条件
メイの紹介も無事に終わり、今日から正式に働くことになった。教育係はルーシアだ。若干の不安はあるものの、まあ大丈夫だろう。メイの教育はルーシアに任せ、今日も外出する。
外出をするために店舗に出ると、ルーシアとメイが雑談をしてた。
「メイさん、その服……」
「おかしいですか?」
「いえ。私が子どもの頃に着ていた服なので、懐かしくて……」
ルーシアは微笑みながら感慨深く言った。
子どもの頃の服がピッタリなメイ……。小柄な体型だと思っていたが、思った以上に小柄らしい。
「子ども……」
メイは衝撃を受けたようで、小声で呟く。17歳と言えば、成長のピークを終えている。ここから大きな成長は見込めないだろう。ということは、メイはずっと小さいままだ。
「かわいいじゃないですか。私よりも似合っていると思いますよ?」
「……そうですか? ツカサさんはどう思われます?」
俺に聞くなよ……。女性の服の感想なんて、俺にはどう答えていいか分からないぞ。適当に答えておこう。
「お似合いだと思いますよ。とても可愛らしいです」
「ほんとですか! ありがとうございます!」
メイが嬉しそうに目を輝かせると、ルーシアから不満そうなつぶやきが聞こえる。
「……褒め過ぎです」
少し不機嫌そうだ。俺はどう答えるのが正解だったんだ……? どう答えても怒られていた気がする。
「とにかく、僕は外出しますから、よろしくお願いします。メイさん、ルーシアさんの言うことをちゃんと聞いてくださいね」
「え? 教えてくださるんじゃないんですか?」
メイは戸惑いの声を上げた。俺がつきっきりで教えることを期待していたのだろうか……。でも、店舗のことは俺よりもルーシアの方が詳しい。
「まず覚えてほしいのは、ルーシアさんがやっている仕事です。僕が教えるより、ルーシアさんに聞いた方が確実ですよ。ルーシアさん、よろしくお願いします」
「はいっ! メイさん、厳しく教えますからね……?」
「う……はい……」
ルーシアが不敵な笑みを浮かべると、メイは不安そうに俯いた。まあ、ルーシアの厳しいなんてたかが知れているだろう。多少不機嫌でも物腰は柔らかいし、感情的に怒ることも少ない。たぶんレヴァント商会よりはマシだ。
開店準備を2人に任せ、今日はかなり早い時間から外出する。今日の目的地はブライアンの店だ。早い時間に行動を開始したのは、ブライアンと話をするため。仕込みで忙しいとは思うが、ゆっくり話ができそうなのはこの時間だけだ。
ついでにコータロー食堂の様子も見たい。本店が潰れて営業を続けているとは思えないが、一応確認しておきたい。
コータロー食堂の前に来たが、看板はそのままで以前と同じ佇まいだ。まさか営業しているのか? 今日は早めに行動を開始したので、時間的には開店前だ。
店の様子は帰りにもう一度確認しよう。どうせ店は目の前だ。ブライアンの店から出る頃には、開店時間を迎えているだろう。
ブライアンの店に入り、厨房にいるはずのブライアンに声を掛ける。
「ブライアンさん、おはようございます」
「やあ、おはよう。久しぶりだね」
ブライアンは厨房の奥からのそりと姿を現した。
店には何度も顔を出しているのだが、ブライアンに会うのは久しぶりだ。営業中に食事がてら寄る事が多かったので、その時間はブライアンが忙しい。話をする時間は取れなかった。
「お久しぶりです。コータロー食堂はいかがでした?」
「……酷いもんだったよ。石を投げられ、暴言を吐かれ、散々店で暴れてどこかへ行ったみたいだ」
「はぃ? どういうことですか?」
予想していた答えと違う。なんだ、その嫌がらせは。
「……逆恨みだよ。自分の店が潰れたのは、オレとツカサくんのせいだって言ってな」
「無茶苦茶な言い分ですね……」
あの嫌味店主、最後はあからさまな嫌がらせをして去っていったらしい。
くそ。その場に居合わせていれば、何かしらの仕返しができたのに。今となってはどこに行ったか分からない。腹が立つけど、やり返すことができないじゃないか。
「まあでも、実害は特にないよ。壁が少し壊れたくらいだ。それももう直した」
ブライアンはこともなげに言う。実害と言えば、不快な目にあったくらいだろうか。大した影響はないようだ。一安心だな。
「そうでしたか……。災難でしたね。それで、店の調子は如何です?」
「おかげさまで、大繁盛だよ。くっくっくっ。向かいが潰れて、更にお客さんが増えた。ちょっと怖いくらいだよ」
ブライアンはニヤリと笑い、俺に帳簿を差し出した。「見ろ」ということだろうか。せっかくなので見せてもらう。
その帳簿に書かれていた数字は、3万クランという数字。これが1日の売上だ。今の客単価は約500クランなので、客数で言うと約60人だろう。拙いな。一気に増え過ぎだ。
「大したものですね。これだけ売上があれば、ひとまず安泰です。そろそろ従業員を考えるべきでしょうね」
うちの店に続き、ここでも深刻な人手不足だ。本来なら、もっと前に従業員を提案するつもりだった。少し出遅れてしまったかな。
「いや、今のところ妻と2人で回っている。まだ先でもいいだろう」
ブライアンは従業員を増やすことに消極的なようだ。用心深くていいことだが、そろそろ雇わないと手遅れになるぞ。
「今を逃したら拙いですよ。従業員は、余裕があるうちに雇わないとダメなんです。本格的に忙しくて、手が足りなくなって、その時に新人を雇った場合、誰が新人を指導するんですか?」
「その時は経験者を雇えばいいだろう」
「それだけではダメです。経験者と言っても、店のルールなどに大きな違いがあります。慣れもありますし、教えないとどうにもなりませんよ」
「そんなもんか……?」
「おそらくフロアの人数を増やすことになると思いますが、最もお客さんに見られる部分ですからね。しっかりと教育しないと、従業員が大きな爆弾になりますよ」
ちょっと脅し過ぎかな? と思わなくもないが、従業員の教育はそれほどまでに重要なことなんだ。客商売なら特にそうだ。本人の気質を見極める必要もあるし、教育には時間を掛けたい。
「わかった。では、従業員を雇うにはどうしたらいいんだ? もっと先になると思って、何も考えていなかった」
「僕にもあてがありませんから、探していただく必要がありますね」
「分かってる。そこで聞きたいんだけど、求人案内所に求人を出すには、どうしたらいいの?」
「職員さんに資料を提出するだけですけど……正直オススメしませんよ?」
ブライアンは求人案内所を利用するつもりらしい。だが、俺は推奨しない。
この国には『見習い』という制度があるのだから、最初から利用した方がいい。求人と見習いの一番の違いは、中途採用か新卒採用か。ほぼ年齢で決まると言っても良い。
見習いの多くは紹介だ。親の知り合いの店に預けるのが一般的である。一人前になったら退職することが多いが、そのまま残っても問題ない。
求人案内所の場合は、自分で勤め先を選ぶ。見習い期間を終えた人が、次の職場を探すためにも利用される。すでに技術を身に着けた人を雇えるため、店側にもメリットがある制度だ。だが、店が負うリスクは小さくない。
「え? どうして?」
「相手の人となりが分かりませんからねえ。ちょっと説明しますね」
そう言って求人案内所のリスクを説明した。
まずは離職理由。いい加減な理由で辞めた人間は、次の職場でもいい加減な理由で退職する可能性が高い。
次に技術力。実際に見てみないと、本当の技術力や知識がわからない。本人は「できる」と言いながら、求める能力を持っていないことは往々にしてある。
そして最も重要なこと。それが『信用』だ。その人の誠実さなんて、長く付き合わないと判断できない。紙切れ1枚と数回程度の面談で、そんなことまで分かるわけがない。
「以上の理由から、お知り合いから紹介していただくのが一番確実です」
「じゃあ、求人案内所は無意味なのか……?」
「そんなことは無いですよ。ブライアンさんが人を雇うことに慣れたら、利用してもいいと思います」
人を雇うのも技術の1つだ。求人案内所の紹介ではどんな人間が来るのか分からないから、慣れないうちは知り合いで練習した方がいい。
不誠実な人間を雇っても、店は損をするだけだ。売上金を持ち逃げされた飲食店の話なんて、日本に居た時に嫌というほど聞いた。そうならないために、最初の1人くらいは信用できる人間を雇って欲しい。
「分かった……。昔の知り合いを当たってみよう。暇しているやつがいるかも知れない」
ここで1つ思い付いた。若い見習いを探さなくても、もっと楽な方法があるじゃないか。
「友人の奥様なんかでもいいかもしれませんね」
この国では、共働きという考え方が一般的ではない。結婚した女性は仕事を辞め、旦那の手伝いか家事に専念する。
日本でもそうだったように、家事に専念している人の中には働きたい人が居るかも知れない。そういう人を狙う。
「いやいや、家のことで忙しいでしょ。うちのロレッタだって、結構大変そうだよ?」
「空いた時間に手伝ってもらうんです。午前と午後で、1日を分けてもいいですよ」
日本で言うところのパートタイマーだ。イヴァンの嫁であるパオラに仕事を依頼した時、喜んで引き受けてくれた。働きたい人は意外と多いんじゃないかと思う。
「へぇ……それなら……」
ブライアンは眉間にシワを寄せて頷いた。
仕込み中のブライアンをこれ以上引き止めるのは迷惑かな。そろそろ引き上げよう。
「乗り気な人が居るかも知れません。まずは声を掛けてみてください」
そう言って、店を後にした。
外に出たところで改めてコータロー食堂を見ると、ブライアンの言う通りもう営業していないようだった。開店時間を迎えているはずなのに、人の気配が一切ない。看板を下ろすこともせずに畳んでしまったらしい。
ふと気がつくと、店の外でぼんやりと佇む小太りの男性を見かけた。気の抜けた表情で、コータロー食堂をただただ見つめている。何をしているのだろう……。コータロー食堂の数少ないファンか? 気になるなあ……。





