2-4 珪素生物との邂逅(4)
ユージとハヤトはカオリと一緒に、再び珪素生物対策局があるビルに向かった。用心も兼ねて、人通りが少ない場所は決して通らなかった。途中からは健介を呼び、車で移動している。
カオリから事のいきさつを簡単に聞いた健介は、感心したようにハヤトを見た。
「自力で珪素生物が苦手な成分を混じった液体を調合するとは……すごいな」
「珪素生物を溶かすとは、つまり共有結合を崩すということ。それが分かっていれば、対策はたてやすいですよ。ダイヤモンドだって、絶対ではありませんから」
「平然と言えるあたりがすごいんだよ。そういう知識を得やすい環境にでもいるのかい?」
「両親は研究者です。部屋に行けば適当な論文は転がっています」
「なるほど、そういうことか」
健介は頷きながら、視線を前に向けた。
ユージもハヤトは頭が良くて、すごい奴だと常々思っていた。しかし、珪素生物との討伐で前線に立っている青年にまで驚かれる少年だとは、思いもしなかった。
ユージはちらりと横の席にいるハヤトを見る。癖のない黒髪、黒縁の眼鏡。いつも無表情か怒ったような顔をしているが、表情を崩すことももちろんあった。
好きな食べ物、得意な教科、嫌いな先生など、何年も一緒にいるのだから、知っていることは多数ある。
だが、今のハヤトを見ていると、知らない人間がいるような気がしてならない。
本当に彼はユージがよく知る、相沢隼人なのだろうか。
「ハヤト君、君は珪素生物をどうしたい?」
健介が尋ねる率直な言葉。後部座席から前にあるバックミラーに視線を向けて、ハヤトは言い放った。
「すべて消します。そして大元を潰します」
「大元を潰す?」
「はい。だって珪素生物は――」
ハヤトが口を開いている途中で軽いブザーが鳴って、車が止まる。視線を窓の外に向けると、十階建ての趣深いビルがそびえ立っていた。
健介は高校生たち三人を下ろすと、車庫に入れてくると言って、そそくさと走らせていった。
カオリは事後報告をするために、まず局長がいる部屋に直通した。
「いちいちレイさんに報告しているんですか?」
「例外の時だけ。今回は発生現場も、対処の仕方も例外だった」
十階を告げる声がすると、カオリはやや歩調を速めて局長室に入った。
レイは足を組みながら、背もたれに寄りかかって書類を見ていた。顔の真正面にあった書類を下ろし、彼女は眉をひそませてカオリたちを見る。
「さっき少しだけだが耳に挟んだぞ。校舎の裏で珪素生物が出現しだと? 裏手にある窓を開けたら、誰かに見られてしまうだろう」
「校庭にいる人が裏を覗いても、見られる可能性がありました。紙一重で人気のない場所で事を起こしたようですね。……話しに聞けば、ユージ君は猫を好いているようです。彼のことをよく調べられている気がします」
「好みの把握までも……か。気持ち悪いな」
レイは顎を軽くそえて俯く。そして足を床につけて、ゆっくり立ち上がった。今日のシャツの色はピンク色。それに合わせてか、唇もより赤に近い色を入れていた。
「ユージ君、何か心当たりはないのか。そこまで執拗に追いかけられる人間なんて、早々いないぞ」
「心当たりって、珪素生物に何も恨みなんか買っていませんよ!」
一昨日の夜、初めて珪素生物と出会った。それまでその存在すら知らなかったのだ。連日襲われる理由などまったく思い浮かばない。
「では、一昨日の夜、初めて珪素生物と会う前に何か見なかったか? 些細な事でもいい、思い出してくれ」
「些細な事って言われても……」
その出来事の前後を一度カオリに記憶の鎖を崩されてしまったため、記憶としてはぼやけている状態だった。珪素生物と出会ってしまったことは鮮明に覚えているが、それ以外のことはよく思い出せない。
唸りながら記憶を巡るが、何も成果はあがらなかった。
「――カオリ、ユージ君が遭遇した場所はどこだった?」
カオリはレイの後ろにあるホプリシア街の全景が描かれている地図に寄った。
「ホプリシタス・タワーの南北に伸びている大通りから三回曲がった先にある、街道の脇にある住宅街の中です」
上下にやや長い街の南東部を指で円を形作った。
「……近いとは言えないが、いてもいい範囲か」
「え?」
ぼそっと呟いたレイの言葉をユージは聞き取った。彼女は軽く首を振り、ユージとハヤトの肩をがっしりと握りしめた。
「まあとにかく無事でよかった。これも友達君に感謝だな、ユージ君!」
「は、はい! 本当にありがとうな、ハヤト! 大好きだ!」
ユージは飛びつこうとしたが、ハヤトはさっと動いて、それから逃れる。そしてハヤトハ溜息を深々と吐いた。
「お前が間抜けすぎるから、見ていられなかっただけだ!」
レイと共に六階に降りると、部屋の中にいた女性たちは彼女を見るなり、すぐに集まってきた。背の高いレイを中心に女性たちが取り囲んでいる姿、どこかのアイドルかと思ってしまう光景だ。
金色の髪の青年が頭をかきながら小部屋から出てくる。彼はカオリを見ると、表情を明るくして早歩きで寄ってきた。
「こんにちは、カオリ。どうしたんだい、また機械の調子が悪くなったのかい?」
「その用ではありませんよ、エルランさん。いくつか確認をして欲しいことがありまして」
エルランはモニターが四つ並んでいる椅子に座り、笑みを向けた。
「なんだい?」
「一時間ほど前に、私が通っている高校で珪素生物が現れたのですが、反応はありましたか?」
エルランはキーボードに指を乗せると、軽やかにタッチし始めた。
「ああ、そのこと。カオリから簡易報告があった後に調べたけど、残念ながらなかった」
「え、まさか……」
「本当さ」
印刷機からカラーで刷られた地図が出てくる。紙の端に書かれている時間は、部活が終わってから下校するまで――ちょうどユージたちが襲われている時間帯だった。カオリは地図をユージたちに見せる。
「珪素生物が発生した場合には、その場所が赤くなるの。でもこれは何も変化がない、ただの写真……。どういうことなんでしょうか」
エルランは背もたれに左腕をかけ、口元を釣上げた。
「自分が考えていることとしては一つだけ。誰かが意図的に電波障害を起こして、妨害した」
「妨害……? 珪素生物がそんなことできるのか?」
ユージは目を瞬かせる。獰猛で危険な生物、珪素生物。電波を発するなど、そこまで器用に事を行える、知能があるようには見えなかった。
エルランは笑みを浮かべたまま、カオリは俯いた状態で握り拳を胸の前で作っていた。
沈黙がしばらく続いた後に、エルランは椅子から立ち上がり、ユージではなくハヤトの前に来る。そして腕を組みながら、上目遣いで見下ろした。ハヤトは戸惑いもせず、見返す。
「カオリ、こいつが自力で珪素生物を追い払う薬品を調合した奴か」
「そうです。科学的な知識に関しては、珪素生物対策局の人と充分渡り合えると思います」
「どの程度の人間までだ?」
「……中堅くらいまでは」
「ほう、面白い」
ハヤトはエルランからの視線を逸らしもせず、むしろにらみ返していた。
「――局長はなんと?」
カオリがそっとその場を退くと、レイが腰に片手を当てて歩いてきた。
「私としては、彼が覚悟を持って望むのならば、こちらが拒否する理由などない。受け入れようと思っている」
「こんな子供を?」
「カオリは高校に入ったときから、前線で活躍しているぞ」
レイの視線がハヤトに向けられる。そしてしっかり口を開いた。
「相沢隼人、君が望むのならば、珪素生物対策局に入局することを許可しよう」
ハヤトの目が大きくなった。
「君はとても優秀だ。私たちとしてもそのような人材は欲しい。ただしここに入局すれば、命と隣り合わせになる機会が多くなることは覚悟してくれ。それでもいいなら――」
「入局させてください! 珪素生物を撲滅することができるのなら、自分、何でもしますから!」
レイは静かに笑みを浮かべた。そしてハヤトの肩に軽く手を乗せる。
「ありがとう。今後の活躍を期待しているよ」
視線が健介とエルランに向けられる。
「詳細な事務手続きは健介に聞くといい。部署については、エルランがいる情報部でいいだろう。――エルラン、手続きが終わったら、部の誰かに彼に色々と教えてくれ」
「わかりましたよ」
エルランは肩をすくめて返事をした。そして近くにいた若手職員に声をかける。どうやらハヤトが入局することには賛同したようだ。
ハヤトは健介に促されて、小さな打ち合わせ机があるところに移動される。レイは腕を組むと、多数あるモニター画面をチェックし始めた。既に今回のことは終わったのか、ユージには話しかけてこなかった。
各々が次のことを始めている。ユージはその場に突っ立っていると、カオリに横から顔を覗かれた。
「報告も終えたし、家まで送っていくわ。ここにいてもやることはないでしょう」
一瞬むっとしたが、部屋の中にいる人たちがユージのことなど目もくれず、黙々と作業をしているのを見て、何も言い返せなかった。
自分はこの場にいるのは場違いな存在。ただ事件に巻き込まれてしまっただけの少年。
ハヤトのように、この場で生かせるような能力は――何もない。
拳をぎゅっと握りしめた。
カオリは先にドアを開け、ユージに微笑を浮かべて、手を伸ばしてきた。その手は取らずに、ユージはカオリの後について行った。
まだ夕陽も昇っている時間帯だったので、あまり警戒することなく帰ることができた。
帰り道にカオリと話した内容は、昼でも夜でも人気のない場所には絶対に行かないこと。少し遠くに行く場合には、カオリかハヤトにでも声をかけていく、というものだった。
その言葉の裏には、自らにも移動に制限をかけつつ動くように、というい意味も込められているように感じられた。
「ハヤトはこれからどうなるんですか?」
「彼がどの程度まで局に入れ込むかにもよる。まだ高校生だから、局長としてはあまり関わらせないはずよ」
「なら、どうして入局するよう、薦めたんですか?」
「彼を守る為よ。そうでもしないと彼、一人で現場に顔を突っ込みそうじゃない。下手に知識がある人が単独で動くと、こちらとしても動きにくいのよ」
「へえ、なるほど」
入局を許可したとき、ハヤトの表情がやや緩んだようだった。彼としても、一人で珪素生物を探ることは不安だったのかもしれない。
ユージは背筋を伸ばして歩いているカオリを見る。
「カオリ先輩はなんで局に……?」
思わず尋ねると、カオリは軽く目を伏せて、その場で立ち止まる。ユージも慌てて止まると、彼女は地面に視線を落としていた。
「ハヤト君と同じかな。私も幼い頃に両親が殺されているの」
カオリは再びゆっくりと歩を進める。
「その後は祖父母に育ててもらったから、不自由はなかったわよ。祖父と両親はレイさんたちと今の局の前身である団体の所属者で、その関係で殺されたって聞いている。その事実を知ったのが、局として発足した時。それ以後、私は珪素生物による犠牲者を出したくなくて、局に顔を出すようになったのよ」
口を閉じてユージはじっと聞いていると、カオリはにこっと微笑んだ。
「ユージ君も遭遇してわかっていると思うけど、とても危ない場所に自ら突っ込んでいく団体なの。それなりの覚悟がないと、たぶん耐えられる場所じゃない。――大丈夫よ、しばらくすればきっとユージ君が狙われることはなくなる。それまで頑張って逃げればいいの」
「逃げる……」
「そう。決して悪い意味で言っているわけじゃない。必要な逃げは時として必要よ。私も珪素生物と初めて会った時は、まったく歯がたたなかったから、逃げ回っていたわ」
優しくカオリは諭してくれる。ハヤトに置いて行かれて途方に暮れていたユージには有り難い言葉だった。
「ありがとうございます……」
ふと電話機能がついた時計が激しく点灯し始める。液晶部分を見ると、『電話 兄』と浮かび上がっていた。スイッチを押して、音声をオンにする。
「もしもし、兄貴?」
『お、ユージ! 今、どこにいる? 久々に帰ろうと思って家に連絡したら、今日は結婚記念日だから、二人で外食してくるねって、母さんに言われてさ。それならこっちも外食して行かねえかって思ったんだけど……』
ユージはちらりとカオリを見ると、彼女は笑顔で首を縦に振った。
「外食、いいと思うぜ! 駅前とか、繁華街にある定食屋とか?」
『そうだな。そこら辺なら色々と揃っているから。じゃあ、駅前に三十分後に集合で!』
てきぱきと決めると、兄は電話を切ってしまった。ユージはすぐに時計と現在地を確認する。三十分もあれば充分到着できる距離だ。
ユージはこれから進む方向をまっすぐ見た。
「駅前なら、この大通りを歩けば着きます。これだけ人がいれば大丈夫ですよ、先輩」
「そう? 本当に?」
「はい。先輩、どうせ局に戻る予定だったんでしょう。今日も忙しいんでしょうから、オレに構わず行ってください」
「ありがとう。気を付けてね」
軽く手を振って、カオリは来た方向を戻っていった。
彼女の背中が小さくなると、ユージは息を吐き出した。
「いつまでも構ってもらわなくても大丈夫ですよ、先輩」
自分さえ気を付ければ大丈夫。
同じ高校の先輩とはいえ、カオリにはあまり迷惑をかけたくなかった。
駅の方を向き、ユージは心を入れ替える。一人暮らしをしている大学生の兄とは久々の再会だ。アルバイトもしている兄にたくさんおごってもらおうと、意気揚々と歩き出した。