皇帝陛下はご機嫌やけえね
皇帝陛下はつぶらな瞳で俺を見つめる。
「ミヒャエル殿。どうかされましたかな?」
「……いえ、一番大変だったのは私でも将軍でも、兵士でもありません」
「ほう。誰ですかな」
「その身を血まみれにされたペッ、ペガサスでしょうな。はっはっ…は」
宮廷中の人たちの視線が俺に突き刺さる。
やっちまったか。
皇帝陛下はうつむいて黙ったままだ。
「…ミヒャエル殿」
「はい」
「っちは、血は争えませぬの。っぷ、ぷひーーーーっ!」
皇帝陛下はふきだして、大笑いする。
「あひゃひゃひゃひゃ、ペッ、ペガサスだってお!ひゃはははは!」
真っ白な歯がまぶしい。
「…陛下?」
「いや、すまに。っつ、はっはっは。すまにとか。ぎゃはっははは!」
皇帝陛下が自爆あそばせた。
「…陛下?」
「っふっふ、ミヒャエル殿、ペガサスはいかん。ペガサスは卑怯じゃ」
「申し訳ございません」
よく見たら周りの文官武官も身を震わせている。
いけるな。ペガサスジョーク。
「とにかく、ご苦労であった。食事を用意しておるゆえ奥へ参ろう」
「陛下!栄誉式はどうなさいます!」
紫のローブを着た文官があわてて巻物をめくる。
「よいではないか。今夜はもう遅い。明日の朝国民の前で大々的に行えばよい」
適当だな陛下。
「ガルシア家は不服か?」
「………」
「ミヒャエル殿?」
はっ、俺ガルシア家か。ミヒャエル殿って呼ばれすぎて忘れてたわ。
「いえ、陛下。異存ありません」
「そうか、それでは栄誉式はまた明日行う。遺漏なきように」
文官たちがあわてて広間から出ていく。そうだよな、急いで式の準備をしたのに6時間後にグレードアップしてやらなきゃいけないんだもんな。
「ミヒャエル殿こちらに」
白髪オールバックの執事が俺を促す。通った廊下とは別の通路を案内されて、蓮が咲き乱れた池のある庭園に出た。
「おおミヒャエル殿こちらだ」
皇帝陛下は頭の被り物を取り、大分ラフな格好で待っていた。東屋の中には豪華な夜食と何種類もの果物と花とが飾られていた。
「お待たせいたしました」
「いや、待ってはおらぬ。ほれほれ」
陛下が手を叩くと、メイドさんが俺のゴブレッドにワインを注ぐ。
俺酒飲めないんだけどな。
「では、ガルシア家の武勇とミヒャエル殿の初陣に乾杯」
「乾杯」
ワインは甘く、花みたいな香りがした。こういうのをフルーティーな味わいっていうんだろうな。
「ところでミヒャエル殿。400年ぶりの戦はいかがであった?」
これはフリか?
「いっ、一番大変だったのは私でも将軍でも、兵士でもありません。その身を血まみれにされたペッ、ペガサスです」
「ぷっひゃー!」
皇帝陛下は足をバタバタしながら、手を叩き。笑い続けた。
「ペッ、ペガサス!ひゃはははは!ペガサス!飛ぶの?ねえ飛ぶの?」
皇帝陛下は俺の肩をバンバン殴る。大振りな指輪がいっぱいついているから地味に痛い。
息をようやく整えた陛下はワインを一気に飲み干してようやく落ち着いた。
「ミヒャエル殿は良いのう。さすが武門の家柄じゃ。宮殿の文官たちではこうはいくまいて」
「光栄です」
「まあ、冗談はそのくらいにしておいて今日は疲れたじゃろう。遠慮せんと食え食え」
皇帝陛下の顔はどんどん赤くなり、どんどんラフな態度になっていった。
「いただきます」
スモークサーモンっぽいやつとか、ハムとか、チーズとかを皿に取り分けて食べる。
本当はパンにはさんで食べたかったんだけど、帝国のテーブルマナーをよく知らないので我慢して、塩辛いつまみばっかり食べた。
「…おい」
皇帝陛下が執事に手招きする。
「はっ」
「お前たち席を外せ」
「はい?」
「外せと言うたんじゃ。人払いをせい」
執事さんたちは見るからにあわてて、俺の方を見た。
「陛下、私はそろそろおいとまいたしますゆえ」
「ならん」
陛下の目が座っている。
「わしは楽しみにしておったのじゃ。権力争いだの、金もうけだのに走るしょうもない貴族が多すぎる」
「……陛下」
「シモンと呼べい!!」
シモンというのは陛下の幼名だ。皇帝一族に苗字はなく、成人してから貴族になるか、ラルヴァンダード皇帝を名乗るしかない。つまり、現皇帝陛下には個人のアイデンティティを示す名前が存在しない。幼名で陛下を呼ぶのは今は亡き先代皇帝陛下と陛下の母上しかいない。
「……シモン様」
周りをみると、執事さんたちは目で見えるギリギリの距離に控えていた。
「ミヒャエル。わしは淋しかったのじゃ。わしの事を便利なハンコくらいにしか思っとらん貴族ばかり。文官は出世にしか興味がない。まともに鍛錬もしとらん武官。もういやじゃ」
陛下は泣いていた。
「ガルシア家嫡男の噂は聞いておった。権力に媚びず、へつらわず、ひたすらに己の道をゆく好漢。そなたはずっとわしのあこがれじゃった」
陛下は確か今年24歳。俺、いやイケメンサイコサドは19歳。きっと、イケメンがガチホモ、サイコサドを患った時から間違った噂が広まっていたのだろう。
「帝国は腐っておる、400年ぶりに賊が帝都を襲ったのも、その一部が露呈したにすぎぬ」
俺は陛下がとても小さく弱く見えた。この広い帝国で陛下は一人ぼっちだったのだ。
俺はシモン様の肩を叩いた。
「シモン様、もう戻りましょう」
「今夜は泊って行け」
「いえ、明日の用意もありますから」
「いやじゃ、いやじゃ。泊っていけ」
陛下は俺の袖をつかんで離さない。
「まだ、しばらく帝都にいます。明日もお話ししましょう」
「誠か?」
「ええ、ですから今日はもうお休みください」
陛下は俺の袖を放した。
「のう、ミヒャエル」
「はい」
「抱っこ」
「はい?」
「抱っこしろ」
「はい?」
陛下は手を広げた。
「抱っこじゃ」
「肩を貸します」
俺は陛下の腕を取った。
「いやじゃ、抱っこをしろ」
「……おんぶじゃだめですか?」
「いかん。抱っこじゃ」
俺がためらっていると陛下は泣き出した。
「だっこ、だっこ、だっこー、わああああん、だっこしてよー」
「陛下!へっ、いっ、かー。わかりましたから」
俺は陛下の背中に手を回しお姫様抱っこをする。
「今日だけですからね」
「すまぬ」
陛下は顔を俺の服で顔を拭いた。庭園には蓮のにおいがした。
「ミヒャエル様」
近衛兵が俺のペガサスを引いて庭園の隅で待っていた。
「結界は一部解いてありますから、ここからお帰りいただいて結構です。」
「いいんですか?」
ここ宮殿だよな。
「構いません、お側役様からも許可状が出ております」
俺はペガサスに飛び乗った。
「お前、きれいになったなあ」
首筋を撫でると、ペガサスは予告もなしに飛び上がった。
ペガサスってめっちゃ怖い。落ちたら死ぬし、落ちたら死ぬ。
ちょっとでも降下すると股間がひゅんとする。
大分高く飛び上がったのに宮殿とゼカリア門に囲まれた土地はかなり広い。
「おおすげえ」
街はいまだにパレードの興奮が続いている。100万ドルとは言わなくても10万ドルくらいの灯りはある。
「てか、お前」
俺は誰もいない夜空でペガサスに尋ねた。
「俺たちの屋敷ってどこだっけ?」
俺とペガサスは2時間ほど夜の散歩を楽しんだ。