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八月の紫陽花  作者: 鷹羽慶
第六章 : 銀髪の死神(真)
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2:証

 広場の東側にあった石造りの小さなトンネルを抜けると、本堂と呼ばれた所へは一本道だった。不揃いな石畳の道の脇には街路樹のようにあの円錐形の柱が並び、鋭い先端ではゆらゆらと明りの炎が燃えていた。

 まもなく本堂へ到着すると、紫陽花(しょうか)はそれを見上げて唖然とした。

 建っていたのは竹林の中にひっそりと佇む日本家屋――ではなかった。納屋ほどもあろうかという大きさの岩がいくつも積まれた巨大な遺跡だった。柱と同じく黒曜石のような美しい遺跡は、錆色の両扉の脇に焚かれた松明のおかげで妖しげな輝きを放っていた。

 大男は扉を押し開けた。石畳に門が擦れる音に紫陽花はごくりと唾を呑み込む。促されるまま恐る恐る足を踏み入れ先へ進むと、こじんまりとした温かい部屋に出た。

 ドーム型の天井は手を伸ばせば届きそうな高さだった。中央の囲炉裏といい、白い壁に小さく掘られたくぼみにろうそくを灯したそれは、かまくらそのものだった。

「適当に座れ。寒かったじゃろう。お茶を持って来るけえ、ちぃと待っとれ」

 呆然と立ち尽くす紫陽花に柔らかな口調で言うと、大男は身を屈めて部屋をのそのそと出て行った。

 紫陽花は躊躇いがちに近くの青い座布団に正座すると部屋を見回した。壁のろうそく台の間にはタペストリーやあの灰色ローブなど色々なものが飾ってあり、小さな部屋は一層窮屈に思えた。

 とりわけ目を惹いたのが、入口の真向かい、上座の壁に掛けられていた鎌だった。竹織が持っていたものの倍はある大鎌が火明りに照らされて輝いている。

「――昔、儂が使っていた物じゃ」

 大男がぽつりと言った。振り返ると盆を持って戻ってきたところだった。狭さに身を屈めることにも慣れているようで、紫陽花にお茶を出すと器用に向きを変えて反対側から部屋の奥へ回り込んで腰を下ろした。

 浅めの湯呑に黄金色のお茶が波打っていた。

「毒なんぞ入っとらんよ。飲んで温まるとええ」

 手をつけようとしない紫陽花にのんびり言うと、大男は酒でも飲むかのように自分のお茶を一気に飲み干した。紫陽花も恐る恐るお茶を一口啜った。ゆずの香りが湯気と一緒に昇ってきた。

「ここは死神世界の中でも極地じゃ。そんな格好でよくここまで無事だったのう」

 大男は紫陽花の夏服姿に目を細めた。紫陽花は自分を見下ろしてから、脇にたたんだ灰色のローブを見、はっと我に返った。

「そうだ……。ここは一体……? さっきの子だって私の名前を知っていたの。どういうこと――?」

「まあ落ち着きんさい」大男はごつごつした手のひらを立てて制した。「逸る気持ちも分かるが、今お前さんに必要なのは休息じゃ。まずはしっかり温まりんさい」

 紫陽花は再び口を開きかけたが、じっと見つめてくる大男の眼差しには敵いそうもなかった。促されるままゆっくりとお茶を飲む紫陽花に、大男は満足そうに頷いた。

「【生き狩り】の一件はここでも有名な話でのう。知らん奴はそうおらんのでな。お前さん自身はあまり自覚がないじゃろうが、それほどまでに青い瞳は珍しいということじゃ。……そんなお前さんなら、ここに来て不思議に思ったことがあるんじゃなかろうかの?」

 大男は試すように目を光らせた。

 胸の内を読まれた紫陽花は驚いて大男を見た。だがその視線は大男の肩から流れる銀髪に釘付けにされていた。

「……やはりか」大男はゆっくりと息を吐くと腕を組んだ。「察しの通り、ここには銀髪の死神しか居らんのじゃ。……いや、死神だった者――と言うべきかのう」

「……だっ、た……?」紫陽花の声が微かに震えた。

「そうじゃ。ここの者達は種族でも血縁でも何でもない。じゃが、みいんな同じ銀髪をしておる。何故だか解るかの?」

 紫陽花が首を横に振った、その時だった。

「――証だからです」か細い声が答えた。「永久に拭えない証」

 いつの間にか部屋の入口に少女が立っていた。寒い中急いで来たのだろう。息を弾ませながら小刻みに震えている細身の体は今にも倒れそうだ。その愛らしい顔には殴られたような青アザをいくつも作ってきていた。

「また派手にやられたのう」大男は呆れた声で言った。

「いつものことですから」少女ははにかんだ。

「ここはええから、隣で薬を塗ってきんさい」

 少女は不服そうに、パンダになってしまった顔をすぼめたが、心配そうに見上げる紫陽花にぺこりと小さくお辞儀をすると素直に部屋を出て行った。

「見苦しいものを見せてしもうたのう」呻くように呟いて大男はお茶を注いだ。「元々争い事には向いとらんから、よくああなるんじゃ。気にせんでええ」

「……いじめられているの?」

「ちょっと違うが……まあ、似たようなもんじゃろ」

「あの子も死神……だった、ってこと?」

「いかにも。リリーは儂の相方じゃった」

 ぱちりと囲炉裏の炭が弾けた。

「……どういうこと……? 死神じゃないって……? だってそのコートは……? 鎌だってあるのに……?」

 口が渇いて喉が痛む。声は掠れ、絞り出すのがやっとだった。

「なに。言葉の通りじゃ。儂らは狩る資格を失った――それだけのこと。あれはもうただの装飾品でしかない」

 大男は深く長い息をついて、壁に掛かった鎌を見上げた。刃に映る姿が炎にゆらめく。

 ここに来たのも運命なのだ――唐突にそう思った。アニスを振り切ってここに行きついたことも、リリーという少女に会ったことも、本堂と呼ばれる巨大遺跡の中に今居ることも、全部が用意されたことだったのだ。だから、胸にずっと引っ掛かっていた何かが、今にも取れてすっきりできそうなのだ。


 だがその思いと裏腹に、紫陽花は耳を塞ぎたくて仕方なかった。



 だったらあいつは……

 



 竹織(たけおり)は一体なんだと言うんだ――?




 

 またしても一気に飲み干して大男は咳払いをひとつした。

「さて……、お前さんは頭が良いと見込んで、単刀直入に言うとしようかのう」

 大男は紫陽花としっかり面向かうと、低く言い聞かせるようにはっきりと告げた。

「最初から銀髪の死神なんか()りゃせん。白銀の髪は道を外れし紛い者の証。儂らは……銀髪の死神というのは皆――犯罪者じゃ」


 ドクッっと、心臓が大きく跳ねた。




 ……犯罪者?




「死神も罪を犯せば罰を受け、その証を身が朽ちるまで永久に残される。裁きの神は、どんなに遠くからでも一目で区別がつくようにと、髪の色を抜いたのじゃ」




 ……色を……抜く?




 バラバラだったパズルが急速に出来上がっていく。


 最初から銀髪の死神なんていない――


 大男の言葉が幾重にも反響する。



 じゃあ、竹織も元々は……?



 紫陽花の呼吸が浅くなる。寒さが全身を襲い、内側から叩きつけられたような頭痛に見舞われた。




 もしも、あいつが……




 乾いた咳と一緒に嗚咽が漏れ、だらだらと汗がしたたり落ちる。






 竹織の、髪色が……






 紫陽花は固く目を閉じた。嘘だ、嘘だ、嘘だ嘘だうそだ…………!!















 真っ黒、だったとしたら?















 最後のピースがはまった。

 紫陽花の頭に、狩られた瞬間が明々と呼び起され徐々にクロスフェードしていく。新たに映し出されたのは、ついさっき、竹織が倒れた瞬間だった。



 リン。



 小さな鈴の音が響いた。


 見られているのはお前だけではないがな――。


 そう呟いていた言葉の意味が今ならわかる。




 そうか。あいつは――


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