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初日

 ようやく元料理人の男から開放された。他に行かなければならない用事はないので、ひとまず店に帰る。

 メイの様子も気になるところだ。抜き打ちで働きぶりを確認しておきたい。


 店に到着。外から見る様子はいつもどおりだ。中に入り、声を掛けた。


「お疲れ様です」


「お帰りなさい!」


 給仕をしていたメイが俺を見ると、お茶が載ったトレイを空きテーブルの上に置いて駆け寄ってきた。


 同時にルーシアの怒鳴り声が響く。


「メイさん! 何をしているんですか!」


「え……?」


 メイは戸惑いながら、俺の前で突っ立っている。こうしている間にも、お茶が冷めてしまうじゃないか。


「まずはお客さんです。早くそのお茶を届けてきてください」


「分かりました……」


 メイはそう言って給仕の仕事に戻った。俺はカウンターに居るルーシアのもとに歩み寄る。


「ルーシアさん、そんなに怒鳴らなくても……」


「あ……すみません」


 ルーシアはバツの悪そうな顔で俯いた。


「お客さんが居るところでは、あまり怒鳴らないでください。お店の雰囲気が悪くなります」


 客に対する失敗なら客前で怒ることにも意味があるが、単純なミスは客前で咎めたらダメだ。店の品位が下がる。それに、怒号が飛び交う店なんて居心地が悪い。人は怒っている人が視界に入っただけでもストレスを感じるものだ。


「そうですね……。ごめんなさい」


 ルーシアは言い訳をしなかったが、おそらく何度か似たような失敗をしたんじゃないだろうか。たった半日なのに……。ちょっと聞いてみよう。


「何か問題がありました?」


「いえ、ご報告するようなことは何も。ただ……レヴァント商会ではどういう教育をしているんでしょうね……」


 詳しくは聞けなかったけど、この一言が全てを表しているな。とにかく失敗続きだったらしい。俺に報告しないというのは、メイが二重で怒られることを避けるためだろう。メイの失敗を俺が知ってしまったら、小言を言わざるを得ないからなあ。



 そうこうしている間に、給仕を終えたメイが帰ってきた。とりあえず小声で注意しておく。


「メイさん、どんな時でも優先するのはお客さんですよ?」


「すみません……。レヴァント商会では、会頭や店長が来たらすぐに頭を下げろと言われていましたので……」


 マジ? どういう教育?

 俺が唖然としていると、ルーシアが怒気を顕にして不満を漏らした。


「もうっ! なんて教育をしているのよ。だからレヴァント商会は……」


「まあまあ、教育方針は人それぞれですから。レヴァント商会ではそういうやり方をしていたということです」


 とは言うものの、レヴァント商会の方針はなかなか酷いな。客よりも上司を優先するのか。従業員の統率するための手法としてはアリか……いや、ナシだな。


「あの……こういう時は、どうしたらいいんですか?」


 メイが不安げな表情で聞く。レヴァント商会の常識しか知らないんだから、迷うのも仕方がないか。


「僕なんて無視したらいいんです。余裕があれば声を掛けてください」


「そういうわけには……」


「どんな時も接客を優先してください。迷った時は接客優先です。ある程度は自分で考えて動いてくださいね」


 全てをマニュアルにしてしまえば楽なのだが、それではイレギュラーに対応できる人が育たない。失敗してもいいから、とにかく自分で考えて動いてほしい。

 こういう指導には手間が掛かるので、余裕があるうちにしかできない。これが早めに人を雇うことに拘る理由だ。


「すみません……慣れるまで時間が掛かりそうです」


 メイは目を逸らして答えた。そんなことは分かっている。時間が掛かることは織り込み済みだ。 しかし、レヴァント商会ではどういう指導をしていたんだろう。気になるな。


「レヴァント商会で最初に教わったことは何です?」


「会頭様がご来店した時の挨拶ですね……」


 それが最初に教わることかよ……。会頭はまるで王様みたいな扱いだな。アホかな?


「他には何を教わりました?」


「特に何も。上司もノルマを達成するのに必死で、個人的に教えてもらうなんて無理です。本部からのノルマがキツくて……」


 レヴァント商会の内部構造が何となく見えてきたぞ。会頭のチェスターはやり手の印象だった。おそらく、自分基準でノルマを課しているのだろう。ワンマンタイプの経営者にありがちなミスだ。

 厳しすぎるノルマと上からの締め付けで、現場もいっぱいいっぱいになっている。なるべくしてブラック企業になったという感じだな。


「何も教えてくれなかったんですか?」


 いくらなんでも少しくらいは教えていてほしいぞ。


「仕事の流れは教わりましたが、それ以上のことは見て覚えろと言われまして……」


 それは教えるのが面倒だっただけだろ……。

 仕事を教えるには時間が掛かるし、教えている間は教育係の成績も落ちてしまう。レヴァント商会では、売上を維持するために教育をおざなりにしたのだろう。


「なるほど……。では、メイさんはまるきり素人ということですね」


「そう思っていただいた方がいいと思います」


 正直でよろしい。ここで変な見栄を張られるより、はっきりと素人だと宣言してもらった方が教え甲斐がある。


「分かりました。そのつもりで指導させていただきます。無理に、とは言いませんから。少しずつ慣れていきましょう」


 俺もそんなに教える時間を取れるわけではないが、きついノルマを言い渡すつもりもない。ゆっくり学んでいってくれれば大丈夫だ。


「分かりました。よろしくお願いします」


「覚えることが多そうですから、覚悟してくださいね」



 店で話をしていると、突然フランツが顔を出した。いつもは裏方をやっているので、店に出ていると違和感がある。


「お疲れ様です、フランツさん。何か用ですか?」


「あ……お疲れ様です。帰ってたんですね……。別に用というわけではないんですけど……」


 フランツは気まずそうな顔でそう答えた。まるで俺が居たら悪いみたいだな。まあいいか。他にやることがあるから、この場を離れよう。


「では、僕はしばらく店舗の様子を見させていただきます」


 そう言って陳列棚の前に移動した。メイの様子を見るというのが第一目的ではあるが、ついでに陳列棚も確認しておきたい。最近はルーシアとフランツに任せっきりだったので、しっかりと棚を見るのは久しぶりだ。


 俺が棚を確認していると、ルーシアは緊張した面持ちで俺に視線を送っている。文句を言われるかもしれないと思っているのだろう。

 陳列された商品は、埃1つ無い状態できれいに陳列されている。ルーシアは俺が教えた基本に忠実に従って、丁寧な仕事をしているみたいだ。特に修正するべき点は見当たらない。このまま任せても大丈夫そうだな。


 店内をウロウロしているうちに、カウンターの方からメイとフランツの話し声が聞こえてきた。


「メイ、調子はどう?」


「どうって? 普通だけど?」


「大変じゃない?」


「別に。普通だよ?」


 フランツの用事はコレか。メイと話がしたかったらしい。無駄話をするなら仕事が終わってからにしろよ……。まあ、今日は初日だから大目に見るか。


「ほら、うちって小さいじゃん。レヴァント商会と比べたら、勝手が違うんじゃないかと思ってさ」


 フランツが先輩面してアドバイスをしようとしているらしい。そのことを咎めるつもりはないが、若干の下心が見え隠れしているぞ……。


「違うのは当たり前じゃない。大丈夫だよ」


「わかんないことがあったら、オレに聞いてもいいからさ」


 フランツも店のことは分からんだろ……。フランツが教えられるのは、裏方の仕事だけだ。そしてメイにはそれを望んでいない。それに、メイの意識は別の何かに向いているようで、返事がおざなりになっているように感じる。


「ありがと。でも、ルーシアさんとツカサさんに聞くからいいよ」


 メイがそう言うと、続けてルーシアの声が聞こえてきた。


「ほら、いつまで話をしているの? 今は仕事中でしょ? フランツも、無駄話をするなら閉店後にして」


 ついにルーシアからお小言が来た。俺は大目に見ようと思って放置していたが、ルーシア先輩は許さなかったらしい。

 まあ、メイは住み込みなんだから、仕事が終わってからいくらでも話せるだろう。


「でも、メイはすぐに部屋にこもるから……」


 フランツは相手にしてもらえないと。今も相手にしてもらえているとは思えないんだけどね……。面倒臭そうにあしらわれているだけだぞ。


「当然でしょ? 『寮では静かに』って。みなさんは休んでいるんだから、騒いだら迷惑じゃない」


 これもレヴァント商会の方針らしい。上司や先輩に気を使えという意味なのだろう。息が詰まりそうな寮だな……。絶対に住みたくないぞ。


「みんなすぐに寝るわけじゃないから、少しくらい騒いでもいいのよ? 良かったら、今晩あたしの部屋にいらっしゃい。お話をしましょう」


「え……? いいんですか?」


 メイは困ったような声を出した。今日さんざん怒られたから、気まずいのだろう。こういう時、新人は絶対に警戒する。仕事が終わった後にも怒られるのではないかと。

 ルーシアは怒ったりしないだろうが、メイはそんなことを知る由も無い。どうせ話をするなら、もう少し慣れてからの方が良くないかな……。


「オレの部屋でもいいんだよ?」


「では、今晩お邪魔させてもらいます」


「分かったわ。待ってるから」


 返事をしたのはルーシアだ。声だけでしか判断できないけど、フランツの提案は華麗にスルーされた。


「何か準備するものはありますか?」


「無いわよ。気軽に来ていいの。ちょっとお話するだけだからね」


 フランツの存在が無視されたかのように会話が進んでいく。そして扉が開いて閉まる音がした。フランツが奥に引っ込んだのだろう。

 今の雰囲気に耐えられるほど、フランツのハートは強くなかったようだ。それでも結構耐えた方だとは思うけどね。俺だったら、最初の三口ほどで限界を迎えていたと思う。全く相手にされない相手と喋るのって、結構疲れるんだよ。仕事じゃなければやりたくない。



 しばらく見ていたが、特に問題は無いみたいだ。明日からは完全に任せきりでいいかな。フランツが若干哀れだったけど……まあ、頑張れ。

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