逃げ足
レヴァント商会の建物の裏。物陰に1人の女性が佇んでいる。がっくりと肩を落とし、意気消沈した様子だ。
黒くて長いストレートヘア、顔つきを見ると高校生くらいだと思うのだが、背が低くて幼い印象を受ける。年齢は、声の印象と同じ16、7歳くらいだろう。
ゆっくりと近付いて声を掛ける。
「どうも。大変そうですね」
「え? 誰?」
女性は驚いて身を竦めた。まあ、当然だろうな。見ず知らずの人間に突然声を掛けられたら、驚くのも無理はない。軽く会釈して自己紹介をする。
「通りすがりのコンサルタントです。話が聞こえてきたので、少し気になりまして」
店主であることは言わない方がいいような気がしたので、仮にコンサルタントを名乗った。「どこの店主?」と聞かれたら、返答に困るからな。探りを入れていることは悟られたくないんだ。
「こん……さる?」
女性は不思議そうな顔で首を傾げた。
コンサルタントが上手く伝わらなかったようだ。言葉の意味を知らないらしい。この国では一般に定着している仕事ではないみたいなので、この反応も仕方がない。
「お店に助言する仕事ですよ」
「……なるほど。そんなお仕事があるんですね。それで、何の用ですか?」
「立ち聞きをして申し訳ありません。非常に興味深いお話をされていましたので、詳しく聞けないかと思ったんです」
「どういう意味でしょう?」
女性は怪訝そうな表情を浮かべ、俺を覗き込んだ。かなり不審がられているらしい。
「レヴァント商会のやり方に、単純に興味があるんです。いろんな店を知ることが僕の仕事ですので。あ、話せないのでしたら大丈夫ですよ。すぐに去ります」
「へぇ……? いいですよ。仕事に関する話以外でしたら、何でもお答えします。どうせ暇ですから」
女はそう吐き捨てた。上司から「ここに立っていろ」という指示があったんだ。暇で仕方がないだろうな。
同意を得たので、さっそく話を始める。すぐにでも健康食品について探りたいところだが、まずは世間話から。
「お仕事、辛そうですね」
「そうですね……。でも、いつかは自分のお店を持ちたいですから。今は耐えるだけです」
「先程もその話が聞こえてきました。どのようなお店を?」
「小さくてもいいので、果物と野菜のお店をやりたいと思っています」
生鮮か……。この国で生鮮食品を扱うのは、リスクが高い気がする。輸送手段が限られているので、どうしても単価が高くなってしまうし、品揃えの確保も難しい。その上、廃棄ロス率も高い。余程勘が良くないとできないだろうな。
その点、レヴァント商会は上手くやっていると言わざるを得ない。
大量仕入れと長距離輸送を実現するだけの流通経路を、自社で保有している。これがレヴァント商会の一番の強みだ。
遠くの村で作られている作物なのに、普通に売られている。これは一般の弱小商店に真似できることではない。レヴァント商会とは別のアプローチで勝負を挑むべきだろうが……。
いや、俺には関係ないか。この女性がクライアントになるなら真剣に考えるが、今やるようなことではない。
「なかなか難しそうなテーマですね。もし店を開くことになったら、是非僕に相談してください」
「でも、たぶん開業は無理ですね……。今日だって、本当は開業の説明会に参加する予定だったんです。それも行けなくなって……」
説明会? そんなものがあるのか……。俺も行ってみたいぞ。今度参加してみよう。
しかし、ことごとく黒い会社だな。表向きには夢を応援するようなことを言いながら、実際は妨害しているだけじゃないか。
「どうしてそんなに忙しいんでしょうか。確かにお店は広いですけど、閉店後の仕事がそんなにあるとは思えませんが……」
「それは言えないです。新商品の企画がいくつも動いていて、営業中にはできないんですよ」
女はあっけらかんとした表情で答えた。これは俺が聞きたかったことだ。もう少し深く聞いてみよう。
「なるほど、新商品ですか。どんな商品なんですかね?」
「言えません。まだ流行っていないことなので、今真似されたら困るんです」
言えないと言いながら、結構喋ってくれるじゃないか。これだけ聞ければ予想できるぞ。流行する直前の新商品と言えば……。もうアレしかない。やはり健康食品はレヴァント商会が絡んでいる。
あとは販売代理店か製造元かの判断だが、今の段階ではまだ特定できない。もっと詳しく聞きたいが、どんな聞き方をしたとしても胡散臭く思われるだけだな。この話は終わりだ。最後に軽く助言して帰ろう。
「ありがとうございます。差し出がましいことを申しますが、この店は早く辞めた方がいいですよ」
この人は俺には無関係だが、ここで話をしたのは何かの縁だ。このまま使い潰されるのは可哀想なので、辞める選択肢を提示しておく。
「……え? どうしてですか?」
「僕はそういう店をいくつも見てきましたからね。この手の店は、従業員を使い捨てにしますから。我が身を大切に思うなら、さっさと逃げた方がいいです」
詐欺師時代のターゲットの中には、所謂ブラック企業と呼ばれる会社がいくつかあった。そして全部潰して回った。従業員たちは解雇の憂き目にあったわけだが、会社に搾取され続ける人生よりはマシだったのではないかと思う。
ブラック企業は、あらゆる手段を使って従業員の思考力を奪う。退職する意思を削ぐためだ。自発的に退職することができなくなるので、誰かが強引に引き剥がす必要がある。
まあ、この女性なら、まだレヴァント商会の社風に染まりきっていない。誰かの助言があれば、辞めることも視野に入れて考えることができるだろう。
「辞めちゃったら修業できないじゃないですか」
「それが大きな間違いです。修業はどんな店でもできますし、この店を真似してもろくなことにはなりませんよ」
ブラック企業も千差万別だが、レヴァント商会のやり方は、モラハラとパワハラを伴うやりがい搾取だと考えられる。そして労働時間もかなり長い。この方針を見習っても、新たなブラック企業が誕生するだけだ。
見習う点が無いわけではないが、修業としては無意味だと言わざるを得ない。
「でも、この街にはここより大きな商会はありませんし……」
「店の大小に拘るのが間違いなんです。小さくても利益を出している店を探してください」
例えばうちの店とかね。探せばいくらでもあるんだよ。コータロー商店と投資詐欺のおかげで大幅に淘汰されたから、今生き残っている店はどこも優秀だ。
「そうですかね……?」
女は不思議そうに首を傾げた。俺の言うことに、少しだけ納得できているようだ。あと一息かな。
「優秀な人ほど、悪い環境から逃げるのが早いんです。自分が少しでも優秀だと思えるなら、その環境から逃げることを考えてください」
「でも、逃げるのは良くないことだって教わりました……」
「場合によるでしょう。あなたは燃え盛る建物の中に居ても逃げないんですか?」
「あ……」
俺の屁理屈に、女はハッとして言葉を失った。この例えが詭弁であることは自覚しているが、あながち間違いではないと思っている。火事の建物もブラック企業も、寿命を縮めるという意味では同じものだ。
戸惑っているうちに、さらなる追い打ちをかける。
「この店であなたに求められていることは、優秀な従業員になることではなく自由に動かせる駒になることなんじゃないですか? 駒になることは、開業する近道になりますかね。よく考えてみてください」
ブラック企業が欲している人材は、自らの意志で動く労働者ではなく、従順な奴隷である。余計な知恵や行動力は必要ない。むしろ邪魔だ。
社会が必要としている人材はその逆で、思考停止で動く奴隷ではなく、知恵と行動力に溢れる人間だ。ブラック企業でどれだけ頑張っても、社会で必要とされる人材にはなれない。ブラック企業で働いたって時間の無駄だ。すぐに辞めた方がいい。
「……分かりました。考えてみます」
女は深刻な顔で頷いた。
お節介とは知りつつも、かなり真面目にアドバイスしたつもりだ。それを受けてどう行動するかは彼女次第だな。ここで離職のリスクを取れないなら、それはそれで仕方がない。性格的に起業には向いていないので、もう二度と会うことはないだろう。
だが、もし辞める選択を取ることができたら、俺が再就職先を考えてやるつもりだ。真面目だし、それなりに口も堅い。うちで雇ってもいいと思う。
しかし、今は俺の名前と所属を言いたくない。この人はまだレヴァント商会の人間だ。下手に名乗って俺の名前が漏れると、今後の活動に差し障る。とは言え、辞めた後に連絡がつかないと困るし……。仕方がない。今日のところはカラスを仲介役に立てよう。
あいつはいつも所定の場所にいるから、こういう役目にはうってつけだ。
「健闘を祈ります。もし困ったことがあれば、カラスという金貸しを頼ってください」
「え? 金貸し?」
女は表情を一変させて不審そうに聞き返した。まあ、一般人にとって、下っ端の金貸しはチンピラみたいなものだからなあ。いまいち信用できないのだろう。
「怪しい人物じゃないですよ。不動産の仲介をやっている、僕の友人です。いつも公園のベンチで寝ているので、連絡が取りやすいんです」
「そうなんですか……。覚えておきます」
「では僕は失礼しますね」
そう言ってこの場を後にした。
偶然にもレヴァント商会の黒い内情を知ることができた。何の役にも立たない情報だが、なかなか興味深い話だ。自分にも反省するべき点が見つかったので、良かったんじゃないだろうか。
ただ、あたりはすでに真っ暗だ。ずいぶん遅くなってしまった。彼女はこれから残業だろう。可哀想に……。俺はさっさと帰って夕食を食べて寝るよ。





