3-1 踏み出す一歩の重さ(1)
「どんどん注文していいぞ。食べ放題だからな!」
「さすが兄ちゃん、太っ腹!」
うまいこと言いながら、ユージは兄修一を持ち上げた。焼き肉食べ放題一覧の中で高そうな部肉を次々と注文していく。
あまり種類はないが、肉が好きなだけ食べられるというのは、育ち盛りのユージにとっては夢のような環境だった。
焼けた肉を見つけると、ユージはすぐに箸を伸ばして、つまみ上げた。タレをたっぷり付け、白いご飯と共に口の中に入れる。肉汁が中で充満していく。美味しい。
修一よりも三倍速く肉に手を付けていく。途中で明らかに焼けていない肉に箸を付けたときは、さすがに修一に止められた。渋々箸を戻し、水を呑む。
「相変わらず、いい食べっぷりだな。本当に同じ血を引いているのか、疑いそうだよ」
「兄貴は運動しなさ過ぎ。典型的な引きこもり体質だし」
「はは、違いない」
ひょろりとした体格、母親譲りのくせっ毛のある黒髪、そして眼鏡をかけている兄は、ユージとは真逆の性格だった。もともと運動が得意ではなく、勉強に頭を費やしていた結果、今では有名大学の工学部に進学している。
「それにしてもどうした、ユージ」
「何が?」
口に肉を頬張りながら応えると、修一は軽く首を傾げた。
「何か悩みでもあるのか? お前、なんだか無理に食べ込んでいるように見えるから」
ドキッとした。再会して三十分程度しかたっていないのに、ズバッと言い当てられてしまった。さすが兄貴。
口の中にある肉を飲み込んでから、ユージは一息ついた。
「なんかさ、いつも一緒にいる友達が、急に遠くに行っちまったような気がして」
「ハヤト君か? 彼は優秀だからな、ユージが思ってもいない方向に進んでいくのは、当然だと思うが」
「さりげなくオレのことけなしてねえ?」
「それは被害妄想。――もう高校生、自分の考えをしっかり持てる子もいる。その考えに従って歩いている子がいても、おかしくはないだろう」
「オレは歩いていないと思うぜ」
「ユージの方が普通だよ。ハヤト君みたいな子の方が少ない。僕も高校生の時は高校に行き、宿題して、部活に参加して……の繰り返し。周りに流されるがままだった」
修一は焦げ目がついた焼き肉を、自分の皿とユージの皿の上に乗せていく。
「一方、将来は語学万能な人間として世界を渡り歩きたいから、留学する! っていう考えを持った子もいた。でもさ、そういうのって周りに薦められるか、よほどの理由がないとしないと思うんだ。他人とは違う道を歩くことになるから、確固たる意志がないとできないだろう」
「確固たる意志……」
「ちなみに、ハヤト君が自分で道を歩き始めたきっかけとかはわかっている?」
ユージはこくりと頷いた。
妹の死の関係で、ハヤトはもともと珪素生物に興味があった。そんなある日、ユージが珪素生物と出会ったことで、珪素生物対策局とつながった。それが大きなきっかけだ。
「仮にそのきっかけを与えられて、ユージはその道を進めるか?」
一瞬考えた後に、ユージは首を横に振った。
珪素生物に会った程度では、ユージは入局という選択肢は出てこない。ハヤトのように深い恨みを持っている者ならば別だが、幸いなことにユージは珪素生物に憎しみなどは抱いていない。ただ、怖いと思える存在なだけだ。
「人によって考えが違う。同じ歳でも先に進んでしまう人がいる。それは当然の成り行きだよ」
修一は焼き肉のタレを差し出してきた。それを受け取り、焦げ目がついている焼き肉に付ける。
「僕だって、将来のことについてじっくり考え始めたのは最近さ。大学三年生でこんなもんだよ。焦る必要はないって」
ユージは焼き肉を一枚ずつ口の中に運んで、何度か咀嚼をしてから飲みこんだ。
「兄貴はこれからどうするんだ?」
「研究室に配属されたばかりだから、まだはっきりしていないけど……たぶん大学院に行くと思う。いい教授と巡り会えて、その人と一緒にもっと深く勉強したい」
「そうか、すごいな」
「いや、全然すごくないよ。友達たちも院に行く人が多いから、その成り行きっていうのもある。世の中、そんなものだよ」
苦笑いしながら、修一はご飯を食べていた。
成り行きとはいえ、ユージには道が定まり始めた人間が眩しく見えた。
ユージの前にはいくつもの方向に道が広がっている。日々を楽しく過ごしていれば、そんな道など気にならないだろう。しかし、気になり始めると、急激に不安になってくる。
先に進むハヤトのこと、将来のこと、そして珪素生物のこと。
ちまちま肉を食べ、箸先を皿に乗せていると、修一にデジタルメニュー表を差し出された。
「今は食べよう。それも一つの道の選択さ」
ユージは表情を緩めて、メニューを受け取った。そして静かになった網に再び肉を乗せるべく、肉を注文していった。
お腹がいっぱいになった状態で、ユージたちは帰路に付いていた。
修一が近道を通ろうとしたが、それをやんわり断って、大通りを中心に歩いていた。隣でライトを光らせた車が道路を走っていく。遅い自動車もあれば、あっという間に過ぎ去っていく車もある。
人それぞれというのは、こういうところでも言えるのかもしれない。
「兄貴、どれくらい家にはいるんだ?」
「二、三日くらいだな。レポートが終わった息抜きで戻ってきているから」
「そうか。なあ、またゲームしようぜ! いつも一緒にやっていたアクティブ系のゲーム、新作出たんだ!」
目を輝かせながら言うと、修一は指で丸を作った。ユージはそれを見て、ガッツポーズをする。家の中であれば、好きなだけ遊んでいられる。少しは気分が滅入っているのも晴れるだろう。
片側二車線の大通りから、片側一車線の道へ移動していく。一定の間隔で車は通っていた。人通りがないとは言わない道である。
ユージは建物がある側に修一と並んで、笑い合いながら歩いていく。
建物に背を向けて、会話に夢中になっていると、修一の目の色が変わった。そしてとっさにユージを道の進行方向に突きだしたのだ。つんのめるようにしてユージは道に躓く。
「兄貴、なんだよ……!」
頭を抱えて振り返ろうとした矢先、ガードレールに激しい衝撃が走った。何かが勢いよくぶつけられる音。ユージは顔をひきつらせて、立ち上がった。
修一がガードレールに背中を預けたまま、ぐったりとしている。
彼の前には狼のような出で立ちをしたダークグレーの生き物――珪素生物がいた。
異変に気づいた他の通行人たちは、次々とユージたちの方に振り返ってくる。人数にして十人近くはいるだろうか。口を抑えている人、引き腰になっている人など、人によって様々な行動をしていた。
珪素生物はその場をぐるりと眺める。するとある一点に目を止めた。ユージではなく、反対側の道にいる腕時計型の電話に目を向けている女性だ。軽く足を曲げて、唸り声を上げている。
それを見たユージは血相を変えて、珪素生物に向かって走り出した。
「やめろ!」
ユージを狙っているのかはわからない。
だが、このままではあの人に危害を加えられてしまう。少しでも気を引きつけるために、無我夢中に駆けていた。
しかし珪素生物はユージには目もくれず、その場を飛び上がろうとした。
その矢先、小さな針が数本珪素生物の顔面に刺さる。途端、その場でぐったりとしてしまったのだ。
「いや、皆さん、すまない。私が飼っていた動物が脱走してしまってね」
スーツを着た黒髪の女性は、電話をしようとしていた女性の腕をやんわり握った。
「警察沙汰になると、こちらとしても非常に心苦しい。怪我をしてしまった者の処置は私が責任を持って対応するので、連絡するのはよしてくれないかな?」
金色の瞳でじっと女性を見ると、彼女は頷いてから腕を下ろした。
そしてスーツを着た女性は道路にいる人たちを隅々まで見渡し、軽やかに二、三度手を叩いた。
「さあ、皆さん、どうぞお帰りください。この度は大変失礼しました。今後はこんなことがないよう、くれぐれも気を付けます」
笑顔で言い放つと、人々は躊躇いながらも再び歩き始めた。それを確認した女性はガードレールを飛び越え、道路の真ん中を縦断して、修一の傍にいるユージに近寄った。
「レイさん……」
修一を横にしたユージは、険しい顔をしているレイに声を漏らす。彼女は兄の脈、呼吸音を確認し、胸元や背中に触れていった。
「兄貴は……」
「大丈夫だ。衝撃で意識を失っているだけだ。肋骨は折れていないが、内蔵に影響を受けているかもしれない。念のために検査だけは受けた方がいいだろう。病院はこっちで手配したところに連れて行く」
レイは健介に電話をかけている。ユージは気を失っている兄の顔をじっと見た。
争い事は苦手、喧嘩も避けて生きてきたひ弱な兄が見せた、自分が盾になるというとっさの判断。――それをされて、庇われた方はとても心苦しかった。
簡潔に用件だけを話したレイは通話を切る。そしてもう一件、別の場所に電話を入れていた。
それを終えると、珪素生物に目を向けた。
「超強力麻酔銃で眠らせただけだ。動くかもしれないから、迂闊に近づかないように。人が多いところでは、まず動きを封じることが先なんだ」
ユージはぼんやりと視線を上げた。
「レイさん、どうしてここに……」
「そこにある古書店に用があって来ていた。バイクは裏に止めてある」
半分閉じかかっている古書店の看板を見る。情報データのやりとりが主流の今では、紙の本は珍しい。何を探していたかはわからないが、古書店の存在に感謝した。
「ありがとうございます。もしレイさんがいなかったら、他の人も危なかったです。あいつ、次に電話をかけようとした人を狙っていたから」
ユージは地面の上で拳をぎゅっと握りしめた。
「兄貴、オレを庇ったんです。オレ、そっちの裏路地にちょうど背中を向けていて……。気を付けたつもりだったんですけど」
「私だって、びっくりしたさ。まさかこんな場所であれが現れるなど、初めて聞いた事象だ。――ユージ君、こんなに狙われる理由を本当に心当たりがないのか?」
金色の瞳がユージを射抜いてくる。それに応えるかのように、ユージは必死に記憶を辿っていく。
初めて珪素生物に会い、そこで唾を吐き付けられた。
汚いと思ったし、なんでこんなところで遭遇しなきゃいけねえんだ、と思った。なぜなら、途中でわけ合って道を変えたから――。
「あ――」
「何か思い出したのか、ユージ?」
「レイさん、もしかして――」
ユージが口を開いている途中で、後ろから車のクラクションが鳴らされる。振り返ると、車が二台止まっていた。
一台は普通乗用車で運転席には健介が、その隣にはカオリの姿があった。さらにその後ろにある黒塗りのワゴンからは、厳めしい男たちが三人降りてきた。
男たちは動かなくなった珪素生物をワゴンの中に連れ込むと、そそくさとその場を去っていった。
健介とカオリはその車を見送ると、車を降りてレイに対して軽く頭を下げた。
「局長、怪我をした一般人とはこの方ですね」
「そうだ。ユージ君のお兄さんらしい、丁重に扱いなさい。既に話は付けてあるから、すぐに処置にかかってくれるだろう。記憶に関しては消さずに、はぐれた動物と遭遇してしまったせい、とでも誤魔化しておけ」
「記憶、消さないんですか」
健介がやや驚いたような顔をしている。レイは小さく笑みを浮かべた。
「おそらくこの青年は珪素生物を見たとしても、一瞬だ。その僅かな間で、我らとは別の種だとは気づくまい。それになるべく記憶は消すべきではない。事件の前の記憶も多少なりとも消えてしまうからな」
「わかりました。医者にはうまく話を付けておきます。――カオリ、手伝ってくれ」
「はい」
健介が修一を持ち上げると、カオリは後部座席のドアを開いた。その椅子に修一を横に寝させ、座席の隙間にカオリがするりと入り込んで、修一を支える体制を作る。それを確認してから健介は運転席に戻って、車を走らせた。
すぐに車は見えなくなる。だがいつまでもユージはその進行方向を見つめていた。
レイはユージの肩を軽く叩くと、書店の方を軽く示した。
「心配なんだろう。私のバイクの後ろに乗ってくれ、連れて行こう」
「レイさん……、でもオレ……」
「何を遠慮する必要がある。君らしくない。それともなんだい、私の後ろに乗るのが怖いのか?」
一瞬間を置いたが、すぐに首を横に振った。
レイに言われるまで忘れていたが、彼女のバイクの運転は速いが、とても荒い。
しかし、そんなことで躊躇するよりも、何度も彼女たちに迷惑をかけているのが、ユージとしては嫌だったのだ。
「身内を心配するのは当然だ。子供のうちに頼るだけ頼って、あとで大人になって、余力ができたら恩を返せばいいんだよ」
その言葉は、遠慮していたユージの心を解きほぐす。
今は兄の容態の方が心配だ。遠慮を捨てて、今は会いに行こう。
レイに対して、ユージは深々と頭を下げた。




