5-2 駆け抜けた道の果ては(2)
空気が一段と重く、気温もぐっと下がっている。
カオリが軽く腕をさすると、健介が上着をさりげなく肩の上に乗せた。彼の立派な筋肉がついた二の腕が露わになる。彼女は微笑みながらお礼を言うと、それを腕に通した。
ユージはワイシャツ一枚で来ていることに後悔した。兄妹のような関係だと宣言していたが、あまり信用ならない話だった。
「……カオリ先輩って、あの顔で面倒見いいから、結構人気あるんだぞ」
「えっ」
後ろからの言葉を聞き、思わず振り返る。ハヤトが腕を組んで肩をすくめていた。
「まあ今は珪素生物のことで頭がいっぱいだから、誰も相手にはしていないけどな」
「そうなのか……」
「まあせいぜい頑張れ。局員の若い人にも気があるらしいぞ」
ハヤトはぽんっとユージの肩に手を乗せてから、健介の隣へと歩いていった。護身用だと言い張って、先の戦いで使っていたポールを持っていた。
健介と何往復か言葉を投げ合った後に、ハヤトは指をタワーの上部に示した。中層にある展望台よりも、さらに上にある地帯だった。
「なあ、どうやって入るんだ? ここって確か朝から夜までしか開いていないだろう?」
「珍しく的を突いた質問をするんだな」
ハヤトが感心ぶっていると、ユージはむっと口をとがらした。
「悪かったな、いつもたいした質問できなくてよ!」
怒鳴り散らすと、カオリは指を口元に当てて、静かにするような仕草をした。ユージは手を頭の後ろに当てて、謝りを入れる。
一同の視線はタワーの上部に向けられた。健介はポケットから、一枚のカードを見せた。
「これがあれば、関係者としてタワーの中に入れるから大丈夫だ。――さて、行こうか。先発部隊ともなるべく早く合流したいからな」
盗聴される恐れがあるとして、先発部隊相手に連絡は入れていない。会えたら随時手持ちの情報を与えるということで、四人の中では意見を一致させていた。
健介はナックルを拳にはめ、カオリは左手に刀を持ち、ハヤトはポールを肩で背負った。
ユージは右の腿の脇にあるホルスターに手を触れる。そこには真っ黒いままの銃が静かに佇んでいた。天色ではない。
健介やカオリが歩き出したのを見て、ユージは慌てて彼女の斜め後ろに走り寄った。
「カオリ先輩、一つ聞きたいことが」
「私に?」
ユージはこくりと頷く。
「カオリ先輩の刀、珪素生物と対峙するときはいつも天色になりますよね。何かコツとかあるんですか?」
黒塗りの刀の柄を見て、カオリはそっとその刀を包み込んだ。
「その力が絶対に必要なときしか色は変わらない。私だって、色が変わらない時はたくさんある。それでも対抗できるよう、生身の刀での使いこなせるよう努力しているの。力を求めれば、それについつい頼ってしまう。でも本当に必要なのは――鍛錬と己の意志の強さよ」
「意志の強さ……」
「ユージ君が持っている銃、とても性能が良くて、初心者でも比較的簡単に珪素生物を倒せると聞いたことがある。でも、波長が合う人がいなさすぎて、使った人はほぼなかったから、君が持っているのを見て正直驚いた」
「その話、レイさんから聞かされました。そんなにこれが持てることが凄いんですか?」
「その銃云々よりも、まずは武器を持っていることが凄いことなの。――鍛錬をする時間はないけど、今はその銃の機能を過信せず、強い意志を持って使えば、きっとその想いに応えてくれるはずよ」
ユージにとっては難しい言葉だった。
珪素生物に対して何も対抗する力がなかった少年にとって、この銃は唐突に得てしまった場違いな力である。それを得て過信するなと言われても、できるかどうかわからなかった。
視線を下げていると、カオリの刀が視界に入った。顔を上げればすぐ目の前に、微笑んでいる黒髪黒色の瞳の少女の姿がある。
「今、悩んでいるでしょう。大丈夫よ。迷って悩んでいるのなら、その気持ちを銃が受け取って、過信なんかしていないってわかってくれるわ」
「なんだか銃は生きているような言い方っすね」
「そうかもしれないわね。物に作り手の想いが宿ると言われるのなら、持ち手からの想いも宿ると私は思っているわ」
少女は長い髪を揺らしながら歩き出す。
日常が終わってしまった夜も、意識が薄れゆく中、少女の髪を眺めていた覚えがあった。前回は目を閉じてしまったが、今は目を開けて彼女を追いかけることができる。
先に進んでいたハヤトと視線を合わせると、ユージは夜明け前の道を走りだした。
タワーの入り口に警備員がいたが、健介がとある研究所の証明書を出すと、確認をした後にすんなりと通してくれた。ユージたちは研究に興味のある高校生として入っている。刀やポールは布を巻き付けて、極力おかしくないようにしておいた。
非常用のエレベーターに乗ると、なめらかに上昇していく。エレベーターの中から外が見られ、暗い街の中に明かりがぽつりぽつりと灯っていた。
「健介さん、本当はどこかの研究所の人なんですか?」
健介は証明書をハヤトに渡すと、首を縦に振った。
「ああ。半数くらいが派遣という形で来ている。正規の職員は一握りだろうな。不安定な組織だから、局長は正規職員をあまりいれなかったらしい」
「周りの人の先行きまでよく考えているんですね」
「局長、昔研究していた内容が珪素生物を生み出すきっかけの一つになったのを気にしているんだろう」
小さな呼び鈴がエレベーター内に響く。中層にある展望台に着いた。ここまでは一般人でも来られる範囲だ。
エレベーターから降りると、展望台の中は真っ暗だった。せいぜい非常灯がささやかに灯っているのみである。
健介は持ってきた懐中電灯の明かりをつけ、ホール内を一周させる。誰も見当たらない。
「誰もいないようだな。ここから別のエレベーターを使って、上に行く」
懐中電灯を持った健介を先頭にして、四人は移動していく。
ただ歩いているだけなのに、ユージの鼓動は速くなっていた。手のひらが汗ばんでいる。それをズボンで軽く拭き取った。
「この上に局の都合で取ってある部屋がある。もしかしたらそこで合流できるかもしれないから、そこにまず向かう」
“関係者以外立ち入り禁止”と書かれたドアを開くと、その道の先には小さなエレベーターが設置してあった。今、乗ってきたものの約四分の一の大きさだろう。そのエレベーターの脇にあるテンキーで数字を押すとドアが開いた。
健介が中に入り、特に異常な物はないかどうかを確認してから、少年少女たちも入った。ドアが閉まると緩やかに上昇し始める。
先のエレベーターより音をたてながら上がっていき、ほどなくして目的の階に着いた。ドアが開くと、目の前にはホプリシア街の夜景が広がっていた。明かりはほとんどついておらず、街全体が暗闇の中に沈んでいる。
「上の階に行くほど、部屋の数は少なくなり、狭くなってくる。この階は比較的下の方だから、三部屋はあるぞ」
健介に促されて、エレベーターの後ろ側に連れて行かれる。そこにあったドアノブの一つに健介は触れようとしたが、寸前で止まった。
「健兄……?」
「何か仕掛けてあるな」
さっと手をドアから引いた。三人は眉をひそませていると、健介は手でこまねいた。ノブの持ち手の下の部分を指で示す。小さな針山が付いていた。
「これにはおそらく何らかの毒が仕込まれていると思う。迂闊に触るなよ」
健介は分厚い手袋をし、ノブの上部に触れてゆっくり回した。周囲に目を配りながら中に入っていく。カオリが電気を付けて中を見渡したが、誰もいなかった。部屋の奥にモニターが何台か置かれており、それらはすべて電源が落ちていた。
「誰もいない……?」
ユージが呟くと、カオリは無言のまま前に進む。そしてキーボードの下に挟んである紙を引き抜いた。彼女は読んでいくと、見る見るうちに眉間にしわが寄っていく。
ユージたちが寄ると、人差し指を口元に置いてから、それを差し出した。
紙には走り書きで、こう書かれていた。
『局の者でこの部屋を訪れた者へ
この部屋には盗聴器が仕掛けられている。それを知った上で、自分たちは頂上に向かうと声を発した。街全体を見渡せるという理由で。
しかし実際にはそこよりも数階下にある、防犯カメラを動かしているパソコン室に向かっている。少しでも敵の気をひくことができればいいが……、あまり期待しないでおこう。
ちなみに針山に仕掛けられていたのは、麻痺性の毒だ。即効性はないので、もし触れてしまった者がいたら、慌てずに動かさないようにしてくれ。
我が班では誤って一人引っかかってしまったため、奥の部屋で寝させている。彼の状態によっては、病院に搬送して欲しい。すまないが、よろしく頼む。』
読み終えた一同は息を吐いた。カオリはちらりと健介を見て、わざとらしくない範囲で言葉を投げかける。
「この部屋、誰もいないみたいだよ。奥の部屋にでもいるのかな」
「とりあえずざっと部屋の中を見よう。たいした広さでもないから」
無駄なことは一切喋らず、四人は壁伝いに歩いていく。奥にあるドアを開けると、ぐったりと横たわっている一人の小柄な青年を見つけた。健介は目を大きく見開いて、彼に駆け寄った。
「おい、大丈夫か!」
「け、健介さん……?」
下がうまく回らないのか、非常に歯切れが悪い。
「麻痺性の毒に当てられたって聞いたが……」
健介は青年の手を握りしめると、眉をひそめた。そしてツボ押しのように、指先でぎゅっと力を入れ込んだ。青年の眉は動かなかった。
さらに健介はナイフを取り出し、それを使って青年の指先に一線を入れたが、彼はまったく反応を示さなかった。
「まずいな……」
「健兄……」
口元に手を当てていたカオリがぽつりと呟く。健介は青年の全身の至る所を次々と捻るが、何も変わらなかった。
健介はカオリたち、三人の少年少女たちに振り返る。平静そうに装っているが、焦りの色は隠せなかった。
「カオリ、すまん」
「謝らないで。早くおじいちゃんに見せた方がいい。……危険よ」
健介は渋々頷くと、青年を肩で担ぎ上げた。
「カオリたちも戻るか?」
「私たちが一緒に行っても邪魔になるだけだと思うから、先に行って。陽が昇ってきたら、私たちも降りる」
「すまん。気を付けてくれ。くれぐれも無茶だけはするなよ」
カオリがドアを開いて先導し、部屋から出ると、健介は脱兎のごとく駆けていった。
ドアを閉めながら、カオリは言葉をこぼす。
「彼は健兄の弟分みたいな人なの。私とは違った意味で親しい仲よ。……毒が全身に回っている。すぐにでも治療しないと、危ないかもしれない」
「わかるんですか?」
「色々な人を今まで見てきたから……」
苦笑しながらカオリは俯く。
ユージは珪素生物と出会ってから、数日しかたっていない。それでも幾度となく危険な目にあった。
何年もそのような環境下に身を置いていれば、ある程度の判断力が備わっていてもおかしくない。
「これからどうしますか」
「……待――」
カオリの言葉は激しい響きによって阻まれた。
視線を天井に向ける。天井は揺れ、埃が落ちてきた。
「上で何か起こったみたいだな」
ハヤトは目を細めて、上を見据えた。全身に伝わる振動からも、その異常さはわかる。
三人は顔を見合わせた。ユージとハヤトは顔を突き出していたが、カオリはやや後退している。
「……二人とも、何が起こっているか、わからないわよ。悔しいけど、私たちが行ってどうにかなると思えない」
「でも、じっとしているよりはいいと思うんですが」
「知らずに巻き込まれているよりも、自ら首を突っ込みに行った方が、いいこともあると思いますよ」
ユージとハヤトは次々と意見を言うと、カオリは深々と溜息を吐いた。
「頑固な後輩たちを持つと面倒ね……」
カオリは布袋の中から刀を取り出す。ドアノブに手を触れると視線を合わした。
「でもね、やっぱり駄目。ここは危険だから下に降りるわよ」
平静と嘘を発しつつ、ドアを開けて、三人は再び廊下に出た。
エレベーターに戻ると上の方にランプが灯っていた。ユージたちがいる階に戻ってくるよう、ボタンを押す。その間にも振動は続いていく。
「上に何がいるんだ?」
「十中八九、ユージ君たちが思っているものでしょう」
「あれって、すごく重いんだよな。エレベーターなんかに乗れるのか?」
「エレベーターの中にいる時、浮いている状態で上昇したら、どうかしら? 突拍子もないことを、研究者って思いつく人種なのよ」
エレベーターに乗ると、カオリは一番上ではなく、五階ほど下の階をボタンで押した。
「カオリ先輩、予定の階はもう少し上なのですが……」
「そうでしょうね。ただ途中から階段に切り替えた方が、いいかなと思ったのよ」
エレベーターは上昇していく。だが途中で激しく揺れた。三人は壁に張り付く。カオリはかがみながら、すべての階にボタンを押した。すると上昇が止まり、音をたててドアが開いた。
這いながら三人はエレベーターから出ていく。天井は小刻みに揺れていた。
「もう少し上の階のようね」
カオリは視線を傍にある階段に向ける。立ち上がろうとすると、一瞬彼女はふらつき、壁に体を付けた。
「カオリ先輩!」
ユージが寄ると、お腹の辺りを押さえたカオリは、にこりとしながら立ち上がった。
「大丈夫、少し呼吸を落ち着かせれば」
カオリはユージたちが助けるまでヒデと一緒にいた。何らかの暴行をされていてもおかしくない。
一歩下がって彼女の様子を見ていると、刀を支えにして、背筋を伸ばした。
「気にしないで。これは私の意志で行くと決めたの。誰に押しつけられたわけでもない、行くと決めたから進んでいるのよ」
歩き始めたカオリの背中は、先ほどよりも大きく見えた。
「ユージ君もそうなんでしょう。周りで色々と起こっているけれど、最終的に決断したのは、自分の意志。周りの人は選択できる道を示してくれるけど、どの道を進むかは自分だけしか選べないのよ」
ユージは小走りをし、カオリの前に立って階段に続くドアを開いた。右手で銃があることを確認する。
「オレが先に行きます。カオリ先輩とハヤトは、無理しないで来て下さい」
「お前が先に行っても、心配する種が増えるだけだが……今回ばかりは任せたぞ」
片目しか使えないハヤトが先導を切ることはなかった。
ユージは後ろの二人に気を使いながら、軽やかに階段を上っていく。耳を澄まし、その階で人の気配がするか否か確認していった。
次第に振動は激しくなり、ドアの向こう側から怒号が飛び込んでくる。
ユージはとっさにドアノブに触れようとしたが、カオリが待ったをかけた。
「ユージ君、あと三回、上の階に行きましょう」
「え、でも……」
「おそらくここの階では、先発部隊と珪素生物が衝突している。でもその場面に私たちが行っても、邪魔になるだけよ。アンテナを動かしているモニターがある階はもう少し上って、ハヤト君は言っている。その部屋で待ち伏せしましょう」
「……そうですね、目的を間違えちゃいけませんね」
頭をかいていると、カオリはくすっと笑いつつ、頭に柔らかな手を乗せてきた。
「短い間に成長しているね、ユージ君。きっと君はこれから強くなるよ」
カオリがゆっくり階段を上っていく。ぽかんとしていたユージだが、すぐに二段跳びで上り、彼女を追い抜かして、いち早く目的の階へと急いだ。




