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八月の紫陽花  作者: 鷹羽慶
第五章 : 銀髪の死神(疑)
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1:あの子、元気?

「ちっちゃいあの子、元気?」

 風呂をあがると当たり前のように椿(つばき)が服をたたみ直していた。

 ……ここ男湯だよな? 間違ってないよな?

 トレーニング室併設の浴場を使う者は元々少ないが、今はとりわけ誰も居ない。キョロキョロ見回すカイの心中を読んだように「ここ男湯よ」と言うと、御満悦の表情でタオルを手渡した。

「やっぱりカイ坊、イイ体してるわねえ」

「なんで普通にここにいるの! 番台さんは?」

 タオルをもぎ取るように受け取ると、素早く腰に巻いた。

「馬鹿ねえ。こんなひと悶着起きそうなシチュエーション、大歓迎されるに決まってるじゃない。みんな退屈しているんだから」

「だからってこれは大胆過ぎでしょ!」

「アラ。意外とこういうの苦手? 大丈夫よ。女がいる男を取るほど、アタシ頭悪くないから」

「……勘弁してよ」カイは頭を押さえた。

「可愛いわねえ。たまんないわあ」

 竹細工の椅子を引き寄せて腰かけると、悠然と足を組み、顔を赤らめるカイを愛でるように見守った。

 椿にたたまれた服はシワもきっちり伸ばされ、絵に描いたように四角くまとまっていた。これだけ几帳面なのにどうしてこの人はこんな性格してるんだろうなあ――ズボンをはきながらカイは小さくため息を吐いた。

「で、今日はどうしたの?」

 椿が居るせいで体を拭くのが随分大雑把になってしまった。ペッタリと服がはりついてくるのが気持ち悪い。椿は「そうだった」とぼやいて足を組みかえた。

「あの子元気? 銀髪のぼーや」

竹織(たけおり)?」

 まるでしばらく会わない親戚の子供の成長をたずねるような口ぶりに、カイは目を瞬かせた。椿はニコニコとしたまま「そ。その子」とうなずいた。

「元気っつーか、いつもむっつりしてるけど……どうかした?」

 頭を拭く手を止めてタオルを首にかけた。ついに竹織にまで狙いをつけたか――そう言うと椿は「アタシより背が高ければ考えたのにねえ」と残念そうに言った。

「最近何か変わった様子なあい?」

「変わった様子ってもなあ……」

「別に大したことじゃなくていいのよ。そうね、例えば……食欲旺盛になったとか、よく寝るようになったとか」

 カイはしばらく唸っていたが、やがてひらめいたようにポンと打ち出をした。

「そういや俺この間さ、すげーとこ見ちゃってさあ!」

 珍しい昆虫を捕ったように興奮しながらカイは続けた。

「見かけたんで声かけようとしたら、竹織の奴、何も無い所で急につまずいたんだよ!」

「アラ。珍しい」

「だろ? その時はあんまりびっくりしたもんで、つい呆然としちゃったんだけどさ。あの決定的瞬間は写真撮りたかったなあ!」

 カイは「ほんと惜しいことをした」だの「あの竹織でも転ぶんだ」だのぶつぶつ続けていたが、椿はもう聞いていなかった。しばらく考え込んだ後、言葉を遮るようにどのくらい前か訊ねると、カイはゆっくり指を折って数えてから「三日前」と答えた。

「ありがと。ぼーやも疲れが溜まってるんでしょうね。あんまり無理しないように言ってあげて」

 椿はスッと立ち上がると椅子を元の位置へ戻した。

「無理するなって言っても無理するのがあいつだぜ?」

「それじゃ、カイ坊がしっかり見張っておかなくちゃダメよ?」

「見張る?」

「そ。無理しないように、ね。【生き狩り】のお嬢ちゃんのこともあるし、きっと色々大変でしょうから、しっかり支えてあげて」

 曖昧にうなずくカイを「いい子ね」と撫でると、椿は後ろ手を振って脱衣所をあとにした。

 湯船に水滴が落ちる音がはっきりと聞こえた。

 人が一人減っただけなのに、脱衣所は随分と寒さを増した気がした。湯冷めした体が悲鳴をあげはじめている。たたまれた残りの服を引っ張り出して袖を通すと、微かに椿の香りがした。


 ――あの女には気を付けな。


 そうアニスから警告された。とは言っても「女のカン」というものに基づいているらしく、理由を訊いてもはぐらかされてしまったので、カイ自身、特別気にしていなかった。

 コートを羽織ると、いつものように袖を巻くしあげた。

 確かに椿姉さんは不思議な人だ。けれども俺の唯一の同期であり、この縦社会で互いに切磋琢磨してきた仲でもある。彼女にはそれなりの信頼を置いているつもりだ。

 カイは唸りながら髪をかき乱した。

「俺の頭じゃよく分かんねえや」

 こまごま考えるのはやめよう――そう背伸びをした時、一喝するように携帯が鳴り響き、カイは飛び上がった。

 着信が一件、急きたてるようにして騒いでいる。すでに登録された番号は名前が表示されていたが、わざわざ電話がかかってくるなんてこれが初めてだった。

 思いがけない電話に戸惑いながら出てみると、淡々とした口調が出迎えた。

「……竹織?」

 聞きなれた声はノイズと合わさって、しゃがれたように聞こえた。

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