獅子身中の虫
ブライアンの店がオープンしてから、しばらくは何もできない日々が続いた。雑貨店への助言も続けているが、効果は薄いままだ。
まあ、もともと即効性の効果を狙った策は提案していないのだから、効果が薄いのは仕方がない。
ここ数日で雑貨店へのアドバイスは一段落したので、最近の動きについて少しまとめる。
まずは石鹸について。石鹸の販売は無事開始された。生産が安定していないので、販売数はまだ少ない。生産が落ち着いたところでドミニクとイヴァンにも売ってもらおうと思っている。
美容液に関しては、まだ未定の状態が続いている。俺が被験者になって人体実験を続けている段階だ。美容液の問題は、長期間の連続使用で発生することもある。過去に日本で実際に起きた問題を思い出したので、かなり慎重になっている。
数年前、塗るだけで美白になるという美容液が日本で普通に売られていた。有名なメーカーの商品でかなり売れたのだが、それを使い続けた人の中に肌がまだらに白くなる人が現れる。美白なんて言えるようなものではなく、白いシミのようなものだ。
当時の調査では、原因となる成分は分かったものの、詳しい原因は不明。使用頻度と量の問題だと言われていた。巨大な有名メーカーでも、事前に不具合を確認することができなかったのだ。
うちの店でそんな不具合を出してしまった場合、一瞬で潰れてしまう。原料の油は昔から使われているものだが、用心に越したことはない。
事務所で考えをまとめていると、サニアが事務所に入ってきた。
「ねえ、ツカサくん。髪の毛の美容液についてなんだけど、ちょっといい?」
「どうされました? 何か問題でも発生しました?」
「見ての通り抜群にいいわよ。だから、早く次の瓶をちょうだい。もう無くなりそうなの」
見ても分からないから聞いたんだけど……。
使用感はかなりいいらしい。1瓶で2カ月くらい使えたのかな。製品化する時はもう少し減らしてもいいか。1カ月分くらいに調整して売ろう。
「分かりました。作ってきます」
そう言って店を出た。作るのはあっという間だ。いつもならこのまま実験用工房に向かうのだが、今日は寄り道しようかと思う。
コータロー商店への偵察だ。潰すためにいろいろ動いているのだが、効果が現れている気がしない。それどころか、勢いを増しているみたいだ。今後の対策を練る上で、一度見ておかなければならない。
コータロー商店の中に入ると、店の真ん中で1人の客が店員に向かって怒鳴り散らしていた。
「おい! てめぇ! 話が違うじゃねぇか!」
初老くらいの男性客が、物凄い剣幕で店員に詰め寄っている。
対する店員は、いつかのカラスの客だ。コータロー商店の加盟店の店主の娘だったかな。美人でスタイルも良くて見た目は100点なんだけど、性格が良くない。一度しか話したことがないが、いい加減で責任感がなくてワガママなタイプだと判断した。
「そんなことを言われても知りませーん。あなたが勝手に勘違いしたんじゃないですかぁ?」
従業員は、悪びれる様子もなくやる気のない態度で対応している。面白そうなので、しばらく眺めることにした。
「ふざけんなよ! てめぇができるって言ったんだろ!」
「言ってませーん。迷惑なんで、帰ってもらっていいですかぁ?」
「黙れよ! てめぇじゃ話にならねえ! 店主を呼べ!」
「コータローさんは忙しいんで、呼べませーん。帰って下さーい」
腹立つ言い方をするなあ。俺はクレーマーは追い返せと教育しているが、これは100%店側が悪い。まず態度が悪い。たとえ悪質なクレーマーが相手だったとしても、相手を馬鹿にするような態度を取ったらダメだ。
それに、言った言わないの水掛け論になった場合、店に落ち度がある可能性を考えなければならない。店員の発言が誤解を与えていることも考えられるし、店員の勘違いという場合もある。この場合、冷静に話を聞いた上で判断した方がいいだろう。
しばらく言い合いを続けていると、コータローが登場した。聞き耳を立てていると、コータローは物凄く小さな声で「またかよ……」と呟いた。あの従業員は同じ失敗を何度も繰り返しているらしい。こいつも苦労しているみたいだな。
「失礼、店主のコータローです。どうなさいました?」
「てめぇが店主かよ。若造のくせに偉そうにしやがって。てめぇの店は従業員にどういう教育をしているんだよ!」
この発言だけを切り抜いたら悪質なクレーマーなんだけど、前のやり取りを見る限り普通の怒った客だ。悪質なクレーマーが逆ギレだとすれば、この男は正当ギレだと思う。
「大変失礼致しました。代金は返却致しますので、ご容赦いただけないでしょうか」
「そういう問題じゃねえ! 客の前で大恥をかいたんだよ! どう責任を取るつもりだ!」
「それも込みで、当店が補償させていただきます。商品代金の5倍をお支払いしますので、どうか溜飲を下げていただけませんか?」
「金の問題じゃねえ! どうしてくれんだよ!」
何がどうなってどんな問題が発生したのか、そんな重要な情報がゴッソリと抜けている。これでは店側も対処のしようがない。まずは客を少し冷静にさせるべきだが、さっきアホが燃料を投下しまくっていたからなあ。しばらくは冷静な話なんかできないだろう。
詳しい話は聞けていないが、推測することはできる。おそらくコータロー商店での説明に不備があり、この男が買った商品に求めていた機能が無かったのだろう。それを客前で披露して、何らかの失敗をした、ということだと思う。
全面的に店が悪い。このクレームの正しい対処法は、客の名誉を回復させることだ。金を払って終わり、というのは良くない。
「では商品の10倍をお支払いします。買われたものは何ですか?」
「じ……10倍?」
怒った客の顔色が変わった。まあ、10倍の金が返ってくるなら、さすがに戸惑うよな。
「すぐにお支払いします。少々お待ちを……。ジョイス、カウンターからお金を持ってきて」
名前を呼ばれた従業員の女が、カウンターに向かって歩き出した。あの無能な従業員はジョイスというらしい。1クランの得にもならない情報だが、一応覚えておこう。
「あ……いや、金の問題じゃなくて……」
客は動揺して声が小さくなった。まだ食い下がろうとしているようだが、これ以上はもう何も言えないだろう。
「大変申し訳ございませんでした。またのご来店をお待ちしています」
コータローは強引に話をまとめて客を帰らせた。結局、金の暴力で客を黙らせた。店の中は丸く収まったが、あの客の中では何も解決していない。金に目がくらんだだけだ。対応は早かったが、クレームへの対処としては失格じゃないだろうか。
正式なクレームに対してなら誠意が足りない。悪質なクレーマーに対してなら金を払ってはいけない。もっとやりようがあったと思うのだが……。手早く終わらせたかったのかな。
落ち着きを取り戻した店内で、ふぅ、とため息をついて壁にもたれかかった。
――あいつをここに押し付けたのは大正解だったな。
ジョイスは元々カラスの客だが、カラスは俺の店で雇ってほしかったんだと思う。俺は借りた金を返すことに拘っているから、俺に預けておけばかなりの高確率で借金が返ってくる。それを見越してのことだろうが、俺はその提案を拒んだ。
なんとなくこうなる未来が見えていたからだ。誠実さの無い無能な人間を雇うと、利益を潰して不利益を呼び込む。貧乏神みたいな存在だ。特大の地雷原なので、絶対に雇ってはいけない。せめて有能なら少しはマシなんだけどなあ。
怒った客が帰った後も、もう少し様子を見る。失敗した従業員に対するコータローの反応が見たかったからだ。
「もう。いい加減にしてよ。今度は何があったの?」
「知らないわよ。あのおじさんが勝手に怒っただけ。私は悪くないわ」
「勝手には怒らないだろ。何回目だと思っているんだよ」
「ごめんね。今夜はサービスするから、許してっ」
ジョイスは可愛くポーズをキメて、甘えるようにコータローにすり寄った。いったい何をサービスするつもりだ……?
さらに観察を続けていると、コータローは呆れたような表情を浮かべた。
「……今回は許すけど、本当に気を付けてよ?」
いやいや、あっさりと許してんじゃねえよ。今夜のサービスはどれだけ凄いんだよ……。
この従業員もアホだったけどコータローもアホだ。どんなサービスがあるのか知らないが、今回みたいな失敗をチャラにできるほどだとは思えない。さっさとクビを切った方が身のためだと思うんだけどなあ。
まあ、雇い続けてくれた方が俺は助かる。このまま元気にコータロー商店の足を引っ張ってくれ。
コータロー商店の闇を垣間見ることができたところで、そっと店から出る。
いやあ、面白いものが見られた。ある意味貴重な体験だったな。
厄介そうな従業員を送り込むという地味で小さな嫌がらせだったのだが、絶大な効果を発揮していたらしい。小さな労力で大きな成果を。これがいいんだよ。派手で大きなことをするよりも、コソコソ動いて大きく動かす方が楽しい。
大きく動くと、それだけでリスクになるんだ。単純にコストが増大するというリスクもあるが、大きく動けば目立ってしまう。目立ったら目立っただけ妨害を受ける確率が上がる。
コータロー商店が良い例だ。さんざん目立っているので、街中の同業者から目を付けられている。現に、俺たちは潰すために動いているわけだしね。
小さなことからコツコツと。シロアリみたいに土台から攻撃していけば、大きな城でもいずれ落ちる。既にコータロー商店の土台は腐り始めている。大ダメージを与える日は近いんじゃないかな。





