさは、大家族用の冷蔵庫くらいある。送り主を確認すると、鋳造工房の主だった。
「あ……印刷機の部品ですね。わざわざ送ってくださったようです」
完成したら一度見に行くつもりだったのだが、気を利かせて配送してくれたらしい。確認する前に送ってきたということは、作品の出来に自信があるのだろう。
本体はすでに到着しているのだが、ついに活字が到着した。これで印刷機のすべてが揃った。いつでも印刷が開始できるぞ。
「なるほど。これで広告が作り放題ですね」
ルーシアが満足げに言うと、横で見ていたメイが怪訝な表情を浮かべた。
「印刷機……?」
印刷機を注文したのはメイが入る前だったので、メイには何も説明していない。
「広告を書くたびに手書きするでしょう? あまりにも面倒だったので、作ったんです」
「作った……? 作れるものなんですか?」
「僕の故郷に似たようなものがあったので、それを参考に再現したんです。結構お金が掛かっているんですけど、手書きの手間を考えたら安いものです」
請求書はまだ見ていない。見るのが怖い。たぶん恐ろしい額が刻み込まれている。下手をしたら工房ひとつ分くらい掛かっているかもしれない。
それでも、広告が簡単に作れるようになったのは大きい。俺がアドバイスをした店でも広告を作る必要があるので、これから大活躍することが予想される。
「でも、大きすぎませんか? 事務所に入ります?」
「無理……ですね。思ったよりも大きいです」
本体は電子レンジくらいの大きさなのだが、とにかく活字が場所をとる。一文字あたり100個で注文したので、42文字で4200個。活字1つは小さいのだが、さすがに4200個もあれば大荷物だ。
「どうしましょう……。ツカサさんの工房に移動します?」
「やめておきましょう。部屋は余っていますけど、結構狭いんです。それに、印刷のたびにあっちに行くのは手間ですからね」
印刷機本体もそこそこ重いし、活字の総重量はかなりある。一度設置したら二度と移動できないと思った方がいいだろう。実験用工房に置いたら確実に邪魔だ。
「ではどうしましょう……?」
店舗はもっと場所がない。だが、もっと手軽な場所が空いている。
「隣が空いているので、そこを印刷に使いましょうか」
元食堂の隣の店舗は、買っただけで放置していた。今も活用方法が思いつかないまま埃だけが堆積している。そこなら印刷所にちょうどいいと思う。
食堂は倉庫が小さくて店舗部分が広い。棚や作業台を揃える必要はあるが、ほぼそのまま使える。それに作り込みのカウンターテーブルがあるので、しばらくそこで作業をすればいい。
「あ……なるほど。忘れていましたが、隣はうちで買ったんでしたね。お手伝いします」
存在を忘れられた店舗……。ウォルター一家のみんなにも使い道を提案してくれと頼んでいたのだが、ルーシアがこの調子なら全員が忘れているっぽい。まあ、印刷所に使うのだから問題ないけどね。
「すみませんが、お願いします。僕は中を確認しておきますので、フランツさんを呼んでおいてください」
木枠を剥ぎ取り、中の活字を確認する。文字ごとに小さな木箱に収められていて、その箱が42箱。その一箱も結構重い。それもそのはず、活字の材料は鉛だ。重くて当然だろう。
活字自体はきれいなもので、大見得を切るだけあって品質がいい。文句の付け所が見当たらないくらいだ。あとは耐久性だが、これは使ってみないと分からないな。
フランツも駆り出して、ルーシアとメイと俺の4人で印刷機セットを移動する。印刷機本体をカウンターテーブルに設置して、活字を床に並べた。
無駄に場所を取っている。そのうち活字用の棚を作る必要があるが……印刷のためにいくら掛かるんだよ。マジで怖くなってきた。
何はともあれ、印刷機のセットは終わった。一度動作を確認したら、今日の業務は終了だ。
「ありがとうございました。後は僕がやっておきますので、もうお休みいただいて構いませんよ」
「はぁい。帰りまーす」
フランツはそう言ってさっさと帰った。印刷機にはあまり興味を示さなかったようだ。
しまったな……首根っこを掴んででも引き止めておくべきだったかな。印刷はフランツにやらせるつもりだったのに……。まあ、追々教えていけばいいか。今は動作確認が先だ。
動作確認を始めるために活字を手に取る。その動作を繰り返しているのだが、ルーシアとメイは一向に帰ろうとしない。
「仕事は終わりました。もう帰ってもいいですよ?」
「いえ。そういうわけにはいきません」
メイが直立のまま答えると、ルーシアは申し訳なさそうに言う。
「印刷の手順が知りたいので、実演してもらえませんか?」
メイはレヴァント商会時代の癖が抜けていないのだろうか。上司よりも先に帰るということに戸惑いを感じているらしい。ルーシアは、普通に勉強熱心なだけだな。
「分かりました。いいでしょう。では、説明しますので少々お待ちください」
そう言って版を組む。と言っても、トレイの上に活字を並べるだけだ。さっと並べて印刷機にセットすると、ローラーでインクを塗って紙を擦り付けた。
「それだけですか……?」
「そうですね。これだけです。複数枚印刷るときは、これを繰り返せばいいですよ」
そう言ったものの、いざ版を組んでみると、文字は一種類だけでは足りないということに気が付いた。最低でも大中小はあった方がいい。全部でいくらになるんだろう……怖い。
「凄いです……画期的な発明ですよ?」
ルーシアは活版印刷機のアイディアを褒めるが、複雑な気分だ。
活版印刷なんて、大昔に発明されたものだ。むしろこの国に無いことの方が不思議なくらい。ドヤ顔で「俺の発明」なんて、口が裂けても言えない。だいたい、俺は案を出しただけで、作ったのは職人たちだぞ。
「僕の手柄ではありませんからねえ……。僕は見聞きしたものを再現しただけです」
「それでも十分凄いですよ。高級な本は、こうやって作られたんですね」
「高級?」
「このあたりで手に入る本は、手書きで複写されたものですから。誤字と脱字が酷いです。たまに内容が違っていることすらあります……」
それでいて値段は高いらしい。最悪だ……。カフェスペースに本を置く案があったが、却下して正解だったな。どうせ置くなら高級品とやらにした方がいいだろう。
まあ、聞く話によると高級品と言っても活版印刷ではないんだけどね。全ページの版を個別に作った木版印刷だ。手間が凄い。高級品と言われるのも納得だ。
「それはともかく。印刷したいものがあれば、自由に使っていただいて構いません。完成はまだ先ですが、2台目の印刷機も注文してあります」
「それは助かります。ポイントカードの手書き、凄く大変だったんですよ……」
うちの店で配っているポイントカードは、マス目から何から全てが手書きだ。途方もない手間がかかっている。活版印刷機があれば、その手間が無くなる。ルーシアにとってはとても有り難い話だろうな。
「今は活字が少ないので、終わったらバラしてください。追加注文しておきますので、それが届いたらバラさなくていいですからね。よく使う版は、そのまま保管しておきましょう」
これが活版印刷の利点だ。二度と使わない版はバラして再利用、何度も使う版はそのまま残して再利用。いろんな手間が省ける。馬鹿みたいなコストが掛かっているが、ランニングコストはかなり安い。
「あとは紙ですね。今は店の倉庫に入っていますけど、移動するのは面倒ですよね?」
ルーシアが言う。紙は店舗でも結構使うので、全て移動してしまうと、それはそれで面倒だ。別会計にして、それぞれで仕入れた方がいいだろう。
「そうですね。印刷で使う紙は別で注文します。そろそろコータロー商店から買い取った紙が届くでしょうから、それも全部ここで使いましょうか」
コータロー商店が潰れた時に、在庫として残っていた紙は全て買い取った。だが、一度裏市の倉庫に入ってしまったので、まだ届いていない。もうすぐ届くはずだ。
コータローは問屋の在庫をゴッソリと買い取ったので、半端じゃない量の紙が残っていた。おかげで当分紙に困らないと思う。
「分かりました。紙が届いたらここに移動しておきます」
「お願いしますね。では、帰りましょうか」
そう言って印刷工房を出た。
よく考えたら、このまま出版社が作れそうだぞ……。
この国で新聞を発行すれば、絶対に儲かる。この国には情報媒体が無いので、今なら独占できるだろう。
ただし、俺は新聞にはそれほど魅力を感じていない。手間が半端じゃないからだ。取材をして文章を書いて版を作って印刷して配る。一連の作業は1人でできることではなく、何人もの従業員を雇わなければならない。
そんなに急に従業員を雇うなんて、ハイリスクすぎて無理だ。それこそ誰かにやってもらいたい。印刷機の作成だって乗り気じゃなかったんだ。新聞はもっと乗り気にならない。
でも広告を刷るくらいの仕事なら受けてもいいかな。となると、印刷工房に専念できる従業員が欲しい……。誰か居ないかな。





