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天色道の疾走  作者: 桐谷瑞香
第一話 日常の綻び
2/19

1-1 日常の綻び(1)

「あのですね、これにはきちんとした理由がありましてね……」

「どのような理由があったとしても、今日が締め切りと何度も言ったはずだ。いいか、居残りをしてでも、今日中に終わらしてこい」

「先生、何時になるか、わかりませんよ? 先生が帰れないかもしれませんよ……?」

「あいにく今日はやらなければならないことがたくさんあるから、もともと残るつもりだった。――高倉勇二たかくらゆうじ、いいから早く戻って、宿題してこい!」

 ぴしゃりと言い放たれた勇二は、むすっとしながら職員室を後にした。手をズボンのポケットに突っ込んで、ぶつぶつ言いながら歩いていく。

「昨日、最後の締めをやるつもりだったんだよ。それなのに……」

 寝るつもりはなかった。だが、結果としては寝ていた。

 宿題をこなすのに、最後に必要なものをうっかり忘れてしまい、夜中に高校へ取りに戻ろうと思ったが、なぜかその直後に寝てしまい、朝を迎えてしまったのだ。

 朝を迎えただけなら、まだいい。なぜかやりかけの宿題が入ったデータまでが消えてしまったのだ。

 事情を話せば一日くらいは見逃してくれると思っていたが、結局は説得できず、宿題を出した教師に居残りを命じられてしまった。勇二にとってはやるせない気持ちでいっぱいだった。

 肩を落としながら、教室に向かって歩いていく。視線を窓の外に向ければ、昼食を早々に食べ終えた生徒が校庭に繰り出していた。自分もあの中の一人になる予定だったが、今日は無理そうである。

 視線を前に向けて歩き出すと、黒髪を緩く二つに編んだセーラー服の少女が颯爽と横を通り過ぎていった。黒髪、黒色の瞳の少女を見て、ユージは思わず後ろ姿を眺める。

「珍しいな。この街の生粋の住人か?」

 勇二は銀色の自分の前髪を見て、ぽつりと呟いた。

 ホプリシアタウン――国の第二都市であるこの街は、その国の出身者だけでなく、混血も非常に進んでいるため、多種多様な髪や瞳の色の者たちが暮らしていた。金色で緑色の瞳の者もいれば、黒髪で赤色の瞳の者もいる。親子でも違う場合もあった。おそらくほとんどの人が他人の先祖がどこの国の出身者なのか、言い当てられないだろう。

 だが、黒髪黒目の者だけは例外で、その者たちは大方珍しい生粋の国の住民だと言われていた。遺伝子上の因果の影響らしく、黒髪黒目の人が他の色の者と交わると、両方黒色になることはまずないらしい。

 世界で一年間の長さが定められ、暦と呼ばれるものが数えられるようになってから二千百年経過した今では、混血が進んでいない人間の存在はとても珍しかった。

 ユージはとぼとぼと歩きながら、自分の教室の前に来た。そして自動に開いたドアから中に入って教室を眺めると、大部分の人がお弁当を半分以上平らげていた。美味しそうなご飯を見て、素直にお腹の音が鳴る。

 早々に席に戻り、後ろの席にいる黒髪に眼鏡をかけた少年を見ると、彼は小さなモニターを見ながらタブレットに文字を書き記していた。

「ハヤト、もう昼飯食べたのか?」

 ハヤトと呼ばれた少年、相沢隼人あいざわはやとは眼鏡越しからぎろりと空色の瞳を睨みつける。そして溜息を吐きながらモニターとタブレットの電源を落とした。

「お前が昼飯待っていてというから、待っていたんだろう」

 ハヤトが机の上にお弁当を取り出すと、ユージは目を瞬かせた。

 たしかに出て行く直前に、「弁当は一緒に食べような!」と叫んだが、まさかそれを間に受けていたとは。

 込み上げる想いを噛みしめて、その場に立っていると、再び睨まれた。

「気が散る。食べるのか、食べないのか、はっきりしろ」

「た、食べる!」

 ユージはいそいそと鞄から大きな弁当箱を取りだし、ハヤトの机に自分の机を合わせる。てきぱきと弁当箱を開けて、にこにこした表情で食べ始めた。

 ご飯を食べているときが最上の幸福時間だ。

 ユージが一時の幸せを堪能していると、ハヤトは視線を弁当に向けたまま呟いた。

「宿題、最後の詰めまでやれなかったのか?」

「やろうとしたさ。ゲームもしない、漫画も読まない、状況によっては寝ないつもりだった。けど、作業している途中で最終調整に必要なものを学校に忘れたって気付いて、忘れ物を取りに行くついでに調整は学校で作業しようと思い、小型のメモリーだけ持って向かおうとしたんだが……気が付いたら寝ていたんだ。しかも、わけが分からないことに、そのメモリーも消えていたんだ」

「は? 寝ている間に? ベッドの隙間とかに落ちていなかったのか?」

「朝、必死になって探したさ。でも、ベッドをひっくり返しても、でてこなかったんだ」

「おいおい、あのメモリーがなかったら、一からやり直しじゃないか!」

 ハヤトが箸をご飯に付けて、顔を上げる。ユージは渋い顔で軽くうなずいた。

 今回の宿題はプログラミングを利用したソフトの作成。時間はかかり、参考文献も量は多いが、きちんとこなしていれば誰でもできるものである。

 ユージはハヤトと机を並べて、昨日の放課後は最後の追い上げに勤しんでいた。途中で下校時間になってしまったため、残りは家でやる予定だった。その時まで使用していた参考文献やプログラミング過程のデータは、すべてメモリースティックの中に保存してある。

 ハヤトは眉間にしわを寄せた。

「バックアップ、取っていないのか?」

「あまりにもデータ量が多いから、とってねえよ。辛うじてプログラミングが半分くらいできているデータなら残っているが……」

「半分って、それからどれくらい時間をかけて作ったと思っているんだ!」

 近くで怒鳴られたため、ユージは思わず耳に指を突っ込んだ。

 重々承知していることを再度言われるのは、あまり面白くはない。弁当の中身はまだ半分以上残っているが、気分が下向きになった今では、なかなか箸は進まなそうだった。

「なあ、ハヤト……」

「参考文献くらいなら貸してやるが、プログラミングの中身自体を提供することはできない。途中から中身が違うからな」

「やっぱり……」

「すまんが、俺も部活に参加しないといけないから、お前にずっと構ってはいられない」

「そんな……」

 絶望的な気分だった。

 一度プログラミングの中身を作成したとはいえ、ハヤトに頼りっぱなしの部分が大きい。

 試験で常に学年の五番以内に入っている相沢隼人は、プログラミングを含めた理系関係には非常に強い学生だ。試験結果で、後ろから番号を数えた方が断然早いユージとは雲泥の差がある、頭の良さ。

 彼抜きでやるとなれば、倍以上の時間がかかるのは目に見えていた。

「あー、オレはいったい何をやっていたんだ……」

 ユージは机の上に突っ伏して、盛大に溜息を吐く。食べる気力すら出てこない。

 ハヤトは眉をひそめて、弁当に手を付けていると、クラスメートの女子が近づいてきた。

「相沢君、呼んでいる人がいるよ。先輩みたいだけど」

 ハヤトは箸を置いてドアの方に向けると、目を軽く見開かせた。弁当箱の蓋を閉めてから、その人に近づいていく。

 頭を回して、ユージは横からその人物を見た。黒髪黒色の瞳の少女――さっきすれ違った学生だ。よく見ると、顔立ちが可愛らしい先輩である。

(付き合っている女はいないと言いながら、あんな人と楽しそうに話しやがって……。世の中、不公平だ!)

 口を尖らしながらも、二人のやりとりをじっと見ていた。

 すると彼女は右手を差し出してきた。彼女の手のひらの上にあるものを見て、ハヤトは明らかに驚いた表情をしている。そしてちらりとユージのことを見てから、手のひらにあるものをつまみ上げた。その後、彼が軽く頭を下げると、彼女は手を振って去っていった。

 ハヤトは彼女の背中を見送った後に、ユージの元に戻った。

 手に握りしめられたものをユージの前でゆっくり開く。

「これ、お前のだよな?」

 手のひらに乗っていたのは、青色のメモリースティック。ユージが無くしたと思っていた物だった。

 顔を上げて、それを両手ですくい上げる。

「どうしてこれが……?」

「同じ委員の先輩が廊下で拾って、届けてくれた。中身を見るか躊躇ったらしいが、表面のデータだけでわかれば届けようと思い見たら、俺の名前が一緒に載っていたから……」

 メモリースティックをパソコンにつなげた瞬間、トップページだけは誰でも見られるようになっている。紛失物対策もあるが、一種の表紙として利用している人も多い。学校でデータを提出する際は、表紙がついたメモリーの提出が必須となるため、学生の間では広く普及している代物だった。

 半分放心状態のユージはタブレットの電源を付け、所定の場所にスティックを差し込んだ。トップページには明るい色合いで、「(仮)高倉勇二と相沢隼人の、何度目かになるかわからない愛の共同作業中!」と書かれている。

「オレのだ……」

「そうかよかったな。運よく拾ってくれた先輩に感謝するんだな」

「お、お礼を!」

 ユージは半分体を乗り出す。ハヤトは空になった弁当箱を閉じた。

「何も特別なことはしていないから、いいって。むしろ中身を見てしまって申し訳ないと」

「でも!」

「それに忙しい人だから、探しに行っても会える確率は低いぞ」

「せめて名前だけでも!」

 ハヤトは弁当箱をしまい込み、顔をすっと上げた。

「一つ上の早川香織はやかわかおり先輩。委員会や部活で忙しくて、休み時間はほとんど教室にはいないぞ」



 * * *



 夕方、ユージは腕を天高く伸ばしながら、太陽の下をハヤトと並んで歩いていた。

 ほとんどできあがっていたデータから締めまで持っていくのは簡単だった。放課後少し残っただけで、無事に宿題を提出することができた。ハヤトがもう一日だけ部活を休んで、手伝ってくれたおかげもあるだろう。

「なんか奢るよ。棒アイスでいいか!?」

「家に帰って夕飯作らなきゃいけないから、いらない」

 せっかくの好意を無碍に扱ったハヤトを見てユージは頬を膨らましつつ、近くにあった自動販売機で棒アイスを買った。昔懐かしき道が広がる商店街には、今ではほとんど見ることがなくなった販売機を視界に入れることができる。

 ここ百年近くで急速に発達した科学は、懐かしの文化も容赦なく飲みこんでいったが、目を凝らせばまだまだ残っているものだ。

 チョコレートアイスは、珍しく頭を使ったユージの脳内に糖分を与えていった。

「今日もおふくろさんたち遅いのか?」

「ちょうど研究が佳境なんだ。朝も、世紀の大発見まであと少し! って叫んでいた。いいんじゃないか、それでこの街の科学が発展するのなら」

 ハヤトの両親は二人揃って研究所に勤める研究者。街でも五本の指に入る、屈指の研究所にいる二人は、ある時期になると家事もできないほど、忙しくなるらしい。

 昔はハヤトもいい顔をしていなかったが、二人が挑んでいる科学の一端がわかるようになった中学生くらいから、それなりに割り切れるようになったようだ。

「寂しかったらさ、いつでも家に遊びに来いよ。母さんも待っているからさ」

「ありがとう。時間があるときにでもお邪魔するよ」

 ハヤトの表情が緩む。小学校からの腐れ縁は、片方に比重がかなり偏っているが、お互いにもちつもたれつの関係で続いていた。

 二人の影が少しずつ長くなっていく時間帯。茜色に染められた彼らは、穏やかな日常を当たり前のように過ごしていた。


 しかし、時として日常はあっけなく崩れていく。


 硬質なものがコンクリートの上を歩く音が、後ろから聞こえてきた。話に夢中になっていたユージは気に留めることなく話し続けていたが、ハヤトはちらりと後ろを見ると、途端に顔を強ばらせた。相づちがなくなったハヤトをユージは不思議そうな顔で見る。

「ハヤト、どうかしたか?」

「お、お前、後ろ見ていないのか?」

「後ろ?」

 ユージが思いっきり顔を後ろに向けると、目を大きく見開かせた。

 光沢がある、ダークグレー色の表皮を持っている四つ足の生き物が、地面に這わせながら、ゆっくり動いている。目は異様なほど血走っており、前歯がでている口からは涎が垂れていた。

「何、あれ?」

 ユージが指で示す前に、ハヤトがその指を持って慌てて下げさせた。そして腕をひっつかんで、謎の生き物に背中を向けた。

「走るぞ!」

「え?」

「いいから!」

 ハヤトに促されるがままにユージは走り出した。

 数メートルは簡単に相手と距離を付けることができた。しかし、相手の視線がこちらに照準を合わせられると、一気に寄ってきた。その速さは先ほどまで見ていた鈍くさい動きなど、微塵も感じられないほど速い。

 二人は腕を激しく振って、駆け続けた。

「いったい何だよ……!」

「知るか! とにかくやばいもんには変わりない。どうにかして振り切るぞ!」

 全速力で走るハヤトの後を必死にユージは追った。右に左にと角を曲がっていく。人通りが少ない住宅街を通っていたため、行き交う人とすれ違うことはなかった。

 息切れがしてきて、走る速度も徐々に落ちてきたところで、不意に頭上が暗くなった。

 次の瞬間、ダークグレーの生き物が目の前に落ちてきたのだ。

 ハヤトは息をのんで、慌ててその場に踏みとどまる。ユージはすぐに対応できずに、数歩進んだところで足を止めた。

(オレ、これをどこかで見たことがある……?)

 真正面から見て、ユージは記憶の端から何かが思い出される。だが、じっくりと思い出す時間などなかった。

「化け物が……」

 ハヤトがじわりじわりと下がっていく。すると、その生物は一気に加速して寄ってきた。

 ユージとハヤトは無駄だと思いながらも、とっさに両腕で顔を覆った。

 その時、二人の前を颯爽と制服を着た一人の少女が割り込んできた。銀色に輝く刀が視界に入る。彼女はそれを振り、ダークグレーの化け物を斬った。呻き声が耳に入ってくる。

「しつこい生き物は嫌われるわよ」

 一言呟くと、彼女はその化け物の四肢を目にも留まらぬ速さですべて傷を入れた。そしてわき腹に深く突き刺し、一回転させると、化け物の動きは止まった。

 彼女が刀を引き抜く頃には化け物は黒い粒子となり、真下に黒い影のように落ちた。

 少女は肩をすくめながら、刀を鞘に戻すと、ちらりとユージたちを見てきた。彼女が二人の顔を見るなり、目を丸くした。ハヤトも呆然として彼女を見ている。

「カオリ先輩?」

「まさか相沢君? しかも隣にいる彼は……」

「こいつは俺の友人です。カオリ先輩が落とし物を拾った持ち主で……」

 背中の上を黒色の長い髪が揺れている。正面から見てようやく気づいたが、彼女は職員室の前で通り過ぎたお下げの少女だ。髪を下ろしているためぱっと見では気づかなかった。

 カオリの視線がハヤトではなく、ユージに向けられる。

「……連日となると、それ相応の処置をしておかないと、今後も狙われる可能性がある」

「お姉さん、もしかして昨日の夜、会った?」

 カオリの目が大きく見開かれる。

 曖昧だったユージの記憶が少しずつ繋がってくる。昨日の夜、ユージは忘れ物を取りに外に出て。そして先ほど出会ったような化け物遭遇し――。

「まさかあれは不良品だったの? これは参ったわね」

 手を口元に当てて考え込んでいるカオリを、ハヤトは目を細めて見つめる。

「カオリ先輩、もしかしてさっきの化け物は――珪素生物シリンですか?」

 カオリの表情が一瞬びくっとした。そして眉間にしわを寄せて、ハヤトのことを眺める。

「そんなに怖い顔をしないでください」

「そういう相沢君も相当怖い顔をしているわよ」

 ユージは横目でハヤトの表情を盗み見ると、触れるのが躊躇うくらい形相をしていた。

 カオリはため息を吐くと、軽く髪を手で後ろに流す。

「私の手でどうにかしてもいいけど、連日となるとある可能性が出てくるから、私の手には余るのよね。とりあえず今は私に着いてきてちょうだい。――死にたくなければ」

 風が静かに吹き抜ける。

 カオリの黒髪が揺れると、影もゆらゆらと揺れた。

 ユージが過ごしていた日常は少しずつ綻びを見せ始めていた。

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