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家庭訪問

 求人案内所の様子を知ることができたので、さっさとその場を離れる。結局、求人は出していない。


 その後の予定は特に決めていないので、久しぶりにカレルの工房に顔を出してみようかと思う。

 工房が近くなって行きやすくなったはずなのだが、そのおかげでカレル本人が直接店に納品するようになった。発注もサニアが直接行けるので、俺が出向く機会が減ってしまった。


 今日はただの視察。真面目に働いているかどうかの確認だ。ついでに建物や機材に問題がないかのチェックをする。カレルは多少……いや、大規模に壊れても我慢するから、たまに見てやらないと不安だ。


「カレルさん。お久しぶりです」


「あ、いらっしゃいませ。お久しぶりです」


 カレルは体中を真っ黒にして、工房から顔を出した。


「しばらく見ないうちに、ずいぶん黒くなりましたね……」


 黒いインクを扱う工房なので、汚れるのは仕方がない。ちらりと見えている玄関も真っ黒だ。この様子だと、工房の中も真っ黒なんだろうなあ。


「あ……ごめんなさい。あの……弁償ですか?」


「要りませんよ。黒くなることは分かっていましたからね。頑張ってくれている証拠です。気にせず汚してください」


 だって、俺はそれが嫌でカレルに任せたんだもん。たった一度の実験なのに、事務所は真っ黒、手も真っ黒になった。掃除が大変だから、工房を分けたんだ。


「ありがとうございます……」


「ところで、生産は間に合っています?」


「はい。まだまだ余裕があります。むしろ、もっと仕事が欲しいくらいです」


「売れる数には限りがありますからねえ……。どれくらい余裕があるんですか?」


「月の半分は仕事がないんです。これでものんびりやっているつもりなんですが、時間が余って余って……」


 カーボン紙は、一気に大量に作った方が効率がいい。コストも安くなるし、時間も短縮できる。今はそれが仇となって暇な時間が増えているようだ。

 暇つぶしに渡したリバーシの塗装だって、そんなに時間が掛かることではない。それに、そんなに大量にあるわけでもない。参ったな。カレルを遊ばせておくのはもったいないぞ。


 カーボン紙が飛ぶように売れてくれるのが一番良いのだが、それはなかなか難しい。今作れそうな物と言えば……。


 ――油関係の作業を任せるか?


 美容液の調合は、工房も作業員も先送りになっている。工房が汚いのは問題だが、キレイな環境が確保できるなら問題ない。


「カレルさん。この工房にキレイな部屋は残っています?」


「はい。黒くなったのは作業部屋と玄関だけです。ご覧になります?」


「そうですね。見させていただきます」


 カレルに案内されて各部屋を見て回る。カレルの言う通り、作業場と玄関以外はキレイなものだ。その分、作業場は本当に酷い。部屋中に墨を撒いたようだ。

 この工房は普通の住居のような2階建ての建物だ。1階の一部屋を作業場にしていて、2階を住居として使っている。未使用の部屋は3部屋。1階に1部屋と、2階に2部屋だ。


 この未使用の部屋を使えば、油関係の作業ができるのではないだろうか。試しに作らせてみよう。商品化はもう少し先だから、実験する時間はある。


「どうでしょう……? やっぱり汚しすぎですか?」


 考え事をしていた俺を不安に思ったのか、カレルは恐る恐る口を開いた。


「あ、それは問題ありません。カレルさんに渡す仕事について考えていました。新商品の案があるんですが、試しに作ってもらえませんか?」


「え……! 本当ですか? 作らせてください!」


 カレルは顔を明るくさせて答えた。仕事熱心で助かる。まあ、借金返済のために必死なんだろうけど。


「次来る時に材料を持ってくるので、きれいな部屋を準備しておいてください。そっちは汚れると困るんです」


「あ……分かりました。頑張ります……」


 カレルは、笑顔を一変させて表情を曇らせた。汚さない自信が無いみたいだ。絶対に汚れるこの工房には、ちょっと難しい注文だったかな……。


「もしできなければ、次の商品を考えます。無理はしなくていいですからね」


「はい……ありがとうございます」


 カレルは不安げな表情を浮かべたまま俯いてしまった。できなくても怒らないのになあ。

 まあ何にせよ、カレルの工房の視察はこれで終わり。不具合や壊れた箇所は見当たらなかった。汚れた以外には何も問題ない。まあ、屋根が飛ぶような壊れ方なんて、滅多にしないだろうけどね。



 カレルの工房を後にしたわけだが、まだ時間が余っているんだよなあ。この調子で他の工房も見て回ろう。次はエマの石鹸工房だ。


 工房の前に到着すると、エマは玄関先を掃き掃除していた。掃除が好きらしい。実験用工房の掃除、引き続きやってくれないかな……。いや、それは無理か。エマもこれから忙しくなる。仕方がない。自分で掃除しよう。


「エマさん、お疲れ様です。調子はどうですか?」


「あ、お疲れ様です。順調ですよ。試作もたくさん作りましたし、いつでも量産できます」


 エマの準備は完了しているようだ。だが、困ったことに、まだ販売の許可が下りていない。そろそろだと思うんだけどなあ……。まあいいか。売らなければいいだけだ。


「では、さっそく作り始めてください」


「え……? もう許可が出たんですか?」


「いえ。作るのは自由ですからね。今のうちにストックを作っておこうという話です」


 いつ作ったか、なんて調べようが無いんだ。今作った分も普通に売れる。

 石鹸は作成に時間が掛かるので、在庫は多めに確保しておきたい。組合に納める分を優先しなければならないため、機材や材料のトラブルがあった時、在庫がないと拙いことになる。正式に稼働した後では調整が難しいので、今のうちに作っておく。


「なるほど……。分かりました。作り始めますね」


 エマの工房には何の問題も無かった。至って真面目に作業をしているし、機材や設備にも問題ない。強いて言うなら、工房内が少し寒いくらいか。

 この工房は換気が重要なので、常に空気が流れる構造になっている。換気が良すぎて肌寒い。まあ、石鹸の熟成は寒いくらいの方がいいはずだ。今のところはこれでいいだろう。



 次はイヴァンの工房。なんだか家庭訪問する教師みたいになっているな。アポなし訪問だけど。まあ、こういう視察はアポなしで行かないと意味がない。普段の行いが見たいわけだから。


 イヴァンの工房は割と頻繁に行っているので、問題がないことは分かっている。ただの挨拶だ。あと、パオラに頼んだ仕事の感想が聞きたい。

 オイルストーブ用の袋と30枚のおしぼりは、既に納品されている。今は残りのおしぼりを作っている最中だろう。


 イヴァンの事務所に顔を出したが、イヴァンは今日も居ない。やはり、昼間はずっと外回りをしているようだ。事務所の奥に向かって声を掛ける。


「こんにちは」


「あ……いらっしゃいませ」


 迎えてくれたのは、パオラではなく娘のライラだ。


「パオラさんはいらっしゃいますか?」


「あれ……? 今、そちらの店に向かいましたよ?」


 入れ違いになったみたいだ。納品なんて、イヴァンに任せればいいのに。


「そうでしたか。すみません、出直します」


「何か用でしたら、私が聞きますよ?」


「縫い物の仕事の様子が聞きたかっただけです。作業が負担になっていないかを聞こうと思いまして」


 作業は蒸留水精製の合間にやってもらうつもりだった。しかし、よく考えたらパオラは家事もやっている。既に忙しかったはずだ。せめてライラが家事の手伝いをできればいいのだが、物凄く家事に向いていないらしいからなあ。


「蒸留水の管理は私が1人でやっています……。拙いですか?」


「あ、それなら大丈夫です。これからも頑張ってください」


 この役割分担なら問題ないな。どうせライラは暇しているんだから、せいぜい扱き使ってくれ。

 ただ、ライラに依存するのは危険だ。ライラはいずれ結婚して、どこかに行ってしまうだろう。それに、息子のマルコも剣闘士になるつもりでいる。そのうち代わりの作業員を確保しなければならない。


 そういえば、マルコの反抗的な態度は治ったのかな。

 訓練場でのマルコは、なかなか従順で真面目だ。始めこそ反抗的だったが、今はずいぶんおとなしくなった。まあ、反抗する気力がないだけみたいだけど。


 マルコの家での様子も聞いておきたい。場合によっては訓練の内容を変える必要がある。


「ところで、マルコくんの様子はどうです?」


 ますます家庭訪問みたいになってきたなあ……。


「最近は寝てばかりですよ。家の手伝いもしないで、ご飯を食べて寝て、起きてご飯を食べて出掛けて、帰ってきたら寝て……。ツカサさんからも何か言って上げてください!」


 反抗的な態度は治ったみたいだ。ただ、疲れすぎて何もできないらしい。基礎体力トレーニングしかやっていないはずなんだけどなあ。


「訓練で疲れているんでしょう。もう少しで慣れるでしょうから、それまでは許してあげてください」


 うぅん……なんで俺がマルコのフォローをしてやらないといけないんだ? こういうことはジジイの仕事だろう。担任なんだから。あ、いや、師匠か。

 ただ、ジジイの訓練なんてそんなにハードなものじゃないと思うんだよ。安全な環境で走り回るだけだ。


 銃弾が飛んでくることもないし、車に追われることもない。走っている途中で止まっても、命の危険がない。そんなヌルい訓練についてこられないマルコにも問題があると思うぞ。もう少しハードにするように、ジジイに進言しよう。


「分かりました。もう少し様子を見てみます……。あっ! お茶をお持ちしますね!」


 ライラはそう言って俺に背を向けた。

 どうして話が終わってからお茶を出そうとするかな……。癖なのか? それがパオラの教育なのか?


「お茶は結構です。すぐに帰りますから」


 そのままイヴァンの工房を後にした。

 今日の視察はこれにて終了。各工房は何も問題ない。みんな真面目に働いている。この調子で頑張ってもらおう。

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