2-2 珪素生物との邂逅(2)
珪素生物から身を守るための道具をもらった後、ユージとハヤトは健介に連れられて四階までエレベーターで降りていた。
「局内はいくつかある部ごとに分かれている。たとえば金髪のエルランがいたところが、情報部。あそこにあったパソコンを駆使して、珪素生物の居場所をいち早く察知している」
「どうやって察知しているんっすか?」
「珪素生物は自分たちとは少し違った体温を持っている。そこで街全体にサーモグラフィーを設置することで、炭素生物とは違った体温を持っている生き物を感知している」
「街にそんなものがあったんですか!」
ユージは目を丸くして、健介を見上げる。彼は苦笑しながら、軽く頭をかいた。
「これは機密事項だから、くれぐれも公言しないでくれよ。サーモグラフィーって使い方によっては悪用できるから。もし誰かに言って広まりでもすれば、局長の首が飛びかねない」
「わかった。局長さん、いい人だし、絶対に言わない!」
「そう言ってくれると、有り難いよ」
健介はにこやかに笑って、四階にあるドアを押した。目の前には屈強そうな男たちが談笑している。
健介がその脇を通ると、元気のいい挨拶をされた。ユージもつられて挨拶を返した。
置くまで進むと、二人かけの椅子が向かい合っている場所に座るよう促される。
ユージとハヤトが並んで座り、健介とカオリがその前に腰を下ろした。
健介はざっと部屋を眺める。夜にも関わらず、賑やかだった。
「ここは討伐部の部屋。自分たちが所属しているところだ。ちょっとうるさくて申し訳ないけど、是非ともここを去る前に聞いて欲しいことがある」
健介は姿勢を正して、ユージたちを見据えた。
「局長はユージ君に対して、珪素生物が現れた時の場をしのぐ手段を与えてくれた。一般人に対しては、そのような扱いをするのが妥当だと俺も思う。ただ、遭遇してみてわかるとおり、奴らは非常にしつこい。もしかしたら逃げきれないかもしれない」
ユージは両手をぎゅっと握りしめていた。
「だからそもそも論として、遭遇しないよう行動して欲しい。それに対していくつか助言をするから、きちんと聞いてくれ」
健介は指を一本立てた。
「一つ、夜遅い時間や日光が届かない場所には出歩かないこと。奴らは日光を好まない生き物で、動くとしても夕方からと言われている。これは優秀な生体部が弾き出した結論だから間違いない」
続けて二本目の指を立てる。
「二つ目、人気の無い場所には行かないこと。夜であっても、大通りであれば出会うことはほとんどない。奴らはそういう風に動くようになっている」
ハヤトが眼鏡越しから、ちらりと健介を見る。
「その言い方だと、まるで珪素生物は誰かに扱われている存在のように聞こえますね」
「――そうか、言い方が間違ったようだね。言い方を少し変えよう。今までの傾向として、珪素生物は人気がある場所では出てきたことはない。だから、そういう場所以外は歩くなと言いたかったんだ。わかったかな、ユージ君」
健介はユージを見て、反応を伺ってくる。ユージはこくりと頷く。ハヤトが横目で健介をじっと見つつ、口を開こうとする前に、彼はさらに指を一本立てた。
「三つ目、このビルと学校が最も安全だから、もし何かあったら真っ先にどちらかに逃げ込むように」
「どうして安全なんですか?」
「こちらの部の者が、何人か教師として赴任しているからだ」
健介が視線を後ろに向けると、見たことのある顔がダンベルを上げ下げしていた。学年は違うが、ユージたちの高校の体育教師だ。快活で面白く、人気も高い。
「今日はまだここに来ていないが、他にも何人かいる。カオリも生徒ではあるが、例外としてこちらに所属している者だ。もし何か不審なことがあったら、カオリでいいから即座に言うように」
「わかりました! ……あ、でもカオリ先輩、休み時間中は教室にいないから、捕まらないって聞いたんですけど……」
カオリは左腕についている時計を軽く触れてから、にっこりと微笑んだ。
「教室にいると人が多過ぎて珪素生物を察知しにくいから、外に出ているの。普段は図書室で委員の仕事をしているか、剣道場で素振りをしているか、局の人がいる準備室などで手伝いをしているかのどれかよ。私の連絡先を教えるから、見つからなかったら連絡をちょうだい」
お互いに腕時計を合わせ、カオリが軽く操作すると連絡先を交換できた。ユージの時計には『早川香織』の文字が浮かび上がっている。
「さて、助言は以上だ。何か質問などはあるか?」
ユージは手をぴっと伸ばした。健介は応えるよう促す。
「健介さんとカオリ先輩はどういう関係なんですか! とても親しいように見えますが!」
隣にいたハヤトが溜息を吐いている。健介とカオリはきょとんとし、お互いに見ると、笑い合った。
「昔からの知り合いよ。健兄とは昔からよく遊んでもらっていて、私のことを妹のように扱ってくれたの。今はその延長線上ね」
「そうそう、カオリのことはおっちょこちょいの妹くらいしか見ていないよ」
カオリがむっとした表情で健介を睨む。彼は笑いながら謝っていた。その様子が本当の兄と妹のような関係にも見えた。
ユージはほっと胸をなで下ろした。質問するときは鼓動が速くなっていたが、今は少しだけ落ち着いている。
しばらく黙り込んでいたハヤトが顔を上げた。
「……カオリ先輩と健介さん、俺からでも質問いいですか?」
「どうぞ」
ハヤトの目がすっと細くなった。
「こちらの局、いつからあるんですか?」
「五年前からだ」
「この局ができたきっかけとかって、あるんですか?」
「珪素生物の噂を頻繁に聞くようになってからだ。それまでは現れても警察で対応していたが、拳銃をぶっ放しても倒せないことから、せいぜい追い払う程度しかできなかった。次第に量も増え、被害も見られるようになったある日、珪素生物専用の対策をしよう――という動きになり、ある研究所の職員だった局長が立ち上げようとしたんだ」
「レイさんが動いて、すぐに局は設立されていないですよね?」
「一、二年はかかったと言われている。頭の固い議員さんたちは、現実を知らないから、無駄と思っているものに金をかけたくないと言ってね」
「でしょうね。最後にもう一つだけ。この局の最終的な目的って何ですか?」
健介はハヤトの視線を逸らすことなく、言い切った。
「珪素生物を撲滅し、ホプリシア街に平和を戻すことだ」
ハヤトは軽く頭を下げて、お礼を言った。
ユージとハヤトはカオリと共に帰路に着いていた。彼女も自宅に戻るつもりらしい。
「私は常勤の職員ではなく、アルバイト的な立ち位置の者。用がなければ、家に帰っているわ。呼び出しがあれば、出ているけど」
「夜に出るのが多いんですよね? 寝れるんですか?」
カオリは目を瞬かせてユージを見ると、くすっと笑った。
「ありがとう、心配してくれて。無理しないようには気を付けているから」
先に一軒家のハヤトを送り届けると、ユージはカオリと並んで歩き続けた。彼女はちらりとハヤトの家を垣間見る。二階建ての一軒家、それぞれ一人部屋があり、研究者である両親の部屋は本などで溢れているらしい。
カオリは口元に手を当て、数瞬考えてから、ユージを横目で見た。
「……ねえ、ユージ君、ハヤト君とは付き合いが長いのよね?」
「はい、そうですけど。小三の時に同じクラスになってからですね」
「じゃあ、妹さんのこともご存じなの?」
ユージは目をぱちくりとした。
「はい、知っていますよ。小学生の時に、一緒に遊んだりしましたから」
「……不躾なお願いで悪いんだけど、妹さんについて、特に亡くなった事件のことを教えてくれないかな?」
「どうしてオレに聞くんですか?」
「ハヤト君、そういうことは絶対に話してくれないでしょう。決して他人には自分の本心を語らない子だから」
カオリの言うことは最もだった。
時折、ハヤトが何を考えているのかわからなくなる時がある。怒りを顔には出さず、ただ無表情にその場を眺めている場合が多々あった。
昔はそうではなかった。笑い、喜び、時には怒ったりと、感情豊かな少年だった。
感情を滅多に見せなくなったのは、感情を爆発した、あの出来事以降のこと。
ユージは沈痛な面もちで、前髪をくしゃりと握った。
「……話、長くなりますよ?」
カオリは道路に面している、公園に目を向けた。
「私は構わない。ユージ君が大丈夫なら」
そして二人は小さな公園にあるベンチに移動した。公園の入り口でカオリが買った自動販売機の飲み物を喉に通しつつ、ユージはぽつりぽつりと語り出した。
* * *
今から五年前、桜も散り、穏やかな春の日々が過ぎ去り、傘が手放せない時期になった季節――。
小学校に入学したばかりのハヤトの妹理彩は、少しずつ環境の変化に慣れているところだった。早生まれだったせいか、他の子よりも体が小さく、いじめられないかとハヤトは心配していた。だが、それは杞憂だったようで、理彩は日々楽しそうに過ごしていた。
その日はいつものように行きはハヤトを含めた近隣の子供たちと集団で登校し、帰りは低学年だけが集団下校していた。前日から雨がしとしとと降り続いており、道の上には色鮮やかな傘が並んでいた。
まだ陽が上っている時間帯に低学年の小学生たちは帰宅するが、なぜかその日夕陽がアスファルトを照らす時間になっても理彩は帰ってこなかったのだ。
初めに異変に気づいたのは、学童クラブに顔を出したハヤトだった。
両親が共働きの相沢家では、理彩はハヤトの授業が終わるまではそこで遊んでいることになっていた。しかし、その日、彼女はそこにはいなかったのだ。
ハヤトは両親に連絡を取りつつ、集団下校をした子たちに話を聞いていった。そして誰もが「相沢理彩ちゃんは、一緒に下校して、別れた」と言ったのだ。
ハヤトは顔を強ばらせながらも、自分に言い聞かせた。
「理彩は珍しいものを見つけたから、それを追いかけに行った」と。
そう言い聞かせつつも、胸騒ぎは止まらなかった。理彩のランドセルに付いているGPSが反応を示さなかったのも、その要因だろう。
ハヤトは警察への通報などは両親や学童クラブの人に任せて、暗くなった夜道を駆けていった。
あてなどなく、傘をさして、ひたすら走っていた。
妹の無事を一心に願いながら――。
やがて息も切れ切れになった頃、小さな神社の裏手にある竹藪に視線が向けられた。普段なら絶対に行かない場所だが、なぜかとても強く引き付けられた。足下に注意して、林の中に踏み込んでいく。心臓の音はより大きくなっていた。
やがて数分も歩かないところで、ハヤトは傘を地面に落とした。
全身が雨で打ち付けられたが、まったく気にすることはなかった。
周囲にあった竹藪は赤黒く変色している。赤黒い点が、いたるところに飛び散っていた。
この小さな体にこれほどの血を持っていたのかと思うくらい、体内から大量の血が流出していた。真っ赤なランドセルは赤黒く、雨が必死に叩き流そうとするが、まったく効果はない。
呆然としたハヤトはその場に膝を付け、妹の名を何度も叫び続けた。
まったく反応がないことをようやく認めると、地面に両手を叩きつけ、嗚咽を吐いた。
見るも無惨になった妹の姿は、その後のハヤトの脳裏にこびり付いたのだった。
* * *
「……その事件、覚えている。おじいちゃんがその後気を付けろって、言い続けていたから」
「その事件の犯人って……」
ユージがカオリの顔色を伺いながら尋ねると、彼女はこくりと頷いた。
「珪素生物よ。表向きでは人間の手による残忍な犯行となっているけど、理彩ちゃんの死因――胸部圧迫死の力のかけ具合が、到底人の力ではできないものだったって」
「その結論は絶対なんですか?」
カオリは缶をぎゅっと握りしめた。
「……現場にね、珪素生物の表皮が残っていたの。たぶん攻撃したときに剥がれたものだと思う」
ユージから視線を逸らして、地面をじっと見つめている。
「どうして理彩ちゃんが襲われたのかは、わかっているんですか?」
カオリは首を横に振った。
「わからない。せいぜい考えられるものとしては、彼女が思わず竹藪に入り、そこで珪素生物と遭遇したとしか……」
「ハヤトは言っていました、あの日は寄り道するはずが絶対にないって。その日はハヤトの誕生日で、早く学童クラブに行って、あいつにプレゼントする絵を完成させたかったって、クラブの人が言っていたらしいです。だから通り道から逸れた場所にある、あの神社の近くに行くはずなどなかったって」
ハヤトの誕生日は理彩の周忌日。
皮肉にも一生忘れない日となってしまった。
ユージは缶の残りを一気に飲み干してから、雲がかかっている夜空を見上げた。
「ハヤト、頭いいじゃないですか。たぶんどっかで珪素生物のことを知って、あの事件と結びつけているんじゃないかと思います。ムカつくくらい、鋭いっすからね」
「ご両親が研究者なのよね。お二人が珪素生物のことを知っていれば、ハヤト君も何となく察するかもしれない。……聡い後輩を持つと、大変だわ」
カオリは肩をすくめてから、飲み物を飲みきり、姿勢を戻してユージを見た。
「ありがとう、ユージ君。君にとっても辛い出来事だったのに、話してくれて」
「いや、そうでもないです。オレが見た最期は、花の中に囲まれている綺麗な顔をした理彩ちゃんでしたから。顔だけは攻撃されなかったらしいっすよ」
カオリは目を丸くする。ユージが立つと、彼女も慌てて立ち上がった。
ユージはカオリの缶を取り、ゴミ箱に投げ捨てた。缶が音をたてて、その場に収まる。
二人は重い空気を抱えたまま、大通りを歩いていった。