3-2 踏み出す一歩の重さ(2)
レイに連れられて着いた場所は、ホプリシア街でも有名な総合病院の一つだった。ユージも中学生の頃、サッカーの試合で骨折をしたときに訪れた場所である。
珪素生物の存在は極秘とされているのに、まさかこんなに堂々とした場所で治療を受けさせられるとは。レイがバイクを駐車場に入れている間、ユージは口をあんぐりと開けていた。
「何を呆けているんだ」
「いや、もっとお忍びの病院かと……」
「本当ならばそうしたいが、お金がなく、機器が揃わないものでな。ここにかつぎ込んで、事情を知っている医者に診察をしてもらっているわけさ。だいたいの怪我が打撲や骨折、鋭利なものによる切り傷だから、あまり怪しまれない」
「いや、切り傷って、かなり例外的な傷じゃないですか……」
「他にもお忍びの理由で来ている人物も多いから、適当に金を積んでおけば、口は割らないさ」
「は、はあ……」
「なに、大人の世界というのは、そんなものさ」
納得はしなかったが、ユージは適当に相槌を打っておいた。
病院の裏手から回り込み、中に入っていく。夜間診療の時間帯に入っているためか、人の気配はあまりなく、時折看護師が巡回で歩いている程度である。
「あら、レイさん」
巡回中の看護師の女性と会うと、レイはにこやかに挨拶をした。
「こんばんは。さっき健介とカオリが来たと思うんだが……」
「ええ、いらっしゃいましたよ。患者さんを担いでいる健介さんが早川先生と行きあい、その後先生が先導して、この先にある処置室に連れて行きました」
「徳じいさん、来ていたのか」
「はい。たまに論文を読ませてくれって、来ていますよ」
「相変わらず元気だな。七十近くとは思えない」
「日々鍛えていらっしゃいますからね」
看護師は口元を抑えて笑い、一礼をしてから、再び巡回へ戻っていった。レイは彼女に示された方向に歩き出す。
「看護師さんにもいるんですか。その……局の人が」
「いや、彼女は局員ではない。彼女の旦那が局員なのさ。事件で怪我を負って担ぎ込まれた際、経過治療をしていた彼女に惚れてしまったとか。あれについての詳細は知らないが、旦那が危険なことに首を突っ込んでいるのは知っているよ」
処置室のランプが光っているドアを叩くと、中からカオリが顔を出してきた。そして部屋の中にレイとユージを入れた。
「今、内臓と脳の様子を見ています。ぱっと見ですが先生曰く、特に異常はないようですよ」
「徳じいさんが言うんだから、大丈夫だろう」
「あんな老人を信用するんですか? 最近物忘れが激しいんですよ」
「手厳しいな、お孫さんは」
「孫?」
ユージがレイの後ろから顔を出すと、奥の部屋から出てきた白衣を着た白髪の老人と、カオリを一直線に見る形となった。面影がどことなく似ている。
カオリは白髪の老人に向かって、軽く視線を向けた。
「私の祖父。普段は小さな診療所で医者をやっているけど、たまに臨時でこっちにも顔を出すの。若い頃は総合病院で働いていて、上と折り合いが付かなくなって、出てきたんだって」
「折り合いが付かなくなったわけではない。道場運営も含めると、総合病院で働き続けるのは難しいと判断しただけだ」
「そうだったの? 道場、師範代の人に任せっぱなしだから、二の次だと思っていた」
「師範はどっしりと構えているものだ」
「そうですか、わかりましたよ」
カオリが棒読みで受け流すと、カオリの祖父、早川徳治郎は溜息を吐いた。そしてユージたちに椅子で座るよう促す。それに従ってユージ、レイ、カオリ、そして健介は腰を下ろした。
徳治郎は大きな画面にレントゲン写真を映し出す。
「これを見て分かるとおり、異常はなし。今、さらに中身を見ているが、特に異常があったというアラームも鳴っていないから大丈夫だ」
「そうですか、ありがとうございます」
ユージはほっと胸をなで下ろした。自分のせいで巻き込まれた兄に何かあったら、居ても立ってもいられなかっただろう。
「目を覚まして違和感がないようなら、家に戻ってもいい。――玲、記憶は消さずに、事実を少しぼかして伝えればいいのだな?」
「ええ、その方が納得するでしょう。あまり人の脳には手を付けたくありませんから」
「それには賛成だな」
その時、明るい軽快なアラームが鳴った。徳治郎は頬を緩まして、ユージを見た。
「問題はないようだ。目が覚めたら、念のためにわしの目でも見ておく」
「お願いします」
徳治郎は健介を連れて、奥の部屋に入っていく。そしてストレッチャーに乗せて出てきた修一を、右隣にある部屋に移動させていった。しばらくして徳治郎だけが戻ってきた。
「さて、玲に香織、これが連日襲われている小童だろう。もはや偶然ではない、意図的に誰かに差し向けられて襲われている。こやつのことを思うのなら、どこかの部屋にでも閉じこめておくのが一番だと思うが?」
徳治郎はお茶を淹れながら、淡々と言い放つ。そして俯いたままの二人にお茶を差し出した。レイは両手でお茶を持つ。
「……閉じこめておくのは、私も考えました。しかしそうなると彼の日常はなくなります。なぜ襲われたのか予想が付かない状態では、いつ解放できるか判断できません。そんな状態で閉じこめるのは……」
「甘いぞ、玲。日常なんぞ、珪素生物と出会ったときから、とうの昔に無くなっている。そうだろう、小童」
ユージは躊躇いながらも首を縦に振った。
初めて会ったあの日から、穏やかに過ごせる時間はなくなっている。
確実に非日常へと誘われていた。
「生きたいのなら、おとなしくするのがいい。珪素生物と遭遇しにくすする、または逃げる術を教えてもらったらしいが、今回の件を見てどうだ? 今度は高校のど真ん中で無差別に襲ってくるかもしれないぞ。周りにも迷惑をかけたいのか?」
徳治郎の言葉はカオリやレイが危惧していることだったのか、二人の顔は強ばっていた。
ユージは両手の拳を膝の上で握りしめる。
こうなった原因は分かっていた。
ユージが弱いからだ。
ユージが対抗すべき術がないから、周りに迷惑をかけてしまうのだ。
しばらく沈黙を貫いた後に、意を決してレイを見据えた。
「レイさん、オレに珪素生物を倒す方法を教えてください」
「何だって?」
「レイさんやカオリ先輩みたく倒す方法を! ハヤトだって倒せたんだ、オレだって――」
「――駄目だ」
カオリが腰を浮かす前に、レイは腕を組んできっぱり言い切る。即座に否定され、ユージは思わず椅子から腰を上げた。
「どうして!」
「下手に力を振りかざせば、さらに襲われ、死ぬ確率も高くなる。私はそれを進んでさせるわけにはいかない」
「でも!」
「それにユージの今の覚悟が永遠に続くとは限らない。他人に迷惑をかけたくない、というのもそれなりの理由だろうが、果たしてその意志がいつまで続く? 中途半端な覚悟で一緒に行動されると、こっちとしては迷惑だ」
突き放した言葉は、ユージの心にぐさりと突き刺さった。否定したかったが、言葉が外に出てこない。
その様子を見たレイは軽くユージを一瞥した後に、立ち上がった。
「局に戻る。カオリはユージと彼のお兄さんのことを頼む」
「……ユージ君、これからどうするんですか」
レイは背を向けたまま、口を開いた。
「とりあえず、適当な理由をでっち上げて、しばらく学校を休んでもらえ。その後、隔離の準備ができたら、こちらで預かることになるだろう。ご両親には適度な嘘を作り上げないとな。まったくどうしてこんなことに……」
あからさまにレイは溜息を吐いた。ユージはそれを見て、はっとして顔を上げた。
「レイさん、オレ、初めて珪素生物と会った直前のこと、ぼんやり思い出しました」
レイは訝しげな表情で振り返る。
「何だって?」
「オレ、実は珪素生物と遭遇した場所は、通る予定がなかったんです。なのになんでその道を通ったかっていうと、抜け道として使っている裏路地に人がいたからです。なんか二人でひそひそと話していて、通っちゃいけないな……って思って」
レイの目は大きく見開いた。
「二人組って男か? どんな服装だった?」
「暗かったので、はっきりとはわかりませんよ。たしか……スーツを着た人と、体格のいい人だったような」
レイの視線が眉をひそめている徳治郎と合う。二人は頷きあうと、彼女はユージの両肩に手を乗せた。
「ありがとう、ユージ。それを思い出せただけでも充分だ。長期隔離までしなくていいかもしれない。――いいか、とにかくしばらくは大人しくしていろ。自分と周りのためだ、わかったな」
「……はい」
ユージは俯いて返事をすると、レイは銀髪の頭をくしゃっと撫でた。そして意気揚々と廊下へと出て行った。
理由がわからないユージは首を傾げるばかりだ。体を徳治郎に向ける。
「オレ、やっぱり何か見ちゃいけないものでも、見ていたんですか?」
「まあ、そういうところだ。しつこく珪素生物が襲ってくるのもよくわかった」
「珪素生物って、頭いいんですか? オレが何かヤバいもの見ていたって、わかるんですか?」
徳治郎は背を向けて、レントゲン写真を映していた電気を消した。
「世の中は複雑に巡っている。それを理解するには、お前の頭ではちと難しいだろう」
「なっ……!」
口を尖らしていると、徳治郎の視線は奥の部屋へ向けられた。
「お兄さんと早く帰れ。ご両親も心配しているだろう」
時計に目を向けると、もう少しで午後十一時を指しそうだった。母親たちには、遅くても十時過ぎに帰ると連絡を入れてある。慌てていたため、その後の連絡をすっかり入れ忘れたのだ。
ドアがノックされると、ひょろっとした黒髪の青年と、体格のいい赤髪の青年が入ってくる。青年の一人はユージの姿を見ると、安堵の息を吐いていた。彼は徳治郎に深々と頭を下げてお礼を言った。
徳治郎は修一の容態を見て、後日再度往診に来るということで、診察は終わりとなった。そのときに今回起こった経緯も簡単に教えられている。脱走した動物と衝突したという展開になっていた。
話を一通り済ませると、修一はユージを連れて廊下に出た。後ろから健介とカオリが付いてくる。
「お二人とも、家まで送っていきますよ」
「そこまでしてもらわなくてもいいですよ、ちょっとした脳震盪を起こしただけなんですから」
「脳震盪を甘く見てはいけません。その後に無理に動いて悪化させたという逸話もありますし」
修一は顔をひきつらせて健介を見ている。表面上は平静に振る舞っているが、内心はびくびくしているようだ。
「それじゃあ、お言葉に甘えて……。いいよな、ユージ」
「ああ。その前に母さんに連絡入れておくな」
ユージには健介たちの言葉を断るという文字はなかった。
少なくとも健介やカオリが一緒にいれば、珪素生物が現れても対抗できる。
悔しいが、それは事実だった。




