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八月の紫陽花  作者: 鷹羽慶
第六章 : 銀髪の死神(真)
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6:椿の正体

 カイは目を丸くしていたが、アニスは険しい顔で眉をひそめた。

 白蓮(びゃくれん)は再び深々と一礼した。いつもの温かな笑みはすっかり消え失せ、今にも失神してしまいそうなほどに顔を引きつらせている。

「何故ここに? 持ち場を離れる事は許されないはずよ」

「重々承知しております。ですが……」

 白蓮は竹織(たけおり)のベッドを見た。ほっそりとした白い腕を投げ出して、少年がささめく程度の寝息を立てている。白蓮は僅かに拳を握り、奥歯を噛みしめた。

「竹織様が倒れられたと聞いて、居てもたってもいられず……不届きながらこうして出向いた次第です」

 全責任を持つと、救護隊に無理を言って通してもらったのだと付け加えた。

「……あなた、なにか知っているようね?」

 探るように目を細めたアニスが静かに問うた。落ち着いた語り口の奥にある威圧感に白蓮は一瞬身を震わせたが、腹をくくったように深く息を吸った。

「……竹織様は、あの日から毎日生者界へ通っていらっしゃいました」

「なんだって!?」

 アニスとカイは目を見張った。白蓮はまだ煮え切らぬ思いを抱えたようにおどおどしていたが、問われた事にはきっちりと答えていった。

「いつも私用だと仰って、二時間程滞在されていました」

「……竹織が何をしていたか知っていたの?」

「いえ、私も詳しくは……。ですが、お戻りになる度に随分と疲労されていましたので、あまり無理なさらぬようには常々申しておりました……」

 アニスが一層険しい顔になった。見かねたカイが宥める口調で割って入る。

「どうして、今までそれを?」

「……私は、竹織様から他言無用だと(めい)を受けておりました。まさか、蘇生維持に魔力を全てお使いになっていたなんて……」

 白蓮は震え声で「申し訳ございません」と呟いた。

 濃紺のマントは補助部隊所属の証。実際に生者界へ赴くアニスやカイ達臙脂マントの主動部隊と違い、鎌を持たず、死者界から出る事が出来ない補助部隊は主動部隊の一階級下にあたる。各々の経歴に関わらず、主動部隊の命令には従わなくてはならない。故に白蓮は竹織の命令をこれまで忠実に守ってきたわけだが、彼が倒れた今、独断で持ち場を離れた事に加え、口外するなという命令に背いたのだ。事態が落ち着いたら、処罰は免れないだろう。

 それでも白蓮の心は決まっていた。

「私の身に構いはしません。如何なる処分も受ける所存です。ですがどうか竹織様を……あの方を亡くしてはなりません。どうか……」

 白蓮は力なく両膝を付いて崩れると顔を覆って泣き始めた。違反の後ろめたさと竹織の姿を目の当たりにして、緊張の糸がふっつりと切れたのだ。

 アニスは白蓮を助け起こして椅子に座るよう促したが、白蓮はそれを丁寧に断った。

「……これからどうするよ?」カイが深刻な顔で言った。「俺たちは蘇生維持の方法なんて知らないんだぜ? 竹織がこのままだと……」

 カイが言葉を詰まらせた。その先はアニスにも分かっていた。

 蘇生維持が途絶えれば、紫陽花(しょうか)は今度こそ本当に死んでしまうことになる。竹織が目覚めたとしても、魔力が元通りになるまではかなりの時間を要するだろう。今までに移した魔力で紫陽花の体があとどのくらいもつだろうか? タイムリミットは長くないはずだ。

 竹織がどこで蘇生維持の術を知ったのかさえ解れば対策も講じれるかもしれないが――白蓮もこれには首を横に振った。

 アニスは柱の時計に目をやった。あと少しで長針が頂点に到達する。椿(つばき)と別れてもう随分と経つが、一向に戻ってくる気配も、連絡もない。

 やはり任せるべきではなかった――奥歯を噛み締め、アニスは短く息を吐いた。

「もう一度、アジを探してくる。カイ、あんたはここで――」

「その必要は無いわよお」

 ツンとした能天気な声に、三人は一斉に入口を振り向いた。

 深紅の携帯をたたんで椿が颯爽と入ってきた。だがそこに紫陽花の姿はない。

 アニスはすぐさま身を翻し、カイの呼び止めも無視して椿の青白い首元に手をかけた。白蓮が小さく悲鳴をあげた。

「やだあ、アニー。カッコ良すぎ」

 椿は大仰に言うと両手をあげた。怖がるどころか楽しんでいる様子だ。

「そんなに可愛い顔崩してどうしたのお? お嬢ちゃんなら心配いらないわ。こっちに向かってるって連絡貰ったから」

「――遅かったな。一体どこで何をしていた?」

「そうカッカしないの。こう見えてアタシも結構忙しいのよ? やっておかなくちゃいけないことは山ほどあるんだから」

「御託はいい。目的は何だ? 何故こうも監視されなきゃならないのか、気に食わないね」

「監視だなんて人聞きが悪いわ。アタシはただ見守っているだけよ」

 一触即発の空気に、カイは慌てて仲裁しようと立ち上がった。

「二人ともちょっと落ち着けよ! だいたい、監視って一体なんのこと――」

「残念だが私はこいつと違って騙されたりはしない。……お前は何者だ? 盗聴まがいのことまでして、何を企んでいるのか是非訊きたいもんだね――!」

「アニーってば相変わらず凛々しいこと。惚れなおしちゃうわ」

「冗談に付き合う暇はない。答えないのなら――容赦はしない!!」

 アニスの瞳が殺気に光った。

「アニス! 落ち着けって!!」

 カイがアニスの肩を掴んで引き離そうする。だが、怒りをむき出しにしたアニスはびくともしない。野犬のような突き刺さる視線にまったく動じない椿が、やがてぽつりと呟いた。

「合格よ」

「……は?」

 思わず訊き返した二人に、椿は少し疲れたように息を吐いた。

「ちょっと見ない間に随分と成長していたのね……。竹坊がアナタ達に一目置く理由が分かるわ。……でも、すべてを疑ってかかるその姿勢――立派だけど、そればかりじゃ駄目よ。いずれ、己の身を滅ぼしてしまうわ――」

 ほんの一瞬、静けさが部屋を包む。

 痺れを切らしたアニスがギチッと奥歯を噛んだ。

「茶化すのもいい加減に――!!」

 首元の手に力が込められる瞬間。

「――そこまでじゃ」

 しわがれた手が、その手首を掴みとった。

 天井まで届くほどの大男が二人の間に割って入っていた。細く結わえた銀髪の大男は、狼のように鋭く細めた目で、待ってましたと笑う椿を見下ろした。

「……お前さんの周りは面倒事ばかりじゃのう。もう少しおとなしく出来んのか」

「いやぁねぇ。焦らすアナタがいけないのよ。待ちくたびれちゃった」

「老いぼれの全力を当てにするでない」

「冗談やめてよ。アナタが老いぼれならアタシはどうなるの? それに、面倒にしているのはアナタのほうよ。御覧なさい」

 手の跡がくっきりと残った喉元をさすりながら、椿が顎をついと動かした。

 驚きと戸惑いの入り乱れた表情の白蓮を筆頭に、カイはごくりと喉を鳴らしてその場に凍りつき、アニスは蒼白になった顔から汗を吹き出して震えていた。

 王の次に絶対的地位を持つその人を知らぬ者などこの死神界にはいない。大半の者が彼を恐怖の対象とし、ある者は敬い、またある者は憧れの象徴として崇めた大罪人。

 先代の死神王(ししんのう)の首を取った〝白銀(はくぎん)虎狼(ころう)〟がそこに居た。

「久しいな、アニス。息災のようで何よりじゃ」

 唇を動かさずのんびり呟くと、アニスの手を離した。よろめいた体をカイに受け止められたことにも気付かないほど凝視したまま、アニスは掠れた声を絞り出した。

「……も、杜若(もりわか)様が……何故こちらに……?」

「なに、野暮用じゃ。このキツイお姉ちゃんにこき使われてのう」

「アラ。言ってくれるじゃないの、若様。それでも来てくれるんだから呼んじゃうのよ」

 乱れた服を整えながらクツクツ笑う椿を恨めしげに睨んでいたが、やがて杜若は諦めたように大きなため息を吐いた。

「……まあええ。お前さんたちもそう身構えるな。儂はただの護衛役じゃ」

 そう言ってのそのそとコートを脱ぐと、彼の背にひっついていたそれが姿を現した。

「アジ!?」アニスとカイが同時に叫んだ。

 死神のコートを纏った紫陽花が杜若に負ぶさっていた。滑るように降りると、少し気まずそうに視線をあちこちに漂わせながら「ただいま」と小さく呟いた。

「ああ良かった。これで揃ったわね。それじゃ――」

 椿は安堵に目を潤ませていた白蓮のほうを向いてピシャリと告げた。

「用件は済んだでしょう。持ち場に戻りなさい、白蓮。今日の事は見逃してあげる。……その代わり後でそっちへ行くわ。準備は万全にしておいて頂戴」

 急に合った視線に驚いた様子の白蓮に、杜若も口を開く。

「こやつの言う通りじゃ。戻れ白蓮。ここから先は儂が引き受けよう。……気持ちは分かるが、お前さんの不在が続いては、皆、困り果ててしまうからの」

 柔らかな響きは、誰よりも不安を抱いている白蓮への優しさだった。

 白蓮は細い目を精一杯開いていたが、すぐに背筋を整えると目元を拭った。

「……承知致しました。ありがとうございます。椿様。杜若様」

 白蓮は一人ひとりに向けて丁寧に一礼した。竹織に向けては、込み上げるものをぐっと堪えてしばらく見つめた後、ゆっくりと頭を下げた。

 部屋をあとにする白蓮を呆然と見送りながら、アニスは混乱する頭を必死に抑えた。


 ……一体、何がどうなっている?


 白蓮は補助部隊とはいえ中央門番という重役――いくら主動部隊の人間が補助部隊に対して命令が出来るとはいえ、彼女が持ち場を一時的に離れた事に関して「見逃してやる」などと簡単に言えるものではない。本来なら罰則を受けるべき重罪だ。竹織やアニスでさえ持たない裁きの権限に触れる事柄を、カイと同期の椿が命じられるはずがない。それに――

「――どうしてアタシが若ちゃんと通じているか、でしょ? ……分かりやすい子達ね。顔に書いてあるわ」

 椿は苦笑交じりに言うと、反論もなく呆然とするカイとアニスに向かって刹那、別人のような穏やかな、どこか寂しげな表情を見せた。

「もう隠し事はおしまいね。――カイ坊。貴方と同期でいられてとても楽しかったわ」

 そして杜若を傍らに、凛然と言い放つ。

「――私はね、その昔、この人に殺されちゃった王様の秘書をしていたのよ」

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