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八月の紫陽花  作者: 鷹羽慶
第三章 : 桃翼のニケ
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8:出船

 十字架の城(クロスカスター)南部――向日の水門(アクアサウス)と呼ばれる地域には、生者界と死者界を隔てる門が存在する。門とは言えど形は無く、いわゆる三途の川が境界線となっていて、死神達は毎度そこを通って生者界に降りて行くのだ。

 木製の簡易的な船着場はT字型に作られ、マントと同じ臙脂色の渡し舟が二隻、桟橋を挟んで停められている。船着場の傍らには小さな丸太小屋が建ち、煙突からは生活感漂う煙が立ち上っていた。

「すまんな白蓮(びゃくれん)。もう少しだけ待たせてくれ」

 停泊中の一隻に乗り込んで先端に立つ竹織(たけおり)が言った。背中には背丈程もある鎌を従え、天国の塔(ヘヴンズタワー)の方角を見据えている。桟橋には白蓮と呼ばれた物腰の柔らかそうな女が立ち、その様子を見守っている。

「お気になさらず、竹織様。この時間は他に出船予定もありませんから」

「助かる」

 白蓮のふくよかな体つきと温かみある笑顔は母性そのものを具現化したような出で立ちを醸し、竹織と同じく銀縁の黒コートを着込み、濃紺のマントを羽織る姿はなんとも不釣り合いだった。

「例の子……ですか?」

「ああ」

 佇む竹織に白蓮は遠慮がちに問いかけた。朝靄に包まれた視界を縫うように天へ伸びる塔は儚げに揺らめいている。

「死神の代わりが人間に務まる筈が無い。あんな情深い生き物に易々とこなせるなら我々など要らん」

「……ええ」

 白蓮が刹那、返事を躊躇った。竹織は目線を桟橋に僅か移した。

「……珍しいな。お前と意見が食い違うとは」

「とんでも御座いません」白蓮は慌てて付け加えた。「ただ……」

 細い目の奥で小さな紅い光が見えた。揺らめく塔を何かと重ねるようにして見つめている。

「彼女なら、この運命に打ち勝ってくれそうな気がして……」

「……そう思うか?」

 白蓮は控えめな笑い声を漏らした。そして悪戯っぽくちらと竹織を見て言った。

「そう思うから、こうしてお待ちになっているのでしょう?」

「……どうだかな」

 竹織はついと目線を塔へ戻した。舟が軋み、ちゃぷんと小さな波が立った。

「【生き狩り】なんぞ何の解決策にもなるわけがない。法制定する前に止めなければなるまいな」

「ええ、本当に……」

 白蓮の笑顔に哀しさが差した。これから更に【生き狩り】の犠牲が出ると思うと胸が痛んだ。

「その時は微力ながら、私もお力添え致します」

 白蓮は深々と一礼した。

「……お前は相変わらずだな」

「光栄です。竹織様もお変わりないようで……安心しました」

 そう言って笑顔を向ける白蓮に竹織は肩をすくめてみせた。

 白くぼやけた視界に一つの人影が現れた。塔から続くレンガ道を辿り、この船着場を目指して駆けてくるセーラー服の少女。荒々しくなった息遣いが徐々に近づいてくる。

「来たか」

 竹織は先端から降りて、乗せていた臙脂色の櫂を手に取った。

「待たせたな白蓮、出船する。少々時間を過ぎたがそのまま――」

 早口に告げる竹織を制して、白蓮は微笑んだ。

「今時分から出船記録をお付けしておきますから、どうかご無事にお戻りください、竹織様」

「……恩に着る」

 息も絶え絶えに紫陽花が船着場に着く頃には、竹織は桟橋に片足を掛けて待っていた。

「ごめん……チコ、私……」

「そんなものはいい。さっさと乗れ」

 ぶっきらぼうに呟くと、右手を差し出して乗船を促した。紫陽花(しょうか)は戸惑いながら、隣に立つ白蓮をちらりと見た。温かな笑顔を浮かべ、紫陽花の乗船を待っている。紫陽花が恐る恐る竹織の手を取ると、半ば強引に引き乗せられ舟が大きく揺れた。その時小さく「よく来たな」と聞こえたのは気のせいではないと思う。

 竹織は舟止めの縄を外して白蓮に手渡した。微かな波に揺られて、臙脂の舟はゆっくりと桟橋から離れていく。

「定刻までには戻る」

「承知しました。お気をつけて」白蓮は深々と頭を下げた。

 慣れた手つきで櫂を操り桟橋から船体を離すと、百八十度回転させて朝靄立ち込める三途の川を漕ぎ出して行った。

「どうかご無事で……」

 二人の姿が完全に見えなくなるまで白蓮は桟橋から見送り続けていた。


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