視察
朝を迎え、検査員の到着を待つ。石鹸工房は、この検査を終えないと稼働することができない。厳密に言うと、作るのは自由だが売り物にできない。
この検査の内容は、日本で言う『飲食店の保健所検査』みたいなものだ。安全な設備が整っているかを目視と聞き取りで確認する。品質にバラつきが出ないようにするための措置というのが表向きの理由だ。
実際は組合の権威を守るという意味合いの方が強いように思う。まあ、製法を秘匿するためでもあるのだから、素直に従う。
しばらく待っていると、店舗に恰幅の良い中年男性が現れた。小奇麗な服と金のアクセサリーを身に纏い、金持ちというよりも品のない成金のような出で立ちだ。
首元には太い金のネックレスをぶら下げ、金の指輪とブレスレットを付け、カフスボタンまで金色だ。めちゃくちゃ重いんじゃないかな。
「おはよう。石鹸組合本部から派遣された者だ。よろしく頼む」
「おはようございます。お待ちしていました。行きましょうか」
このおっさんは、自身も石鹸工房を営む商人だそうだ。本来は組合の人間と2人で来るはずだったのだが、組合の人間が体調を崩したため、急遽1人でやってきたらしい。だったら延期してくれよ。
石鹸工房に移動し、エマを同席させた。責任者は俺だが、実際に作業をするのはエマだ。たぶん居た方がいいと思う。
「……お願いします」
エマが不安げにつぶやいた。
「楽にしろ。私の質問に答えるだけでいい」
エマは作業員として同席しているが、実際に答えるのは俺の役目だ。
まずは工房の規模を聞かれた。1日の最大生産量を確認したいらしい。
今の機材をフルで回転させた場合、1日で生産できる量はおよそ1000個。しかし、1人でできる作業ではない。エマだけで作れる量ということなら、せいぜい200個くらいだろう。
次に機材のチェック。これはすべて新品を揃えたので問題ない。
最後に、製品の品質チェックだ。試作した石鹸を、一つ一つ丁寧に検査している。
ただ、俺が作っている石鹸は、ただの石鹸じゃないんだよ。ラベンダーの香りがついている。これはエマに出した指示のうちの1つ、香り付き石鹸の試作品だ。まだ熟成していないが、ほぼ完成している。
「ふむ……独自の製法だと聞いたが、どうやって作っている?」
「申し訳ありませんが、企業秘密です。材料についても教えられません」
俺がそう答えると、おっさんはじっくりと香り付き石鹸を眺めながら、不敵な笑みを浮かべて口を開いた。
「……それならこの工房には許可を出せない。石鹸が作りたかったら、材料を言え」
ふざけんなよ、この野郎。
言い分が不自然だ。香り付き石鹸に問題があるのなら、それだけを止めればいい。普通の石鹸すら作れないというのはおかしな話だ。石鹸組合の受付は「品質に問題なし」と判断している。
それに、今回の検査は『設備の確認』が目的であって、製法には触れないはずだ。石鹸組合に顔を出した時も、レシピについて質問されることは無かった。これは確実に越権行為だ。
いや、こいつも石鹸工房のオーナーだと言う話だった……。作り方をパクる気だな。そうはさせない。
「材料について教えれば、許可を出していただけますね?」
「うむ。許可を出そう」
おっさんはニヤリと笑って答える。
口約束ではダメだ。しっかりと書面に残す。
材料について絶対に口外しないこと、材料を教えた時点で販売の許可が下りること、これらを紙に明記してサインさせた。このおっさんの名前は『ゼド』と言うらしい。もう二度と会いたくないから、一応覚えておこう。次にこの名前を見かけたら避ける。
よく読まないと分からないが、この契約書には罠が仕掛けられている。おっさんの要求は大げさにして、俺が答えるべき点を最小限に。そして契約不履行時の罰則は無し。さらっと見ただけだと、おっさんが有利な内容になっている。
これは越権行為の証拠にするためだ。このまま許可が下りなかった場合、この紙を持って組合に行く。こちらの心証を良くするために、敢えて相手に有利になるように書いた。
「この中に入っているのは、ラベンダーの抽出液です。ラベンダーそのものを入れたわけではありません」
この国にも香り付きの石鹸はある。しかし、そのどれもが葉っぱを直接石鹸に混ぜ込んでいる。泡立ちも良くないし、香りも弱い。それに、使った後に肌が荒れる。出来損ないの嗜好品だ。
「その抽出液というのは?」
「この工房で作っている物ではありませんから、お答えすることはできません」
作っているのは俺だが、書類上は別会社。無関係だと言い張ることができる。
「それはどこで売っている?」
「契約上、お答えすることができません」
蒸留水工房との契約のことではなく、今の契約の話だ。そこまで教えるとは言っていないし、俺に答える義務はない。
これだけでは不服らしいので、レシピを紙に書いて渡す。もちろん材料の詳細は書いていない。水のかわりに特殊な水を使うとだけ書いた。そして、芳香蒸留水の現物も見せていない。具体的に何が入っているかは分からないだろう。
「それを言わんと、許可を出すことはできんぞ?」
「いえ。約束では、材料を教えるということでした。材料は教えましたよ?」
「だが……それが何か分からんだろう。危険な物かもしれん。見せろ」
もっともらしい言い分だが、目的が透けて見えているぞ。製法をパクって自分の工房で作りたいだけだろう。
「材料はラベンダーなんですよ? これが危険だったら、普通に飲まれているお茶だって危険ということになります。そんなはずは無いですよね?」
「まあ、それはそうだが……」
「分かりました。許可は結構です。そのかわり、今の契約書を持って組合に苦情を申し立てさせていただきます」
言い逃れはできないぞ。キッチリと証拠を残したからな。越権行為であることは分かっているんだ。石鹸組合の偉い人に怒られればいい。
「……仕方がない。許可を出そう」
ふん。最初からそう言えばいいのに。余計な手間だったよ。
「ありがとうございます。では、さっそく製造に取り掛かります」
このおっさんはイマイチ信用出来ないので、検査票を複製してサインさせた。万が一報告に齟齬があった場合、直ちに告発する。
念入りに手を打った。もう安心だ。
しかし、こうなってくると、もう1人の検査員の急病すら怪しく思える。ゼドはかなり儲けている様子だから、金に物を言わせて検査員を買収したんじゃないだろうか。
独自の製法だということは組合に告げてある。その話を聞いたゼドが製法を盗むために単独でここに来た、というなら不自然なことではない。
朝から不快な目にあった。嫌なおっさんが組合に居るというのは心配だが、まあ大丈夫だ。住んでいる街が違うから、簡単には会わないだろう。
ゼドは不機嫌な様子で帰っていったので、俺も工房を後にする。数日のうちに正式に許可が下りるだろうから、エマには引き続き研究を続けてもらう。
さて。次は隣のババアへの仕返しを考えよう。潰してしまうのが一番楽なのだが、俺が直接手を出すと話が拗れる。何か良い手はないだろうか。
考えながら道を歩いていると、向こうからドミニクが歩いてきた。
「あ、ドミニクさん。お久しぶりです」
「よぉ。久しぶり。最近、全然店に居ないじゃないか。何を企んでいるんだ?」
ドミニクは軽く右手を上げて立ち止まった。
「企むだなんて、人聞きの悪い。普通に仕事をしているだけですよ」
「くっくっくっ。どうだか。それよりも、次の商品を紹介してくれよ。リバーシはもう売れねぇんだ」
ドミニクが熱心に売りすぎたせいで、欲しい人に行き渡ってしまったらしい。まあ、ドミニクは剣闘士やその周辺の人に対してしか売っていないはずだ。剣闘士とは縁がない人になら、まだ売れる見込みがある。それに、別の街で売るのもアリだ。
「声を掛ける対象を変えてみたらどうでしょう。他の街で売るとか、普段交流が無い方に売るとか」
「……簡単に言うなよ。俺はこの街を拠点にしているから、別の街に行くのは難しいぜ」
「そうなんですか……。分かりました。他の商品を考えておきます」
忘れがちだけど、ドミニクの本業は剣闘士だ。いっそ商人に転向してしまえばいいのに。剣闘士って、そんなに儲かるのか? まあ、怪我をしたくないからやらないけどな。
「オレはあと少しでAクラスだから、Aクラスになったら他所の街にも行くぜ。その時になったら他所の街で売ってやるよ」
ドミニクは軽快に笑いながら言った。普段の言動からはそうは見えないが、実は上位の剣闘士だったらしい。
Aクラスの剣闘士は人数が少ないので、1つの街だけでは興行が成り立たない。そのため、街を転々として活動するそうだ。
「ありがとうございます。Aクラスになった時は、お祝いをさせていただきますね」
「悪いな。豪華なお祝いを待っているぜ」
なかなか遠慮がないな。まあ、ドミニクは頑張ってくれているから、奮発してやろう。
話が途切れた瞬間、ドミニクは別れる素振りを見せた。でも、せっかくだから隣のババアについて探ってみる。
「それはそうと……。うちの店の隣の食堂には行きました?」
「ああ? クソババアの食堂のことか? そこがどうかしたか?」
あ、既にイメージが悪いらしいぞ。これ、俺が仕返しをしなくても潰れるんじゃないかな。
「昨日、ちょっと嫌がらせを受けまして。今後の対策を考えているんです」
「くくく。あのババアならやりかねないな。放っておけよ。そのうちくたばるさ」
ドミニクは嫌らしい笑みを見せた。かなり嫌っているらしい。たぶん俺が手を下すまでもないぞ。しばらく放置してみようかな。嫌がらせがエスカレートするなら、その時は本気で動こう。





