4:守彩の魔女
屍蝋兵相手に迷うことなく鎌を振るっているのはアニスだった。
長身の体をしなやかに、且つ無駄なく使って、四方八方から襲いかかってくる屍蝋兵を舞い踊るように裁いていた。
「……フン。流石は〝守彩の魔女〟と言ったところか。目障りだな」
そう呟いて死神王はアニスに冷たい視線を投げつけた。
死神の鎌は護身を兼ねた立派な武器――だが、アニスの持つ薙刀鎌は「他を傷つけることが一切出来ない鎌」だった。稀有なその鎌の性能は、気体だろうと液体だろうと、人だろうと物だろうと、使い手次第であらゆるものから身を守り、また、あらゆるものを守る生粋の防具――その気になれば、肉も骨も、命すら絶つことなく四肢を止め、相手を戦闘不能にすることが出来る。
一行の戦力を欠く狙いのこの戦いに、アニスの存在は脅威だった。
顔を歪める死神王に紫苑が控えめに口をはさんだ。
「……どう致しますか? あの様子だと〝魔女〟も苦戦しているようですが……」
紫苑の言うとおりだった。続いて奇襲をかけてきた体格のいい屍蝋兵が、両手に持ったメイスのような鎌を休むことなくアニスめがけて叩きつけている。アニスは襲いかかる武器に加え、叩きつけられた衝撃で砕け散る床のつぶてにも気を配らなければならず、なかなか攻めに転じられずにいた。
死神王はどっかり背もたれにもたれかかると息を吐き、おもむろに指でくるくると渦を書きはじめた。
「紫苑。カレーの作り方はどうだったかな?」
「……はい?」
「じっくり煮込んだ後は……ああ、そうだ。スパイスを入れて一度強火にかけないといけないね……」
死神王はくぐもった声で笑うとゴテゴテした装飾品がたくさんまとわりついた右腕を高々と上げた。
紫苑は意図を察して息を呑んだが、眼下に刹那視線を落とすと一歩下がった。
その事態にいち早く気付いたのは杜若だった。
玉座の死神王の右手が握りしめられている。
「いかん……! 一旦退けっ!」
叫ぶと同時、死神王の突き上がった拳がゆっくりと何かを回すようにひねられた。
ガチャリ。
黒く渦巻く気流が床の中央へ集まっていく。パリパリと走る電流に、全員が事態を察知した。
「ちっ……、早々に獄門を出してきたな……!」
竹織は紫陽花を抱きかかえて軽々跳躍すると、一番距離が取れる三階層の客席に着地した。杜若も屍蝋兵を一段と遠く高く飛ばしてそれに続く。
気流が徐々に広がり床に穴を開ける。その中心を睨んで杜若は呻いた。
「逃げ遅れてしもうたか……!」
「カイ! アニス!」紫陽花が叫んだ。
歯車の音に乗せてゆっくりと門が開いていく。渦の中心で、カイは動かなくなった屍蝋兵を担いでアニスと背中合わせに立っていた。
「あっちゃー……。奴さん仕事が早いなぁ」
参ったなと頭を掻くカイとは対照的に、アニスは静かに息を吐いて、呟いた。
「――私の力じゃ、もって三秒だ」
「充分だぜ」
カチッと門が開ききり、闘技場の床一面に開ききった門に向かって、凄まじい引力が一斉に働いた。
門の奥から無数の真っ白な骨の腕が現れた。引力をものともしないそれらは、蛇のようにうねりながら束となり昇ってくる。
アニスが気合いの一声を放つ。それを合図にカイは壁の空洞目指して飛び上がり、アニスは大きく薙刀を振るった。
斬られた骨の腕が門を出る直前で止まった。
静止を確認してアニスも飛び上がる。
「――遅いよ」
死神王は呟くと、ちょいっと手招きの仕草をした。
その手に呼応して、静止した手を食い破るように奥から加勢の手が湧き出した。そして瞬く間に追いつくとアニスの足首を捕らえた。
ガクッと引き落とされるアニスが短く悲鳴をあげた。
「――!? 若さん、これ頼む!」
カイはぐったりした屍蝋兵を杜若に押しつけてアニスの元へ跳んだ。
「お、おい、待てッ――右じゃ!」
杜若が叫んだが、遅かった。屍蝋兵の一人が行く手を阻み、カイの脇腹に鎌を振るいあげた。
「ぐあっ……!」
大柄なカイの体が軽々と跳ねあげられる。続けてみぞおちにぶち込まれると、客席の一角に沈んでいった。
「峰打ちか……! 奴め、いたぶる気だ!」
竹織が玉座を鬼の形相で睨む。死神王は口の端をつり上げた。
「秀才揃いの君たちならこのくらいなんてことないだろう? 安心したまえ。すぐに堕としたりしないよ――彼女もね」
死神王は子猫と戯れるように手先をあっちへこっちへ動かした。骨の腕が乱雑にアニスを縛り上げると、献上品を差し出すように死神王の目の前に運んで止めた。
体の大半を縛られ、抜け出そうともがくアニスを眺めながら死神王は冷ややかに言った。
「防御は最大の攻撃とよく言うが、君の力は本当に厄介だね。優秀な君を失うのは実に残念だ――」
「……はっ! 随分と回りくどいじゃないか。邪魔ならさっさと堕とせばいいだろう!」
「念には念を、だよ。君のその技量に敬意を表して――」
頬杖を崩して左腕を横一線に振り抜く。骨の腕は加速してアニスを壁に叩きつけた。
「がッ……!!」
「確実に仕留めてから、堕としてやろう」
死神王の瞳が狂気に光る。大きく陥没した壁の中心でアニスがぐったりと頭を垂れた。
「貴様……!」
竹織が瞳孔を細めて吠えた。杜若が苦悶の表情で呻く。
「……地獄手か。あれは魔力を吸い上げていく。このままではアニスがもたんぞ……!」
門からの引力と無数の地獄手が乱れ飛ぶ中、加勢に向かうことは困難を極めた。一ヶ所に集まった竹織達に屍蝋兵が刃を向ける。その背後から地獄手が次々と伸びてきていた。
さっきの衝撃で額を切ったらしい。生ぬるいものが左を一筋流れていくのを感じながら、アニスは短い呼吸を繰り返した。銅鑼を叩きならされるように響く頭に歯を食いしばりながら、なんとか抜け出そうと身をよじる。
動きを察知したのか、地獄手はアニスを壁伝いに引きずると、窓のようにいくつも並ぶアーチ型の空洞に押し込めた。人ひとりがやっと入る狭い空間。逃げ場を完全に失ってもなお必死に抵抗を続けるが、体力だけが無情にも削られていく。斬ってしまえば簡単に抜け出せるのだが、それが出来れば苦労はしない――私の鎌はなにひとつ斬れないのだから。
「くそっ……。この……く、らい……!」
薙刀を握りしめた直後、ミシッと締め付けが強まり、アニスは苦痛に悲鳴をあげた。首元まで迫った地獄手は、いまや叫び声すら絞り切ろうとしていた。
「さて……、そろそろ終わりにしようか」
死神王のひと声に、ひと際大きな鎌を持つ長髪の屍蝋兵が、静かにアニスへ刃を向ける。
しっかりと狙い澄まして屍蝋兵は空を蹴った。
「アニスッ!!」
叫ぶ紫陽花の目の前で、爆音が低く轟いた。
アニスが押し込められた場所を中心に、四方数メートルの壁が剥がれた。一瞬で砕けた瓦礫が滝のように落ち、もうもうと砂塵が舞い上がる。
「……うそ……」紫陽花が力なく呟いた。「アニス……」
死蝋兵と組み合ったまま、竹織が砂塵に目を凝らす。低い唸り声を漏らした。
「――ふん。相変わらず不器用な奴だ……」
……一体、何が起きた?
首元に冷たい感触を覚え、アニスは固く閉じていた目をゆっくりと開いた。
そして眼前にいたその人に、あっと息を呑んだ。
「……間に合ったな」
空洞を塞ぐようにして、カイが覆いかぶさっていた。息を弾ませながらも、驚愕に固まるアニスに「大丈夫か?」と白い歯を見せて笑いかけた。
鎖鎌に骨の破片が見える。アニスの首に巻きついていた骨がパラリと落ちた。
「あ、あんた……いつの間に……」
言いかけてアニスは、端切れのようにボロボロになったカイのコートの腹部に光るものを見つけて青ざめた。
「おーおー。すっかりミイラになっちゃってまあ。待ってろ、すぐにはずしてや――」
「抜け」
冷酷な声が轟いた。
死神王の命令で、屍蝋兵は思い切り壁を蹴り、鎌を引き抜いた。突き抜けていた鎌に釣られ、悲鳴と共にカイの体躯は大きくのけ反り宙を舞った。口と、腹に空いた穴からゴボゴボと嫌な音を立てて鮮血が溢れ出した。
「カイッ!!」アニスが悲鳴をあげた。
屍蝋兵は態勢を整え間髪入れずに空を蹴ると、雁字搦めのアニスめがけて突進した。
アニスも全身に力を込める。だが、込めれば込めるほど力はそぎ落とされ、喘ぎ声と共に手にした薙刀が滑り落ちた、その時だった。
ざくっ、と音を立てて腕の感覚が軽くなった。
見ると、空洞から引き剥がされたカイが戻り、絡み付いた骨々を、稲を刈り取るが如く切り裂いていた。唸りをあげ食いしばった歯の間からは血が滲み、風穴が空いた腹は涼しい音を鳴らしている。目を開けるのもやっとだろう。だが、腕、足、胸元、腹回り……。絡み付いた骨々の主線を瞬時に読み取ると、アニスを傷つけることなくすべて切り裂いた。
目前に迫った屍蝋兵が鎌を大きく振りかぶった。
カイは薙刀を拾いあげると、アニスの腰を強引に抱き寄せて飛び降りた。
直後、爆音が響き、今まで居た空洞が吹っ飛んだ。
瓦礫が雨のように降り注ぐ。舞い上がる砂塵に身を潜めるように、鎖鎌にぶら下がった二人は耐えていた。突き出た瓦礫に鎌を突き立てて間一髪、衝撃を免れたのだ。カイは胸にアニスを押し付けるように抱きしめて瓦礫の雨から守っていた。
「あっぶねー……」カイが呟いた。「無事か?」
「……私は平気だ。それより、あんたこそ……」
アニスはカイの腹部へ目を落とした。腹の風穴からは相変わらずどうどうと血が溢れ、か細いくせに耳を塞ぎたくなる高い音が鳴っている。さらにその周りから、ほつれるように光の粉が舞い始めていた。
「おーう。気ぃ抜いたら死にそうだ」カイは朗らかに言った。
これだけの手負いでありながら、アニスを抱えてぶら下がっている。手首は巻きつけた鎖がぎっちり食い込み、擦り切れて血が伝い始めていた。本来ならとうに失神はおろか危篤に陥っているだろう。この状況で動いていられるのも笑っていられるのも、この男の持つ力なのか。奇跡だとしかいいようがない。
カイは握った薙刀をアニスに渡した。笑顔は消えたが、凛々しく真っ直ぐな瞳はこの状況下でアニスを安心させてくれた。
「戦況はお前にかかってる。休ませてやりてぇのは山々だけど――行けるな?」
アニスは頷くと深呼吸をひとつして薙刀を受け取った。そして互いに、静かにじっと見つめる。ほんの数秒の間に、二人はすべてを確認し合った。
「命令だ。死ぬんじゃないよ!」アニスは上を見据えた。
「合点承知の助だ」カイはニタリと笑って叫んだ。「行くぜ!」
手のひらにアニスを立たせ、力いっぱい上へ放り投げた。アニスは損傷の少ない近くの空洞に着地すると、態勢を整えて屍蝋兵の懐へ飛び込んだ。
研ぎ澄まされた刃が織り成す弾んだ音が辺りを満たした。
残されたカイは力なくぶら下がったままその音に聞き浸っていた。
呼吸がうまくできない。この際、腹で呼吸できればいいのにと思った。あちこちに力をこめ過ぎたらしい。出血は止め処なく続き、視界が霞んできた。
ここもじきに見つかるだろう。ぶら下がる力もほとんど残っていない。早く上へ戻って加勢しなければ。
だが、体は動かなかった。思うように、ではなく、全く。腹の穴から風化していく光の粉も量が増していた。魔力も底をつくのが近いのだ。戻ったところで戦えるかと言えば、否。
「……こりゃ、きっついなぁ……」
カイは目を閉じ、小さく嘲笑した。
四肢が痺れてきた。もう鎖を握る力は無い。鎖のほうがカイの手を絡めているに過ぎなかった。十メートルは無いにせよ、下に広がる客席からはそれなりの高さがあるうえ、降り積もった鋭い瓦礫の山だ。この怪我では着地はおろか、打ちどころ次第で洒落にならなくなるのは明らかだ。
上でまた爆音が響いた。
やっぱりアニスはすごいなあ。立ち回り抜群だし、動きに無駄がない。力加減だって、周りの利用できるもの全部使って最低限に抑えてるんだ。本当、体張らないと戦えない俺とは大違いだ。
急に思い出に浸りたい気分になった。瞼の裏を、眠気を帯びた重みがゆっくりとのしかかる。
思えば相方になって数十年。なんだかんだ文句言いつつ、アニスは俺のワガママによく付き合ってくれたよな。ふくれ面ひとつしないでこんな俺を受け入れてくれたんだ。竹織以上のお人好しだな、あいつ。
カイは弱々しく笑った。懐かしいなコレ。走馬灯ってやつ?
そう言えば俺、アニスの命令に背いた事なかったな……。守らなかったら怒るだろうなあ……。泣くかなあ……。どっちにしても参っちゃうんだけど、どうしたらいい? 今までで一番簡単な命令のはずなのに、全然分からないんだ――。
目の奥が熱くなった。頭上でまた衝撃音がした。
こんな時までお前を頼るとは、やっぱり俺はガキなんだな……。
「……わりぃ……約束……守れね……や……」
最初で最後の命令違反、か……。
鎖から、手がすり抜けた。




