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八月の紫陽花  作者: 鷹羽慶
第六章 : 銀髪の死神(真)
43/60

9:紫陽花の答え

「……とんだ茶番で騒ぐな」


 冷淡な声が部屋に響いた。

 ベッドを軋ませて竹織(たけおり)が起きあがっていた。簡素な白い浴衣に負けない肌色に寝癖ひとつない髪が眩しく光る。両の赤目もいつもの輝きはなく、今にも消え入りそうな火のようだ。その姿はさながら牙を折られた狼のようで、とても弱々しく見えた。

 渋柿を食べたように口を尖らせる竹織に、椿はたいそう嬉しそうに言った。

「あらあら。〝漆黒(しっこく)〟が聞いて呆れるその姿もまた格別ね」

 ようやく意識が戻った人におくるには場違い過ぎる言葉だ。だが竹織はうんざりしたため息をひとつついただけで流した。それだけでいつものことなのだと察するには充分だった。

「ちょうど良かった。これから始めるところだったから、竹坊も参加して頂戴な。楽しい楽しい『王様狩り』のお話よ」

「くだらんな」

 ピシャリと言った竹織に椿は眉を少しあげた。

「そう来ると思った。でも残念ね。アナタとはお約束があるでしょう? 大丈夫よ。皆で力を合わせれば王様だって倒せちゃうわ」

「無駄だ。束になろうとも王には勝てない」

「あら竹坊、魔力の使い過ぎで焼きが回った? 随分悲観的じゃないの」

「お前のほうこそ血迷ったか。現実を見ろ。くたばりぞこないの仇がこうして目の前にいるんだ。わざわざ危険を冒すまでもない。さっさと殺してしまえば今すぐにでも帰――」



 ガシャンッ!!



 派手な音に竹織は口を止めた。皆の視線が集まった先に椅子が倒れて転がっている。その脇に、二人の会話を黙って聞いていた紫陽花(しょうか)がゆらりと立っていた。


 ……そういうことか。


 ゆったりとした足取りで紫陽花は動いた。コツリ、コツリと、乾いた靴音が部屋に響く。

 椿はきっと解っていたのだろう。だからこそ「王に成れ」と言ったのだ。

 自分の命を引きかえようとしている竹織を、守るために。

 竹織のベッドの前まで来ると、紫陽花は静かに足を止めた。凍てついた眼差しを少年に投じて静かに告げる。

「――そんなにお望みならちょうどいいわ。私も復讐してやろうと思ってたところだったし、いいじゃん。今ここで済ませましょ」

 ダンッ! と叩きつけるように押し倒すと、馬乗りになってその胸ぐらを掴みあげた。無抵抗の竹織の体が、良く出来た人形のようにだらりと四肢を放つ。

「やめろ、アジ――――!!」

 腰を浮かせたカイとアニスの袖を、椿と杜若(もりわか)がそれぞれつまんで引きとめた。

 竹織はただじっと紫陽花を見つめ返していた。感情の無い瞳がこれでいいと語りかけ、すまなかったと憂いている。

 すべてはこの時の為だったのだ。怒鳴り、罵り、時には殴ったりもした。そうして憎む対象として捉えさせれば、真実を知った時に迷いなく殺せるはずだ。自分が生き返るために、自分を狩った死神の命を使うことを誰が咎めよう? まして紫陽花は死神ではないのだ。死法に縛られることも裁かれることもない。


 部屋の空気は冷たい。

 紫陽花は両目をぎらつかせ奥歯を噛みしめる。


 そして――






 

「――いい加減にしやがれ! こんのクソガキいッ!!」






 

 ゴチッ! と、強烈な頭突きをぶちかました。


 竹織の陶器のように真っ白な額がみるみる赤く腫れていく。

「あんたのその腐りきった性根、叩きなおしてやるわッ!!」

 カイとアニスは絵に描いたように目を点にしてその場に固まり、杜若は感心したようにほうと息をつき、椿は傑作だと大笑いしていた。

 竹織はというと、これまでに見たことが無い顔をしていた。未確認飛行物体を見つけた子供のように、夢かうつつかはっきりしない眼差しと痛み故の一縷の恐怖。そしてこの表情の大部分を構築している「こんなことが起こるはずない」という驚き。

 紫陽花は肩を大きく上下させて再び竹織を掴み起こすと、鼻先がくっつくほどに顔を近づけた。

「随分大がかりにやってくれたわね。死神ごときが人間様なめんじゃないわよ! 力の差? 王様? 上等じゃないの! 元々言いだしっぺはあっちなんでしょ? だったら話が早いじゃない。恨みも晴らせて帰れるなんて一石二鳥よ!」

 ぼとりと竹織を落とす。竹織はしばし呆然としていたが、我に返るとすぐさま反論した。

「お……お前馬鹿か! 目の前に転がってる絶好の機会をみすみす見逃して王に刃向うだと? 太刀打ち出来る訳ないだろう!」

「そんなのやってみなくちゃ分かんないじゃない! 私は死神じゃないんだし、実は王様より強いかもね!」

「ふざけるのも大概にしろ! 第一、俺はお前を――ふっ!!」

 紫陽花は片手で竹織の口を押さえつけると鬼の形相で睨み付けた。

「ふざけてんのはあんたのほうよ。それ以上言ったら、マジでぶっ飛ばす」

 冷酷と呼べる声音に竹織の目は大きく開いた。頬が小さく痙攣している。きっと紫陽花にも伝わっているはずだ。

「……あんたのしたことを許せるかって言ったら嘘になる。でもね、ここであんたの命と引き換えに帰ってしまったら、私自身が許せないのよ。それじゃこの世界は何も変わらない。何の解決にもなりゃしない。上っ面の手段で帰ったってただの私利私欲よ。あんたが言う王様がやってることと大差ないわ。間違いなく次も同じことが起こる――そのくらい、あんたにだって分かっているんでしょう?」

 手が離れた。だが竹織は言い返そうとはしなかった。

「確かに元の世界へ帰りたいけど、だからってここに来たことを無駄にしたくはない。あんたが王様に一番近いんなら話が早いじゃない。ぐちぐち言ってないでいつもの生意気口で変えてみなさいよ。神様なんだから、世界ひとつ変えるなんて簡単でしょ?」

 紫陽花はぷいとそっぽを向いて「それでチャラにしてあげる」と呟いた。

 沈黙がひっそりと満たす。

 だがそれはもう、絆されたものではなくなっていた。

「――観念なさい、竹坊。ここに居るヤツ皆、もう何を言っても聞かないわよ?」

 外はいつの間にか晴れて夕日がよく見えている。窓から差し込むきつい西日が色付いた光を引き連れてくっきりとした斜影をもたらしていた。

 ずっと息を止めていたかのように、竹織は長い長い息を吐いた。

「……もういい。そのみっともない額の痕を治してもらってこい」

 竹織は追い払う仕草をしてぱたりとベッドに倒れこんだ。

 アニスに促されるようにして紫陽花は部屋を出た。出がけにちらと振り向いたが、竹織の表情は影になって分からなかった。

 紫陽花が出ていくのを確認して、杜若は老人臭いダミ声を発して立ち上がった。

「話はまとまったことでええじゃろうな」

「そうね。ゆっくり休ませてあげられなくなったことだし、時間が惜しいわ。善は急げ、よ。じゃあカイ坊、ちょっとそこのぼーや見張ってて頂戴ね」

 椿と杜若も退室し、病人二人だけになった部屋は至って静かだった。

 時計の針の音が妙にはっきりと耳に刺さる。

 カイは大きくひとつ伸びをすると、枕元に置いてあったタオルを取って竹織の顔に溜まった汗を拭いた。

「……要らん。お前こそ少し休め」

「俺もう全快だもんね。ほれ、起きてみ」ニヤリと笑うと竹織のほっぺたをつついた。

 竹織は鬱陶しげに睨みつけたが、素直に上体を起こすと浴衣から腕を抜いて背を預けた。

 小さな背中は血の気のないその色とは裏腹に火照っていた。撫でるように軽く滑らせただけで随分とタオルの重みが増した。

「……やっぱ女の子は強いなあ」思い返すように小さく笑って、カイは言った。「俺達ずっと騙し続けてきて、すげー後ろめたかったってのに……、アジってば信じてくれているんだぜ? 俺達が助けるなんて言ってたけど、いつの間にか俺達がアジに助けられていたんだって思うと、なんか情けない話だよな」

 べちっと背を叩いて終わりを知らせると、カイは竹織のベッドに背中合わせに腰かけた。

「俺さあ、正直無理だと思ってた。お前についていける奴なんて、ここでも滅多にいないのに、人間の女の子がやっていける筈がないって。でも実際、アジはここまで食いついてきた――なんだかんだ言って竹織、嬉しかったんだろ?」

「……お前になにが分かる」服を着なおしながら、竹織はぶっきらぼうに呟く。

「おう。お前よか生きた時間が長いからな。そのくらい分かるんだよ。ガキんちょ」

 カイは、ついと顔を逸らす竹織を羽交い絞めるように抱き寄せると、大きな手でそっと頭を撫でてやった。

「――ずっと償おうとしてきたんだろ。もう充分だ。なんでも一人でやろうとするのは今に始まったことじゃないけどさ。たまには誰かに頼ったっていいんじゃねぇの? お前がどうしようもなくお人好しなの、みんな知ってるから、助けなんかいらないって言われても心配すんだよ。……アジだって同じだと思うぜ? あの子は賢くて本当にいい子だ。お前の気持ちはちゃんと伝わってるさ。――だから今は少しだけ、アジの優しさに甘えさせてもらっとけ」

 竹織は何も言わない。

 その体が小さく震えているのを感じながら、カイは安堵の息を吐いた。

 間に合ったんだ……。

 たとえ王に一番近い存在であろうとも、竹織も人間、それも子供だ。死神だの仕事だのが無ければ、まだまだワガママも言いたいだろう。甘えていたいだろう。

 それでも竹織は、身分の(しがらみ)の中、唯一心許せる相方でさえ自ら距離を取ってきた。体以前に精神がもう限界だったに違いない。カイに寄越したあの電話が最後の叫びだったのだ――助けてくれ、と。

「信じてくれているんだ、応えてやれよ。アジのこと大切なら尚更助けるなんて思うな。生者界に帰るその時までお前が全力で護ってやれ――他でもない、相方なんだからさ」

 小さなしゃっくりが、一度だけ聞こえた。

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