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イチャモン

 いつもより少し早い時間だが、仕事を切り上げて店に戻る。今回注文したテーブルは、天板を取り替えるだけの簡単な作業。数日のうちに終わるだろう。

 しかし、レベッカへの注文は簡単なものばかりになっているなあ……。たまには難しい技術が必要な注文をしないと、腕がなまってしまうかもしれない。ちょっと気を付けよう。


 考え事をしつつ、店に到着した。店外のカフェスペースには、まだ客がのんびりと過ごしている。いつも通りおっさんだ。暇そうに本のページを捲っている。


 カフェスペースに本を設置する案があったのだが、結局保留したままになっている。高くて買えないという理由もあるのだが、自分で持ち込む人が大半なので、要らないと判断した。しばらく様子を見て、改めて考えようと思う。


 客の観察を終えて店に入ろうとすると、店の中がずいぶんと騒がしいことに気が付いた。


「ちょっと! 早く店主を呼びなさいよ!」


 店の中から怒鳴り声が聞こえる。聞き覚えのない声だ。うちの店の人間じゃないな。久しぶりにクレーマーが来店したらしい。

 扉を開けて様子をうかがう。


 店で暴れるクレーマーは小太りの中年の女性。神経質そうな顔をしている。カウンターの向こう側に居るルーシアに詰め寄り、カウンターに手を置いて不機嫌そうに怒鳴り散らしていた。

 こういう時のためのフランツだろうに。騒動に気付いていないのか、出てくる様子はない。何をしているんだよ、全く。


 しかし、このおばさんには見覚えがある。隣の食堂のおばさんだ。一度だけ行ったことがあるが、無愛想で第一印象が良くない。実際に人付き合いも良くないようで、隣だというのに交流は全く無い。

 奥様たちの集いにも顔を出さないらしく、サニアとも交流がない。井戸は共有しているので、面識はあるはずなのだが……。


「そんなことを言われても困ります……」


 ルーシアが必死の表情で対応している。カフェスペースの客たちも、固唾を飲んで見守っているようだ。


「何があったんです?」


 そう言ってカウンターに近付くと、ルーシアは今にも泣き出しそうな顔で懇願してきた。


「あ……ツカサさん。助けてください……」


「若造は引っ込んでな! あんたじゃ話にならないから、店主を呼びなさいよ! 今すぐに! 早く!」


 おばさんは俺に一瞥をくれると、カウンターを『バンバン』と叩きながらルーシアに向き直った。ずいぶんと感情的になっているようだ。


 責任者を出すことを要求する相手に責任者を引き合わせるのは悪手だ。要求がエスカレートする。できれば現場だけで対応した方がいい。

 だが、今回は完全に鉢合わせてしまった。名乗らないわけにはいかないだろう。


「僕が店主です。何か用ですか?」


「は? 舐めてんの? こんなガキが店主なわけないでしょ! 邪魔!」


 ババアはそう言って俺の肩を強く押した。突き飛ばすつもりだったらしい。まあ、俺はその程度の力で飛ばされるようなヤワな人間じゃないんだけど。日々の鍛錬の賜物だよ。


「暴力行為は困ります。あなたがどう思おうが勝手ですが、店主は僕ですよ」


「……フンッ! あんたらのせいでねえ、うちの店の売上がガタ落ちなのよ。今すぐ店を閉めな!」


 うっわぁ……ドギツイ八つ当たりだ。自分の店の売上が落ちたのは、うちの店のカフェスペースが原因だと思っているらしい。


「酷い言い分ですね。うちはお茶と軽食の店、あなたの店は食堂。求められる物が違います。関係があるとは思えませんよ」


「はんっ! 知ったような口を聞くんじゃないよ。そこに座ってる連中、元は全員うちの常連じゃないか。うちの客を盗みやがって、この泥棒め!」


 ババアはカフェスペースのおっさんたちを指さしながら怒鳴った。

 泥棒扱いはどうかと思うが、客がこちらに流れたのは事実らしい。あのおっさんたち、暇さえあればうちの店に来ているからなあ。


 だとしても、うちの店を責めるのはお門違いも甚だしい。客が減ったなら、増やす努力をするだけだろうが。


 俺が言い返そうとすると、それよりも早く客のおっさんから声が飛び出した。


「おいおい、勝手にそんなことを言われても困るぜ。俺たちは好きでこの店に通ってんだ」


「だいたいよォ、あんたの店は居心地が悪ぃんだ。長居をすると追い出そうとするしよォ。今日で決めたよ。あんたの店には二度と行かねぇ」


 おっさんたちが口々にババアへの不満を言う。普段の接客態度の悪さが災いしたようだ。ババアを擁護する声は聞こえない。

 客が飛んだのはババア本人の問題だな。他に行く店が無いから、仕方なくババアの食堂に行っていただけだ。


 俺は『居心地の良さ』を意識してカフェスペースをオープンさせた。それもおっさんにとっての居心地の良さだ。客を追い出すような店に負けるわけがない。


「ハァ? ふざけんじゃないわ。あんたらなんて二度と来なくていいわよ。クソみたいな客にはクソみたいな店がお似合い!」


 暴言が止まらないな。自分で自分の評価を下げていることに気が付かないのか?


「誰がクソだ、クソババア! 帰れ!」


 誰かがそう叫ぶと、店内に「帰れ」コールが響いた。


「……ふん。言われなくても帰るわよ」


 いたたまれなくなったババアは、意気消沈した様子で店から出ていった。マジでクソババアだったな……。


 ババアが店から出ていったことを確認し、店内に向けて頭を下げる。


「みなさん、ご迷惑をおかけして申し訳ございません」


「いいってことよ。俺たちはこの店とルーシアちゃんの味方だから。安心しろ」


 1人のおっさんが爽やかな笑みを浮かべながら言うと、あちこちから同意の声が上がった。ルーシアの普段の行いが良かったんだな。ババアも少しは見習えよ。



 騒々しい声の中、ルーシアはカフェスペースの近くに移動し、目に涙を浮かべて深々とお辞儀をした。


「みなさん、本当にありがとうございました!」


 客たちは満更でもない様子で、ニヤニヤしながらお茶に口をつけている。まあ、今日の客たちにはお茶の1杯くらいはサービスしておくか。



 店内が落ち着くまでの十数分間、店内の様子を見て過ごした。特に変わった様子は見られない。店外のカフェスペースに居たおっさんが心配そうに店内に顔を出した以外は。


「……何があったの?」


「テメェ! 今頃来たって遅ぇよ!」


 店内のおっさんからツッコミが入り、そのまま雑談を始めた。まあ、一応サービスのお茶は出しておこう。こいつは本当に何もしてないんだけど、心配してくれたのは事実だからなあ。



 サービスのお茶を配り終えたルーシアに声を掛ける。


「大変でしたね。お疲れ様です」


「いえ、こちらこそ。助けていただき、ありがとうございます」


「僕は何もしていませんよ。今日助けてくれたのは、あそこに居る常連さんたちです」


「皆さんの助けがあったのは間違いないですが、ツカサさんが何もしていないとは思いません。ありがとうございます」


「ははは。僕は本当に何もしていないですから」


 何かをするのはこれからだから。こんな嫌がらせを受けて、黙っているわけにはいかない。何かしらの方法で嫌がらせを返して差し上げるよ。



 このまま事務所に引っ込もうと扉に手を掛けると、ルーシアに呼び止められた。


「あ、すみません。先程、石鹸組合の方がお見えになりました」


「え? 何の用件です?」


「明日、工房の視察にいらっしゃるそうです」


「それはまた、ずいぶん急ですね……」


 思っていたよりかなり早い。まだ1週間くらいは猶予があると思っていた。事前に連絡するとは言っていたが、前日ってどういうことだよ。もっと前に連絡しろよ。石鹸工房の準備は完了しているが、エマの準備ができているだろうか……。

 エマに石鹸工房を引き渡したのは昨日だぞ。いろいろ試すように指示を出しているものの、たった1日では無理だろう。一度確認しておこう。


「そうですよね。私もそう言いましたが、取り合ってはくれませんでした」


 妙なところでお役所仕事を発動させやがって。


「仕方がないですね……。分かりました。エマさんに伝えてきます」


 踵を返して店を出る。石鹸工房までは歩いて数分。工房を近所で探して良かった。これが職人街にあったりしたら、これだけの用に1時間くらい掛かってしまうところだった。



 石鹸工房の玄関を開け、中に声を掛ける。


「エマさん。いらっしゃいますか?」


「はぁい! 今行きまぁす!」


 遠くからエマの声が聞こえると、すぐにエプロン姿のエマが飛び出してきた。今も作業中だったようだ。


「お疲れ様です。調子はどうですか?」


「何度か試してみました。香り付きもありますよ。ただ、上手くできているか……」


 昨日の午後からさっそく試作を作ったらしい。形にはなっているが、熟成が足りないのでまだ使えない。明日の視察の時なら、ギリギリ使えるようになっているだろう。

 事前に確認できないのは痛いが、まあこれは仕方がない。


「ありがとうございます。明日、石鹸組合から視察が来ますので、対応をお願いします」


「え……? 急すぎませんか?」


 エマは戸惑いの表情を浮かべる。


「ですよねえ。僕もさっき聞かされたんです。僕も立ち会いますから、よろしくお願いします」


「私、まだ手順を覚えていませんよ……? レシピ通りに作るだけでやっとです」


「まあ、受け答えは全て僕が対応しますから。エマさんは顔を出すだけでいいと思いますよ」


「でしたら……分かりました。準備をしておきます」


 エマは不安げな表情を浮かべながら、不承不承に頷いた。エマが同席する必要があるのかは分からないが、実際に作業をするのはエマだ。たぶん居た方がいいと思う。



 石鹸工房はギリギリ間に合った。ちょっと悠長に構えすぎていたな。危ないところだった。エマに感謝しつつ、店に帰って明日に備える。

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