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八月の紫陽花  作者: 鷹羽慶
第六章 : 銀髪の死神(真)
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1:曇灰の雪

 厚い灰色の雲の下、草木が一本も見当たらない荒野を紫陽花(しょうか)はひたすら歩いていた。遥か前方に見える山の頂上は白く雪化粧をまとい、広がる荒野には風化して鋭利になった石が地面から生えたようにむき出しになっていた。転べば洒落にならない。

 恐怖すら感じる景色と天候が、皮肉にもあっという間に頭を冷やしてくれた。死神界にどうやって戻ってきたのかは曖昧だったが、とりあえず勢いに任せてアニスを振り切ってしまったことには後悔していた。

 急激な冷え込みに紫陽花は震えながら歩いた。夏服姿には一刻を争う天候だった。一面を覆っていた靄はいつの間にか消え、視界は良好になったが、ひらひらと舞い始めた雪が容赦なく体温を奪っていった。

 一度は引き返そうと思ったがやめた。延々と広がる荒野をむやみに歩き回るのは得策ではない。紫陽花は山の麓に見えた建物らしき黒い影に向かってみることにした。自分がどっちの方角から来たのかまるで見当がつかないが、あそこまで行けば誰かいるに違いない。

 黒い影に近づくにつれ、ちらつく程度の雪は徐々に量を増し、地面に残る足跡もくっきり深くなってきた。風の寒さに加えて足下からも氷のような冷たさが襲った。紫陽花は何度も止まりそうになっては体のあちこちを叩いて奮い立たせた。

 風が勢いを増した頃、目的地に到着したと分かった。入口などは特になかったが、建物のように見えていたモノが目の前にそびえていた。その光景に紫陽花は愕然として立ちすくんだ。

 黒い影を形成していたのは針山のように無数に点在する円錐形の柱だった。まるで黒曜石のように姿がはっきりと映るほど磨かれた柱は一本一本の高さはバラバラで、一番低いもので二メートル、高いもので十メートル近くにも及んでいだ。

 これだけの人工物があるところだ。無人ではないだろう。紫陽花は唇を噛み拳を握ると、ずかずかと雪を踏みしめて奥へ進んだ。新たな雪に消えかかっていたが、紫陽花以外の真新しい足跡がいくつか見えた。

 三十歩もいかないうちにフードをかぶった人影を見つけた。紫陽花より頭一つ小さい小柄な影だ。紫陽花は恐る恐る近づいて控えめに声をかけた。

「あのぉ……すみません……」

 突然の呼びかけに相手は飛び上がるように驚いて振り向いた。勢い余ってかぶっていたフードがずり落ちる。目が合うと紫陽花は思わず声をあげた。

 雲と同じ暗い灰色のローブを身に纏った少女だった。幼い顔立ちだがおそらく中学生くらい。驚きと怯えに真紅の瞳を大きく見開き紫陽花を凝視している。そして最も紫陽花の目を引いた細長い二つのおさげを結わえた髪は――


 雪のように真っ白な銀髪だった。


 竹織(たけおり)と同じ銀髪の少女は、魅入ったように立ち尽くしていたが、やがて我に返ったように身を震わすと、か細い声で呟いた。

「青の瞳……。もしかして、栗栖紫陽花様……?」

「!? どうして私の名前――」紫陽花が口を開いた時だった。

「見つけたぞ! リリー!」

 柱の上から男の声がした。見上げると少女と同じく灰色のローブに包まれた男が、サーカス団顔負けに柱のてっぺんに立ち、ニヤニヤと二人を見下ろしていた。男の声に反応して、立ち並ぶ柱の陰から人影が次々に現れ二人を取り囲んだ。

「な、なに……!?」

 紫陽花は思わず後ずさる。そして、その光景に目を疑った。

 全員が灰色のローブを着こみ、鏡のように艶やかな銀髪をなびかせていた。

「こっち!」

 おさげの少女は戸惑う紫陽花の手首を掴むと、じりじりと詰め寄ってくる集団の隙間を走り抜けた。訳が分からぬまま引っ張られる紫陽花の後ろで「追え!」と叫ぶ声が聞こえた。

 凍てつく空気が全身に叩きつける中、二人は全速力で走った。背後から追いかけてきていた怒声はいつのまにか吹雪く風の中にかき消えていた。口を開こうにも向かいくる風が雪玉のようにがっぽりと入ってくる。呼吸することもままならない状態で走り続け、やがて簡素な造りの家々にぐるりと囲まれた広場に出ると、ようやく少女は足を止めた。

 広場には数人の人がいた。倒れこむように柱の森を抜け出てきた二人を驚いた様子で見つめていた。

 咳き込みながらよろよろと体を起こした紫陽花は、周囲を見回して言葉を失った。

 ここでも一人の例外なく、揃って灰色のローブを纏い、銀髪に深紅の瞳の風貌だった。

「……手荒なことをしてごめんなさい」

 少女は紫陽花の背をさすりながら、か細い声で謝罪した。

「急とはいえ、酷な手段を取ってしまいました……。あの……気休めですけど、これ良かったらどうぞ」

 少女はそう言って自分が羽織っていたローブを紫陽花に着せた。想像以上に軽く薄いローブだったが、もっと驚いたことに、ローブを脱いだ少女は端切れを合わせたような薄手のタンクトップに短パン姿だった。

 驚愕の表情を浮かべる紫陽花に、少女は「慣れっこですから気にしないで」とやんわり微笑んだ。

 少女は立ち上がると周囲を見回し、凛とした透き通る声で呼びかけた。

「若様! 若様はいらっしゃいますか?」

 広場にいた人々が互いに顔を見合わせた。指差す者が何人か居たが皆方向がバラバラだ。他も肩をすくめたり首を横に振るばかり。広場全体がざわつき始め、少女の顔に不安な影が差した時だった。

「――どうした?」

 ひどくしゃがれた声が広場に響いた。

 つい今まで口々に話していた人々が一斉に声のする方を向いてひざまずいた。少女だけが立ったまま、安堵の表情を浮かべてその人を見上げた。

 銀髪の大男が広場の奥から現れた。死神と同じ銀縁黒コートを着た男は、地面まで届くボサボサの髪を後ろで細く一つに纏め、捲し上げた袖口からは痕として残った傷が無数に走る逞しい両腕が見えた。隈取のようにはっきりした顔立ちは、少しのシワと持ち前のしゃがれ声で、若様と呼ぶには似つかわしくない、威厳のある初老の風貌を醸していた。

「仰せつかっていた御方をお連れしました」

 少女は歩み出ると控えめに言った。

 大男の視線がゆっくりと少女から紫陽花へ移った。目が合った瞬間、紫陽花は思わず身を強張らせたが、大男はどこか安心したように目を細めると、少女に視線を戻した。

「……かたじけん。御苦労じゃったのう」

「いえ。それで――」

 水を差すように森のほうから騒がしい声が聞こえた。先程追いかけてきた連中に違いない。紫陽花も息を詰めて森を睨んだ。

「なんじゃ、また追われとったのか」

 森の彼方を眺めながら、危機感をまったく感じない口ぶりで大男がぼやいた。

「……先に本堂へ戻ってください」少女は眉を下げて微笑んだ。「私もすぐ行きます」

「……ほどほどにの」

 疲れたようにため息を吐いて、大男は紫陽花を手招きした。一人置いていくことに躊躇う紫陽花にやんわりと微笑んで、少女は「慣れっこですから」と二人を送り出した。

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