シェーレ・パトローネ
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今日はこの屋敷に住まうグランツ家の次女ローザ・グランツの生誕祭。
ハイルを含めた使用人は皆、準備に大忙しだ。
皆が準備に取りかかり30分が経過した頃。
「大方の準備は完了しましたです。後は料理を運ぶだけでありますです」
つたない言葉づかいの笑顔が似合う可愛らしい少年はハイルと同じグランツ家に買われた奴隷のシェーレ・パトローネだ。
「料理到着しました。どちらへ置けばよろしいですか?」
器いっぱいに料理を並べた銀の器を両手に乗せてハイルが生誕祭の会場に入ってきた。
「そちらにお願いします」
「兄ですー!」
ハイルの声を聞いたシェーレは叫びながら飛びかかった。
シェーレは跳んでから後悔した。
この勢いのまま身動きが不自由なハイルに飛びついてしまえば、バランスが崩れ料理が落ちてしまう。
だが、そんなシェーレの些細な心配はハイルにとっては日常茶飯事、想定内の出来事だった。
ハイルは一寸のブレもなくシェーレを受け止めた。
そして一つ余分な荷物を抱えて料理の全てを運び終えた。
「ハイル……ハイル、ごめんです」
シェーレは潤んだ瞳でハイルを見上げるが決して離そうとはしなかった。
「私は大丈夫ですが、謝るのなら心配をかけた皆さんに謝って下さい。それと次からは注意してくださいね」
ハイルの許しを得たシェーレの顔は花が咲いたようにパァーッと笑顔が広がった。
「皆さん、ごめんなさいです」
会場にいた者は皆、許す以前にカンガルーの子供的な可愛さを見せたシェーレになごんでいた。
一仕事を終えた安心とシェーレの飛びつきによってもたらされた安堵の空気を切り裂くように2度、手拍子が鳴り響いた。
「これからクリーレン家の方々をお招きします。皆さん整列してください」
指揮を執るのは使用人長のラーゼンである。
使用人の皆が扉の前に並んでいくなか、ハイルだけは並ぶどころか、どこかへ行こうとしていた。
どこかへ行こうとするハイルを止めたのはシャルだった。
「どこに行かれるのですか?」
「いえ、私がクリーレン家のお方に顔を会わせるなどもっての他であると判断いたしました」
「ハイル様はクリーレン家の人と会うのは初めてですね。大丈夫です。クリーレン家の方たちも優しい人ばかりだから、そういうのは気にしないですよ」
シャルに説得されたハイルは仕方なく使用人の列に並んだ。
そうして皆が静かに扉へと意識を向けているとガチャリと扉の開く音が聞こえた。
ゆっくりと扉は開かれ、ラーゼンを先頭にしてクリーレン家とその使用人たちが入ってきた。
それを合図にグランツ家の使用人たちは一斉に頭を下げる。
「ようこそいらっしゃいませ!」
すると一番初めに入ってきた元気な少年は驚いて少し身を引いた。
「うおっ……ビックリしたぁー」
そんな少年の背に母親がソッと手を置いた。
「堂々と歩くこと。それもまた私たちの定めよ」
その言葉を聞いたときハイルはとても安心した。
この人たちは自らの身分とその正しい振る舞い方を知っている本当の貴族である。
近くに住んでいる者がそんな方たちで良かった。
数人の列は全て会場へと収まり、皆がそれぞれの位置についた。
招かれたクリーレン家の主人の挨拶から始まった。
「本日は素晴らしき宴の夜にお招きいただき感謝いたします。私がクリーレン家を代表してローザ・グランツ様への祝福とこれからの幸福を祈らせていただきます」
この屋敷の主人がこれに応える。
「ようこそいらっしゃいませ。クリーレン家の皆様。今宵は娘の生誕祭。無礼講の席をご用意しておりますので、クリーレン家共々、使用人の方たちも何卒お楽しみください」
するとこの宴のメインであるローザ・グランツが皆の前に立った。
「では、僭越ながら私が音頭をとらせていただきます」
そのローザの美しい声に会場はより一層静まり返った。
「天にまします我らが父よ。我らが歳をとる罪を犯す者を許す如く、我の年をとる罪も許したまえ。我に祝福あれ。我らに幸福あれ」
そう言ってローザは右手のグラスを掲げて一気に飲み干した。
皆もそれに習う。
「では、皆様。今宵は神の元に生まれ落ちた私の生誕を祝うとともに、存分にお楽しみください」
会場から沸き上がる祝福の拍手とともに宴が始まった。