九話 七位対四位
「ヤマライオウの討伐を確認しました。闇野様、お疲れ様です」
「どうもっす」
いつも通りの、えらく事務的な会話だ。
俺たちは町に再び戻り、今日対魔物ギルドに討伐の成果を告げた。
ここでは、魔物を倒すとお金が貰える。
これといって、クエストなどがある訳ではないが倒せば後はこちらで確認と諸々をやってくれるのだ。
別に、職業の縛りはない。
農民であろうが、商売人だろうが倒せばそれで良いのだ。
けれど、そんな依頼を受けるのはごく一部。
ここでは転生など関係ない、死ねば終わりだ。
ならどこの好きものが、自分の商売を放り出して、命を張るのだろうか。
「しかし、ヤマライオウを倒すとはやりますねー」
男の受付の人が、関心したように机を挟んで俺を見る。
聞けば、あの獅子もどきはそれなりの強さの魔物らしい。
俺はそんな奴を相手にしてたのか……。
古びた机の上に無造作に置かれた報酬を貰って、懐にしまう。
閑古鳥が鳴いてるような、そんな寂れたギルドで対応してくれるのいつもこの人だった。
「近頃、魔物増えてませんか?」
「そうですね。事実大型魔物の討伐を聞くようになったのも最近です」
会話ついでに気になった事を聞いた。
どうやら最近は大型の魔物が増えているらしく、この町の対魔物ギルドも頭を抱えているらしい。
「この町はどちらかと言えば商業の町でしょう? なので、魔物があちらこちらに現れると困るんですよ」
はぁ、と大きなため息と共に手を額に打つ。
ここのシステムも随分慣れ、俺たちのパーティはちょっとした常連になっていた。
徐々にここの人達も俺たちの質問に答えて、情報をくれる。
「原因は何なんですか?」
「恐らく、魔王の管轄していた魔物が暴れているんでしょう。知ってますか? 七位の魔王を」
知ってるも何もそれは俺だ。
けれど残念ながら、七位の俺に魔物を管轄する力はない。
恐らく俺より序列の高い魔王が管轄している魔物だろう。
全く迷惑な話だ。
「ええ、まあ」
「どうやら職務を放棄して農作を始めたともっぱらの噂でね。魔物組合が血眼になって探しているとか。そこで一人の魔王が駆り出されていて、こちらまで来ているらしく。それで、その魔物の所為ではないか……と」
俺は机を挟んで喋っていた受付を二度見した。
……え、七位の為にそこまでやるのか。
でも、考えてみれば当たり前だ。
魔王を七人、それを組織化していたのに末端が職務を放棄して逃亡。
全体を管理している組合からすれば俺たちの方が、迷惑極まりない行動である。
「そもそも、魔物組合ってどこまでやるんですかね」
「さぁ? 噂によれば、魔王達よりもなおタチが悪い。一度入れば二度と抜けられないと言われている、とんだブラック組合ですよ。名目は人間との一定の距離を保った共存ですから。まぁ、それもどこまでが本当なのか……!」
寒気が走る。
ペロッ、これは馬車馬のように働かせる、悪魔的組織の味!
「へ、へぇ。その魔王って?」
「序列四位、獅子女王らしいです」
よ、四位……だと?
というか、まず二つ名からして俺と違う……。
「獅子女王、ですか……」
「性格は怜悧にして、潔白。魔王というより騎士王とか、そういう言葉が似合うと聞いた事があります」
そういう奴って大概俺みたいなのとそりが合わないんだよなぁ。
白く塗装された机の傷を眺めながら、俺は町を出る準備をする事を決める。
兵は神速を貴ぶ、と言うしな。
逃げるんではない、これは準備を整えると言うのだ。
「四位、ですか」
宿に戻りその話をすると、エクシスが苦虫を噛み潰したような顔をする。
綺麗な顔がくしゃくしゃと丸められた紙の様になった。
「知ってるわよ。獅子女王だっけ」
「ええ、私も一度だけお見かけした事がありますが。見てるだけで光に押し潰されそうな、とても魔王とは思えない人です」
あいにくリザと俺は見た事も聞いた事もないので想像でしか分からない。
一部屋に所狭しと置かれたベッドに腰掛けながら、俺は告げる。
「とにかく、今はまだ早い。明日にはここを出るぞ」
次の日の早朝。
俺たちはまだ早い時間から出発の準備を整えて、宿を後にした。
ケルベロス(馬)を引きながらリザは寝ぼけ眼を擦っている。
朝日がまだ完全に昇りきっていないが、充分に足元は見えていのでさしたる問題ではない。
全員、姿を大きなローブに包みゆっくりと歩き始めた。
「くそっ、ようやく馴染んで来たところなのに」
「そうですね。徐々に情報なども集まった所でしたから。……惜しいです」
声と共に馬の蹄の音が響く。
人はまだ朝早いのか、殆ど居ない。
端から見れば完全に不審者の一行だが、あまり人に見られるのも困るので仕方ないが、少し寂しさを感じる。
ゆっくりと、けれどしっかりした足並みで俺たちは前へ進んでいく。
しばらく歩き続けているとふと、見慣れない何かが視界をよぎった。
「な、なんだあれ!」
俺はあまり整備されていない道の両端にある草原に目を奪われた。
「ッ!!」
「あれは、獅子ですか?」
ケルベロスとほぼ変わらないサイズの獅子に跨り、颯爽と近寄ってくる何者か。
俺たちは歩いているとは言え、距離を一気に縮めてくる。
速さでいっても、あの獅子はケルベロスとほぼ同速だろう。
「あれは、四位です!」
「……だよな。ライオンに乗る奴なんて絶対変な奴しか居ないよな。何となくだけど、そんな気はしたよ。……とりあえず俺が何とか誤魔化すから、お前たちは静かに頷いてくれ」
あんな派手で目立つ格好、俺だって馬鹿ではない。
あれが、かの獅子女王と気付くのにそう時間はかからなかった。
それにしたって何てタイミングの悪さなのだろうか、完全に早朝出発は裏目に出てしまったようだ。
「そこの御仁ら、待たれよ!」
綺麗な声だ、どんな距離があってもきっとその声はこちらまで届くだろう。
声から気高さと、力強さを感じて俺は総毛立った。
俺は渋々頭に被っていたローブを取り、獅子女王に頭を下げて挨拶する。
「引き止めてすまない! こんな早朝からどこへ?」
「私達は旅の者で、昼の暑くなる前に次の町へと行こうとしていた所です」
綺麗な腰まで届きそうな長い黒髪だった。
まるで、それは一種の飾りと言われても信じてしまうだろう。
まだ完全に明けきっていない薄明かりの中、背に陽を浴びて髪をなびかせるその姿に、思わず俺は目を奪われた。
獅子は丁寧に女王を降ろすと、大人しく後ろに下がる。
真紅の瞳はルビーか何かで出来ているのか、見つめられれば全て正直になってしまいそうだ。
大人びた表情と、騎士のような甲冑を胸と腰に。
とても重そうな西洋剣を二対、同じく腰にぶら下げていた。
「なるほど。おっと、自己紹介が遅れたな。私は四位の魔王、レイオン・レッドハートだ」
「魔王様?」
「おっと、そう怯えないでくれ。魔王なぞ謳ってはいるが、心は騎士であるゆえ。……最近ここらで、わたしの魔物が迷惑をかけているらしく、御仁らにも注意を促しておこうと思ってな」
ま、眩しい。
レイオンは爽やかに笑うと、俺たちの身を案じてくれた。
けれど、その声、態度は俺にとっては眩しすぎる。
だらだらと服の内側で汗が噴き出ているのが分かった。
気圧されているのだ。
潔白で美しいその女王は、まるで全てを分かっているようで。
初めて死や痛み以外で、怖いという感情を抱いた。
「それは、ありがたい事です」
「ふむ、御仁らは旅をしていると言ったな。もしや、旅の勇者か何かか?」
「いえいえ、本当にただの旅人です」
そう答えるのが精一杯だった。
今は、声を発する事すらも厳しい。
太陽にジリジリと焼かれているようで、口の中は乾ききっていた。
「そうか、勇者であればまた手合わせする機会もあると思ったのだがな。残念だ。……ところで」
まだ何かあるのか。
早く、早く、早く、早く。
去ってくれ、去ってくれ!!
ここまで何かに祈った記憶もない。
けれどそれすら見透かしているようで、レイオンは俺のローブを撫でるように掴んで言った。
「……声が上ずっているぞ。その魔力の循環、私たち魔王に酷似している。ようやく、ボロを出したな。やはり間違いはなかったらしい。……七位の魔王は、ーー貴殿だな」
「……っ!! リザ、ケルベロスに戻せ!!」
その一言で充分だった。
ボウリングの球でピンが弾かれるように、全員が俺の一言で一気に動き出す。
「逃がさんよ!」
俺が町に着いてから、何もしなかったと?
槍なら少し使えるようになったぞ。
槍を躊躇いなく抜き、女王目がけ、一瞬で穿つ。
「割と悪くないな。けれど、魔王が勇者の真似事か? 笑止! さぁ……七位! 今すぐ己の職務に戻れ!」
見るまでもなく、女王は言葉を発しながら華麗に躱す。
俺だってそんな事は、百も承知だ。
「うああああ!! ああああっつ!!!」
こんな所で捕まってたまるか!
槍を向けた事で、ローブからレイオンの手が離れている。
ーーここしかない!! 躊躇えば、もう戻れない!
怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い。
今、自分が何をしようとしているのか。
考えれば考えるだけ、おかしくなりそうだ。
人やモンスターに攻撃され傷付けられるのとは、文字通り訳が違う。
ーー俺は、自分で自分自身の腹を穿つのだ。
「ふぅ、っぐらああああ!!!」
俺は槍を逆さに構え、己の腹部に目掛けて、渾身の力で貫いた。
「なっ! おのれ、貴様!! 自害する気か、七位!!!」
「お、驚いた、かよ……ッく、はぁ、はぁ」
ああ、何て狂気の沙汰だ。
俺の口から鮮血が、これでもかと溢れ出る。
喉に張り付く血は、呼吸すらさせてくれない。
けれど、この腹を劈く痛みは酷いが、存外悪くはない。
……一泡吹かせてやったのだから。
先に言っておくが、俺は自害する気も、この場から退く気も一切ない。
その綺麗な顔を、歪めれればそれで良い。
「ケルベロスの準備出来ました、皆さん捕まって下さい!」
「さ、先に行け、ッガ……! り、リザ!!」
「目的はそっちか! ……逃すな、グレッチェン!」
リザ達は、ケルベロスに跨りながら逃亡を開始する。
こちらのケルベロスとそちらの獅子なら、スタートの差で追いつけまいと踏んだ。
事前の打ち合わせなしに、よくぞ動いてくれたと穿いたせいで、痛む腹を抑えながら俺は笑った。
「仲間を逃すか、その姿勢は感服する。む、さすがに……痛みで気絶したか。死んでも新しい魔王が七位のお前の跡を継ぐ。……けれど、ここで死ぬのは惜しい男だな」
そう言いながら、レイオンはゆっくりと倒れた俺に近付いて来た。
一歩近づく、まだだ。
二歩近づく、まだ早い。
三歩近づく、もう少しだ。
四歩近づく、ここだ!!
「ッ……ふぅ……よ、ようやく、捕まえた、ぞ。な、七位、七位ってお前は、うるせーん、だよ」
「……!!」
俺は、途端に目を見開いて四位をその場で引きずり落とすように、右手でしっかりと掴んだ。