詐欺師と親切
サスペンスドラマのラストシーンのように崖の先に追い詰められ、年貢の納め時という言葉が頭をよぎった。
日本海にある自殺の名所のとある崖に立ち、三十年の人生を振り返る。
初めて騙されたのは二十歳の時だ。大学の授業料を根こそぎ騙し取られ、騙す側に回ろうと決意した。それから十年間は騙しに騙した。主な相手は、所謂悪徳企業と言われる会社や、その役員達だ。
しかし俺は調子に乗って大きな失敗をした。最後に狙った悪徳企業は、裏で危ない人達と繋がっていたのだ。あれから一年、危ない人達から逃げるだけの人生になった。そして遂に、今日……。
長きに渡る詐欺師生活の末、親も戸籍も全て捨てた。逃亡の時、稼いだ金も殆ど失った。残ったのは、犯罪者としての実績と僅かばかりの金だけだ。俺に手を差し伸べてくれる相手など、どこにも居ない。
――真面目に生きていれば、誰かが助けてくれただろうか。
派手な格好をした危ない人達に囲まれた俺は、意を決して海に飛び込んだ。
水面に叩きつけられて薄れる意識の中、いろいろな感情が押し寄せる。騙した事への後悔、騙された事への恨み、因果応報という言葉……。
――まだ死にたくない!
その思いとは裏腹に、意識は遠のいていった。
次に目を覚ました時、そこは牢屋のような殺風景な部屋だった。簡素なベッドに寝かされている。辺りを見渡すと、泥を固めたような壁。窓は雨戸がはまっていて、外の明かりを遮っている。見慣れない部屋の造りに戸惑う。
「あ……目を覚ましたようですね。具合はどうですか?」
突然扉が開き、若い女性が部屋に入ってきた。歳はまだ十代だろうか。少し幼さがあるが、大人っぽい雰囲気の美人だ。どうやらこの人に助けられたらしい。
ウェーブの掛かった長い金髪をふわりと靡かせ、俺が寝かされたベッドに駆け寄ってきた。
「助けていただいたようですね。ありがとうございます。ここは……どこでしょうか?」
女性は返事をしながら雨戸を開けた。外から眩しい光が差し込み、部屋の中を照らす。窓ガラスは入っていないようで、青臭い風が部屋の中を駆け巡った。
「シルヴァ・エティン・マレですよ。海の街マレニアです。
見かけない服ですが……遠くから流されたのですか?」
シルヴァ……なんだって? 聞いた事が無い地名だ。ロシア? あまりロシアっぽくない地名だけど……。
とりあえず日本ではないらしい。追っ手が来る心配はなさそうだな。
「かなり流されたみたいですね。その地名には聞き覚えがありません」
「マレニアをご存知ないですか……。失礼ですが、ご出身を伺っても?」
マレニアどころか、その前のシルヴァなんとかってのも知らないわけだが。
「出身は日本だけど……」
あれ? そう言えばこの人、ずいぶんと流暢な日本語を喋っているよな。
「ニホン……? 申し訳ありません、私も聞き覚えがありませんね……」
女性は不思議そうに首を傾げた。
日本をしらないのは何故だ……言葉が通じるなら、日本を知っているはずだが……。まぁ、余程おかしな流され方をしたのだろう。まずは現在地を確認したい。
「地図があれば見せてほしいのですが、あります?」
「はい。少し待っていてくださいね。
あ、お水を置いていきますので、飲んでいてください」
女性は、そう言って部屋から出ていった。
ベッドの横の小さなテーブルを見ると、不格好な陶器の水差しと木のカップが置かれていた。
戸惑って気付かなかったが、喉がカラカラだ。水はいただいておこう。
――不味いな……。
口に含んだ水は、見た目が少し濁っていて渋味があった。浄水施設が整っていない地域なのだろう。まぁ、水に関しては日本がチート過ぎるだけなんだけどな。
程なくして、ロール状に巻かれた大きな紙を抱えた女性が部屋に入ってきた。
「お待たせしました。我が家で最も高級な地図です」
女性は、自慢げに紙を広げた。くすんだ色をした、妙な材質の紙だ。触ってみると、手触りも普段の紙とは違う。地図の隅には見覚えの無い文字が書かれている。インドのヒンディー語のような文字だ。さっぱり理解できない。
改めて地形を確認するが、地球全体を写した地図ではないようだ。周辺だけで切り取られたようになっている。しかも、どうも見慣れた地図とリンクしない。
海岸線は南米のようにも見えるが……それは絶対にあり得ない。地球の裏側まで流されたら、いくらなんでも死ぬ。体の具合から考えると、流されたのはせいぜい数時間だ。
「これ……本物ですよね?」
「何を言っているのですか! これほど精巧な地図は、貴族くらいしか持っていませんよ!」
女性は、興奮した様子で叫んだ。少し気を悪くしたかもしれないな。訂正しておこう。
「これほど丁寧に書き込まれた地図は初めて見たもので。これ、手書きですよね?」
インクの滲みや線の歪さから推測するところ、おそらく手書き。丁寧に書かれているのは事実だ。
「そうでしょう? 腕の良い職人さんが書いたのです。高いんですよ?」
女性はニコリと笑って答えた。
地図職人……? そんな職業が成立するのか? この国は技術がかなり遅れているらしいな。そんな国があるとは聞いた事がないけど、鎖国中の国なのかもしれない。これ、日本に帰れるのかな……。いや、帰らない方がいいか。
この国に居れば、危ない人達が追ってくる事はない。このまましばらくこの辺りに住んでも良さそうだな。
「なるほど。僕が住んでいた場所が書かれていませんし、すぐには帰れそうにありませんね。
近くにどこか住める場所はありませんか?」
「あ……でしたら、このままここに住まれてはどうでしょうか」
女性が笑顔で答える。それは警戒心が薄すぎじゃないだろうか。弱っているとは言え、見ず知らずの男性を住まわせるのは危険だ。
「それは拙いでしょう。初対面なわけですし……」
俺がそう言うと、女性は頬を赤く染めた。
「そういう意味じゃないですっ!
……使用人を募集しているのです。うちはお店をやっていますので。お荷物も持っていらっしゃらないですよね? お金にもお困りのようですし、いかがですか?」
金……そう言えば、財布も何も持っていないな。追われている時、個人情報に繋がりそうな物は全て捨てた。どこかに住むにしても、金が無いのではどうにもならない。
「助かります。短い間になるでしょうが、ここで働かせていただきます」
労働契約とかこの国の物価とか、気になる事は多いが、仕事があるだけマシだ。
しかし、やっぱりこの女性は警戒心が薄すぎる。身分証も持たないような初対面の人間を、そんなに簡単に雇うなよ。もし俺が悪い人だったら、ゴッソリと金を盗んで逃げるぞ。まぁ、俺は詐欺師だから悪い人なんだけど。
警戒心が薄い上に人を見る目も無いな。かなり心配な人だ。
「私はルーシアと言います。よろしくお願いしますね」
「僕は大城司です。こちらこそ、よろしくお願いします。オオシロが名字で、ツカサが名前ですよ」
バリバリ偽名なんだけどね。これは最近まで使っていた偽名だ。本名は……何だっけ? 10年名乗っていないから、自分でも忘れた。
俺が名乗ると、ルーシアは難しい顔で考え込んだ。
「……その名前……。服装や聞いた事のない地名で薄々感じていたのですが、間違いありません。あなたは『迷い人』ですね……」
「迷い人? 迷子には違いないんだけど……」
「いえ、迷い人というのは、どこか分からない別の世界から迷い込んだ人の事です」
別の世界? 異世界? いやいや、それはさすがに無いだろ。ブラジルに流れ着いたと言う方が、まだ真実味があるぞ。
まぁ、ここが何処だろうが関係ない。重要なのは、危なくて恐い人達から如何に逃げ切るかだ。
「ちょっと言っている意味が分かりませんが……しばらく住ませていただきます」
この言葉に、ルーシアは笑顔で答えた。
「はい、もちろんです。『迷い人に悪人は居ない』と言われていますので、助ける事に躊躇いはありませんよ」
それ大嘘。俺は大概な悪人だと思うよ。今まで偶々いい人しか居なかっただけだ。
ここまで危機感が無い人が相手だと、逆に騙す気が薄れるな……。この人こそ悪い人では無さそうだ。しばらくここで世話になりながら、今後の事を考えよう。