ありがた迷惑
カップを拭いて次に備える。洗う事が出来ないので、拭くだけだ。カウンターで追加の水を受け取り、火にかけている。
その水がちょうど沸騰する頃、さっそく次のカモが現れた。今度は白髪の老人だ。歳に似合わない筋肉を纏っている。長く伸びた白髪と、白い髭が特徴的だ。髪の毛は後ろで束ねている。
身のこなしにスキが無いというか、暴力のプロのような雰囲気だ。指導者的立場の人かもしれない。ぜひお近付きになっておきたいな。
「ずいぶん鍛えていらっしゃいますね。剣闘士さんですか?」
「うん? 儂を知らんのか?」
あれ? 有名人だったのか? だとしたら、今の声の掛け方は拙かった。挽回できるかな。
「不勉強で申し訳ありません。僕はこの国に来たばかりなもので……。何をされている方ですか?」
そう言って、カップを2つ準備した。
「ムスタフ。無敗のムスタフと聞いても、何も思い出さぬか?」
老人は、聞いていないのに名乗った。どうやら、かなりの有名人らしい。俺は全く知らないけど。
「申し訳御座いません……」
座ったままではあるが、深々と頭を下げた。
「外国では知られていないか……。儂もまだまだだのう」
老人は残念そうに呟き、俺の横に座った。
「それはどうでしょうか。僕はかなり遠くから来たもので……」
日本から来たという事は伏せる。『迷い人』とかいう存在らしいので、変にバレると身動きが制限されるかもしれない。
「まあ良い。儂の努力が足りんのだろう。
儂は元剣闘士じゃよ。10年ほど前に引退したが、それまでは無敗の戦士だった。今でも、模範試合のゲストとしてたまに呼ばれる」
「なるほど……。
それは凄いですね。見ての通り、僕は初心者なんですよ。アドバイスが欲しいくらいです」
当たり障りのない社交辞令で探りを入れる。
これほどの老人であれば、使い慣れた愛剣を持っているはずだ。今更新品の、それも無名な剣を欲しがるとは思えない。
だが、仲間や弟子のような人が居るはずだ。俺の狙いはその人達。この老人の信頼を得る事ができれば、可能性がぐっと高まる。
「フム。それは良い心掛けじゃ。いくらでも助言してやろう」
ただの社交辞令のつもりだったのに、アドバイスに食い付かれた。面倒だな。
「ありがとうございます。ムスタフさんのお暇な時に、聞かせていただきます」
「今は暇じゃぞ。このまま家に帰っても、特に何もする事が無い」
忙しくあれよ。有名人なんだから。
「いや、でも、僕はお金を持っていませんよ?」
「そんな事は見れば分かる。金は要らんよ。儂に任せよ」
おいおいおい、どうしてこんなに乗り気なんだよ。
もしかして、ジジイの暇潰しのターゲットにされたのか? この忙しい時期に……。勘弁してくれよ。
「そんな有名な方の指導を、タダで受けても良いのですか?」
「構わんよ。なんじゃ、儂では不満なのか?」
く……逃げられない。
完全に善意のみで行動する人は、正直とても苦手だ。このジジイは本気で見返りを求めていない。俺の技術の向上だけを考えている。
この手の人からの要求は、断る事が難しい。強引に断ると印象が悪くなる。ジジイが飽きるのを待つのが一番確実だ。
「そんなわけないじゃないですか。指導を受けられて、光栄です」
いったいどこで間違えたのだろうか……。密室でジジイと2人。激しい罵声を浴びせられながら、必死で剣を振っている。
時間の無駄だとは言わないが、こうしている間にも客は続々と帰っていくだろう。辛い。
――さっさと剣を折って終わりにしよう。
剣を振る腕に力を込めた。
「腕力だけで振ろうと思うな! 全身を使え!」
すぐさま注意された。一応、言われた通りに振る。
何度か当てた所で、木剣が折れた。根本からポッキリいっているので、これ以上は使えない。
「折れましたね」
「そうじゃな。
ほいっ。新しい剣じゃ」
そう言って、新品の木剣を投げた。
まだ終わらせてくれないらしい。
「あの……僕はそんなにお金を持っていませんよ?」
木剣はタダではない。追加の500クランが必要になる。余分なお金も少しは借りたが、無駄遣いはできない。
「構わん。儂のオゴリじゃ。金なら唸るほど持っておる。心配いらんぞ」
そんなに金を持っているなら、店で何か買ってくれよ……。
「ありがとうございます」
笑顔でお礼を返したが、まったくもってありがたくない。逆に迷惑だ。
新しい木剣を、一心不乱に振り続けた。
「貴様! そんな事もできんのか! 今まで何を考えて生きておった!」
少しでも気を抜くと、激しい罵声と蹴りが飛んでくる。
まあ、俺を追っていたプロの人達と比べればマシだ。プロの罵声は凄い。人を苛つかせつつ、人格と精神を攻撃して心を折る。同時に物理的にも攻撃されるから、相当にキツイ。その頃と比べれば、ジジイの罵声なんか子守唄に等しい。
どちらかと言うと、時間が溶けていく事の方が辛い。
このジジイに付き合って、得られる物は何だろう。ジジイの客としてのポテンシャルは未知数だ。
もしこれで人望なしの孤立ジジイだったら、目も当てられないぞ。今日はジジイに付き合うが、いつ離れるかの見極めが重要だな。
扉がノックされ、店員が部屋の扉を開けた。
「そろそろ閉めますよ」
閉店の時間になったらしい。
酷い目にあった。結局日が暮れるまで特訓を受けた。
「フム。名残惜しいが、今日はここまでにしよう」
「ありがとうございました」
「ウム。明日も同じ時間から始めよう。遅れず来るように」
今日限りじゃないのかよ! マジか……。すっごい迷惑だ。
「わかりました。よろしくお願いします」
断りたいが、断る理由が見当たらない。営業先はここしか知らない。仕事を理由に断ったとしても、ここで鉢合わせしてしまう。
ジジイと別れ、帰路についた。
今日は予定外の事が起きすぎた。ウルリックは良い誤算だったが、ジジイはかなり悪い誤算だった。まさか、1日を無駄にしてしまうとは……。
結局、今日は2人にしか声を掛けられなかった。声掛け営業は数が命だ。今日の営業活動は失敗だったと言わざるを得ない。
店の中に入ると、薄暗い店内でルーシアが陳列棚の整理をしていた。
「おかえりなさい! どうでした?」
「いえ……あまり良くないですね」
「失敗でしたか……」
戦略自体は間違っていなかった。ジジイが邪魔をしなければ、もう少し上手く行っていたはずだ。
明日も訓練場で試す。ジジイに邪魔をされるだろうが、それは仕方がない。合間を縫って、何人かに声を掛けたい。
「僕の失敗です。声を掛ける相手を間違えました。明日また挑戦します。
ところで、初見のお客さんが来ませんでした?」
ウルリックが店に来たかを確認する。
「はい、来てくださいました。オイルストーブとティーセットが売れましたよ」
「たぶん、僕が声を掛けた人です。来てくれたんですね」
ウルリックへの営業は成功したようだ。
ルーシアの記憶を頼りに、ウルリックが買った物を確認した。
オイルストーブに、金属製のティーポットとカップ。概ね俺のセットと同じだが、茶葉と燃料が余分に売れている。
売れた事は素直に嬉しい。しかし、問題が浮上した。
「少し配置を変えた方がいいかもしれません。お時間はありますか?」
「大丈夫ですけど……何か問題がありました?」
「はい。オイルストーブとティーセットは、近くにまとめた方が良さそうです。他にも、屋外で使えそうな物はまとめましょう」
全ての食器類は、屋外用屋内用を問わず食器としてまとめてしまった。これでは拙い。金属製や木製の壊れにくい物は、アウトドア用品として近い場所に置いた方がいい。
「せっかく並べたばかりなのに、すぐに変更するんですね……」
棚に詰まった商品を下ろしながら、寂しそうに呟いた。
「問題を見つけたら、すぐに行動するんです。過去にいつ誰が何をしたかは関係ありません。自分が今、何をするかです」
「……勉強になります」
ルーシアは複雑な笑みを浮かべ、作業を続けた。
一度整頓した後なので、作業はすぐに終わった。
通路右側奥のカウンターに近い棚の一角を、アウトドアコーナーにした。武器類のすぐ近くだ。メインのターゲットは狩人なので、武器の需要も僅かながら見込める。
「この調子で、絶えず手直ししていきましょう」
「分かりました。お手伝いしますね」
うーん……俺はルーシアに丸投げするつもりなのだが、ルーシアはあくまでも俺の手伝いだと思っているらしい。
今はそれでいいが、いずれハッキリと言わなければならないな。
営業活動の1日目を終えた。
まだ本命の剣が売れていない。小物が売れるだけでは、目標金額には到達できない。
剣を売りたいのだが、ジジイが邪魔だ。いっその事、ジジイに1本買わせるか? 強引に買わせて関係が終わるなら、それでもいい。明日はジジイに買わせよう。





