職人の拘り
コータロー商店が潰れた次の日。街はまだ混乱している。コータロー商店に商品を卸していた問屋が、いくつか潰れるかもしれないという。
ウォルターから聞いた話だが、いくつかの問屋はコータロー商店以外の取引先を失っていたそうだ。まあ、俺には関係ない話だな。
何にせよ、しばらくはのんびりと営業活動ができる。今日も外に出て、なにかしらの情報を収集したい。
そう思って事務所で外出の準備をしていると、ノックと共に扉が開いた。そこから、ムッとした顔をしたルーシアが覗き込んでくる。
「ツカサさん、お客さんですよ」
「あ、はい。今行きます」
ルーシアがまた若干不機嫌。なんだろう……。変な客でも来たのかな。
店に顔を出すと、カフェスペースで1人お茶をすする女性の姿があった。レベッカだ。
「おはようございます。こんな朝早くから、珍しいですね」
「ああ、注文の物が出来上がったんだけど……あたし、彼女に嫌われてる?」
レベッカはルーシアを一瞥して言う。この2人は何度かここで顔を合わせているが、会話をしているところは見たことが無い。好き嫌い以前に、お互いのことなんて何も知らないはずだ。
「いえ、そんなことはないと思います。なぜか機嫌が悪いんですよ」
「ふぅん……? なるほどね。あんたもなかなかやるじゃない」
レベッカは少し考える素振りを見せると、ニヤリと笑った。
「何がです?」
「いいの。そのうち分かるわよ。あたしはこの店に近付かない方がいいわね。気を付けるわ」
レベッカはニヤニヤと笑いながら言う。納品の時は来てもらうしか無いと思うんだけどなあ……。
「いえ。仕事ですから、そういうわけにもいかないでしょう」
「いいの、いいの。とりあえず納品するわね。検品してくれない?」
レベッカはそう言って、木片が入った布袋を俺に渡した。中身は活版印刷機に使う活字の原型だ。
レベッカと向かい合うように椅子に座り、中身を確認する。その様子を、レベッカは心配そうに見つめている。
活字は約1センチ角の四角柱に、文字を1つ刻み込んである。一つ一つがパズルのように組み合う形になっていて、版を組んだ時に崩れにくくなっている。見た目は単純だが、芸が細かい。
これが寸分の狂いもなく42個。かなり手間がかかっただろう。
「ありがとうございます。上出来ですよ」
「あんたの言う通り、無駄に難しくて面倒な作業だったわ。請求書を見て、びっくりしないでね?」
「ははは。わかっていますよ。言い値で払いますから、請求書を回しておいてください」
作業は意外と早かったが、丁寧に作られている。この原型なら全く問題ない。次はこれを持って鋳造職人のもとに向かう。
ただ、仲が悪そうなレベッカとルーシアを店に残してもいいのかな……。一緒に帰った方が良くない?
「では、僕はここで失礼します。これから職人街に行きますけど、レベッカさんも一緒に行きます?」
「あんたは馬鹿か! あたしはお茶を飲み終えてから帰る。これを残すなんて考えられないだろう」
レベッカは鋭い目で俺を睨む。なんだか物凄く怒られたぞ……。そんなにうちのお茶が気に入ったのか。
「わかりました。では、ごゆっくり」
苦笑いを浮かべながらそう言って布袋を掴み、席を立った。そのままルーシアの方に向いて声を掛ける。
「ではルーシアさん。外出しますので、よろしくお願いします」
「分かりました。お気をつけて」
ルーシアは笑顔を作って言った。まだ少し不機嫌っぽい。なんなんだよ、まったく。まあ、俺が気にしていても仕方がないな。帰る頃には直っているだろう。いつものことだ。
鋳造職人の工房に到着すると、中から熱気が漏れている。仕事中らしい。鉄を溶かす炉に火が入っているので、工房だけじゃなく、その周りも熱い。季節は涼しくなりかけているというのに、この工房だけはまるで真夏だ。
まあ、とにかく中に入らないと話ができない。工房の扉を開け、中に声を掛けた。
「おはようございます。原型ができたので、持ってきました」
「おお、待ってたぜ。材料は揃ってる。いつでも始められるぞ」
工房主のアンドレが、不気味な笑みを浮かべながら歩み寄ってきた。中身は気のいいおっさんなのだが、見た目はまるで山賊だ。
「これです」
と言って、ひとまず原型を手渡す。すると、アンドレは中身を1つ取り出してまじまじと見つめた。
「へえ……ずいぶん単純な作りだな。これくらいの細工なら、誰にでも作れるだろ」
「それが、そうでもないんですよ。一つ一つが小さくて細かいんです。彫りの深さを均等にしなければいけませんし、大きさに狂いがあっても拙いんです。かなり難しいと思いますよ」
たった1つを見るなら、簡単だと思うかもしれない。だが問題は、42個を全て同じ形に揃えなければならないこと。機械でやるなら簡単だが、手作りしようと思ったら果てしなく難しいと思う。少しでもサイズが狂ったらアウトだ。
「そんなもんか……。見た目じゃ分からん技術があるんだな」
「そういうことです。見て分かるような誤差は許されません。鋳造にもこれだけの精度を要求しますので、心してください」
「……ふむ。それは確かに難しいな! はっはっはっ!」
アンドレは豪快に笑った。寸分の狂いもなく作る自信があるのだろう。
「では、よろしくお願いします」
「おう! 任せておけ! 数日中には終わらせる」
鋳造は準備工程が面倒くさくて時間が掛かると聞いたことがある。準備だけでもそれなりに時間が掛かると思うんだけど……。
「そんなに早く?」
「たぶんな。これを見て思い付いたことがある。上手くいけば、あっという間に終わるぜ」
何を思い付いたかは知らないが、とにかく凄い自信だ。任せてみよう。
「なるほど。では、よろしくお願いします」
そう言って、熱気が漂う工房を後にした。
印刷機は、思ったよりも早く終わりそうだ。あとはランプ職人にお願いしたフレームだけど、あの人は仕事が丁寧すぎるからなあ……。
完成度の高さには満足しているが、1つの仕事に時間を掛け過ぎだ。ちょっと様子を見に行こうかな。
ランプ職人の工房は鉄を叩く工房なので、町外れの職人街の中でもさらに外れの方にある。このあたりは鍛冶工房や板金工房が集中していて、昼間は常に鉄を叩く音が響いている。
やかましい音が響く中、ランプ職人の工房の扉を開けた。扉の向こうはすぐに作業場になっていて、机に向かって細かい作業をしている親方の姿が見える。
「こんにちは」
「やあ、ツカサくん。いらっしゃい。まあ、中に入ってくれ」
俺が声を掛けると、親方は満面の笑みで答えた。工房の中に入って適当な椅子に座る。
相変わらず雑多な工房だ。鉄くずなのか材料なのか、はたまた何かの部品なのか。よく分からない物が散乱している。
目の前にある謎の金属片をテーブルの隅に寄せて、親方に声を掛けた。
「調子はいかがですか?」
「調子は最高だよ! まだ途中だけど、見るかい?」
親方は上機嫌な様子で言う。作業は順調みたいだ。せっかくだから見せてもらおう。
「はい、是非」
と返事をする前に、目の前に鉄の塊を置かれた。ギリギリ両手で抱えられるくらいの大きさの、複雑な形状をしたタイプライタみたいな機械だ。無骨なデザインだが、丈夫そうで気に入った。
各部の動作も確認するが、不具合はないみたいだ。かなり重そうではあるが、ほぼ完成していると言っていい。
「もう完成じゃないですか。まだ何かあるんですか?」
「これから軽量化と装飾だよ。見た目よりも重いんだ」
やっぱり重いらしい。試しに持ち上げてみると、持てないほどではなかった。ルーシアやサニアが1人で持てる重さではなさそうだが、改善しなければならないほどではないな。鋳造よりも軽いから文句は言わない。あと、余計な装飾は必要ない。
「申し訳ありません……それは要らないです」
「はぁ? 要らないってどういうことだ!」
親方は床をドンと蹴り、声を荒らげた。ちょっと気に触る発言だったみたいだ。でも、凝ったことをして時間を掛けられても困る。
売り物にするなら歓迎だが、これは俺が使うだけ。売る気もないし、使えればいい。
「このままで十分なんです。多少は重いですけど、持てないほどではないですし。それに、誰に見せるものでもないので装飾は要りません」
「えぇ……?」
不満げな声を漏らした。
一度の試作に時間を掛けすぎるのは、この親方の悪い癖だ。量産する時のためなんだろうとは思うが、印刷機は量産する気がない。
「より良くしようという心意気は素晴らしいんですけど、これは使えればいいんです」
「そうか……。でも、こんな中途半端な作品を、世に出したくないよ……」
親方は苦々しく顔を歪めて言う。自分が納得できる作品じゃないと、売りたくないみたいだ。
試作版オイルストーブの材料は、ランプの失敗作だったような気がするが……。おそらく、途中まで丹精込めて作った作品を、捨てたくなかったんだな。難儀なおっさんだ。こだわりが強すぎるぞ……。
仕方がない。多少無駄遣いになってしまうが、もう一台注文しよう。
「分かりました。予備を注文します。そっちは時間が掛かってもいいですから、納得いくまで手を掛けてください」
「おおっ! いいのかい!?」
親方は身を乗り出して笑顔を見せた。
予備の方は、持っておいて損はないだろう。大量生産が必要な時に2台動かせる。どちらかが故障しても大丈夫だし、完全に無駄ではない。
「今回だけですからね……」
「任せろっ! 腕によりをかけて、最高のものを作ってやるっ!」
親方はそう言って、紙に何かを書き始めた。次の印刷機の設計図を書いているらしい。熱心なのはいいけど、構造を変えられると困るぞ。
「あの……部品は使い回せるようにしてくださいね?」
「えっ? あっ……わかってるよ。交換部品のことだね。うん、大丈夫」
絶対忘れていただろ……。まあ、念を押したから問題ない。あとは好きにやってもらおう。
配送の手配を済ませて工房を出た。フレームが手に入り、これで印刷機は完成したようなものだ。もう広告で困ることは無いな。





