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八月の紫陽花  作者: 鷹羽慶
第一章 : 漆黒の狩人
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2:標的

 死者界の中心都市――十字架の城(クロスカスター)。死者界の政治の拠点地であり、死神達の居住区だ。そびえ立つ白銀の塔を中心に十字架のように街が形成されていることと、高い壁に囲まれた死者界一安全な場所という意味で、そう呼ばれている。

 その東地区――始境の樹湖(イーストリーフ)の森の中、一人の死神が散歩をしていた。

 短めの髪は癖ひとつなく、風の吹くままになびいていた。

 久々の休み。連日の仕事の疲れが溜まっていた彼にとって、ありがたいことこの上なかった。

 遊歩道沿いに覆い茂る緑の木々が開け、小高い丘へ出た。短く刈りそろえられた草は寝転ぶのにちょうどいい長さだった。彼は手を組んで枕代わりに頭に当てると、そのまま仰向けに倒れこみ、静かに目を閉じた。

 風の音がする。

 鳥のさえずりも聴こえる。

 静かな場所は落ち着いていいものだ。このままずっと、ここでこうしていたい――


 ピリリリリ――。


 願いは、儚く消えた。

 携帯に一通のメールが届いた。目を開けるなり眉間にシワを寄せると、面倒くさそうに起き上がって携帯を開く。送り主の名前を見た瞬間、シワが一本増えた。

『召集。四十四階、王帝執務室』

 ――死神王からの呼び出しだった。



 乾いた音が響き渡る。

 白銀の塔の内部。金属製の階段を彼はただひたすら昇っていく。

 天国の塔(ヘヴンズタワー)と呼ばれ、死神達の職場であるこの塔は、どっしりと高い造りをしている。塔の大黒柱にもなっているエレベーターを取り巻くように伸びる螺旋階段は、一段一段が高く、急だ。四十四階まで昇るのが辛くないわけではないが、死神王のもとへ向かう時に、他の死神と会うのがなんとなく嫌だった。

 錆色の扉を押して廊下に出た。死神のマントと同じ臙脂色の絨毯が敷かれた廊下は、足音をすべて吸収して静けさをもたらす。シミ一つない純白の壁と天井は、窓も明かりも無い廊下を照らしていた。

 突き当たりを右に曲がると行き着く、茶色い木製の両扉の前で足を止めた。金の取っ手は、くすみ一つ無く磨き上げられている。

 彼は眉間にシワを寄せた――嫌な予感がする……。

 扉を開けることに躊躇っていると、内側からスッと開き、銀絹のマントを纏った背の低い男が顔を出した。

「どうした? そんな所に突っ立ってないで、早く入って来たらどうだ」

 君のことならお見通しだよ――わざとらしい笑顔を浮かべて立っている死神王に、彼は嫌悪の眼を向けた。



「――納得できませんっ!!」

 椅子に座って窓の外を眺めている死神王に向かって叫んだ。死神王の横では、秘書がその剣幕に肩を振るわせた。

「納得できるかどうかなんてどうでもいい。このことは私が何十年も前から考え、準備してきたことだ。そしてようやく制度化目前までになったのだ――」

 まるで死神王はその反応を期待していたかのように、窓に映る死神に勝ち誇った表情を浮かべた。

「冗談じゃない!! ふざけるなっ!!」

 彼は怒りに任せて言い放つ。もはや身分がどうのこうのなど言っていられなかった。

 死神王自身、何を言われようと気にしていなかった。むしろ、目の前の死神が怒りに我を忘れる姿を心底楽しんでいるようだった。

「私は大真面目だよ。それに、このことは後の君にとって大きな助けになるかもしれないんだぞ?」

 彼は拳を握りしめ、死神王を睨みつける。秘書は不安な表情を浮かべながら二人を見比べた。

「君も知っての通り、現在生者界で社会問題になっている少子高齢化は、もはや生者界だけの問題ではない。だからこそ、早急な対応を打ち出したのだ」

 死神王は椅子から立ち上がり、窓へ歩み寄った。眼下に広がる街並みでは、大勢の死神たちがアリの子のように忙しく動き回っていた。

「彼ら一人ひとりがどれほどの仕事を負担しているのか、君も知っているだろう?」

「……だからといって、法に触れて良い訳じゃないだろう!?」

「その通りだよ。ならば、法に触れないように(・・・・・・・・・)するまでだ」

「正気か!?」

「何度も言わせるな――私は大真面目だ。わざわざ君を呼んだのが何よりの証拠だよ」

 死神王はゆっくりと振り返ると、口の端を微かに吊り上げて不気味な笑みを見せた。

 彼は苦虫を噛んだように顔を歪めた。無言のまま向きを変えて部屋を後にしようとしたが、突如として右頬を掠めたものに、その足はピタリと止まった。

 背後から飛んできた白羽の矢は、音も無く壁に突き刺さった。羽には一人の少女の写真が貼り付けられている。

「記念すべき最初の試験体はその娘だ。無事に済めば、その後は君の好きにすれば良い。期待しているぞ―〝漆黒の狩人〟」

 直後、彼の体から凄まじい殺気が溢れ出した。鬼の形相で振り返ると、愉快に笑う死神王に向かって吐き捨てた。

「俺を、その名で呼ぶな……ッ!!」

 彼は一目散に部屋を出て行った。蹴破るように開け放たれた扉には反動で一本の亀裂が走った。

 部屋に、静けさが戻った。

 張りつめた空気が解けたことで、秘書は長い息を吐く。額から流れ落ちる冷や汗が彼女の疲労を物語っていた。

「……よろしかったのですか? あれほどまでに怒らせてしまって……」

「心配はいらないよ」

 秘書の不安をよそに、死神王は依然として楽しそうだった。銀絹のマントを翻し、形が変わってしまった大扉へ歩み寄ると、刺さった白羽の矢を抜いた。写真の少女にニタリと笑いかけ、独り言のように静かに呟く。

「もう二度と、そう呼ぶことは無いのだから――」



*  *  *



 白昼の住宅街。日頃閑静なこの住宅街に、近所迷惑な怒声が響き渡る。

「こんの石頭――っ!!」

 近くの電線に止まっていた鳥たちが一斉に飛び立った。

 青と白の壁。スタイリッシュな二階建ての家は近所でも有名な『エコの家』だった。青い壁と一体化するように設置されたソーラーパネルは燦々と照りつける日光を受け止め、二階のバルコニーで育つ植物たちは鮮やかな緑色を見せ付けていた。

 温暖化抑制に貢献しているこの家のリビングで、温暖化現象は起きていた。

 冷房はいつも通り二十八度に設定されている。だが、インターホンの隣に設置された室内温度計は三十度を超えていた。

 その原因となる人物が、リビングの中心で兎に角叫んでいた。

「決まらないものは仕方ないじゃない!!」

 腰まで伸びた長い黒髪を振り乱して、少女は、ダイニングテーブルに座ってお茶を啜っている母親に向かって叫んでいた。顔を赤らめ、息を荒げている。少女から発せられる熱は周囲の空気をも歪ませていた。髪がべたべたと顔にまとわりつくが、今はそんなことどうだっていい。

「決まらないんじゃなくて、考えてないんでしょう?」

「なっ……!?」

「ショウカはいつもそう。候補を挙げるだけ挙げといて、結局自分じゃ決めないのよ。そういうの『決められない』って言うより『決める気が無い』ってだけよ」

「違うわよっ!!」

「はあ……先が思いやられるわ。頼むから明後日の三者面談の時までにちゃんと決めておいてちょうだいね」

 これ見よがしに大きくため息を吐いて、()()は空になった湯呑みを手にキッチンへと入って行った。

 その背中を、ショウカは憎々しげに睨みつけた。切り揃えられた前髪の奥で、彼女の青い瞳が光っていた。

 確かに、高三の夏休みにもなって希望進路が決まっていないというのはマズイと思う。だがそんなことは分かっていたし、何よりそのことに一番不安を感じているのは自分だ。親とはいえ、とやかく言われたくはない。

 ショウカは拳を握りしめ、大きく深呼吸する。

 こうなったら――

「出てく」

 キッパリと言い切った言葉は、有無を言わさず奈青の耳にも届いた。湯呑みを洗う手がピタリと止まり、蛇口から出る水が無駄に流れていく音がリビング全体に広がる。

「……なにを言い出すの?」

 馬鹿なことを言うのも大概にして――振り返った奈青の目は、そう語っていた。

 けれど、こっちは大マジだ。

「そんなに言うなら自分探しの旅に行ってくるわ。それじゃ」

 それだけ言うと、ショウカはまとわりついた髪を手で払ってリビングを飛び出した。二階へ駆け上がって自分の部屋へ走りこむ。息が上がってひどく疲れを感じた。

 散らかった部屋にはイチ女子高生のずぼらな性格が一面に出ていた。本棚に収まっているべき物たちは机周辺に山のように積み上げられ、本来の用途を失った白い棚は、ぬいぐるみのステージと成り果てていた。洗濯を終えた洋服も、部屋の隅に積み上がったままだ。先日、うっかり洋服タワーを崩してしまい、きちんとクローゼットに収めようと心に決めたはずなのに、三日後には背の低い洋服タワーが三つ出来ただけだった。

 唯一この部屋の中で整った場所であるベッド。その枕元に置かれた水色のリュックサックを引っつかむと、ショウカは学生カバンから財布を移し変えた。

 いつでもどんな時でもすぐに持ち出せるよう準備された、災害時避難セットならぬ家出セット。使う日が来ようとは――そんな思いが頭を過ぎったが、今の彼女には、準備しておいて良かったという思いの方が強かった。

 ドアの向こうから足音が聞こえた。奈青が追ってきたのだ。

 ショウカは慌てることなくベッド横の窓を開けた。家出セットがあるくらいだ、この部屋から外に出られないわけがないだろう?

 ベッド下に隠しておいたスニーカーを履くと、制服にも構わずひらりと窓を乗り越えて、すぐ隣に立っている電柱に移った。日頃から、部屋の目の前にあるこの電柱を鬱陶しく思っていたが、こんな時には役に立つ。梯子のようにするすると下りると脱兎のごとく庭を突っ切った。背後から聞こえる奈青の叫びがしばらく耳にこだました。

 角を三つ曲がったところでショウカは足を止めた。息がかなり乱れている。体力に自信があるとはいえ、今日は一日中三十五度を超える猛暑日だと天気予報も言っていた。暑さで普段の半分の力も出せないでいた。

 しかし、気分は爽快そのものだった。さっきまで怒声を上げていたのが自分でも嘘だと思うくらいに、心は開放感でいっぱいだった。快晴の空、両手を大きく広げて深呼吸をする。打ち水をしたときの、あの独特な匂いが鼻をついた。

「さてと。どこに行きますかね」

 突発的な家出に計画性なんてありはしない。かと言って、焦っても仕方ないのだ。まずはこの経緯を第三者に聞いてもらうとしよう。

 ショウカはポケットから携帯を取り出すと、慣れた手つきでボタンを操作した。こんな時いつも話を聞いてくれるのは、幼馴染で気立てのよい親友だ。

 呼び出し音が鳴り、相手はワンコールで応答した。


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