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幸せになりましょう

作者: 栩堂光



クリスマスという日をめがけて、何故か日本中の人々は幸せになりたがる。とても不思議な慣習だけれど、見ている分にはあんまり悪くないと思うのだ。



「(…それにしたって節度は守ってほしいもんだ)」



まだ日も落ちきらぬ黄昏色の街を歩く山崎は、街角に立ち止まって愛を囁きあう(つがい)達に苦笑いを浮かべてしまう口元をマフラーにそっと埋めた。隣県に就職してから久しぶりに戻る地元はそれほど変化を見せていないはずなのに、何故か山崎にはとても新鮮なものに映った。


季節は冬。12月の半ば、クリスマスというイベントに街は浮き足立っている。キリシタンの人間にとっては崇高なイエスの誕生日であるのに、日本人というものはそれすらありとあらゆる形で利用して騒いでいる、どこかちょっぴりおかしい民族なのだった。

街路樹の並ぶ大通りを抜けて左。そこにある、彼が高校生の頃からずっと使っていた小さな喫茶店が、今日の待ち合わせの場所だった。昔と変わらない店構え、その入り口の両隣にはそれぞれ雪だるまの置物とてっぺんが肩の高さまであるそこそこ大きいクリスマスツリーが置いてある。目を細めつつ腕時計を確認すると、まだ約束の時間よりも十五分ほど早い。先に入っていても構わないだろうと、山崎はリースのかけられた喫茶店のドアを開けた。



「いらっしゃいませ」

「……」

「何名様でしょうか?」

「あ、ああ。二名です。もう一人は後から来ます」

「かしこまりました。ご案内致します」



軽快なドアベルと共に山崎を出迎えたのは黒髪の青年で、思わず店の名前を確認した。内装も変わっていない。山崎が地元を離れるまでずっと初老のマスターが一人で経営していたはずだったので少し驚いた。窓側にある二人掛けの席に通され、とりあえずコーヒーを頼んだ後にカウンターを覗き見れば、見覚えのあるマスターがカップを磨いていた。少し安心した山崎は、思い出して上着を脱ぐと腰を落ち着けた。


あたりを見回すと、人数も年齢層もまばらな客達がそれぞれの時間を楽しんでいる。今日という日に合わせたのかクラシックのBGMが流れており、店内のシックな雰囲気をより穏やかにしていた。



「今日はありがとう、誘ってくれて」



すぐ前の席の少年少女が、そんな会話を始める。見た目は高校生くらいだろうか。誰とも知らぬ二人きりの会話を聞くのは無粋だと思った山崎は、鞄に入れていた手持ちの文庫本を開いた。しかし自分の中にこっそり巣食う野次馬精神が無理やり耳を傾けさせる。まだ心だけは若いみたいだ、なんて、そんなことを考えながら。



「いいよ。むしろお礼を言うのはこっち。こんな日に俺と過ごしてくれてありがとう」

「…お礼返しする前に、ちゃんとこっちのお礼も素直に受け取ってほしいんだけど」

「あはは…それじゃ、どういたしまして」

「うん。じゃああたしも、どういたしまして」



どことなく甘酸っぱくて青い雰囲気に文庫本からチラリと視線を外す。山崎の位置からだと、少女の背中と少年の頭が見えた。少女の背筋は自然に伸びているが、少年の方は不自然に肩が少し上がっている。会話に際立って出ているわけではないが、緊張をしているのだろう。どうやらこの二人はまだ恋人ではなく、少年が片想いをしているという形らしい。そこまで邪推をして、また文庫本に目を落とした。

…職場の同僚から無理やり薦められたとはいえ、携帯小説はやはり好かない。こういうものを読んでいて許されるのはそれこそ高校生くらいじゃないだろうか。いや、誰に許されるわけでもないが。

胸の中でそんなやり取りをしてから、ずらずらと横文字で並ぶ、ドラッグに手を染めたり都合良く記憶喪失になったりすぐに死んだりするシナリオにため息をついて、本を鞄に戻す。そしてまた別の文庫本を取り出した。


本を読み進めて少し経った頃、不意にガタリと目の前で音がした。腕時計に目を走らせても、待ち合わせまでにまだあと五分は余裕があった。山崎が目線を上げると、前に座っていた少女の姿がなく、少年が深々とため息をついてテーブルに突っ伏すのが見えた。ドアベルが鳴らなかったのをみると、どうやら少女の方がトイレに行ったらしい。

やはり相当緊張していたようだ。予想が当たったという事と、目の前で全力で青春をしている少年の姿とが相まって、山崎は思わず口元を緩めた。



「はぁ……あ、」

「!」



そしてバチリと交差する視線。


しまった、と思うより先に、少年の方が小さく笑って会釈をしてきた。覗き見たことを怒るでもなく、態度を苛つかせて空気を気まずくするでもないその対応に、山崎はその少年がまだ学生で子供であるという認識を改めた。


だから、その所為なのだろう。余計に口を開いてしまいたくなったのは。



「君は本当に好きなんだな、あの子が」

「え、」

「緊張してただろう。さっきからずっと」

「あー…分かりますか」



苦く笑う少年は山崎に警戒心を持たず、少しリラックスした声色で話しかけてきた。あの子にもそうしてやればいいのに、だなんて事は言わない。出来ていたら最初からそうしているはずだからだ。

それでも、少女が座っていたその席を見つめる目は学生とは思えないほど大人びていて、優しい。



「ずっと好きで、やっと見てくれたもんだから…頑張りたいんですよ」



堪らなく愛しさが込められた声も優しいけれど、ふと我に返って恥ずかしさにしどろもどろとしている様子はとても若者らしい。さて自分にはこんなきらきらした青さはあっただろうかと、山崎は顎に手を当てながら思案した。



「お兄さんは彼女さんと待ち合わせですか?」

「ん?」

「だってこんな良い所に、男友達とわざわざ二人で来ないでしょ」



頬杖をついてズバリ言い当てた少年は、ここって本当に落ち着きますもんね、と店内を見回しながら笑って続けた。


そんな少年に重ねたのは、もう何年前かにここを訪れた自分と、まだ恋人という関係になる前の彼女の姿。



「…何の役にも立たないかもしれないが」

「?」

「俺はこの店で彼女に告白して、今に至る。だから、」



頑張れよ。少年。



そう言うと少年は驚きに目を見開いてから吹き出すと、今までで一番気を楽にした笑顔で、ありがとうと言った。


丁度良いタイミングで、少女がトイレから戻って来る。すると山崎の頼んでいたコーヒーもまるで示し合わせたかのように運ばれてきた。さっきの青年が綺麗な所作でコーヒーと、それからマシュマロで出来た雪だるまが乗った皿を目の前に並べた。雪だるまの乗せられた平皿の空いた部分には、チョコレートソースで"Merry Christmas"と書かれている。



「これは?」

「マスターのサービスだそうです」



青年が楽しそうにカウンターの方を見る。釣られて視線を向けるとマスターが悪戯っ子のような笑みを浮かべて山崎に手を振っていた。それに慌てて会釈を返す。どうやら彼も山崎のことを覚えていたらしい。ちらりと青年を見ると優しく微笑んでいて、山崎は少しだけ気恥ずかしくなった。


ごゆっくりどうぞ、と言葉を残して青年はカウンター席に併設されたレジの方へ戻っていく。その青年をカウンター席に座るハーフアップの女性が呼び止めた。二人は慣れた様子で会話を交わした後、青年は周囲の客の目を盗んで女性の頭を軽く撫でてから、今度こそレジの方へ戻っていった。今思えば、コーヒーを並べていく青年の左手には指輪があった。だとすれば相手はきっと彼女なのだろう。

店に入ってから見つける小さな出会いと発見に、不思議と胸の奥が暖まる感覚がして、ドアベルが鳴るのを背後に、山崎は微笑んだまま人差し指でやわらかい雪だるまを突いた。


それから、カタリと控えめな音と共に引かれた正面の椅子に、視線を上げる。



「待たせてごめん、由隆(よしたか)さん」



息を切らせた彼女が、コートを椅子に掛けながら潜めた声で言った。鼻と頬が赤いのは、外がまた少し冷え出した証だった。



「別に走らなくても良かったんだぞ。折角めかし込んで来たんだろうに」

「化粧よりも何よりもあたしは早く由隆さんに会いたかったの!…電車さえ遅延しなかったら完璧だったのに」

「お前なあ……まあいいか。ありがとうな。急いでくれて」



山崎は穏やかに笑って、久しぶりに会うと素直になりすぎる恋人の、走ったせいで乱れている猫っ毛を撫でて直してやる。くすぐったいよ、と言いながらも幸せそうに笑う彼女も、ここで結ばれた時より随分と大人びて綺麗になったと心から思えた。彼女の分もコーヒーを頼もうとレジの方へ顔を向ける、と



「ありがとうございました、またのご来店をお待ちしております」



響いた青年の声。よく見れば、あの少年と少女が会計を済ませたところだった。二人がもう店を出る、というところで、また少年と視線が交差する。少年は強気に微笑んで親指を突き出した。それに山崎が頷いてやると、晴れやかな顔つきで店を後にした。きっとあの子達は上手くいく。根拠のない、しかし確信めいたものが山崎の中に込み上げた。


今度こそ青年を呼んでコーヒーを注文し、それでも尚機嫌の良さそうな恋人の様子に彼女は首を傾げる。



「…高校生の知り合い?」

「冴が来る前にちょっとな」

「ふうん、そっか」

「なんだ?」

「由隆さん、なんかすごく楽しそうだから。あたしが来る前によっぽど良いことでもあったみたい」



ふふ、と声を漏らす彼女に肯定の返事を返して微笑む。



「大学の時に告白されてから、あんまり来てなかったけど変わってないね。ここも」

「ああ」



外にはもう帳が降りている。店の外のツリーのイルミネーションが、濃紺の夜に鮮やかに映えていた。


クリスマスというイベントに乗じるのは好きではないはずだった。でもきっかけとして利用させてもらうつもりだったから、俺もあの街角にいたカップル達と何も変わらないのかもしれない。



「なあ、冴」

「うん?」

「結婚するか。俺たちも」




君と始まったこの場所からまた、

幸せになりましょう。

とあるツリー企画に提出したものを再掲。

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