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八月の紫陽花  作者: 鷹羽慶
第七章 : 門と鍵
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1:決戦開始

 電流を流されたような強い衝撃に、紫陽花(しょうか)は思わず手を離してしまうところだった。なんとかこらえて鎌を握りしめるも、反撃に出られるほどの力はあるはずもない。今にも押し潰されそうになりながら、食いしばった歯の隙間から呻き声が漏れた。

「……どいつもこいつも、ふざけんじゃないわよ……!」



 オレンジに色づいた病室に絶叫が響いた。

「私がこれを!?」

 無理無理無理と首を振る紫陽花に、杜若(もりわか)は自分の大鎌を差し出してやんわりとした口調で言う。

「大丈夫じゃ。死神でないお嬢ちゃんなら、儂のぼろっちい鎌を手なずけるなんぞ簡単じゃろうて」

「いやいやいや! さっきの言葉をそんな良いように解釈しないで!」

「そうは言うが、お嬢ちゃん、そんな細い腕っ節で挑む気か?」

「それは……」

もっともな言葉に紫陽花は口籠る。だが、すぐにまた首を振るとすがる眼差しで杜若を見上げた。

「……だってその鎌はあなたのものだし、それだけ手入れしてある大切なものなら、尚更私なんかが使うわけにはいかないじゃない……」

「言ったじゃろう。儂はもう狩る資格を失くしたと。今やこれを儂が使うことは叶わんのじゃ。振ればぽっきり折れるじゃろうな」

「だからって……」

 助けを求めて周囲を見回したが無駄だった。

「身を守るのに持っていたほうがいいだろうし……ね?」とアニス。

「持ってるだけで筋トレ出来そうだなー。アジいいなー」とカイ。

「お年玉だと思って貰っちゃえ貰っちゃえ」と椿はケラケラ笑う。

 竹織(たけおり)に至っては目も合わせてくれなかった。

 大体、杜若の鎌は竹織の倍の大きさはある代物だ。見るからに華奢な紫陽花が持って振り回すなど到底出来そうにない。それなのに何故誰もその点に着目せず、止めようとしないのだ?

「まあ、四の五の言うても仕方ない。まずは持ってみぃ。お嬢ちゃんにその資格があれば、鎌のほうが力を合わせてくれようぞ」

 今にも泣きたい気分だった。だが杜若の言うとおり、これ以上はいたちごっこだ。紫陽花は肩を落として差し出された大鎌を見つめた。柄の根元にはめ込まれた青い宝石が夕日を浴びて光彩を放っていた。

 重い足を踏み出す。前に差し出す両手は震えが止まらない。杜若がそっと大鎌を乗せると思わず目を瞑った。

「離すぞ」

 柄に巻きつけられた鈴がシャランと鳴った。

 ずしっと両腕が床に引きつけられ、体が前のめりになった。条件反射で大鎌を握りしめた、その時だった。

 瞼の裏がふいに明るくなった。

 驚きと戸惑いに恐る恐る目を開く。映った眼前の光景に紫陽花はあっと声をあげた。

 大鎌の宝石が発光して部屋中を青く染めていた。照らされた皆の顔が紫陽花と同じく驚きに満ちている。月明かりに照らされた水面のようなその光は暖かく、どこか懐かしい気がした。

 ほどなくして光は弱まり、部屋はまた夕日に染まって明るんだ。

 杜若は満足げに頷いて、悪戯っぽく訊ねた。

「どうじゃ? まだ――重いかの?」

「え? あ……」

 何十キロのバーベルを掴んでいたとばかりに下げていた腕が、嘘みたいに軽い。紫陽花は目をぱちくりさせながら発光の止まった鎌を持ち上げた。心地よくその手に収まった鎌はチアバトンのように程良い重さとしなやかさを備えていた。

「さっすがアタシの見込んだ子! 上出来だわあ」

 椿が弾んだ声で紫陽花の頭を撫でる。杜若がやれやれと肩をすくめ、黙々と点滴を引き剥がしていた竹織を見やった。

「ひとまずはこれで問題なかろう。じゃが、いきなり実践というわけにもいかんな。手解きは竹織、お前さん得意じゃろう? 少しばかり指南してやってくれんか? 立ち回りと受け身くらいは出来んと厳しかろうし、どうせお前さん自身も全快じゃないんじゃけえのう?」

「一言余計だ」

 ぶっきらぼうに言って、竹織は自由になった手を数回握っては開いた。つい一時間前まで意識すら無かった人とは思えない。あまりの強行ぶりに言葉を失う紫陽花を一瞥すると、コートを羽織って踵を返した。

「さっさと来い。一時間で仕上げるぞ――」



 本当に一時間で仕上げられてしまったのだ。とんだスパルタ野郎め。

 紫陽花は全神経を集中させ、気合いの一声を放つ。火事場の馬鹿力は見事に発揮され、軌跡を描いた鎌は押し迫っていた敵を弾き返した。すぐさま両手で握り直すと、よろめいた敵に鎌を振りかざす。

 敵のフードが音もなくずり落ちたのはその直後だった。

「……っあ…………!?」

 罪人の証――銀髪の男だった。白目を向いた落ち窪んだ眼球。半開きの口からはヨダレが垂れ、焼け爛れたように皮膚がベロリとめくれている。風音を含んだ呻き声を絶えず発しているその姿は、ホラー映画やゲームでよく見るゾンビそのものだった。

 恐怖に紫陽花の手が僅かに鈍ったのを逃さず、男は出で立ちを裏切る速度で、振り下ろされた鎌をかわすと、前のめりになった紫陽花の背後へ回り込んだ。

 悲鳴をあげる暇もなく首が射程に捉えられ――

「伏せろ!!」

 鋭い声と同時に、そのまま倒れ込んだ紫陽花の上を何かが勢いよく通過した。そして低い爆音と生ぬるい砂混じりの風が返ってくる。

 咳き込みながら恐る恐る頭をあげると、目の前に竹織が立っていた。その向こうには、蹴り飛ばされたであろう銀髪男が、大きく陥没した壁面のすぐ下に伸びていた。

「やはり、北の連中を使っていたか……ッ!」

 全身の毛を逆立てて、竹織は吐き捨てるように呻いた。

 ひんやりとした空気の闘技場は、幾度となく通う第二の自室と言っていい。そうは言えど愛着があるわけでもない。不謹慎だが試験の度に早く終わらせることしか考えていないほどだ。だからこの部屋に誰がいようと普段ならまったく気にしない。

 そう。普段なら。

 竹織は憤怒の表情で正面のバルコニーを一瞥した。二つの人影がこちらを見下ろしてきている。

 闘技場の名にふさわしく、絶え間なく響く金属音や爆音に満たされた部屋は合戦の真っ只中に居るのと同じだった。一瞬の躊躇いでさっきのように首を飛ばされかねなくなる。紫陽花も恐怖心を必死に抑え込んで、息を詰めて周囲を見渡した。

 敵は全部で五人。皆、ぎこちなく動いては、恐ろしい速さで鎌を振り抜いてくる。目玉が飛び出たままの者、裂けた皮膚の奥から骨が見えている者――まるで壊れたおもちゃのように、彼らはただ動いていた。

 だが紫陽花の鳥肌を立たせる原因は、このおぞましい光景とは別のところにあった。


 私は彼ら全員を知っている――!!


 初めて会ったのは数時間前――あまりの衝撃に記憶は鮮明だ――極寒の鉄壁(メタルノース)でリリーを追いかけていた連中に間違いない。

 あの時はもっと人らしかったはずだが……?

「――あれは、欲に溺れた愚か者の末路じゃ」

 いつの間にか紫陽花の傍らに来ていた杜若がとりわけ低い声で吐き捨てた。普段は朗らかでお茶目な杜若も、今やその桁はずれの大きな体格からは相応、否、それ以上の威圧を放っていた。

「おおかた、王の力を分け与えてやると唆されたんじゃろう」

「お、王の力……って……?」紫陽花が掠れた声を絞り出す。

「まあ、霊殖(れいしょく)のことで間違いなかろうな。あれはその失敗作じゃ。()(ろう)となり果ててまで力を欲するとは……愚かなことよ」

 竹織は一層顔を歪めて舌打ちをし、紫陽花は息を呑んだ。

「儂ら罪人に王直々の召集がかかるのはそう珍しいことじゃあない。強制ではないが、一時的にでも外に出ることが出来る故、望んで引き受ける奴がほとんどじゃ。おまけに皆罪人じゃからのう。多少のムリは気にせんでええから、召集する側も都合がいいんじゃ」

 ここで言う「多少」がどの基準を示しているのかは、五人を見れば明らかだった。

「あやつに取って監獄は所詮、実験動物(ねずみ)の飼育小屋なんじゃ」

 そう言って杜若もバルコニーを睨みつける。雲から顔を出した月が、暗がりになりを潜めていた人影をはっきりと照らし出した。

「〝狩人(かりうど)〟に〝魔女(まじょ)〟に〝若獅子(わかじし)〟――それに〝虎狼(ころう)〟か。これはこれは……名高い諸君に一度に会えるとは光栄だ。ゆっくりしていくといい」

 煌びやかな玉座に腰を据えた、くすんだ藍色の髪をした小柄な男が薄い笑みを浮かべて言った。その隣には、眼鏡をかけた細身の女が巨大な杖を従えて立っている。

「久しいのう、うつけ大王殿。儂の恋文を受けてくれるとは嬉しい限りじゃ」

「貴様も随分老けこんだようだが、口の減らぬところは相変わらずで安心したよ。――せっかくの申し出に少しばかり張り切ってしまったんだが……私のもてなしは気に入ってもらえたかな?」

「そうじゃな。こんな幼稚な戯言にかけては右に出る奴はそうおるまい。下りてきたらどうじゃ? 再会を喜び会おうぞ」

 殺気を剥き出しにする杜若相手に杖を構えた紫苑を制して、死神王(ししんのう)はわざとらしくもったいつけて嘲笑った。

「まあ、そう急くな。名高い諸君なら五人などわけないだろう? ここで終わるようでは私の出る幕ではないからね。――せいぜい彼らを殺さないよう(・・・・・・)頑張りたまえ」

「――! 杜若!!」

 竹織の声に、杜若は反射的に紫陽花を抱えて飛び上がった。直後、()蝋兵(ろうへい)が振り下ろした鎌が床を抉り取り、砕けたつぶてがポップコーンのように弾け散った。竹織は素早くつぶてを裁いて間合いを詰めるが、屍蝋兵はあろうことか自ら刃に首を沿わせてきた。

「ちっ……!」

 慌てて鎌を放り投げると、屍蝋兵のみぞおちめがけて拳を放った。メリッと異質な音を立てて吹き飛んだ屍蝋兵だが、ものの数秒もしないうちにガクガクと起きあがってきた。

「チコ、なんで鎌を使わないの――」

「使えんのじゃ」庇うように紫陽花の前で構えを取った杜若が渋い顔で言った。「あやつらも罪人とはいえ死神――殺し合えば儂らは互いに地獄行きじゃ。……まあ、自我のない向こうさんは容赦ないじゃろうがの」

「そんな……!!」

「儂らが堕ちるのが先か、向こうが堕ちるのが先か――罪人が何人堕ちて行こうが、大王殿はなーんも気にするまいて」

「下衆が……!!」

 竹織は吐き捨てると、自身の背丈以上もある鎌を慣れた手つきで大きく振り切った。

 柄の小さな鈴が音もなく宙に揺らぐ。

 その切っ先を、不敵な笑みを浮かべる死神王向けて突きつけた。

「貴様をそこから引きずりおろしてやる!」

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