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八月の紫陽花  作者: 鷹羽慶
第二章 : 青い瞳
8/60

3:有名人

 窓側の二人席。丸いガラステーブルの上にはコーヒーが二つ、シフォンケーキ、チョコたっぷりのエクレア三つ、フルーツパフェに苺のタルトが所狭しと並び、色鮮やかにテーブルを飾っていた。コーヒーはともかく、スイーツ類はすべて紫陽花(しょうか)が注文したものである。

「……お前、本当よく食うな」

 角砂糖を一つ放り込んでクルクルとかき混ぜながら、竹織(たけおり)は完全にドン引いた呻きを漏らした。パフェを五分足らずでやっつけると、紫陽花はろくにひと息も入れずにエクレアへと向かう。

「そぉ? だって私、学校じゃ結構有名なグルメだったのよ? 甘いものは特にね。その性はたとえ死者の世界に来ようとも変わりはしないわ」

 慣れた手つきでチョコがかかっていない僅かな部分を持つと、クリームが溢れないよう器用に食べる。無駄のない流れるようなその動きは――大袈裟だろうが――一種の芸術だった。

 完食した皿を隅へ押しやって、ミルクを入れたコーヒーを啜った。至福の表情でゆったりとくつろぐ少女を、竹織は半ば呆れ顔で眺めていた。これでもまだケーキが二つも残っていると言うのだから恐ろしい。

 二人が居るのは天国の塔(ヘヴンズタワー)の一階、東側に位置する丸く突き出た部分、食堂である。食堂と呼ぶにはあまりにも広く洒落た造りだった。ホールと呼んでも差し支えない、全面ガラス張りの空間は温室のように光を燦々と取り込み、反射光にシャンデリアが煌めいている。中央には蒸留釜を流用した屋根の厨房が構え、三六十度全面カウンターからは忙しく動き回る料理人達が窺える。そろそろ夕食時が近づいてきているのもあって、食堂は徐々に人で溢れ始めてきている。

 隔離されていた部屋を出た後、いくつかの部屋を案内された。案内といっても図書室や大広間といった主要箇所に絞られていたが、一本道が多く、想像より遥かに長い距離を歩かされることになった。結局、しびれを切らした紫陽花が休憩したいと駄々をこね、食堂へ立ち寄ることになったのだった。

 ごっくんと喉を鳴らしてようやく空になった皿の数々に竹織は頭を抱えた。向かいに座るこの娘の胃袋は一体どうなっているというのだ。

 扇のように緩やかな弧を描く食堂からは、鮮麗な庭園が一望出来た。極力目立たぬ様、食堂のあちこちに置かれた観葉植物の陰になる席を選んだつもりだったが、無意味な配慮だったようだ。耳打ちする者、指を差してくる者、ガラス越しに庭から視線を送る者。深紅の双眸があちらこちらでチカチカと輝いていた。

「やだ。私って結構有名人?」

 周囲から容赦なく刺さる視線に、紫陽花は締めのコーヒーを飲むのを止めた。

「まあな。青目の娘などさぞ珍しかろう」

「……いい気分じゃないんだけどな。陰からコソコソ見られるってのは……」そう言いつつ、アニスの言葉を思い出していた。「赤目は死者の証、か……」

 困った顔でコーヒーを飲み直す紫陽花を、竹織は目線だけを動かして捉えた。

「見られているのはお前だけじゃないがな……」

「え? 何か言った?」

「別に」竹織は身体を起こした。「それはそうと、お前に渡しておくものがある」

 そう言うと、懐から渋い青色の携帯電話を取り出して紫陽花に放ってよこした。柄のない折りたたみ式の携帯電話は新品のようで、艶のある光沢が出ていた。

「うわ……何この色。どこのメーカーよ? 今時、折りたたみ式とか、簡単操作のやつでも珍しいくらいなのに」

 紫陽花は文句たらたら、ひとしきりの操作を確認した。問題なく動くようだ。

「ここには年寄りしか居ないからな」

 危うく聞き逃してしまうほど当然のように竹織が言った。紫陽花はふと引っかかる物を感じ、恐る恐る囁いた。

「……あんた、一体いつの時代の人?」

「さあな、忘れた。お前、社会科が得意なら分かるんじゃないか? まあ、俺が生きてた頃は日本地図なんてのはまだ無かったな」

 そのまま静かにコーヒーを飲む竹織に紫陽花は頭を抱えた。習った限り、地図が出来たのが約二百五十年前。ということはそれよりも前の年代……。

「偉人!?」

「俺は凡人だ」間髪を入れずに竹織は言った。

「チコリ、見た目子供じゃん」

「死んだ時のままだから当然だ――おい、なんだ、そのふ抜けた響きは」

 よくぞ聞いてくれたとばかりに紫陽花は得意げに語りだした。曰く、「たけおり」が呼びにくいからとあだ名をずっと考えていたらしい。そうして行きついたのが「ちくおり」を訛らせた「チコリ」だという。音訓をごったにしているとか色々言いたいことはあるが、彼女はそんな細かいことよりも可愛い響きが気に入ったようだ。

「却下だ!」

「えー? いいじゃない。相方として仲良くなるためには大事なことだって」

「そんなものは要らん!」

「恥ずかしがらなくていいのよー。分かった。じゃあ、チコにするね」

 竹織はまた反論を試みたが、すでに紫陽花の意識は次へ移っていた。照れ屋だのちょっと嬉しいくせにだの、一人で好き勝手に言っては時折こちらを見て笑う。竹織は不完全燃焼といった苦々しげな表情を浮かべたあと、大きくため息をついて諦めた。

「そんな昔の人が、よく社会科なんて言葉を知ってるよね。見た目もそれだし……違和感だらけで頭パンクしそう」

「死神やっている以上、時代にはついていかないと話にならん。最近はアイティーだの略語だの特に大変だ」

「あ。じゃあ『カステラ』じゃなくて『カステイラ』なタイプ?」

 面白がって訊ねる紫陽花を竹織は無表情で見つめ返す。

 そしてただ一言。


「Pode falar, se é português.(ポルトガル語なら話せるぞ)」





「…………………………マジ?」








 蒸留釜から深みのある匂いが漂い始めてきた。食堂の空席が目立たなくなりつつある。

「戯言はこれくらいだ」

 竹織は腕を組み姿勢を正した。

「アニスから大凡聞いているとは思うが、お前はここにいる限り死神として仕事をせねばならん。具体的には死亡予定の奴に死期を伝達する仕事だ」

 紫陽花は俄かに【死の電話(デスコール)】騒動を思い出した。話題になり始めてまだ一年にも満たないが、頻繁に報道される為に関心が薄れてきている。紫陽花自身、内原緑都の件がなかったら、今でもただの悪質な匿名イタズラ電話だと思っていたに違いない。

 その電話を、自分がかけることになろうとは。

 でもこれで――

 紫陽花は携帯を握り締めた。心は決まっていた。

 これで【死の電話】に関して何か手がかりが掴めるかもしれない。

「分かったわ」

 力強い返答に、竹織は意外そうに目を僅かに開いた。

「随分と物分りがいいな。怖気付くかと思ったが」

「女は度胸よ」

「……いいだろう」

 竹織は口の端をほんの少し釣り上げた――ように見えたが、すぐに手にしたカップの陰に隠れた。

「正規の死神ではないお前に『狩る』のは無理だ。そこは俺がやるから心配は要らん」

「じゃあ、私はただ電話すればいいのね」

「……そういうことだ」

 あまりに噛み砕かれた解釈に竹織は一瞬言葉を失った。

 果たして人間とはこんな生き物だっただろうか? とりわけ死にたがる輩のほかは、生に執着、あるいは死に恐怖するのが普通だと思っていたのだが。目の前の娘はそんな素振りを見せるどころか、この俄かにも信じがたい状況下をいとも簡単に受け入れ、二つ返事で死神業務を請け負った。……まったくもって調子が狂う。

 当の本人はというと、芸能人さながらににっこり笑って周囲に手を振っていた。案外満更でもないらしい。竹織の心配など取るに足らず。すっかり馴染んでいる。

「近年の女とはよく解らん……」

 ため息交じりに呟いたその時、軽いアラーム音が空を切った。

 直後、それまで遠巻きに騒がしかった死神達がシンと静まり返った。一瞬にして張り詰めた空気など気にも留めず、竹織は弄んでいた携帯の画面をチラと見るとあっさり懐にしまい込んだ。

「どうやらお前の初仕事だ。行くぞ」

 端的に言い放つと、紫陽花には目もくれず、自分のカップだけを返却して足早に食堂をあとにした。


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