飲食店
どれだけ気まずい時間を過ごしただろうか。体感的には数時間くらいの気分だ。沈黙を破るように、店の扉が開けられた。
ブライアンだ。大きな紙袋を抱えて、勢いよく店に入ってきた。
「待たせたな。今帰った……ぞ?」
ブライアンは、コータロー商店の使者を視界に入れて顔をみるみる赤くさせた。額には青筋が立っている。
「お待ちしておりました。先日のお話について、再度お願いに上がりました」
「テメェ! 二度と来るなって言っただろうが! 出て行け! 今すぐ出て行け!」
激しく声を荒らげた。物腰も柔らかで温厚な人間だと思っていたのだが、怒ると怖いな。筋肉を硬直させて怒鳴る姿は、なかなか迫力がある。
「そう言われましても……冷静にお話をしませんか?」
それでもめげないおっさん。涼しい顔でさらに食い下がろうとしている。
「話すことなんてねぇよ! 帰れっ!」
「……後悔しますよ?」
「いいから帰れっ!」
おっさんは根負けしたようで、不承不承に立ち上がって店から出ていった。と言うか、あれだけ怒鳴られながらも全く立とうとしなかったんだよな。普通なら気を使って立ち上がりそうなものなんだけど……。どうやら鋼のハートを持っているらしい。
ブライアンはおっさんが座っていた椅子にドカッと腰を下ろした。
「悪いな。不快な思いをさせた」
苛立ちを隠しきれない様子だ。額の青筋は消えていないし、息も荒い。温厚そうなブライアンをここまで怒らせるとは……。いったい何をやったんだよ。コータロー商店はかなり調子に乗っているようだな。
「……今のは?」
「アホだ。気にするな」
ブライアンはうんざりしたように吐き捨てた。多くを語るつもりが無いみたいだ。余程腹が立つことがあったのだろう。詳しく聞きたいところだが、今は触れない方が無難かな……。藪蛇になりそう。落ち着いた頃に改めて聞いてみよう。
「そうですか……。気を取り直して、料理を見せていただけます?」
「ああ、そうだったな。すぐに作るよ」
ブライアンはスッと立ち上がり、そのまま厨房に向かった。
また1人で待たされる。暇だ……。
料理を待っている間に、テーブルセットが届いた。暇潰しにテーブルセットを並べる。ただ……ちょっと目算を誤った。2セット余った。席同士を離しすぎたかな……。まあ、テーブルをくっつけたらちょうどになる。団体が来た時のための予備にしておこう。
2セット分、4席減ったので、通常時の席数は26席になった。普段はこれで回すが、団体客が貸し切りにしたらテーブルが足りなくなることは分かっている。その時だけは4席増やして30席だ。
テーブルのセッティングが終わる頃には料理ができあがり、カウンターの上に並べられた。
「お待たせ。テーブルを任せてしまって悪かったね」
ブライアンの機嫌はすっかり良くなっている。料理がストレス発散になっているようだ。なかなか料理人らしいじゃないか。
「いえ。ただの暇潰しですから、お気になさらず」
そのままカウンター席に座って並べられた料理を見た。サラダとスープ、バゲットが並び、真ん中のメイン料理はローストビーフのように薄くスライスされた肉だ。ワイン色のソースが掛けられて、肉の上にはクレソンのような葉っぱがあしらわれている。
日本風のジャンルで例えるなら、創作イタリアンだろうか。
この料理なら、テーブルは丸型にするべきだったな……。角型だとどうしても硬いイメージになってしまう。まあ、過ぎたことは仕方がない。効率を重視するということで納得しよう。
並べられた料理を一通り食べ終えた。悪くない。『肉塊ドーン』な料理だと聞いていたが、見た目にも洗練されていた。手間も掛かっているし、味も見た目も良い。全てが平均以上だと思う。
「ごちそうさまでした。良い料理ですね」
「くっくっく。そうだろ? この盛り付け、うちの妻に見てもらったんだ」
夫婦で研究してきたらしい。やはり女性の監修があると違うな。
事業計画書では、客単価800クランで計算していた。これは一般的な飲食店の値段だ。今日の料理を見る限り、安すぎる気がする。手間の分は上乗せした方がいいな。
「なるほど。いいと思います。ちょっと値段を上げましょうか」
「ん? 最初は安くした方がいいんじゃないのか? コータロー商店のアホがそう言っていたぞ?」
ああ……また古い常識を持ち出しやがって。この国の専門家は全然あてにならないな。期間限定の割り引きなら問題無いが、定価を下げるというのは悪手だ。
「一度下げた値段は、簡単には上げられません。確かに、値段が安ければ初動の客入りはいいと思いますが、後から苦しくなりますよ。そうなってから値段を上げても、もう遅いです。値段を上げた瞬間に客が飛びます」
「いやぁ、でもなあ……高いと人が来ないだろ」
「そうですね。最初は苦しいと思います。まあ、そこは知恵を絞ってどうにかしましょう。今楽をして後で苦しむか、今苦労して後で楽をするかですよ」
考え方は人それぞれ。どちらが正しいとは一概には言えない。中には、今楽をして後でも楽をするという手段を考える人も居る。まあ、そんなに上手くいくわけないから、俺は先に苦労する方が好きだ。
いずれ苦労する時が来るのなら、できるだけ先に済ませておきたい。ただし、この時に苦労の方向を間違えたら地獄だ。ずっと苦労し続けることになる。
「……あんたがそう言うなら、そうしようか。なんでだろうね。コータロー商店とは逆のことばかりを言うよね」
「おそらく、学んだ文化が違うからでしょう。僕が学んだ環境は、飲食店が完全に飽和状態だったんですよ。普通に美味しい料理を出していても簡単に潰れるようなところです」
普通に美味しい店ではダメだ。それどころか、物凄く美味しくても難しい。他の要素にも気を配らないと集客できない。
「ずいぶん厳しいな……」
「そうですね。この国の飲食店の考え方は、僕が以前居たところの50年くらい前の考え方なんですよね。要するに、古いんです。競争が激化したら生き残れません」
日本にもこの国のような時代があった、と聞いている。店を出しただけで客が入る時代があり、次第に客が味を求め始める。次に清潔感が重視されるようになって、やがて高級感や店全体の雰囲気の良さが求められるようになっていった。
どの店も基本がクリアできるようになった後、店は次の要素を探すことになる。それが新しい付加価値だ。新規の飲食店は、必死でそれを模索している。店には明確なコンセプトが求められるようになり、最近では『新しい体験』や『権威』を売りにしないと厳しい状況だ。
この国はまだ清潔感を求めるレベルで止まっている。次の段階をクリアすれば無双できるような状態だと思う。それは自分の店のカフェスペースで実感した。
「それだけ厳しい環境……逆に見てみたいなあ。それはどこの街なの?」
あ……しまった。調子に乗って語り過ぎた。出自を訊ねられると面倒なんだよなあ。適当に誤魔化そう。
「外国の話ですから。かなり遠いですよ」
「……なるほどね。どうりで考え方が違うわけだ。外国となると、簡単には行けないなあ。またその国の話を聞かせてよ」
深くは聞かれなかった。助かったな。いや、少しくらいならいいか。話したことで売上が伸びるなら、『迷い人』の疑惑が掛けられない程度に話してやろう。
「分かりました。そのうち話しますね」
その後、皿について話し合ったところで日が暮れてきた。話はまとまったので、そろそろ御暇しようかと思う。
結局、皿は真っ白な無地を選んだ。透き通るように真っ白な陶器だ。無地とは言え結構高い。キッチリと形を揃えるのは、高い技術力が必要なんだそうだ。
「これで準備は完了ですね。食器は来週までに揃えてお届けします。そろそろ開店の日を決めてください」
必要な食器は80セット。在庫の総量は減らしているのだが、主力商品の在庫を減らすようなことはしていない。これくらいなら普段の在庫で賄える。店に帰って配送の手続きをすれば俺の仕事は終わりだ。
「そうだなぁ……じゃ、10日後にオープンするよ。食器はそれまでに揃えてくれ」
「分かりました。ブライアンさんは広告の準備も進めておいてくださいね」
「あ……そうだったな。オープンまでにはどうにかするよ」
それじゃあ遅いんだけど……まあ仕方がないか。
さすがに広告まで俺が準備するわけにはいかない。全て手書きなので、これだけで莫大なコストが掛かってしまう。そのため、広告は全てブライアンが手書きをしている。正確には、ブライアンの嫁が。
ブライアンの嫁は、文句を言いつつもちゃんと協力をしているようだ。盛り付けのアドバイスも的確だったし、かなり役に立っている。
これでブライアンの店はオープンを待つだけになった。この店の成功はうちの店の宣伝になる。このまましばらくは様子を見続けよう。
ブライアンの店はいいとして、コータロー商店の動向が気になるところだ。何を企んでいるんだろうか。ただのコンサルタントというわけでも無さそうだし、事業買収というわけでも無いよな……いや、フランチャイズ事業の一環か?
雑貨屋のフランチャイズ化がトントン拍子に進んだから、今度は飲食店にも手を広げたのかもしれない。いやいや、絶対にキャパオーバーだろう。無茶をするなあ。
これがコータローの伸び切った鼻をへし折る突破口になるかもしれない。今後の動向を注意深く見ておこう。





