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取引先

 昨日は遅くまで長々と話をしたせいで、今日は少し喉の調子が悪い。のど飴がほしいけど、生憎そんな物は無い。健康食品ブームが来るのであれば、誰かのど飴を作ってほしい。


 それはさておき、今日は印刷機を作るために本気で動こうと思っている。昨日アドバイスをした店の中に広告の作成が必要な店があるのだが、そろそろ手書きに限界を感じるようになってきた。

 これまでは周辺の家にポスティングするだけだったので、100枚くらいが上限だった。それ以上複製しても配りきれないからだ。今回は街中に告知したいので、大規模に刷って大量に配りたい。配布方法も考える。


 印刷方法で重要なのは、版の作成時間と耐久力だ。

 手書きで複製をする場合、1日あれば最低でも100枚は作れる。予定枚数が100枚なのに版の作成で1日以上掛かる場合、その作業は無駄でしかない。一度は木版も考えたが、版の作成が1日で終わる気がしなかったので手を出さなかった。


 木版、馴染み深い言い方をすると版画だな。版画は多くの日本人が小学生の時に経験しているはず。木を削って文字や絵を写す、凸版印刷の一種だ。

 材料が比較的安く、加工もしやすい。だが、木を加工するための彫刻刀がない。おそらく職人向けの道具屋に行けば買えるだろうが、木版のためにそこまでするべきではないと思う。


 木版のデメリットは、版が使い捨てになることだ。加工時間もかなり掛かる。複製が困難な絵を刷るには向いているが、広告のようなその場限りの文章を印刷するには向いていない。



 俺が作りたいのは、活字を並べた組版による活版印刷機だ。1文字を刻んだ柱状のハンコを並べて版を作る方式である。

 タイルを敷くように文字を並べるだけで版が完成するので、版の作成時間がとても短い。さらに特殊な技術が要らないので、字が下手なフランツにも安心して任せられる。


 活版のデメリットは、予め準備された文字しか印刷できないことだ。文字の印刷に特化した方式だとも言える。あと、活字のハンコを作るのに手間が掛かる。溶けやすい金属で鋳造するのが現実的かな。まずは鋳造の職人を探さなければならない。


 簡単な設計図を書きながら考える……。鍛冶師であればうちの仕入元が何件かあるのだが、鍛造の鍛冶師と鋳造の職人では、同じ金属を扱う職人であっても全く違う。そのため、新しい仕入元を開拓する必要がある。

 うちの店では解決できないので、誰かに頼るしかない。鋳造の職人と関わりがありそうな人といえば、依頼人の1人である金物店の店主だろう。一部の高級な鍋が鋳造だ。その仕入元を紹介してもらいたい。



 というわけで、金物店にやってきた。ここの店主はジョシュという名前で、40前後くらいのだらしなさそうな男だ。いつ見ても頭はボサボサで、ヨレた服を着ている。

 第一印象こそ良くないが、中身は真面目で勤勉。客からの評判も悪くない。


「おはようございます」


 店の扉を開けて挨拶すると、目の前にジョシュが居た。2人同時に驚いてのけぞる。


「うわっ! どうした? 何か問題でもあったか?」


 ジョシュはすぐに平静を装って言う。俺は軽く服を払い、姿勢を正して答える。


「いえ。申し訳ないんですが、職人さんを紹介していただきたいんです。腕のいい鋳造の職人さんなんですけど、どうでしょうか」


「なんだ、そんなことだったら全く問題ねぇよ。むしろちょうど良かった。昨日の件の話をするから、お前も一緒に来てくれ」


 ジョシュはそう言って笑顔を見せる。タイミング良く、職人のところに行くところだったようだ。


「助かります」


 そう言って会釈をすると、ジョシュと一緒に金物店を後にした。向かう先は、職人街にある鋳造の工房だ。この街では金属加工が盛んとは言えず、金属系の職人の数は少ない。だが、その分経験が豊富で、どの職人も腕がいいそうだ。



 しばらく歩き、鋳造の工房に到着した。小さいながらも重厚なレンガ造りで、火事に強そうな建物だ。火を扱う工房だから、燃えやすい構造を避けたのだろう。


「おぃぃっすぅ! 居るかぁ?」


 ジョシュが無遠慮に扉を開けた。かなり気安い関係なのだろう。


「ああ? 誰だァ? ってジョシュかよ。何の用だ?」


 工房主らしきおっさんが、作業の手を止めて面倒臭そうにこちらを見た。両手と顔に火傷の痕が残る、ジョシュと同い年くらいの屈強な体つきをした男だ。レスラー体型というか、太っているのに筋肉質な体格をしている。


「ちょっと相談があってよぉ。テメェんとこで、鍋の修理をやってんだろ?」


「……まあ、やってるけどよ。それがどうした? まさかおめぇも修理しろって言うんじゃないだろうな?」


 工房主は嫌な顔を隠すことなく、うんざりした様子で言った。修理の仕事は余程やりたくないのだと思う。

 この言葉を聞いたジョシュは、さらにうんざりした表情を浮かべて答える。


「話を聞けよ。その逆だ。テメェんとこに来た修理の依頼、オレが引き受けてもいいぜ」


「本当かよ! そりゃあ助かるぜ。さっそく頼みてえけど……おめぇ、修理なんかできんのか?」


 工房主は一度笑顔を見せて喜ぶも、すぐに怪訝な表情を浮かべた。ジョシュの技術を疑っているのだろう。職人でもないのに、修理の技術を持っているのはとても珍しい。それも、ジョシュの技術は独学だ。その技術を疑うのは当然だな。


「おう。簡単なもんだけだけどな」


「それは知らんかった。でも、本当にできんのか? 試しにいくつか直してくれよ。そこに積んである鍋、それ全部修理の依頼なんだ。残らず持ち帰っていいからよぉ」


 工房主の視線の先には、ボロボロの鍋が山積みになっていた。錆びていたり、凹んでいたり、真っ黒に焦げていたり。多種多様の壊れ方をしている。

 積まれた鍋を見る限り、鋳造じゃない物の方が多いようだ。まあ、鋳造は凹むと言うよりも割れるから、この手の修理は少ないはず。どれも専門外の作品なのだろう。


「おいおい、なんでそんなに積み上がってんだよ。依頼を受けたんなら早く直せよ」


 ジョシュは呆れ顔で首を横に振ると、工房主は間髪入れずに反論する。


「オレは鋳物屋なんだよ。鉄を溶かすことは得意だが、凹みを直す技術なんて持ってねえ」


「だったら、どうしてそんな依頼を受けちまったんだよ。断ればいいだろうが」


 全くその通りである。できない仕事は受けるべきじゃない。自身の評判を落とすだけだ。


「じゃあ聞くけどよぉ、誰に押し付けたら良かったんだ? 他の職人を紹介したら、そいつに恨まれちまうぜ」


 工房主は困った顔で頭を掻きながらそう漏らした。修理の依頼は俺が思っている以上に忌避されているらしい。

 鉄を扱う職人は全部同じだと思っている人が多いようで、深く考えずに適当な職人のところへ依頼するみたいだ。鋳造も鍛造も板金も、それぞれ鉄を扱う職人だ。しかし、持っている技術は全く違う。


 職人も断ればいいのに、他の職人に気を使って引き受けてしまうらしい。それで、修理が捗らずに山積みになると。修理を依頼した客も困っているんじゃないかな。


「なるほど……。ジョシュさん、持ち帰って修理しましょうか」


 俺が口を挟むと、工房主はビクッとしてこちらに振り向き、胡散臭そうな表情を浮かべた。


「おっと、兄ちゃんは誰だ? ジョシュの弟子か?」


 ジョシュ(助手)の弟子という表現に若干の違和感を覚えるが、まあ人名だからな。そういうこともあり得る。


 余計なことを考えているうちに、ジョシュが俺に代わって答えた。


「違ぇよ。この案の発案者だ。ウォルター商店ってとこの店主だよ。紹介してほしいって言うから、連れてきたんだ」


「へえ。いいことを考えてくれるじゃねえか。若えのにたいしたもんだ」


 工房主は俺の顔を見ながらニヤリと笑った。自己紹介をするなら今かな。


「ありがとうございます。ウォルター商店のツカサと申します。今日は頼みたいことがありまして、お邪魔させていただきました」


 俺がそう言うと、工房主は関心が無さそうにプイッと顔を背け、ジョショの方に向き直す。


「ふぅん……まあいいや。ジョシュの修理の腕が本物なら、修理の依頼は全部ジョシュに任せるぜ」


 俺の自己紹介はスルーされた。今はそれどころじゃないらしい。積み上がった修理品を片付けることに意識が向いているのだろう。


 挨拶がスルーされたのは困るが、職人の意識を知ることができて良かった。金物店のプランは上手くいきそうだ。職人は修理の技術がなくても仕事を受けざるを得ない状況らしい。

 今までどう対応していたのか気になるところだが、積み上げられた鍋を見る限り、修理の客はぞんざいに扱われていたのだと予想できる。需要はあるが、供給元が無いという状況だ。新サービスを始める環境としては最高だと言えるだろう。


 俺が考え事をしているうちにも、俺の存在が無視されたまま2人の会話は続けられている。


「修理だけだったら、専門外のテメェよりは上手い自信があるぜ」


「かぁ! 本当だろうな? 嘘だったら承知しねぇぞ。オレの作品を山ほど仕入れさせるからなあ!」


 工房主はニヤリと笑いながら言った。

 ジョシュは喧嘩を売るような発言をしたと思うのだが、工房主には気分を害した様子を見られない。2人は憎まれ口を叩き合う関係なのだろう。

 とても取引先同士の会話とは思えない。まるで気心の知れた友人のようだな。しかし、昔からの友人ではないと思う。昔からの友人だとしたら、お互いのことを知らなすぎる。


「かっかっかっ。オレをあてにして作りすぎるなよ?」


 ジョシュが豪快に笑いながら言うと、工房主も豪快な笑いを返した。


「ぬぁっはっはっ! おめぇこそ、途中で匙を投げんなよ?」


 不思議なもんだなあ。俺は取引先を相手に、ここまでフランクに接することはできないぞ。

 って、感心している場合じゃない。2人の会話が盛り上がっている。このまま放置したら、2人は関係ない雑談を始めてしまいそうだ。そろそろ俺の用事を切り出そう。

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