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八月の紫陽花  作者: 鷹羽慶
第六章 : 銀髪の死神(真)
42/60

8:賭け

 半時を知らせる音がしっとりと響く頃には、淀んだ色の雲からザラザラと大粒の雨が落ちていた。天候とは裏腹に、部屋の空気は早朝の凍った水たまりのように息を詰まらせた。

「――あの黒っ子ぼーやが文字通り、頭真っ白になって駆け込んで来たんだもの。驚いちゃった。……結局根負けして、お嬢ちゃんの蘇生維持の術を教えてあげたってワケよ」

 慣れた手つきでお茶を淹れて全員に配り終えると、椿は椅子へ腰かけた。

「霊殖は元々、死神同士の経歴格差を無くすためにって始めたものなの。時間がすべてのこの世界じゃ若手の子が自分の身を守るのさえ大変なことだからね。魔力の底上げを主軸に研究をしていたけれど、結局は他者の魔力を自分の遺伝子と結合させる人体実験――だからアタシ達は、術が確立するまで表に出さず、自分達を被検体にしていたわ。……けど、度重なる実験にお互いもうボロボロだったの、身も心もね。……ま、その甲斐あって霊殖の基礎は完成。どう公表しようかって時に、あの男が王の座を狙っていると知ったのよ」

 くっと一気にお茶を飲み干し、椿は深くため息をついた。

「霊殖も使い方次第では兵器になってしまう――それを恐れたアタシ達は、書物に起こすことをやめ、数人の死神に断片的に術を施して残すことにしたの。竹坊はその一人――連盟術がそうね。本当ならカイ坊みたいな若い子を巻き込みたくはないんだけど、その並はずれたタフさを買わせてもらったのよ。万が一のことがあってはならないから、監視を付けて、ね」

 椿は困ったように眉尻を下げると、呆然とするカイに向かって「ごめんね」と添えた。

 アニスは膝の上に添えた手を抑えつけるように重ねた。険しい表情を崩さず、じっと椿を見つめている。だが彼女も葛藤しているのだろう。結んだ唇は小さく震えていた。

「……そのために……別人となったと……? そんな……そんなこと……」

「信じてくれなんて言わないわ。アタシが何者か示せるモノなんてひとつも無いんだから、疑念を抱くのも当然のことよ。アタシが善か悪かはアナタが決めればいいわ」

 そうじゃない、とでも言うようにアニスは首を振った。事の重大さも、椿が自分たちを陥れようと目論んでなどいないことも、頭では解っているつもりなのに、どうしても認められない。受け入れてしまえば、その存在を踏みにじってしまうことになる――。

 ぐっと拳を握り俯くアニスに、椿は優しく微笑みかけて囁いた。

「……そんな顔しないで。本当に優しい子ね――〝聖母(マリア)〟」

 ひどく柔らかなその一言に、アニスは愕然と凍りついた。


 ――〝魔女〟という皮肉めいた響きは今でも嫌いだ。


 冷徹の象徴として付けられた異名に、周囲は揃って恐れをなして距離を取った。そんな(かせ)でしかない名も、あの人の前では誇らしく思えたのだ。

『アニスは優しい子だものね。〝魔女〟なんかより〝聖母〟がよく似合うわ――ねえ、そう呼んでもいい? 私とアニスだけが知る呼び名よ。ううん、いっそ大王にナイショで改名書類作っちゃおうかしら?』


 かつて姉のように慕ったあの人は、もう居ないはずなのに――。


 あなたは、本当に――?


「……そん……な…………、ど……して…………」

 あまりのショックに言葉が出なかった。口元を覆い、今にも崩れそうなアニスを、カイが庇うように腕を伸ばして制した。まだ動揺はしていたが、アニスより順応が早いようだ。しっかりした口調で後を続ける。

「蘇生維持は連盟と勝手もリスクも違うはずだ。下手すりゃアジだけじゃなく竹織(たけおり)もヤバくなることは俺でも分かるぜ? ……椿姉さんのことだ。情に流されただけで術式を教えるなんて危ねえことはしないだろ?」

 椿は刹那、驚いたように目を瞬かせたが、やがて満足げに口元を綻ばせた。

「その通りよ。だからアタシは、お嬢ちゃんに監視を付けることとは別に、もうひとつ条件を出したわ」

「……条件?」

「ええ。竹坊にはとっても簡単で、そして一番酷な条件よ」

 直後、アニスが悲鳴のように息を呑んだ。カイもまた、こぼれ落ちそうなほどに目を見張り、声を震わせて呟いた。

「……王に……成れ、と…………?」

 確かに次期死神王(ししんのう)候補の呼び声高き竹織なら、王に成ることそのものになんら苦労は要らないだろう。

 だが罪人の証、銀髪を持つ竹織についてくる者がいるだろうか?

 今の死神王とその秘書を除けば、竹織より上の者と言えば杜若(もりわか)と椿くらいしか思い当たらない。同じく罪人の杜若に、架空の人物同然の椿が後ろ盾では、たとえこの先うまくまとめることが出来ても、反感を買わないはずがない。罪人でも王になれるという愚かな解釈をする輩も出るだろう。そうなれば死法(しほう)の改正だのなんだのおこなっている場合ではなくなる。これまで以上に統制が困難なのは明らかだ。

「御名答。――心配しなくても、あの子だけに重荷を背負わせたりはしないわ」

「……お前さんもようやるのう。こんな回りくどいこと」

 それまで静かにお茶を飲んでいた杜若がふいに口を開いた。

「アラ。それだけ頭が良すぎておばかさんってコトよ。可愛いじゃない」

「聞いたら怒るじゃろうな」

「うふふ。楽しみだわあ」

 杜若が大きく咳払いをする。椿はしゃなりと足を組み変えた。

「アタシが教えたのはあくまでお嬢ちゃんが帰るまでの時間繋ぎ。魔力を移してお嬢ちゃんの体が活力を失うのを防いでいただけよ。本当に帰ろうと思ったら、用意しなくちゃいけないモノがもうひとつあるわ。それが何か――分かる?」

 それまでの楽天的雰囲気が一変した。椿は鋭く目を細めて囁くと紫陽花(しょうか)を見つめた。挑戦的な強い視線はまるで別の力でも働いているかのように全神経を縛られ、紫陽花は逃げることが出来なかった。

 艶やかな紅い唇が形をくっきりと残しながら動いた。



「死神一人の命よ」



 雷光が真昼のように照らした。

 色濃く出来た影はまんまるくて大きな目玉を鮮明に浮き上がらせた。


 ……死神の命?


「本来ここと生者界はまったくの別世界。境界を越えるには道を作らないといけないの。【生】の使命を終えた肉体がその材料。弔われた肉体から世界を分かつ扉が開いて、魂は死者界へ来ることが出来るわ。逆も同じ。ここでの生涯を終えた体を介して、魂の種である核が境界を超えて、また新たな命として誕生する……。世界ってのはその繰り返しなのよ。だけど、お嬢ちゃんはちょっと特殊でねぇ。ここに魂が居ながら、生者界でその体も生きている。つまり自分の体を対価に出来ない――だから代わりが必要なのよ」


 ……帰る……代わり……?


「蘇生維持はうまくいっていたわ……でもそれも最初だけ。時間が経つにつれ、お嬢ちゃん自身の生き返る意志が揺らいで、魔力を拒み始めたの。――正直に言って、今のお嬢ちゃんの生体があとどのくらいもつのかはアタシにも分からない。事態は思っている以上に一刻を争っているのよ。そこで、賭けをしてみようって若ちゃんに相談したってワケ」

「か、賭けって……」杜若の名にすべてを察したカイが慄き目を開く。「まさか――!!」

 躊躇いのない椿の声がすべてを一蹴した。


「そう――『王様狩り』よ」


「――――――――!!」


 窓に打ちつける雨音がバラバラと騒がしい。

 呼吸すら忘れてしまう静けさに呑まれ、誰もが動きを止めた――その時だった。

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