お客様は人間です
ブライアンの店を出た頃には、辺りは少し薄暗くなってきている。
店に帰る道中を早足で進んでいると、交差点でギンとばったり出くわした。
「うわっ! 兄さんじゃないっすか。驚かさないでくださいよ」
「それはお互い様です。奇遇ですね。お仕事帰りですか?」
「帰りじゃないっす。まだ仕事中っすよ」
ギンは少しやつれた様子だ。かなり忙しいらしい。隣のババアがまだ見つからないのだろうか。
「そうでしたか。では、頑張ってください」
そう言って歩きだすと、ギンが慌てて引き止めた。
「すんません、ちょっと待ってください。この前忘れていた話を思い出したっす」
「この前の……話?」
「兄さんから用事を言われて、忘れちゃった話っすよ。覚えてないっすか?」
エマの親に金を貸す話をした時のことか。そういえば、自分の用事を忘れたと言っていたな。
「思い出しました。どうぞ、お話ください」
「コータロー商店なんすけど、最近飲食店にも手を付けているみたいなんすよ。新規店とか潰れそうな店に声を掛けてますね」
遅っ! もう知っているよ、そんなことは。
「言うのが遅いですよ……。そんな大事な話を忘れないでください」
「しょうがないじゃないっすか。兄さんの用事を優先したっす」
俺のせいかよ! 違うだろ。ギンが勝手に忘れただけじゃないか。
「まあ、いいです。情報はそれだけですか?」
「そうっすね……あ! 兄さんとこの隣の店にも声を掛けてたらしいっすよ。話がまとまる前に店主が逃げちまったんで、無かったことになったっす」
「重要な情報じゃないですか。今回は大事になりませんでしたが、場合によってはかなり危なかったですよ」
それを知っていたら、積極的に潰しにかかっていたのに。コータロー商店からの金銭的援助があった場合、隣の店は延命できる可能性があった。かなり面倒なことになっていたはずだ。過ぎたことだし、悪いようになっていないからいいんだけどさ。
「だからすんませんって。コータロー商店は今の持ち主を探しているんで、そいつが手放さなければ問題無いっす」
隣の店、俺が買っていなかったらコータローが買っていたということじゃないか。迂闊な行動だったが、運に助けられたな……。
しかし、ギンは俺が買ったことをまだ知らないらしい。まあ、俺が買ったのは夜逃げした次の日だ。俺の行動が早すぎて、情報が出回っていないのだろう。
「情報ありがとうございます。今後はもっと早く言ってくださいね」
「うっす……。すんませんっした」
ギンは肩を落とし、暗い顔で俯いた。ちょっと言い過ぎたかな。
「でも、情報は有り難かったですよ。感謝しています。今後もよろしくお願いしますね」
そう言って、俺のポケットマネーから1000クランを渡した。
「え……? いいんすか! あざっす!」
ギンの顔がパァッと明るくなる。現金な奴だ。金を渡すだけでこんなに元気になるのか。ギンは小躍りしながら仕事に向かったので、俺も店に帰って残りの仕事を済ませた。
次の日。コータロー商店が気になったので、開店前から偵察に向かう。ブライアンの店で得た情報とギンが持ち込んだ情報を総合すると、本格的に飲食店を始めようとしていることが分かる。フランチャイズ事業の一環で間違いない。
出掛けにルーシアにそのことを軽く説明したのだが……。
「私も一緒に行ってもいいですか?」
ルーシアは真剣な顔つきで言う。
「え……? お店は大丈夫ですか?」
「少しくらいなら何とか……。母に店に出てもらいます」
裏方をフランツに任せて、サニアを店に引っ張り出すらしい。1日は無理だが、数時間程度なら大丈夫そうだ。
「分かりました。行きましょうか」
しかし……本格的に従業員を探さないと拙いな。今の状態だと、ルーシアが倒れたら店が回らなくなるぞ。
コータロー商店に近付くと、まだ開店前だと言うのに、中から「いらっしゃいませ!」という大きな声が聞こえてきた。挨拶の合唱をしているみたいだ。朝礼中だったらしい。
「何をしているんですかね……」
「朝礼ですね。声出しの練習ですよ」
「……朝礼? 朝からそんなことをするんですか?」
「日本ではよく見る光景です。1日の目標を宣言したり、上司から目標を言い渡される店もありますよ」
「うちでもやった方がいいですかね……」
「要りませんよ。この程度の朝礼なら、やるだけ無駄です。もっと人が増えてから考えましょう」
声出しくらいはやってもいいが……いや、やはり時間の無駄だな。毎日声を出しているんだから、敢えてやる必要なんて無い。ミーティングだって、食事をしながらできる。開店前の忙しい時にやることじゃない。
朝礼なんか、外から通勤する従業員が増えてから考えればいい。
朝礼はまだ続いている。一度静かになったと思ったら、今度は全員で「お客様は神様です!」を3回連呼。何これヤバイ。キモチワルイ。
「……これは何を言っているのでしょう?」
ルーシアが不思議そうに言う。
「心構えの話ですね。お客さんを神様だと思って対応しろという意味です」
「なるほど……。これは参考になります。私も見習った方がいいですね」
「やめてください。日本の悪習ですから。お客さんは神様ではありません」
こんな言葉があるせいで調子に乗る客が増えるんだ。悪質なクレーマーの多くは、この言葉を盾にする。
それに、悪徳企業もこの言葉を使いたがる。どんな客のどんな要求にも応えさせるためだ。会社が押し付けてきた場合、その会社を疑った方がいい。耳に心地よい言葉ではあるが、中身は最悪だ。
「え? でも……」
「相手は普通の『人間』です。人対人だということを意識して、真摯に対応するんです。世の中にはいろんな人が居ますからね」
ルーシアは「そうですか……」と呟いて考え込んだ。
お互いがお互いを1人の個人として尊重する。俺はあたり前のことだと思う。それができない客は来なくていい。来ても追い返す。「店は客を選べない」と思われているが、実際は選べるし、選んだ方がいい。
だが、客を神だと考えていると客を選べなくなる。その結果、苦しむのは従業員だ。職場環境はどんどん悪くなって、ブラック企業のできあがり。そんな悪習を広めてはいけない。
それなりに待った気がする。やがて開店の時が来た。店から1人の従業員が出てきて、扉に掛けられた『準備中』の札が『開店』に変わった。さっそく中に入る。
「いらっしゃいませ!」
大きな声が店内に響き、それに続けて従業員たちも「いらっしゃいませ!」と叫んだ。うるさい。マジでやめてほしい。
久しぶりのコータロー商店だが、中は少し変わっている。店の片隅に、パーティションで区切られた小さなスペースができている。そこには『相談室』の文字。大口の客と話をするためのスペースらしい。
他にも、『経営相談承ります』や『加盟店募集』の張り紙が増えている。かなり開き直った様子だ。
商品はかなり減っている。減ったと言うか、絞ったようだ。俺が押し付けた不良在庫も無くなっている。売れたはずはない。まさか、加盟店に押し付けたのか……? そうとしか考えられないぞ。うちの不良在庫、本当にババ抜きのババみたいになっているな。
店内を見回していると、隅の方でダルそうに佇んでいる人影があった。いつか見た、カラスの客の女性だ。俺の第一印象は、顔がいいだけの役立たず。本当にここで働き始めたのか……。
「あの……どうかされました?」
「何がですか?」
「顔がにやけています……」
しまった。顔に出ていたみたいだ。
「すみません。ちょっと愉快なことがありました。後で話します」
「愉快な……?」
怪訝な表情を浮かべるルーシアを尻目に、店内の観察を続ける。
ポイントカードが置かれていたテーブルの上に、加盟店募集と経営相談についての広告が追加されている。今後のために持ち帰ろう。
貰った紙を熟読するのは後回し。店内は十分見た。長居して顔を覚えられても厄介だ。さっさと店に帰る。
コータロー商店から外に出ると、すぐにルーシアが話し掛けてきた。
「あの……先程の話というのは?」
相当気になっていたらしい。
「実は、あそこに居た女性と面識があるんです」
「ずいぶんキレイな方でしたもんね」
ルーシアの言い方に棘がある……。そんな怒るようなことじゃないのに。
「うちで雇ってくれないか、と打診されたんですが、僕は断りました」
正確には、そう打診される前に話の流れを捻じ曲げてはぐらかした。迷わずお断りだったからな。
「……え? 断った?」
「はい。やる気が無くて責任感も無くて、仕事ができるような様子でもありませんでした。おまけに態度は高圧的で、褒められたところが見当たりません。店にとってマイナスになると判断したんです」
「それで……どうしてそんなに嬉しそうなんですか?」
おっと。また顔に出ていた。拙いな。詐欺師を引退してから、感情を隠すのが下手になったみたいだ。注意しないとなあ。
「近い将来、あの方はコータロー商店に不利益をもたらします。それを考えたら、ちょっと楽しみで……」
「ふふっ。なるほど。他人の不幸を笑うのは良い趣味ではありませんよ」
ルーシアは笑みをこぼしながら冗談っぽく言う。確かに悪趣味かもしれないが、今回は完全に対岸の火事。近場で見られないのは残念だが、俺に飛び火することは考えられない。
「そうですね。人の不幸を喜んではいけませんね。気を付けます」
とは言え、人の不幸ほど楽しいものは無いんだよ。こちらの関係者なら同情するし手助けもするが、相手は目の上のたんこぶとも言えるコータロー商店だ。少しでも苦しんでいる様子を見られるなら、楽しみで仕方がない。
名もなき役立たずな従業員の活躍を願いながら、帰路についた。





