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天色道の疾走  作者: 桐谷瑞香
第二話 珪素生物との邂逅
7/19

2-3 珪素生物との邂逅(3)

 * * *



 翌日、ユージはいつもと変わらず、穏やかに学校で過ごしていた。

 友達とお喋りをし、授業を適度に聞きながら、モニターに映し出されているものをじっと見て、タブレットにメモを書きつづる。これといって変哲もない時間だった。

 いつもと違う点としては、苦手な化学の授業を集中して聞いていることくらいだろう。

 今日の内容は無機化合物とその性質について。計算ばかりの理論化学と違い、鮮やかな絵や映像が出てくる無機化学。熱心に授業を聞いている人も多かった。

 教師が雑談に入ったところで、ユージは手元にある電子教科書を進ませ、あるページを開いた。十七族にある珪素が載っているページだ。そこを斜め読みするが、ユージが昨晩聞いた珪素生物に関する記述している文面はない。

 一昨日や昨日出会った珪素生物は、すべて夢物語だったのではないだろうか――と思うほど、平凡な時間を過ごしていた。

 視線を軽く後ろに向ければ、ハヤトが熱心にメモを取っている。教師が重要だと言ったところは、参考文献も含めて理解しているようだ。

 相変わらず勉強熱心な彼の姿を見て、ユージは肩をすくめた。

(何事もなく過ごしていやがる。……カオリ先輩も歩く時間帯と場所さえ気を付ければ、普通に過ごして大丈夫だとは言っていたが……)

 ぼんやり外を見ると、ホプリシア街の象徴であるホプリシタス・タワーが視界に入ってきた。

 天高くそびえる電波塔は高さが七百七十七メートルある、世界最長の自立式鉄塔と言われている。このタワーを利用することで、国の至る所に電波を届かせ、従来以上に高速で通信をすることが可能になったらしい。

 さらに、あのタワーは学術的にも大きな役割を担っていた。その一つが雷の研究だ。ホプリシア街での雷の多くが、あのタワーの避雷針に落ちている。それを利用することで、雷の特性や、雷による威力をエネルギーに変換できないか、などの研究をしているようだ。

 ユージは一度だけタワーの半ばまで登ったことがあった。爽快な風景が広がっていたのが記憶に残っている。まるで空を浮かんでいるようだった。

(たしかハヤトの両親の最近の研究、タワーに関連していることって言っていたな。お二人とも、一番上まで登ったことがあるのかな)

 ぼーっと眺めていると、後ろから軽く椅子を蹴られた。不思議に思ってユージは見返すと、ハヤトが眉をひそませながら、顎で前を向くよう促している。ユージが視線を前に向けると、教師がじっとこちらに見つめていることに気づく。慌てて視線を机の上にのっているタブレットに落とし、空中で軽くペンを動かすふりをした。



 授業中は何事もなく終え、放課後は部活動に励んでいた。始めに高校の敷地内をランニングすることが、ユージが所属しているサッカー部の日課の一つだ。入学当初は辛かったが、体も慣れてきた最近では、随分と楽に走ることができている。

 ランニングの途中で道場の脇も走っていた。視線を何気なく道場に向けると、袴姿のカオリが素振りをしていた。黒髪は一つに束ねられ、前後に動く度に規則正しく揺れている。凛とした表情は、部活の最中でも健在のようだ。

 名残惜しくもユージはその場を走り抜け、校庭へ戻っていった。

 パスやシュート練習、コンビネーションからのゴールなど、様々な練習を繰り返し、ミニゲームをしてから練習を終える。一年生であるユージは率先して片づけをするまでが仕事だ。

 友人たちと力を合わせて、てきぱきと片付けていく。最後にボールが入った籠を倉庫の中にしまって、片づけが完了すると、ユージは顔を何度か洗った。全身汗だらけだが顔に水を被ることで、少しだけ汗が引いてくる。近くにあったタオルで、ごしごしと顔を拭った。笑みを浮かべながら顔を上げると、制服姿のカオリと視線があった。今は黒髪をおろしている。

「あ、先輩……」

「お疲れさま。練習は終わったの?」

「はい。あとは着替えるだけです」

「ハヤト君とはいつも一緒に帰っているの?」

「あいつとは時間があったときくらいですよ。昨日は宿題手伝ってくれていたんで、一緒に帰っただけです。まあ、オレは部活を放課後の時間をめいいっぱい使って練習、あいつは時間があれば下校時間まで図書室で勉強しているんで、わりと会う方だと思います」

「そうなの……」

 カオリは校舎の近くにあるベンチをちらりと見た。

「あそこで待っているから、一緒に帰りましょう。ハヤト君を見つけたら、彼も一緒に。二度あることは三度あるって言うから、用事も兼ねてよ」

 太陽は落ち掛けているが、まだ夜とは言い難い時間帯。

 断ろうと思ったが、その前にカオリはさっさと移動してしまった。

ユージは頭をかきながら、息を吐き出す。行動が早い先輩だなと思いながら、軽く走って部室の中に入った。

 着替えを素早くし、鞄を持って外に出ると、黒っぽい猫のようなものが視界の隅を通って行った。それは足を引きずりながら、校舎の裏へと歩いていく。

 猫が大好きなユージにとって、怪我をした猫の存在は見過ごせないものだった。カオリがベンチに座って、まだ本を読んでいるのを確認すると、そそくさと猫の後を追った。

 校舎の角を曲がると、猫は次にあった角を既に曲がっていた。早歩きだったユージは小さく眉をひそませながら、地面を軽く走った。

 再び角を曲がると、木々がたくさんある場所に飛び出た。すぐ傍には高校内を包む塀がある。校舎によって太陽の光は遮られ、鬱蒼とした空気を醸し出していた。当然のごとく、人の気配など微塵も感じられなかった。

「薄気味悪いところだな。学校の中にこんな場所があったなんて」

 木の陰から猫がひょっこり顔を出した。それを見ると、ユージは頬を緩まして近寄っていく。

「怪我見てやるよ。酷かったら、病院にでも――」

 猫が木の陰から体を出してくる。怪我をしていない、元気な猫だ。

一方、逆側からは少しずんぐりと太った猫が出てくる。

それだけでは止まらず、たくさんある木の後ろから、猫が多数出てきたのだ。

 そして数分もたたないうちに、ユージの視界は大量の猫でいっぱいになる。二十匹はくだらないだろう。いや、それ以上いるようにも見える。

 それらは無言のままユージに近寄ってきた。一糸乱れぬ行動は、猫好きの人間であっても、違和感を抱かせる。

「な、何だよ、お前たち……」

 後ずさりながら、ユージは猫たちと眺める。

 猫たちはあるところまで進むと、皆一斉に足を止めた。ほっと息を吐いていると、全匹が視線をユージに向けたまま足を曲げた。

「まさか……」

 次の瞬間、鋭い爪をユージに向けて全匹飛んだのだ。

 あの鋭い爪が目の中に入ったら――最悪失明する。

 反射的に右腕で顔を覆うとすると、竹刀が目に飛び込んできた。それは的確に前列にいた猫を叩き落とす。黒色の髪の少女は肩を激しく上下しながら、猫たちを睨みつけていた。

「油断も隙もない……!」

「カオリ先輩?」

「ユージ君、人気のないところは行かないでって言ったよね? 学校の敷地内であってもそれは同じ事よ。別に学校内に結界とか、特別なことをしているわけではない。ただ対応しやすい人間がいるってことだけなのよ」

「こいつらって、もしかし……」

「すべての猫の色をよく見なさい」

 彼女に言われた通り、色を凝視すると、黒色ではなくダークグレー色だった。体毛は生えておらず、生身の皮の色だった。

 カオリは竹刀の先端を猫型の珪素生物に見せつつ、ゆっくり後退するよう促す。

「ユージ君、校庭まで全速力で走れる?」

「走るのは得意なので、それくらいならおやすいご用ですが……」

「……が?」

 ユージは後ろを見て、顔をひきつらせていた。異変に気づいたカオリもちらりと後ろを見る。即座に顔を強ばらせた。

 まるで退路などないと言わんばかりに、大量の猫型の珪素生物が並んでいたのだ。

 大量とはいえ、昨日などにあった大型の珪素生物に比べたら、そこまで恐ろしい存在だとは思えない。

「全速力で走れば、突破できるんじゃないですか?」

「普通の猫相手なら、それは可能かもしれない。でもね、相手は珪素生物よ。小さいからって甘く見てはいけない。あの爪が深く刺されば、大切な血管が傷つけられて、致命傷になる場合がある。それか、同じ場所に何度も抉られるように入れ込まれれば、内蔵も傷つくかもしれない……」

「それって、触れただけでもヤバいってことっすか?」

 カオリは渋々頷いた。

「つまり万事窮す?」

 口を閉じていたカオリは、ポケットから灰色の小瓶を取り出した。

「諦めるのはまだよ、ユージ君。……せっかく馴染んできた竹刀なのに、残念ね」

 小瓶の中身を竹刀の持ち手以外の部分にかける。うっすらとだが、蒸気が発生していた。

「炭素生物様の知恵を舐めるんじゃないわよ。――ユージ君、私が校庭まで突破口を開くから、君は走って!」

「カオリ先輩、そんなことして大丈夫なんですか!?」

「これくらい修羅場って言わないから、安心して」

 カオリが別の小瓶を取り出し、それを校庭側にいる珪素生物に向かって中身を振りまいた。珪素生物にそれが触れると、何かが溶ける音がした。その隙にカオリは竹刀を握って、走り出す。

 被害を受けなかった、残りの珪素生物たちはカオリに向かって同時に飛び上がる。それをまるでモグラ叩きをしているかのように、体を叩いていく。叩かれた珪素生物はぴくりとも動かなくなり、地面に落ちる。

 感嘆する暇もない。カオリは歯を食いしばりながら、黙々と道を切り開いていく。

 当初、視線の先は猫型の珪素生物に隠されていたが、徐々に密度も少なくなってきったため、校庭も見えてきた。もう一息である。

 気が緩みかけたところで、ユージは足下を不意に引っ張られた。注意を足下に送っていなかったため、前のめりに倒れる。額を抱えながら後ろを見ると、猫型の珪素生物の中で倍以上大きなものが口を開いていた。まるで笑っているようだ。

「ユージ君!」

 異変に気づいたカオリは踵を返す。しかし、その前にユージは猫型の珪素生物の軍団に引き込まれていた。

 まだ傷つけられてはいない。服を引っ張られているだけである。

 だが、もしもあの軍団の中に全身を取り込まれ、爪を振り上げられたら――。

「ユージ、目を瞑って、顔を腕で隠せ!」

 突如、上から怒鳴り声が投げかけられる。ユージは言われるがままに顔を覆い、目をぎゅっと瞑った。

 少し離れたところで、液体が落とされた。地面に液体がたたき落とされると、ユージの服を引っ張っていた、珪素生物の手が緩む。おそるおそる目を開けると、何十匹かの珪素生物がその場でひっくり返っていた。

 唖然としていると、カオリに両手で引っ張られ、猫型の珪素生物の中から引きずり出された。

「今のうちに!」

「は、はい!」

 カオリが竹刀を使って、襲ってくる珪素生物を叩き止めて、なんとかその場を脱出した。

 校庭に出ると、既に生徒たちの帰宅時間は過ぎたのか、まばらしかいなかった。しかし、それなりに人がいるためか、背後から珪素生物が迫ってくる気配はなかった。

 カオリは先ほど座っていたベンチに、よろよろと腰を下ろす。ユージもつられて、どっぷりと腰を下ろした。

「助かったんですか?」

「今は様子を伺っているだけだと思う。隙あらば襲ってくるわよ、そういう生体にされているから。だから休んだら、早く帰るわよ」

「さっき、誰か助けてくれましたよね。あれは……」

「……彼のこと、あまく見ていたみたい。よく調べているわ、苦手な成分。私たちが持っている小瓶の中身も、薄々勘付いているようね」

 カオリは校舎の三階を見上げた。その廊下を一人の少年が走っていく姿が見えた。

「ハヤト君って科学部なのね。普段は何の実験をしているの?」

「色々しているらしいです。一昔前の実験を調べて、自分で行っているらしいですよ。最近は色々な化学反応を起こしているとか」

「……一人であれに対抗するつもりだったのかしら」

 カオリが長い黒髪を軽く手で梳いていると、息を切らしたハヤトが校舎の中から出てきた。

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