シャル・ハイリッヒ
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日が暮れ始めた頃、ハイルは帰途にあった。
貴族街の裏路地を歩くハイルは建物の隙間から見える表通りを眺めながら歩いていた。
基本的に誰も通ることがない貴族街の表通り。
貴族は歩くという行動をあまり選ばず、暗黙のルールとして奴隷や使用人は表通りを通らない。
何を恐れてか一般の人も決して通ることはしない。
ボーッと特に意味もなく眺めていると、視界の隅に花やかな女性の姿が映った。
ハイルより少し小さな歩幅で鼻歌なんかを歌いながら呑気に表通りを歩いている。
同じグランツ家に住まう使用人のシャル・ハイリッヒだ。
危険を感じたハイルは急いでシャルの元へ駆け寄った。
だが、時すでに遅し。
「おい、お前」
不意にかけられた声にビクリと体が跳ねたシャルは呑気に歌っていた鼻歌と小さな歩幅で歩いていた足を止めた。
その瞬間ーーー。
「お嬢様!」
振り返る寸前でハイルは大きな声を上げてシャルの足元でひざまずいた。
この声にも驚いたシャルの体は再び跳ねた。
ハイルは右の手の甲をシャルだけではなく、声をかけた男にも見えるようにした。
そしてこちらを見るシャルに「ぶて」と小さな声で言った。
「でも……」
「早く」
シャルは意を決してハイルの頬を2、3度平手でぶった。
「大きな声を出さないで! 服だってせっかくお揃いのを着せてあげたのに様にならないわね!」
「申し訳ありません」
苦痛で顔を歪めたシャルとは打って変わってハイルは顔色一つ変えなかった。
「……それで、何か用ですか?」
シャルは男の方を向いた。
「何でもない」
男は何事もなかったかのように去って行った。
ハイルはその男の後ろ姿をジッと眺めていた。
貴族の服装と自らの髪型が合っていない。
着慣れていない証拠だ。
そして貴族間では珍しいとされる徒歩。
キレイな歩き方でもないのに足音は全然しない。
さらにはシャルに話を振られたときのあの貴族らしからぬ反応。
杞憂。
ハイルはそう思って思考を遮断した。
男が角を曲がったことを確認した途端にハイルに駆け寄り、頬に手を当てた。
「ごめんなさい」
ハイルは立ち上がり、添えられたシャルの手を放した。
「こちらこそ、この様な命令をしてしまい申し訳ありません。次に見られる前に早く行きましょう」
そう言ってシャルを促した。
ハイルはどんなときでも冷静に対応する。
今だってそうだ。
先を急いでいるのにも関わらず、決してシャルの前は歩かない。
シャルはやるせない気持ちを抱えたまま歩き始めた。