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八月の紫陽花  作者: 鷹羽慶
第三章 : 桃翼のニケ
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2:昼食談話

 食堂は夏休みなど関係なく稼働し、多くの生徒で賑わっていた。文武両道を掲げたこの学校は、多くの運動部が全国大会の名門校と称されるのに加え、ここら一帯では誰もが知る進学校でもある。この時期は受験を控える三年生に朝から教室の開放をしているため、食堂も当たり前のように利用可能なのだ。もっと噛み砕いて言うと、稼ぎ時である。

 昼食集団の第一陣の撤退を見計らって十二時半頃に食堂にやって来た。案の定、気の早い男子グループが昼食を済ませてぞろぞろと出て行ったので、ものの三十秒で席が確保出来た。

「もー最悪。他にも注意すべき輩はいっぱいいたのに、なんで私だけこんな目に……」

 二人掛けのテーブルに突っ伏して桜がうなだれた。オレンジジュース二つと購買パンの詰まった袋を引っ提げて、ヘアバンドで髪を上げた少女がその向かいに腰掛けた。

「ま、桜もその輩の一人だったんだし、それ以上は言えないでしょ」

 慰めているんだか傷口に塩を塗っているんだか。向かいの少女は袋からパンを取り出して桜の前に差し出して言った。

「そんなかわいそうな桜には、この翼姉さんがおごってやろう」

「マジ!?」桜は跳ね起きた。

「メロンパンだけな」

「けちぃ……」

 再び机に萎れ込む桜をよそに、(つばさ)はいつ拝借したのか、桜がレコーダーからピックアップして書き留めた試合検討ノート兼、数学ノートをめくっていた。

「桜が次の試合、ホームランでも打ってくれたら、定食でもなんでもおごってあげるよ」

 翼はカツサンドをあっさり食べ終わるとオレンジジュースを一口含んだ。

 日に焼けた肌はすっかりコッペパンと同じ色になっていた。毎日変わるヘアバンドは彼女曰く三百六十五種類あるとか。閏年はどうするんだろうと思ったことが無くはないが、別に聞いてみたりはしていない。そして今日は何処で買ったのか、ショッキングピンクに向日葵がプリントされたものだった。

 翼は桜と同じ女子野球部に所属。身長百五十五センチという小柄な体型ながら、瞬足打者にして投手。三番打者を任され、最近特に調子を伸ばしてきている。次の試合、桜の結果が思わしくなければ、おそらく翼が四番の座に着くだろう。

 だが、翼はそれを望んでいないようだった。

「ホームランでなくたっていいよ。ヒット一本でも打てば桜のメンバー入りなんて確実だって。あたし、四番入る気なんて無いからね」

「……私が言うのもなんだけど、チャンスじゃない。翼は今調子いいし、エースで四番なんてすごいじゃないの――痛っ」

「大体、絶対にホームランが打てない奴が四番になれると思うか?」

 ノートを閉じ、桜の頭を軽く叩いて翼が言った。軽くとはいえ角は痛い。せめて平面で叩いて欲しいものだ。桜の目には痛みにうっすら涙が浮かんでいた。

「絶対ってそんな……」

「監督にも言われたよ。『小柄なお前じゃせいぜい二塁打だ』ってね。元々あたし投手志望だったから別に気にしなかったし、むしろ監督には感謝してる。四番張るなら肩壊れるリスク背負わなきゃいけないし、なんていうか……流されなくていいんだと思ったからね。『四番やらなきゃいけない』でチームに居たんじゃ勝てる試合も勝てないじゃない」

 当然だと言うべく大きく頷きながら翼は自論に浸っていた。再び場所を空けたお腹を埋めるべく、コロッケパンを袋から取り出した。

 オレンジジュースの水面に映る冴えない表情を見つめながら、桜はじっと考え込んでいた。翼の一言が耳にこだまする。周囲のざわめきなど最初からなかったかのような気さえした。頭の中で翼の言葉が響き、その後ろから自分の声が徐々に大きくなってくる。

 私は四番をやらなきゃいけないと思っているのだろうか?

 ジュースの水面に小さな波紋が現れ始めた。無意識に力が入る手が止まらず震え続ける。その手を翼にがっちり掴まれた時には、桜の額に冷や汗が浮いていた。

「どうかした?」

 先程まで空っぽだった翼のプラカップの中にはコーラが新しく入っていた。気泡がふつふつと水面へ上っている。

「あ……なんでもない。ちょっと、考え事……」

 桜は平静を装おうとしたが、通じなかった。翼はお見通しと言わんばかりに、確信めいた口調で言及する。

「桜はやらされて四番になってなんかいないでしょ? 『妹と頑張った結果だ』って自分で言ってたじゃない。違うの?」

「そうだけど……」

「考えたってしょうがないよ。桜が最近調子悪いのは多分その所為だね。打たなきゃとかなんとかしなくちゃって思いすぎて力み過ぎちゃうんだよ」

「そうなのかなぁ……」

「実際、桜最近堅いよ。顔も体も。いっそのこと、最初から三振する気で思いっきりバット振りなさいよ」

 翼は一気に喋り倒してグイッとジュースを飲んだ。酔っ払いオヤジ顔負けの、話の流れで説教口調になっていることにはまるで気づいていない。

「あたし達はチームなんだから、スランプなら抜けるまで支えていくし、みんなで点を取りに行く。あたしだってきっちり抑えてやるわ。桜が全部背負うことなんてないの。もう少しチームを信用したって損はさせないわよ」

 その自信はどこからやってくるのか、桜は感心した。四番に課せられた責任もエースの責任も、代打の責任もチームである以上同じだとは分かっているつもりだが、そんなものは綺麗事だとどこかで否定する自分がいる。目の前で確固たる信念を見せる翼が羨ましい。

 翼を見ていると桃葉を思い出す。

 頑固で純粋で、自身の考えをしっかり持っていて、気合が先行しているところはよく似ている。

 そうか。私は桃葉が羨ましいんだな……。

 いつの間にか両手で頬杖をついていたことに気づいたのは、翼の(さも気持ち悪いものを見るかのような)一言だった。

「……今度は何よ。そんなあったかーい目をして。ほんとコロコロ顔変わるわね」

「え? あ。ゴメン。なんか翼と桃葉がよく似てるなぁと思ってさ」

 小首をかしげて「どこが?」と尋ねる翼を、桜は笑ってはぐらかした。翼はフンと鼻を鳴らしたが、元より深く聞くつもりはなかったようだった。

「小学生だっけ、桜の妹」

「うん、今六年生。でも、ずっと家に居るからあんまり実感ないんだけど」

 義務教育が始まってから皆勤賞の金字塔を建て続ける桜に対して、桃葉は体が丈夫ではなかった。特別病気持ちというわけではないが、五十メートル全力で走れば過呼吸を引き起こす位の体力だ。家族会議で揉めに揉めたが、結局、有害な紫外線の影響を懸念した母の意向で通信制学校への入学となった。それでも人付き合いが出来なくては宜しくないと、通年帽子と日傘を使うことを条件に外出まで禁じたりはしなかった。

 年が離れていることもあり、桃葉が物心ついた時には桜は野球に明け暮れた日々を過ごしていた。当然、影響を受けた桃葉は一度だけ、野球がしたいと申し出たが、到底無理な話だった。その日は一日中さめざめと泣きじゃくったが、翌日には桜のコーチになると断言して学校外の練習を含め全部の試合に行くと言い張った。母が非難轟々してもその信念は変わらず、最終的は母もその熱意に根負けした。

「ほんと選手じゃないのが惜しいよなぁ。見る目あるし人脈も広いしさ。あのままいけば間違いなく監督に成れちゃうね」

「そんな大袈裟な」

 翼がぼんやりとした目で酔いふけるのを桜は苦笑いして見ていた。

 だが確かに、桃葉の行動力と頭の良さには舌を巻く。勝ち負け関係なく、毎試合のレコーダー解説は利点欠点も含め事細かい。各選手の打順からの打線繋がりの見解、その日の選手のコンディション、さらには監督の指示回数まであらゆるところに目が行き届いている。最初は解説者気取りだとあしらったこともあったが、チームの成績は鰻登り。今やチーム公認の勝利の女神様である。そして何処でいつの間に入手したのやら、監督の連絡先や練習試合をした相手チームの選手の連絡先をも知っていて、もはや姉の桜よりアドレス帳は充実しているのが現状だ。そう思うと、自分の交流の狭さに呆れてしまうと桜は苦笑するしかない。

「いや実際さ、あの子のおかげでうちのチーム上手くなってるよ、ウン。今日も来るの?」

「うん――」言いかけて、桜は出かけ前の出来事を思い出した。「どうだろう。今朝馬鹿呼ばわりされたし」

「あら。何かしたの?」

「別に何もしてないよ、失礼ね」桜は口をとがらせた。「ただ占いを受け流しただけよ」

 翼は食べ始めた焼きそばパンをくわえたまま合点の唸り声をあげた。一口分を十回と噛まずに飲み込む。

「小学生なら仕方ないよねー……なんて、占いならあたしも信じるよ、おまけ程度だけど」

「『四月生まれは運命的な電話があるかもだから気をつけて』って。ほら、この前砂子であった自殺のやつ、知ってるでしょ?」

「あー。それで電話なワケね」

「信じるなとは言わないけど、毎日酸っぱく言われるからつい……」

「まあまあ」翼はケラケラと笑った。「可愛いことじゃん。そんなに心配してくれる妹も今時いないって」

「そうかなあ……」

 そうだそうだと太鼓判を押す翼に、桜も悪い気はしなかった。落ち込んでいたことも忘れ、また他愛のない話に花を咲かせ始めた。

 パン袋の大きさがすっかり小さくなっているのに騒ぎ始めるのは、それから幾分もしないうちのことである。


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