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八月の紫陽花  作者: 鷹羽慶
第一章 : 漆黒の狩人
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3:鈴音

 砂子市四丁目のファミリーレストラン。三時半を少し過ぎたこの時間帯は特に人が多い。

 面倒な時間帯に呼び出しおって――吉木場(よしきば)朱里(しゅり)は、携帯を閉じて三杯目のオレンジジュースを飲み干した。

 赤茶色のショートヘアを弄び、大きなガラス窓の向こうに見える通りを行き交う人の流れを目で追った。自分を呼び出した張本人はまだ来ないのか……?

 朱里はため息を吐いた。

「あと何杯で来るかしらねぇ」

 携帯をテーブルに置いてドリンクバーへと向かう。特にオレンジジュースが好きというわけではないが、炭酸がダメなのだ。ドリンクバーって、どうして炭酸ばかりなんだろう? 不満顔でオレンジジュースのボタンを押す。……出てこない。どうやら切らしている様子。店員を呼ぶのも面倒なので、アイスコーヒーで我慢した。

「――おぅ、キバちゃん! 無用心だなあ。財布と携帯は肌身離さず持っておくべきだぞ?」

 席に戻ると、自分と同じ制服の少女が、ガラス窓を背にして座っていた。遅れて来たという自覚がまるでない少女に、朱里はしらけた目線を送る。

「アジ……。あんたどれだけ人を待たせれば気が済むのよ?」

「いやー、悪い悪い」

 大して悪びれもせずに軽く謝ると、店員にドリンクバーの追加を頼んだ。

 朱里の目の前に座っている少女――栗栖(くりす)紫陽花(しょうか)は、名前を『アジサイ』と書くことから『アジ』と呼ばれていた。学年屈指の成績を持つ人間なのだが、如何せん時間にルーズである。容貌も悪くないし、周りを明るくしてくれる大らかな性格は人を惹きつける力を持つだけあって、いささかもったいない娘だ。

「じゃ、ちょっと飲み物取ってくるね」

 長い髪をなびかせて歩く紫陽花に、すれ違う数人が振り返った。

 茅城高校の制服は地味なくせに目立つ。深緑の襟とスカートに、ピンクのスカーフという、なんとも古臭い色合いのセーラーだ。夏服こそブラウスの白がアクセントになるが、冬服は見るに耐えない。なのに、この娘が着ると良く似合う。やはり長い黒髪のせいなのだろうか――朱里はまたしても大きなため息を吐いた。

「どうした? キバちゃん。ため息多いぞ?」

 予想以上の速さで戻ってきた紫陽花が覗き込んできた。彼女の青い瞳がきらりと光る。

「いや、別に。なんかアジを見てるとさ、ため息吐いてた理由がどうでもよくなってくるわ。そして、そのどうでもよさにまたため息が出る」

「結局どっちなのよ?」

「要するに、アジを見てるとため息が出てくるってこと」

「なんだとぅ!?」

 喧嘩を売ってるのか――口を引きつらせて呟く紫陽花を、朱里は完全に無視した。

「ところで、そのリュックは何? どこか行くわけ?」

 ストローをくわえたまま、紫陽花の横に投げ置かれた水色のリュックサックを指差して訊いた。

 紫陽花も指につられてリュックを見る。そして当然のようにけろりと答えた。

「ああ、さっき家出したんだー」

 ゴフッ、とアイスコーヒーが泡立った。

「…………は?」朱里は唖然として訊き返した。

 終業式の今日、紫陽花とは午前中に学校で会っている。にもかかわらず、人の多い時間帯にファミレスに呼び出され、挙げ句、一時間待たされたのだ。よもや、その理由が家出などとは思いもしなかった。

「母さんがね? 『ショウカは進路を決めかねているんじゃなくて考えてないだけなのよ』なんて言うからさ、自分探しと銘打って家を出ようと決めたわけ!」

 言い切ると、紫陽花はジンジャーエールを一気に飲み干した。

 あんたは小学生か……。朱里は額に手を当てて首を振った。親と意見が食い違ったくらいで家出とは、突発的にも程がある。いくら紫陽花が成績優秀だと言っても、三年の夏は特に大切な時期だ。悠長なことはいってられない。なんとしても阻止しなくては。

「じゃあ、アジは今、志望校どこまで絞ってるの?」

「七つ」

「多っ……」

「えー、そうかな? キバちゃんは候補いくつなの?」

「二つかな」

「少なっ!!」

 いや、最終的に行く大学は一つだ。私は至って普通だよ。アジのお母さんの気持ちがよく分かるわ――朱里は心の中で呟いた。

「でもね、やりたいことが無いわけじゃないの。今のところ心理学に興味があるから、それが勉強出来ればなって思ってるとこ」

「それ、お母さんに言った?」

「言う前に出てきた」

「おーい……」

 朱里はがっくりと頭を落とした。紫陽花は基本、しっかり者だ。だが、感情が先走ることがしばしばあるせいかどこか詰めが甘い。

「それじゃ駄目じゃない。ちゃんと自分の言いたいことは言っておかないと……」

 目線を戻すと、紫陽花はもう話を聞いていなかった。後ろを振り返ってガラス窓の向こうを見つめている。視線の先に佇んでいたのは、クリーム色の外壁――『fromage』。先日自殺したクラスメイト、内原緑都行きつけの喫茶店だ。

「……そういえば、内原が自殺したっていう交差点、そこだったわね」

 紫陽花の心を読むように、朱里は静かに言った。

 内原緑都は、先祖代々医学に携わっている家系の一人息子で、クラスはもとより、常に学年でもトップの成績を守り抜いてきた。ハーフでもないのに澄んだ緑色の瞳をもつ青年は、口数こそ少なかったが、その温厚な性格で女生徒間の人気も然ることながら、男子からの信頼も厚かった。

 そんな彼が何故自殺を図ったのか。

「いまだにわかんないなあ。勉強出来て、親にも期待されて――私は内原が羨ましかったな。母さんなんか、将来やりたいことを打ち明けたって『ショウカの性格じゃ無理だ』なんて言うんだもん!」

 紫陽花は向き直って頬杖をつくと口を尖らせた。

 氷だけになったコップの中をストローでくるくるとかき混ぜる。氷がぶつかり合う軽い音が間を保たせていた。

「ふふふ……」

 突然クスクスと小さく笑い出した朱里に、紫陽花は顔をしかめた。

「いきなりなによ?」

「いや……ごめんごめん。アジは内原と真逆のことを言うのね」

「は?」

 眉間にシワを寄せて訊き返す紫陽花の顔は朱里の笑いをあおるだけだった。紫陽花を手で制してアイスコーヒーを一口飲む。ようやく呼吸を落ち着かせたところで朱里は話を続けた。

「内原はアジが羨ましいって言ってたのよ」

「私が?」

 間抜けな声をあげる紫陽花に、朱里は温かな眼差しを向けた。

「そうよ。努力家で、ちゃんと夢があって、自分の言いたいことがはっきり言えて……内原にとってはアジが雲の上の人だったみたいよ」

「何それ、そんなの普通じゃん。随分と大袈裟な……」

「まあ、内原にも不得意なものがあったってことでしょ。ちょっと考えが読みにくかったけど、優しくていい人だったよね……」

 感傷にひたる朱里とは対照的に、紫陽花はきっぱりと言い切った。

「最後まで変な奴だったよ。内原は」



 内原緑都とは、三年になって初めて同じクラスになった。

 授業中、隣の席で緑都はいつも空を見ていた。晴れの日も、雨の日も、その緑色の瞳で。羨ましそうに、でもどこか悲しげに。端正な横顔は、およそ育ち盛りの青年には見えないほど疲れきっていたように見えた。

 一度だけ「どうかしたのか?」と書いたメモを渡してみたことがあった。心配というよりはただの好奇心からだった。この変人内原緑都が見ているものの先に一体何があるのかを知りたかった。

 紫陽花がそんなメモをよこすのがよほど意外だったのか、緑都は一瞬驚いた表情を見せたが、味気ないそのメモを見て紫陽花ににっこりと笑いかけると、紫陽花の書いた一言の下にさらさらとペンを滑らせた。きれいに四つ折りにして紫陽花に返すと、再び空を眺め始めた。

 紫陽花はすぐさまメモを開いた。そこにはたった一文、書道の手本のような整った字で書かれていた。



『僕は、空になりたいんだ』



 それが、紫陽花が見た内原緑都の最後の言葉になった。

 その数日後、彼は自殺。翌週から紫陽花の隣の席には、行きつけだった喫茶店からもらったという花と、卒業アルバムに使うはずだった写真が置かれるようになった――。



 朱里は少し困った顔をして言った。

「そこまで断言したら気の毒よ。内原、アジのこと好きだったんだから」

「はあっ!?」

 紫陽花の頬に一気に赤みが差した。知らないぞ、そんなこと。

「『本当は告白するつもりだったんだけど、結局言わず終いになってしまって申し訳ない』って言ってたわ。……まったく、何に対して謝ってるんだか」

 思い出すように呟くと、朱里は小さく肩をすくめた。

 紫陽花は黙っていた。顔は火照り、握りしめた拳が小刻みに震える。本人から言われるよりもずっと恥ずかしい。ましてや、そのことにまったく気付いていなかったとは。

 ぐるぐると目を回す紫陽花の頭に、ふと、何かが引っかかった。

「……ちょっと待った、キバちゃん。それ――いつの話(・・・・)?」

内原の葬式の時(・・・・・・・)よ」

「………………会ったの?」

「そうよ」

 何をいまさら、とでも言うように、朱里はひらひらと手を振った。

 朱里は生まれつき霊感が強かった。それも〝見える〟なんてものじゃなく〝話せる〟程に。彼女の曾祖母が戦時中に戦死者の弔い業をしていたそうで、朱里は経典を絵本代わりに聴かされ育ってきたのだという。それにしても霊が見えるだの話せるだのとは、俄かには信じられない話だ。紫陽花も初めのうちは到底信じられなかった。

 だが、朱里はそんなことを気にも留めていなかった。それどころか霊感の強さを証明するかのように、朱里は初対面で、知るはずのない栗栖家の家訓をピタリと言い当ててみせた。家訓は父方の先祖が最初に(勝手に)掲げたもので、御丁寧に家紋入りの掛軸で残っていたのだが、紫陽花が生まれてすぐの頃に亡くなった祖父の遺品整理をする時まで、そんなものが存在していることすら、親戚中誰も知らなかったのだ。

「なに? もしかして、まーだ信じてないのかなあ?」

 朱里は目を細めて、紫陽花ににやりと笑いかける。

「そういうわけじゃないけど……」

「なんだったら、アジのこれまでの人生を語って見せましょうか?」

「け、結構です!」

 最近はさらに、その人のオーラを見るだけで過去が分かるようになってきたと言うのだ。我が親友ながら気が抜けない。

「冗談よ」朱里は片手を挙げて謝る仕草をした。

「もう、脅かさないでよ……」

 ほっと一息つくと、途端に肩の力が抜けた。思いがけないことばかり、この数分でどっと疲れを感じてしまった。

 内原が自分を好いていた――彼に羨みの想いを抱いていただけあって、正直なところ嬉しかった。だが、どうにも腑に落ちないことが紫陽花の心に渦巻いていた。

 だとしたら、どうして自殺なんかしたのだろう? 告白しようとしていたのなら尚更。奴には未練がないのか? ニュースによれば遺書も残してないというし……。

 険しい表情で黙り込んでしまった紫陽花を見兼ねて、朱里は明るい声で言った。

「飲み物取ってくるわ」

「あ、私のもおねがーい」

「はいはい」

 器用にコップを片手に二つ持って朱里は席を立った。だが、五歩も行かないうちに立ち止まるとくるりと振り返った。

「――っと、アジは何が飲みたいの……」

 手からコップが滑り落ちたのはその時だった。

 それ(・・)が、見えた。

 みるみる見開かれていくその目は、紫陽花の後ろに釘付けになっていた。

 ガラス窓の向こうに浮く黒い人影が「サイダーでいーよ」と言う紫陽花の真後ろで鎌を振りかざしていた。銀縁の黒コートに臙脂のマント。俗に言う『幽霊』なんてものではないと一目で分かった。

 足元で派手な音をたててコップが割れた。床にガラス片が宝石のようにきらきらと光りながら飛び散る。「大丈夫ですか!?」と駆け寄ってくる店員の声は、朱里の耳に届いていなかった。

 自分にしか見えていないことも忘れ、朱里は叫んだ。


「紫陽花ッ!! 逃げて――――――!!」



「………………え?」











 リン。









 ほんの、一瞬のことだった。

 紫陽花の右わき腹に何かが触れた――気がした。ジェットコースターが最高点から落ちる時のような感覚――体の中をえぐり取られるような感覚を覚えた。

 それ以上は、何も。

 次の瞬間には、紫陽花の体は音も無く横たわっていた。

 薄れゆく意識の中、微かに聞こえる朱里の叫びと周囲の悲鳴。

 そして、見た。

 真っ黒なその存在を。

 確かに、聞いた。




 小さな鈴の音を――。


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