揺らぎ
レヴァント商会から帰ってきたとき、ウォルター一家はすでに食事が終わっていた。1人で食事を摂る。
ウォルター不在の時は食事がおあずけになるのだが、俺が居なくても食事は始まる。サニアとルーシアは「待つ」と言うが、俺が先に食べるように指示をした。俺は気分によって帰宅時間が変わるので、待たせるのは悪いと思ったのだ。それに、待たれると気を使う。
食事を終えた時には深夜になっていた。特に用事もないので、すぐに就寝した。
そして次の日。朝から店の外が妙に騒がしい。夜明け頃、扉を叩く音に起こされた。開店が遅れているわけではない。ずいぶんとせっかちな客が訪れたようだ。
相手をするのも面倒だが、放置してもうるさいだけだ。表に出て注意してこよう。
扉の鍵を開けるとともに、突然扉が開いて誰かが倒れ込んできた。俺は開いた扉に押され、店の中に倒れた。
「痛っつぅぅぅ……」
倒れ込んだ男が、頭をさすりながら起き上がる。その顔を確認すると、ギンだった。
「ちょっと、ギン。こんな朝早くから何ですか。迷惑ですよ?」
「すんません……。急用だったんすよ」
ギンはバツの悪い顔で呟いた。
「いくら急用でも、時間を考えてください」
「だって、兄さん。昨日は帰りが遅かったでしょう? 閉店時間を過ぎても帰ってないみたいでしたから」
ギンは眉間にシワを寄せて頬を掻いた。夜中に押しかけることを遠慮するだけのデリカシーは、ギリギリ持ち合わせているらしい。そんな配慮ができるなら、早朝に押しかけるのも遠慮してほしいが……。
「確かに昨日は遅かったですけど。それでも、開店時間を待つくらいの余裕はないんですか?」
「無いんすよ。それより聞いてくださいっす。マジヤベェんすよ」
無いらしい。まあ、ギンだからな。そんなことを求めても仕方がないか。
「いいから早く話してください。何がマジヤベェんですか?」
「いいから来てくださいっす。早く行かないと、見られないっすよ?」
ギンは俺の手首を掴んで強引に連れ出そうとした。
どうも要領を得ない。いったい何があったというのか……。このままここで問答をしていても、何も分からないままだ。とりあえず出発の準備をしよう。
と言うか、俺は今、寝間着なんだよ。外に出られる格好じゃない。まずは着替えさせてくれ。
「わかりましたから、少し落ち着いてください。出掛ける準備をしてきます」
そう言って扉の鍵を掛け直し、食堂に向かった。ギンはこのままカフェスペースで待たせる。
ギンはかなり急いでいる様子だったため、さっと準備を済ませてルーシアに声を掛けた。
「では、今日も少し外出します。あとはよろしくお願いしますね」
「分かりました。お気をつけて」
ルーシアは笑顔で送り出してくれた。いつもと同じ光景だが、昨日の反省を思い出す。
俺に時間がある時は、開店と閉店の作業を手伝っている。しかし、ここ最近はその手伝いすらできない状態だ。もともと俺が店に居ることは少ないが、近頃は特に店に居ない。ルーシア1人に作業を任せている。
サニアはカフェの、フランツは在庫管理の作業があるため、2人もルーシアの手伝いができない。ウォルターは戦力外だ。ルーシアの負担がとても大きい。本格的に従業員を増やすべきだろう。
昨日の女性がちょうどいいんだよなあ。早くレヴァント商会を辞めてくれないかな。
とりとめのないことを考えているうちに、準備が整った。
「お待たせしました。行きましょうか。道中で話を聞かせていただきます」
「うっす! 待ってました! さっそく行きましょう」
ギンは勢いよく立ち上がり、意気揚々と店の出入り口に向かって歩き出した。そのまま外に出て、道路を進む。
「それで、何があったんですか?」
「行けば分かりますよ」
ギンは意地の悪い笑みを浮かべた。進む方向は街の内側。どこかの店に向かっているとは思うのだが、この時間に開いている店は無いはずだ。どういうつもりで歩いているのだろう……。
競歩のように早足で歩くギンに連れられて、とある店の近くで立ち止まった。その店は、コータロー商店の加盟店の1つだ。少し離れた場所に立ち、店の様子を窺う。
この近所には、俺の客である金物店が店を構えている。金物店には昨日の朝にも立ち寄ったが、その時は変わった様子はなかった。どういうわけか、早朝だと言うのに店の扉が開けられ、中には人が溢れている。また無茶な集客でもしたのだろうか……。
「……これはどういうことでしょう」
「スイレンさんが動いたみたいなんすよ。他もこんな感じっす」
「はい? もう少し真面目に説明してください」
言っている意味がわからない。スイレンはこの店に多額の金を貸している金貸しだ。彼が動くことと、この盛況ぶりは、何の関係があるのだろう。
「あ、すんません。昨日の昼過ぎか夕方くらいっすかね? スイレンさんが突然借金の回収を始めたんすよ」
「ええ?」
耳を疑った。裏で画策している予感はしていたが、行動が早すぎる。俺がスイレンと話をしたのは、2週間ほど前だ。コータロー商店が金を借りたのも、2カ月ほど前の話だったはず。いくらなんでも急すぎないだろうか。
「金を貸してたうちの3店舗で、利子の支払いが遅れてるみたいなんすよね。と言うか、返す気すら無いっぽいっす」
マジか……。借りた金は期日通りに返す、期日が来たら利息を支払う。当たり前のことだと思うのだが、それができなかったようだ。
この店の盛況ぶりはただのまやかしで、実際は差し押さえを食らっているだけか……。店の中のものが次々と運び出されているが、売れているわけではないらしい。
「なるほど。それで回収に走ったということですね。でも、行動が早すぎませんかね……」
「最近、この街の商売が荒れてたっすからね。店がバタバタと潰れたっすけど、他にも詐欺の話とか。知ってます?」
「話くらいは。それが何か関係あるんですか?」
「金貸しも結構巻き込まれてんすよ。貸した相手が逃げたり。騙された間抜けな金貸しも居るっすね。それで、金貸しも金が無ぇんす」
いや、間抜けって……。仲間のカラスも騙される寸前だったわけだが? まあ、カラスは友人ではないということか。
しかし、貸した人間に逃げられるのは死活問題だな。金貸しにとって、貸し倒れは致命傷になり得る。
「では、金貸しさんは金策に困っていると?」
「そうなんすよ。返す気もない、利子も払わない、そんな舐めたバカに貸す金は無ぇっす」
利息が得られないなら、商売として成り立たない。金貸しの給料は利息だからな。その上返ってこないなら、それは泥棒と同じだ。どういうつもりか知らないが、金貸しを舐めていると捉えられても仕方がない。
金貸しは『お金を配る人』ではない。商売にならないのであれば、手を切るのは当然のことだな。
「それは自業自得ですね……。文句の言いようがないです」
ここが日本なら、借り手を保護する法律があり、無茶な取り立ては規制されている。しかし、国が違えば法律が違う。この国は金貸しを規制する法律が緩いらしい。有無を言わさず差し押さえられている。
「でもこれ、昨日はもっと凄かったんすよ。今運び出しているのは家財道具っすね」
ギンは遠くを見つめて呟いた。
「え? じゃあ、もう商品は残っていないんですか?」
「そうっすね。昨日の夜、全部裏市に持っていかれたっす」
「そうですか……」
しまった。レヴァント商会に行っている場合ではなかった。今はもう、ほとんどの商品が回収された後だ。おそらく昨日のうちに大方の作業が終わっていたのだろう。
売り物にならなくても、店で使う備品や消耗品なら安く買えたはずだ。せっかくのチャンスを逃してしまったぞ……。
「だから探したんすよ。安く買えるチャンスだったのに……。立ち寄りそうな場所は全部回ったんすけど、マジでどこに居たんすか?」
昨日に限って、滅多に立ち寄らないレヴァント商会に行っていた。しかも、かなり長居した。従業員の女性と長話していたせいだ。
毒にも薬にもならない話を立ち聞きして、あまつさえ全くの無関係な女性にアドバイスなんかしていた。そんなことをしている暇があるなら、さっさと店に帰っておけばよかった。
「他店の偵察に行っていたんです。タイミングが悪かったですね……」
「惜しかったっすね。めっちゃ早くて凄かったっすよ? あっという間に商品が空になっていったっす」
く……。是非見ておきたかった。リアルタイムで見られなかったのは残念だ。それだけじゃない。倒産品を安く買い取るチャンスだったし、近所にある俺のクライアントとも話をするべきだった。
「他の店もこの調子なんですか?」
「そうっすね。全店舗、同時に攻めたらしいっすよ」
さすがは街一番の金貸しだな。この規模の差し押さえは、同時に攻めないと失敗する恐れがある。
コータロー商店は、財産を分散した状態にある。チマチマと一箇所ずつ攻めていたら、一箇所を攻めているうちに他の店に対策されてしまう。そのため、分散された箇所は一度に攻めなければならない。
これをやられると、差し押さえされる方はたまったもんじゃない。大パニックだ。何の対策もできないまま、根こそぎ差し押さえられるだろう。
「なかなかやりますね……。本気を感じます」
「そうっすね。スイレンさんがあれほど舐められるなんて、オレは初めて見るんすよ。たぶん、相当怒ってるっすね」
「コータロー商店はどうなっているんです?」
「あっちにはまだ攻められないみたいっす。攻める理由が無いんすよ。直接金を貸したわけじゃないっすから」
「あ……それもそうですね。でも、一応様子を見に行きましょうか」
コータロー商店はただの保証人だ。加盟店から差し押さえた品物だけで回収できるなら、手を出すことができない。だが、混乱に陥っていることは間違いないはずだ。その様子は確認しておきたい。とりあえずコータロー商店に移動しよう。





