過去
少し長いですが、回想編です。
アレスはその当時、まだ十三という若さでありながら魔導師としての活動に参加していた。自分達を捕獲しようとする国の軍との抗争へと駆り出され、そこで己の魔術を活かし戦っていたのだ。
「出撃だ、アレス。隊員を起こせ」
アレスは、その戦士部隊の二番隊隊長。年齢や性別関係なく、強い者が上に立つその仕組みは、幼いアレスにとって実に分かりやすいものである。そしてその地位を手に入れた自分は、強かに皆を率いるべき人物なのだとそう信じて疑わなかった。
「一番隊は既に配置に付いている。遅いぞ、アレス」
とある日の真夜中、始まった戦闘だった。一番隊隊長のマドラ・バレルトは、二番隊含め、三、四、五番隊と合同で戦闘を行った。敵はそれ程に強力で、そうでもしなくては勝機が見えないと踏んだのだろう。隊員も気を引き締めて戦闘へと挑んだ。
「最近はあいつらも落ち着いていたっていうのに、どうしたんだ急に」
「何か急ぐ必要性でも出てきたか……それにしてもすごい数だな、五番隊までで足りるかどうか」
「その時は応援を呼ぶさ。心配するなアレス。もう待機するよう依頼してあるから、通信すればすぐに仲間が駆け付ける」
「……分かった。二番隊、先陣を切り、俺に続け!」
アレスは隊を率いて、どの隊よりも前に出て戦場へと飛び出していった。
戦場には、アレスにとって見慣れた風景があった。殺伐とした空気、全身の神経を突き刺すような無数の殺気。彼は、それらをある種の景色として捉えていた。
不意に耳をつんざく銃声に、アレスは杖を持ち上げ叫ぶ。
「攻撃開始!」
金属同士が擦れる音、肉が引き裂かれる生々しい音、重機を動かしたような鈍い振動音、火花が散る時の炸裂音、連続した銃声、それに加えて、散っていく戦士が放つ断末魔の叫び。それら全てが辺り一帯を支配する。
アレスが杖を前に突き出して念じる。すると目の前で銃剣を構えていた兵士の体が、内部の圧力によってみるみるうちに膨らんでいった。皮膚は限界まで腫れあがり、醜い巨漢と化した兵士は、遂に爆音をたてて炸裂した。細切れになった肉片が勢いよく拡散し、霧吹きのように血しぶきを振りまく。兵士が居た場所には足元の血だまりを残して、ただ虚無の空間だけが作りだされた。
杖を振るう。アレスの身長よりも遥かに長いそれは大きな孤を描いて空気を叩く。延長線上では人が、武器が、岩が、石が、土が、空気が炸裂してその形を失っていった。
アレスは自分の強さを自覚していた。それは過信ではなく事実に基づいた思考である。魔力の量も人一倍多く、その魔術の特性はまさに戦いのためにあるようだ。
『自分は、戦うために魔術を授かった』
そう、考えていた。この戦争に勝ち、魔導師が認められる世界を作るために、それを達成するためのいち手段として自分は居るのだと、当時の彼はそう信じなくてはならなかった。
一旦岩陰に隠れ、体を休める。まだ魔力は十分に残っている。ただ杖を振るう肩が疲れた。右手から左手へと杖を持つ手を変えた。と、おもむろにアレスはそこに転がっていた魔導師の死体に目をやった。体に無数の銃痕があり、胴体を血が覆っている。目をつぶり、ただ顔をしかめて地面を強く殴りつけた。湿った土の大地が、微動だにせずその力を吸収する。
そして、怒りに満ちた表情に変化した顔を持ち上げ、アレスは立ち上がった。
杖を振る。爆発。爆破。破裂。炸裂。
轟音が鳴り響き、地響きと共に鈍いうなり声がアレスの喉から漏れる。地面がえぐれて土埃が舞う。曇天も加わり、辺りは邪悪な空気に包まれた。
(アレスの奴、また一段と強くなってる……これなら心配していた援軍もいらぬ程だな)
アレスの近くにいたマドラは敵を倒す片手間そう考えていたが、それは同時に周辺の魔導師全員の思考であり、希望であった。強力な味方が敵を圧倒しながら侵攻するのを見て、自分もまた共に進まんと闘志を燃やす事が出来る。彼はその時、まさにそんな存在になりかけていた。
炎が舞い、雷が疾駆する。
火薬に火が点き、小さな鉄球が高速で飛び出す。
大地が隆起し、戦士を飲み込む。
刀剣は木製の杖を両断し、所有する者まで届く。
光の束が、敵を地面ごと削り取る。
魔導師達は勢いを増して戦った。戦線は徐々に押され、どちらが優勢なのかは歴然としている。
――「おい! 何かくるぞ! 気をつけろ!」――
と、その時、遥か遠方よりアレスたち魔導師の居る方向へ向けて一発の砲弾が放り込まれた。それは瞬く間に数を増やし、空を覆った。そしてその砲撃はアレスの爆撃を軽く上回る威力を発揮している。一瞬にして数十という数の魔導師が吹き飛んだ。
地響きではなく、地震が起こり――
「退け! 砲台が見当たらない! ここは一度――」
爆音ではなく、爆発そのものが鼓膜を破り――
「た、隊長がやられた! 三番隊さがれえ!」
爆風ではなく、消滅であり――
「四番隊壊滅! 応援を要請します!」
死滅ではなく、淘汰なのだと――
砲撃は止み、大地は一瞬にして静まり返った。アレスは爆風で飛んできた破片で傷を負い、血を流している。だがその怪我の痛みを忘れるほどに、幼い彼の心を支配し得る景色が、今その小さな眼の前に広がっていた。
(何が、起こったんだ?)
人間側の軍、魔導師、どちらも関係なく無残な状態でその死骸が散りばめられていた。祭の後の紙吹雪のように、踏みつけられて、捨てられて、無視されて――。晴天が続いた大地の砂のように、同情すらされず、考慮すらされず、認識すらされず――。
(こんなの……おかしい。そんなはずは……)
アレスの目は乾き、だがそれでも瞬きをしようとは考えない。がくがくと震える体を抑える事は叶わず、半開きになった口からは生気が抜け出していくようだ。
本当に、この行きつく果てに、自分の臨んだ世界があるのか?
自分は、そこまで皆を導くのではなかったのか?
もしかして本当は、自分達が負けるべき側だったのでは?
元より自分は、その負け犬を魅せるただの道化だったのだろうか?
勝利など――
「アレス! 馬鹿野郎撃たれたいのか? こっちだ!」
高台の上に登り、その矮躯を堂々晒していたアレスのローブを引っ張り、岩陰に引きづり込んだのは、マドラだった。その言葉で我に返ったアレスは、戦闘開始を知らせる銃声を聞きとった。どうやら魔導師の残党を全滅させようと人間の軍が第二回戦を始めたらしい。アレスはいつの間にか手放してしまっていた杖の代わりに落ちていた棒きれに手を伸ばした。
「マドラ、今どれくらい残っている?」
「……三、四番隊はほぼ全滅。一番隊もほとんど動けない。五番隊とは通信がとれない。どうやらさっきの砲撃で隊を崩されて散り散りにされちまったらしい」
「そうか……」
アレスは周りを警戒しつつ、顔を曇らせた。同時に、マドラも強い悔しさに顔を歪ませる。
「奴らいつの間にあんな新しい兵器を……クソッ」
吐き出しながら、マドラはおもむろに懐のポケットに手を伸ばした。そして中から取り出したのは、一本の押し花だった。
「なんだ? それは」
「昨日の夜、総隊長から頂いたものだ。服用すれば劇的に魔術を強化する役割を持つらしい。国を滅ぼし、山を消し飛ばす程の威力が出ると聞いた」
それを握りしめるマドラを見て、目を大きく見開いたアレスは飛び付かんばかりに勢い良く近づいた。
「本当か! 本当にそれを服用すれば、強力な魔術が使えるのだな?」
マドラは驚いてアレスの肩を押し返し、落ち着かせた後にゆっくりと喋った。
「待て、良く聞け。だが総隊長は、『まだ服用した者の居ない未知の薬故、使うのならば本当に追い詰められた時のみにしろ』とおっしゃっていた。だから、使うのならば良く考えて使うべきだろう。もちろん、一番地位の高い、俺が……」
そう言ったマドラの表情にあったのは、悔しさではあるが、先とは別の全く違う理由の悔しさであった。唇を噛み締め、ただ手に持つその薬草を眺める彼の姿が、アレスにはてとても儚げで虚しい存在に見えてならなかった。
『知恵も努力も関係ない、ただ天性の才能だけがモノを言うのが、魔術で、その枷に縛られた存在が、俺達魔導師なんだよ』
昔、彼と初めて出会った時の何気ない言葉が彼の脳に蘇る。かつて貧民街で育ったという彼は、誰よりも知恵というものの存在を重要視していた。生まれがどうだろうと、育ちがどうだろうと、最終的に人を評価できる絶対的価値基準はその人間の有する知恵の量なのだと、彼はそう考えていた。それを聞いていたアレスは、この時初めてその説の裏の意味を理解した。そして、今マドラが戦っている意味も、同時になんとなく推測してしまったのだ。
(誰よりも魔術を嫌う一方で、その魔術の実力は戦士部隊の隊長に選ばれる程の強さを誇る。こいつはその矛盾を、戦いに勝ち、自由を勝ち取る事で手放そうとしていたのかもしれない。だが、ここでこの薬草を使えば、今度こそどうしようもなく魔導師でしかいられなくなる事は確実なのだろう……)
「それを、俺によこしてくれ」
アレスは虚無の、それでいて暖かみの見え隠れする表情でマドラに手を伸ばした。
「い、いやアレス。これは総隊長の命令なんだ。逃げるわけにはいかない」
「確かに、俺よりもお前が使った方が威力の高い魔術が行使できるかもしれない。だが、良いさ。元より『これ』は、俺の役目なんだからな」
驚き疑うマドラの手から魔導草をふんだくり、アレスはそれを握りつぶしながら空高く掲げた。
「俺はな、前も言った通り、お前らを導くために生まれてきたんだ。魔導師を勝たせて、認めさせる世界を作るために、俺は生まれて今ここに居る。ならばこれを使うのも俺。救世主なんて柄じゃないが、ついてくればいいんだよ、お前らはな」
そしてその手で草をすり潰し、口に流し込んだ。
棒きれをもう一方の手で掲げ、振り返る。彼の眼前には絶望に打ちひしがれた戦士達が数人、あきらめたように彼を見上げているばかりである。
(体が重い。心臓が激しく鼓動している。息が上がる。消耗している。魔力が魔術となる時とはまた別の感覚が、体を支配していく。全身が、異物で満たされていく。むしろ、全身そのものが異物となってしまっているような、そんな感覚だ……)
足元がふらつき、一瞬倒れそうになる。抑えつけられているような感覚を跳ねのけ、なんとかやっとの思いで直立を保つアレス。
「全ての魔導師に告ぐ。これよりアレス・ダガーズが一番隊隊長として臨時就任する」
(だが――)
もう一度手を高く高く天へと伸ばし、顎を突き出すようにして声を絞り出した。
(力は、確かにみなぎってきている……!)
「及び他の戦士部隊所属の魔導師は現職を解雇。戦士部隊は今この時を以って解散だ。全員身の安全を確保しながら直ちにこの場から退避するように。以上。質問のある者は?」
しんと静まり返り、ただ断続的に空を切る銃声だけが全員の鼓膜を揺らした。
「良し――それで良い」
ゆっくりとうなずくと、アレスは振り返って眼下の人間の兵を鋭くにらみつけた。
「覚悟は出来たか? 散りゆく者どもよ」
杖を前に突き出す。
そこが、消えた。
彼の持った杖の先から先にある物体全てが、刹那の内に弾け飛んだ。山が一つ、などという言葉では到底及ばない程の威力。まるでそこにあったモノが一切合切無かった事にされるかのような、そんな爆発であった。最早瓦礫さえ飛ばない。肉片すら見えない。血は蒸発し、押し出されて、元に戻ろうとする烈風に巻き込まれている。
「あり得ない……」
その場に居た魔導師含め全員がその光景を理解する事が出来なかった。言葉を失い、呼吸を忘れている。そんな観客を置き去りにして、アレスのショーは続けられた。
魔導草は、その魔力を肉体に求める。つまり使われているのは正確に言えば魔力ではなく、生きた人間の血肉なのである。故に今まで魔力を使って魔術を発していたアレスには少々不慣れで扱いづらい所があった。具体的な話、威力をコントロール出来ていない。今までのように遠方の標的を的確に、適切な威力で炸裂させる事が出来ていないのだ。極端に巨大な爆発を起こしたり、小石一粒がやっと削れるぐらいの攻撃であったり、大変不安定だった。
「それならば、いっその事……」
だがその攻撃が自分の近くで発する者であれば、ある程度の自由は利く。アレスは自分の持つ杖に接する球状の範囲を、全て炸裂させた。近距離の敵を攻撃したくば小規模の爆発を起こし、遠距離の敵を攻撃したくば、自分との間に存在する物体全てを標的として、無差別に爆発させた。
全てが弾き飛び、消し去られた後の戦場には、その残骸すら見る事が出来ない。圧倒的な力を目の当たりにした人類軍は撤退し、魔導師達もそのほとんどが避難していた。
虚無の大地に、少年が一人たたずむ。
マドラはその姿を見つけるとすぐに駆け寄った。
「アレス! アレス大丈夫か!」
膝をついて疲労している様子をうかがわせるその背中に走り近づき、肩に手を置いた。
「お前なんであんなことを! 体は大丈夫なのか? 異常はないのか?」
無理矢理アレスの向きを自分側に変えたマドラは、その体を見て戦慄した。
わなわなとふるえながら、自分の手と、体を凝視するアレス。その体には、小さくえぐられたような傷が無数についていた。赤く斑点のように彼の全身を覆っているそれは、どくどくと血を流し続け、さらに不思議な事に、尚も増え続けていた。何をするわけでもなく、ただたたずんでいるだけのアレスの体は、少しずつ、だが確実に一部を失っていっていた。
「あ……うぁ……ああ……ああああああ……ぅああぅううああああ」
良く見ると、傷が出来ているのは腕だけではなかったという事を、マドラは理解した。首や、顔、頭の先から背中も含め足の先まで、点々と赤黒い斑点が生まれ続けている。
「そんな……魔術の反動……なのか?」
外部の傷ばかり目立つが、肉体の欠損は何も表面ばかりに発生するものではない。内臓や血管、骨に至るまでまんべんなく正しく全身を削っていたのだ。
苦痛は、その表情に良く現われていた。顎を突き放すように口を開けて叫びを上げたり、唸り声を出しながら思い切り歯を噛み締めたりを繰り返している。目は大きく見開き、まぶたの傷と合わさり、血の入り混じった涙が止めどなく流れ続ける。これ程激しい痛みならば、意識が飛んでもなんらおかしくない。それでも彼は足元に落ちた杖を拾おうと試みていた。正気を失くし、消し去られた敵の姿を未だ追い続け、尚も戦おうとしている。激痛で物にも触れられないのか、杖を持っては落とし、持っては落としている。
「この……馬鹿野郎……」
マドラの後悔は、アレスの激痛にも負けず劣らず、その表情を歪ませた。
アレスは、魔導草の力を知らずしてそれを使用した。それ故使用したこと自体には彼の彼たる要素はあまり関係していない。今のアレス・ダガーズという男を作っているのは、この後の彼の現実の受け取り方にあった。
彼は、全身を余すところなく覆ったその傷を見た。一つの大きさは決して大きくないものの、しっかりと痛みを持ち続け、しかし尚も彼を殺そうとしない。魔導草は肉体を奪う、という形で魔力を作るが、その魔力が新しく生命力として働くため、服用し続ければ決して死に至ることはないのだ。そんな自分の状態を見て、彼はこう思った。「これは、これからの抗争で皆が受けるべき死傷の総体なのだ」と。魔導師と人間が戦い続ける限り、その間に生まれる傷と死は増え続ける。自分は、未来に発生するその傷や死全てを身に宿し、この戦いを終わらせるという形で、その使命を果たそうとしているのだ、と――。
修羅爆誕。