プロローグ 深き闇夜の使者
この小説は2012年11月に投稿した短編「天色の連鎖反応」(現在非公開)を大幅に加筆修正して、長編版にしたものです。
(おいおい、こいつはいったい何だ?)
夜の帳が落ちる中、少年は腰が引き気味になりながら、目の前に現れた奇妙な生き物を見上げていた。見たことがない生物に、唖然とするばかりである。
ほとんど人の気配がしない、街灯が少ない通りで、辛うじて点滅している街灯が少年に対してその生き物を垣間見せてくれた。
表皮は硬質なのか、ダークグレー色の輝きを放っている。四つ足で歩いていることから、どこかの珍しい動物かと思ったが、少年が見たことがある生き物とは、一線を越えている部分がいくつかあった。
まず、目の辺りが極端に窪んでおり、奥から血走った緑色の目玉を覗かしている。またあり得ないほど牙が延びていた。
そして、最も目を引いたのが、四つ足の鋭い爪から赤い血が滴っている点だった。
ごくりと唾を飲み込みつつ、半歩下がる。奇妙な生き物は唸り声をあげている。それが軽く頭を振ると、口から出ていた涎がハヤトの服にべちゃりと付いた。反射的に涎を取り払おうとする。
「き、汚えなぁ! 何だよ、この生き物。熊でもライオンでもサイでもねえし。さては珍種の生き物か!? おお、大発見じゃねえか、やったな! ……と言いたいところだが、何で血が地面に付いているんだ……?」
奇妙な生き物が歩くと、赤く丸い足跡が点々と並んでいく。
後ろ歩きで少年は下がっていくが、それに応じてその生き物も寄ってくる。
「オレが何をしたって言うんだ。忘れ物したから、ちょっと学校に戻ろうとしただけだろう!」
裏道を通って学校に向かおうとしたが、まさかこのようなものに遭遇するなど、誰が思っただろうか。
さらに言えば、本当ならば別の道で曲がる予定だったが、二人組の男性が深刻な顔をして話をしたので、通るのを遠慮したのだ。それがまさか仇になるとは。
目の前にいる生き物は、どうやらこちらに狙いを定めているようだ。
あんなに鋭い牙や爪を向けられたら、命は――。
とにかく逃げるしかない。
少年は覚悟を決めて踵を返そうとしたが、運悪く足下にあった石に滑ってしまい、体勢を崩してしまった。その衝撃でポケットからメモリースティックが転がり落ちる。奇妙な生き物は隙を見逃さず、飛びかかってくる。
倒れた少年はとっさに腕で顔を覆うとした。
その瞬間――、長い黒髪の少女が目の前を横切った。
彼女は棒のようなもので、その生き物の突進をくい止める。しかし華奢な体では、あっという間に押されていく。
起き上がり、すぐに加勢しようとしたが、少女が棒の中から輝く刀剣を引き抜く方が先だった。抜刀するなり、鋭い刀がダークグレーの生き物の牙を砕く。驚いたその生き物は後ずさった。
彼女は鞘を地面に投げ、両手で刀を握りしめた。
「一人でやめておけばいいものの……。まあ、この子を襲うが襲わないが、もう遅いのよ」
その生き物は助走を付けて、少女に向かって走り込んでくる。彼女はやや横にずれると、脇から一線斬った。
怯んだ隙に液体が入った瓶を頭に投げつけた。途端、皮膚が溶け始める。見る見るうちに内部が露わになり、漆黒色の石が浮き出てきた。そこを中心として、血管があらゆる方向に延びている。一瞬見えると、それはすぐに表皮で覆われようとしていった。
閉じる前に、少女は素早く漆黒の石を真っ二つにした。
硬質な皮膚を持つダークグレーの生き物は動きを止めた。そして石から徐々に黒い粒子となっていく。その粒子は地面に落ちていき、すべてが粒子となった頃には、地面はまるで焦げた後のように、黒い影だけが残った。
「な、何だったんだ……?」
少女は膝を付けて、黒い影に触れようとしたが、思い出したかのように少年の方に振り返る。全体的に暗い色の服を着ている彼女の顔は、あいにく街灯がなかったため見えなかった。姿勢が正しい感じからすると、どこからお嬢さんのように見えた。
彼女は少年の傍に近づき、一枚の手鏡を見せつけた。
「へ?」
中をじっと見ると、中心まで幾重にも鏡が入っていた。意識がそこに集中していく。
「今、起こったことはすべて夢よ。ちょっと怖い夢を見ただけ。――忘れなさい、そうでなければ、あなたはもう二度と平凡な人生を送れなくなる」
見つめ続けていると、意識が段々と遠のき始めた。
瞼が重くなっていく。
体の力が抜けていく――。
そして間もなくして、少年の意識はそこで一度途切れた。
次に少年が気付いたのは、家のベッドの上だった。