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八月の紫陽花  作者: 鷹羽慶
間一章
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死神王

 天国の塔(ヘヴンズタワー)最下層。ひんやりとした空気は無意識に神経を研ぎ澄ませた。

 岩肌が剥き出しの鍾乳洞は、奥へと伸びる一本道以外なにも無い。その道も大人がギリギリすれ違える程度の幅しかなく、両側は絶壁。至って自然体のまま、ごつごつした感触が足裏から伝わってくる。気を緩めれば下に広がる闇へ吸い込まれてしまいそうだ。間隔の空いた水滴の音が、どこからか高らかに響いていた。

 その鍾乳洞の最奥で、二人の死神は落ち着かない時間を過ごしていた。

 粗いながらも整地された、丸く拓けた場所だった。ぐるりと囲まれた松明の炎に照らし出されて、いかにもただの広場ではないと主張している。中央に設けられた祭壇には、磨き上げられた水晶の椅子がただ一脚、凄然と据え置かれていた。

「遅い……。遅すぎる……」

 くすんだ藍色の髪をした小柄な男は意味もなく祭壇の前を歩き回り、眼鏡をかけた女は少し離れたところで、今にも倒れそうな青い顔で立ち尽くしていた。

「……やはり、間違っています……。こんな事をしても……」

「それほどまでに手強いということか……?」

 女の言葉を無視して、男はぶつぶつと呟く。

 小柄な男の足音に別の足音が加わったのはその時だった。


 シャラン。


 鈴の音に、二人は同時に振り返った。

 暗闇の向こうから気配はゆっくりと近づき、大きくなってくる。女は息を呑み、男の毛はざわざわ逆立った。

 やがて松明に姿を暴かれると共に、その人物は歩みを止めた。

 前髪を上げ、床まで届く長い後ろ髪を首もとで細く一つに結った銀髪の死神が、血のりにまみれた大鎌を担いで立っていた。待ちわびた表情で跳ねるように寄ってくる小柄な男を、深紅の相貌が静かに捉えている。

「ああ、御苦労様……! 私としたことが、少し心配になってしまっていたよ……。だが――事は済んだみたいだな」

 視線など気にも留めず、男は猫なで声で言う。その横で女は「ひっ」と小さな悲鳴をあげた。眼鏡の奥にははっきりと恐怖が映っている。

 銀髪の握る大鎌と左の握り拳を交互に見やると、男の口がいやらしく吊上がっていく。

「……これが欲しいんじゃろう?」

 地鳴りのような低い声だった。銀髪は握っていたものを放って寄越すと、きらりと輝く残像が、綺麗な放物線を描いて男の手に吸い込まれた。

 ゆっくりと開いたその手には、百合を模った紋章――王帝石おうていせきである水晶で作られたそれが、赤黒く煌めいていた。

 一瞬の沈黙。

 そして――


「アーッははハハハははははははハハハははっはハハッハははハッハはハッハははは!!」


 男は勝ち誇った笑い声をあげた。甲高く、狂った笑い声。部屋全体に反響して広がるその声は、嘲笑の嵐として三人に降り注ぐ。女は思わず耳を塞いだ。

「奴はッ……王は死んだッ!! 殺されたッ!! 殺したッ!! たった一人の死神にだ!!」

 目の前で踊り狂う男を、銀髪はただ黙って眺めた。

「私の勝ちだッ!! 私の頭脳が! 策略が! 愚かな王に打ち勝ったッ!! これで王の座は私のものだ――――!!」



 ガシャンッ。



 男から喜びの表情が消えた。男の肌を掠めるように飛んだ銀髪の大鎌が、鈍い色を放って床に突き刺さっていた。

「――なんの真似だ?」

 銀髪を睨みつけて、男は低い声で問う。銀髪は表情一つ変えずに呟く。

「これきりじゃ――儂はこれきり〝狩る〟ことを絶つ」

「ほう」男は大鎌をちらと見た。「好きにしろ。お前の言う望みとはそれか?」

「いや。これは儂のけじめに過ぎんが――なんじゃ、聞いてくれるのか?」

「二言は無い。それに、事が事だ。それくらい聞いてやらねば割に合わんだろう?」

「たまにはお前さんも正論を言うんじゃのう」

「失敬な奴だ」男はフンと鼻を鳴らした。

 銀髪は懐からペンと一枚の小さな巻紙を取り出して男に手渡した。男は取り上げるように受け取るとすばやく広げた。何の変哲もない誓約書だ。上の欄には銀髪の名前が既に書き込まれ、下の欄には男の名が書けるよう空けられていた。

 そして、誓約内容は――

「金輪際、儂の家系に一切手出しをしないでもらおう」

 銀髪は低く、しかしはっきりと告げた。

「なんだ、そんなことか。いいだろう」

 思いのほか簡単な望みに、男は二つ返事で署名をした。銀髪にそれらを返すと再び喜びの余韻に浸るべく、紋章を胸に抱いてくるくると踊り始めた。

「確かに」

 誓約書を確認して丸め直すと、銀髪は放心状態で立ち尽くしていた女に手渡した。

「これは、お前さんが証人として預かっといてくれ」

 突然差し出された巻紙に、女は不安と驚きを隠しきれない様子だった。確認するように恐る恐る銀髪を見上げると、そこには鬼の形相ではなく、厚い信頼の眼差しがあった。

 女は一瞬躊躇って、そして、ゆっくりと頷いた。

 巻紙を託し、銀髪は何事もなかったかのように踵を返した。遠ざかっていく足音。行く当てのないはずの銀髪の足音は、低く重く、確かにどこかへと向かっていた。

「待って!」

 女は無意識に叫んでいた。そして、暗闇に消え入ろうとする銀髪の背中に問いかける。

「あなたは……あなたはこれでいいのですか? 自ら過ちを犯してまで……それで何か得られたとでも言うのですか?」

「そんなもんはありゃせんよ」

 銀髪は立ち止まった。噛み締めるように呟くその言葉は、おそらく彼の最後の叫びだろう。振り返った立ち姿に、彼特有の威厳は、もう無い。

「儂はただ、駄々をこね、わがままを言っただけじゃ。儂があ奴にしてやれることはもう無いじゃろう。……少々面倒臭い男じゃが、あ奴も一人では寂しがるでのう。お前さんがそばで支えてやってくれ」

 煮え切らない思いを拭いきれないまま、女は続ける。

「こうなることは……あなたなら最初から分かっていたはずです……。どうして……」

「どうしてか……。それは儂にもよう分からんのじゃが――」

 銀髪は困ったように頭を掻いていたが、やがて吹っ切れた表情を浮かべた。

「儂とあ奴はいつ何時も、良い悪友(・・・・)だったということじゃろうな」

 それだけ言うと銀髪は歩き出し、振り返ることはなかった。足音が聞こえなくなっても、女は縛られたようにその場に立ち尽くしていた。

 託された巻紙は、まだ微かに温かさを帯びている。

 男の笑い声だけがいつまでも耳に木霊していた。



  *   *   *



 先代王が殺されたという事実は瞬く間に知れ渡った。

 松明に照らされた広間は、集められた死神で埋め尽くされた。鍾乳洞独特のひんやりとした空気も緊張と興奮に溢れかえり、まったく別の様相を呈していた。

 祭壇の中心に、変わらずその存在を示している水晶の椅子。だが、そこに身を委ねる人物は昨日までと違う。

 くすんだ藍色の髪の男が、静かに瞑目して腰を据えていた。その両脇には、黒のローブを纏い、フードを目深にかぶった人物が、それぞれ杖を従えて立っている。

「――静粛に」

 右側に居た背の低い死神が、太陽を模した杖を片手に、高く重みのある声で言い放つ。ざわめく群衆は一瞬にして静まり返った。

「これより、死神王の即位式を執り行う。その身を仕えし者、前へ」

 ひざまずく死神達の一番前にいた眼鏡の女が、満たされた水盆を手に祭壇の前へ進み出た。男と向かい合うと差し出すように水盆を掲げ、再び片膝をついた。

 両脇の死神が杖をトンと打ち鳴らしたと同時、水盆の水がひとりでに湧き出した。

 水が弾けた音が響くと同時に、松明の火が一斉に消えた。寸分も見えなくなった次の瞬間、鍾乳洞はまるで深海にいるような幻想的な光景に変化した。水が緩く波打った、透き通った青白い光が、投影されたように岩壁を下から上へと昇っていく。最上まで行き着くと、滝のごとく祭壇の椅子めがけて飛び込んだ。

 再び暗闇となった空間に、水晶の椅子と男が輝かしく浮かび上がる。


 新たな死神王が誕生した。


 松明がすべて点され、広間は何事もなかったかのように元通りになった。唯一違ったのは、女が手にした水盆が空っぽになっていることだけだった。

「此を以て、貴殿を死神王と認め、汝をその秘書と任命します」

 祭壇左の、月を模した杖を手にした死神が子守唄のような心地よい声で告げた。面をかぶっているのだろう、僅かにこもった響きを持っていた。

 祭壇へ促され、眼鏡の女は水盆を預けて背筋を正した。男の一歩後ろから死神達を真っ直ぐ見つめるその姿は、凛々しいながら、どこか物悲しさを感じるようでもあった。

 男はゆっくりと目を開け、立ち上がった。小柄な体つきを忘れさせる貫禄を帯びたその姿に、この場にいるすべての者が目を奪われた。

「親愛なる我が同胞達!」

 ずっしりした声が、轟いた。

「多くがこの場に集い、時間を共に出来たことに私は心より感謝する」

 張り詰めた空気。死神達は食い入るように男を見つめ、その言葉に耳を傾ける。

「先代の悲しき知らせに、皆驚いたことだろう。此度の事態は、誰もが予測し得なかったことであり、常に我々を想っておられた大王には防ぎようのなかったことである。大王の御心をも踏み躙った裏切り者は、すでに監獄へと収監された。だが、失ったものは戻らない。残された我々に出来るのは忘れぬことだ。死神はもとより、人間への慈愛も厚く、両世界の平和に最後まで尽力された先代の功績を、その意志を、受け継ぐことを誓い、皆で哀悼の意を捧げよう」

 男の合図で、死神達は一斉に頭を垂れた。ひたりひたりと落ちる水音に混じって、時折すすり泣くような声もどこからか聞こえた。

「さて」

 しばらくの時が過ぎた頃、男が言った。それをきっかけに死神達の顔が上がる。

「心苦しいことではあるが、我々は前へ進まなくてはならない。下界は目まぐるしく変化を続けている。我々もまた、新たな時代の幕開けを迎えようとしているのだ! 私はここに革命を起こすと宣言する。是非とも諸君らの持つ、その類い希なる力を私に貸して欲しい。未来永劫の発展と平和を約束するために、完璧な世界を、皆で創りあげていこうではないか!」

 わきあがる歓声。立ち上がって拳を突き上げた死神達の雄叫びは、みるみる共鳴を成して広がっていく。

 新たな政権。誰もが希望を持ち、期待を抱いたことだろう。

 男がこの先、暴君となると約束されていたとしても、この時は誰も知るはずがない。


「集え! 同胞達よ!」


 なぜなら彼らにとって――いや、神でさえ(・・・・)も。


「我が王花おうか――月桂樹に忠誠を!!」




 未来は、予測出来ないのだから。


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