マドラ・バレルト
長めです。
レミは、すぐに村へと戻った。もちろんアレスに会った事は、長老会はおろかトラス達にも内密にする、という話をつけて、だ。一方アレスは、というと、思わぬ再会を果たしていた。
「アレスじゃないか、こんな所で何してる?」
降りて、岩の様子をもっと近くで確認しようとしていた彼に、声をかける者が居たのだ。
「マドラ、か?」
振り向いたアレスの前に居たのは、馬にまたがった一人の中年だった。アレスと同じ柄の、しかし色は違うローブを纏っている。魔導師のものだ。
「それはこっちが言いたい事だ。お前こそ、何故ここに」
艶のある黒色の馬に、白いそのローブは、とても良く映えている。そしてそのローブから首を出している首は、まるで風を受けているかのようにすらりとなびき、男らしからぬ長さを主張していた。その長髪故に、老けていながらも、なかなかその老いの具体的な部分を、見つける事が出来ない。実に不思議な風貌をした男であった。
「何故って、自分の土地の周りを散歩するのに理由が必要か?」
そう言うとマドラは、遠くの山の麓を指さして笑った。
「え? ああ。そう言えば、何カ月か前に派遣の放浪に飽きた、という愚痴を聞かされた記憶があるな。なんだ、こんな田舎に桃源郷でも求めたか?」
「はは、確かに引っ越してきたのに変わりは無いが……。そうだアレス。時間があるなら少し来てみないか? 今晩泊る所が無いなら、寝床も用意しよう」
「いや、今は仕事中で……」
「国家派遣魔導師なんて、休暇のない仕事だろう。良いから乗れよ、ほら」
馬の上から伸ばされたマドラの手を無視しようとしたその時、アレスは、また別の気配を察知した。あきらかに一般人が放つそれでは無い、鋭く、相手を威嚇するものだ。そして、その気配に目を細めると、それに気が付いたのかマドラが、
「色々、あるんだろう?」
アレスを、半ば無理やり馬に乗せた。
既に、日没が始まっており、辺りは夕日で真っ赤に染まっている。馬が大地を蹴る度に感じる風と、鮮血を匂わせるその景色とで、アレスはすっかり感傷的な気分になっていた。
「尾行、されてたな」
マドラが、ぼそりと呟く。
「ああ」
「事情は、話してくれるのか?」
「ああ」
「……そうか」
二人を乗せた馬は、その力強さを保ったまま、だだっ広い平原を駆けていった。
到着した場所は、バレルト、という名を持つ都市らしかった。街の入り口にさしかかり、馬を降りた頃にはすっかり日は落ち、山に囲まれた草原は、闇へとその身を潜めている。だから、なのだろう。その都市は目立っていた。
「臨海工業地域バレルト、それをたった一つの街で構成するのが、ここの一番の特徴だ」
マドラは自慢げに話し、門番に、五メートルはあろう巨大な鉄の門を開かせた。いくつもの赤いランプの光は遥か遠方まで突き進み、暗闇の草原を何度も何度も切り裂く。その警告に相応しい、重量感のある開閉音に圧迫されながら、中へと進んだアレスは、驚愕した。黄色や緑、赤や青、とにかく相当な数のランプの光があちこちを飛び回り、視線の行方をさらう。せわしなく鳴り響く機械音と、体を伝い、ごうごうと頭を叩くような地響き。見回しても、見上げても、見渡しても、見据えても、何も見えてこない程に密集した、視界を占有する鉄筋造りの建物。はしごや換気口が裸でさらされていたり、ランプで照らされる錆や傷の数々からは、その景観よりも、機能性を優先させる姿勢がうかがえる。
巨大な門に隠されていたのは、アレスの想像を超えた広大さを持つ工場地帯だった。
「おいおい、随分立派な桃源郷だな」
一通り辺りの様子を理解し終えたアレスの皮肉に、マドラはハハ、と笑って答えた。
「その通りだよ、ここは俺の桃源郷だ。俺が造り、動かし、司る」
薄汚れた灰色の壁の間をいくつもすり抜けながら、二人は進んだ。その雰囲気に、何より馬がかみ合わないと感じているのはアレスだけだったが。
「お前、まさか……」
「ああそうさ。俺は放浪など止めて、この地の長となった。新たに事業を作り、民を雇用し、街を発展させた。ここまで来るのに、一体どれだけ時間がかかった事か」
「有言実行、とは良く言ったものだ。資本家の魔導師など、先天と後天の才が、これ程合わぬことがあろうとは」
マドラという男は、アレスよりも遥かに歳のいった人物だった。そんな二人が対等に話しているのは、また別の事情がある。
「ある日ある所の、若い事業家は、突然発覚した自分の特技の影響で、生きたいように生きられなくなった。あまりにも理不尽。若い事業家は耐えきれずに、不満のあまりその特技を捨てた。そしたらどうだ。事業家は見捨てられ、晴れて自由な商いに専念できるようになった、とさ」
簡易的なエレベーターに乗り、行きついた場所は工場地帯を一望できる部屋だった。下の灰色の雰囲気とは空気そのものを異にするその空間は、まるで高級な旅館のようだった。畳の床に素足で上がり、『ふすま』で仕切られた小部屋を二、三通過し、反対の部屋に案内されるアレス。
「和室という奴だな。知っているぞ」
障子と呼ばれる戸を引くと、その窓の外には、入り口側の部屋からは見えなかった、工場地帯の全貌を臨む事が出来た。暗闇に、豆粒のようなランプが点々と広がるするその様子は、まるで無限に広がる星空を、湖に移し見ているかのようだった。
「マドラ様、そちらの御方は……」
着物を着た若い女性が、マドラの上着を預かりながら聞いた。
「魔導師時代、同僚だった奴だ。昔の事だが、随分世話になったからな、良い酒を持ってこい」
嬉しそうに語るマドラを、新鮮に覚えたその女性は、軽く頭を下げると下がっていった。
「すごいな、山を越えて、少し走るだけでこれだけ違うものか」
窓枠に手を突きながら、少し首をひねってアレスが話しかける。
「ん? ああ、フィケルの事か。あそこは魔術師の力が一段と強いからなあ。発展のさせようが無い」
「お前でさえ、見放す程か」
「そりゃあな、フィケルの長老会と言えば、ここら辺で知らぬ馬鹿は居ない。まあ田舎で人が少ないという事もあるが」
マドラは、座布団と、小さな机を持って来させて勝手に晩酌を始めていた。
「お前も飲め」
「もう少し落ち着いた風景が、窓外に欲しかったものだが」
そう言いながらも、用意された座布団に腰をおろし、器を手に取るアレス。
「何を言う。俺が築き上げたこの街を見下ろすことこそが、何よりの肴さ」
「それは、お前だけだ」
傾けた器から、温まった酒が流れ、二人の喉を通る。
「さて、そのフィケルで、お前は一体何をしていた?」
ふすまが開いて、華やかな料理が運ばれて来た。同時に、化粧をした着物姿の女性が二人、現れてそれぞれの傍に座る。そして、燗から新たな酒を注いだ。
「ここは王国か何かか?」
「そう言っても過言ではないぞ。いや実に気分が良い。アヤ、俺はどうやら王になってしまったらしい」
「まあマドラ様ったら」
アレスには、その女の気の抜けた声が気に入らなかったが、何を言う立場でも無い事を承知していたため、特に口に出す事は無かった。
「酒がまわってくる前に、さっさと話せアレス」
「ああ、そうだな。既に遅そうだが」
アレスは、真面目なのかどうか不安だったが、無視して今までの事を全て述べた。起きた事実を先に並べ、その後自分の考えを示し、それ故の行動なのだと説明した。
「……成る程な。御仏の力の所以……それが気になって手を止めたと」
「何か知らないか?」
「いや、俺も宗教とか、仏とかそういうものの知識が多いわけでもなければ、フィケルの文化など気にしたことすらなかったのでな。ただの推測にすぎず偉い事は言えないが、存外、お前の行動は正しかったかもしれないぞ?」
意味深な言葉を述べ、マドラは一時的に女たちを下がらせた。
「若い事業家は、不満のあまりその特技を捨てた、と言ったな」
そして、隣の部屋の箪笥の引き出しから、つまめる大きさの小さな鉱石を取って見せた。一見鉄のようにも見える銀色をしているが、鉄にしては光沢のあり過ぎる銀だ。
「魔源石。聞いた事はあるか?」
アレスは、首を横に振る。
「先ずお前は魔導師や魔術といった事に一切興味が無いからなあ」
ぽりぽりと頭を掻き、マドラは鉱石を畳の上に置いた。すると、アレスの目には、心なしか少し畳の上が焦げたように見えた。
「魔導師、とは、その言葉通り『魔を導く』者だ。導くと言うからには、その元になる魔、つまり魔力がある。それが、この魔源石だ。この石は簡単に言えば魔力の塊で、俺達、おっとお前達魔導師は、この石を『魔術』へと変換する事で魔導師として機能している。魔導師の体にはこの魔源石が散りばめられている。その量で、優劣が決まる事が分かっているそうだ」
アレスは、別段どうも反応せずに、黙って話を聞いた。
「お前の体が必要とする魔導草。あれも魔源石に関連したものだ。魔導草はその体に通す事で疑似的な魔源石の役割を果たす。但し、それ自体に魔力があるわけでもないから、魔力の供給源を、別のものに託すんだよ」
「それが、仕様者自身の、肉体という訳か」
「……そうだ。魔導草は、大量の魔力を導けるようになる代わりに、その根源を血肉に頼るため、今のお前のような状態になる、という理屈になる」
「この、依存性については?」
「それはおそらく、過度な魔術の行使が影響だろう」
「……」
アレスは、ゆっくりと酒を喉に垂らす。
「形状記憶、という言葉が良く合う。一度大量の魔力を流してしまえば、その『穴』は広がり、空洞が増える。それが命を削り、精神を追いつめている直接的な原因だと言えよう。故に、それを埋めようと新たな魔力を求め、中毒の原因となっているのだ」
(つまり――)
その先の推測を、アレスは口にしなかった。
「そう、もう分かっただろうが、この魔源石を必要量投じれば、もう定期的に魔導草を摂取しなくても、魔術を行使する度に激痛を覚えなくて済む」
(だが――)
「と、言っても、ここでこの石に手を伸ばすお前ではないだろう? 高等魔導師戦士部隊一番隊隊長マドラ・バレルトの知る二番隊隊長、アレス・ダガーズは、そんな男ではなかった。……今ここに居る、派遣魔導師アレス・ダガーズは、どうなのだ?」
マドラの視線が、アレスの巨躯を捕えて逃がさない。その視線の縄を、抵抗することなくするりと抜け出たかのように、アレスは落ち着いた様子で答えた。
「もちろん、言わないに決まっているだろう。俺は、この身でこの世の死傷の全てを受けると、そう誓ったはずだ」
その回答を、快く受け取り、マドラは大きくうなずいた。
「安心したぞ、我が同胞」
二人は、その両者の間でしか理解し合えないのであろう笑顔を浮かべて、互いに酒を酌み交わした。
「さて、話がそれたな。魔源石の事だが」
「ああ」
「おそらく、俺の予想が正しければその岩の近くには魔源石があるだろう」
「なんだと?」
「まだ簡単な推測だがな。あの岩が位置する場所は、村のちょうど北東に位置するだろう? 長老会の連中が仏の力の所以たる『方角』と言っていたのなら、それはおかしいのだ」
「それはまた、何故だ」
「俺も聞きかじった程度だからな、確証もないが、どうも奴らの宗教では、北東を『鬼門』と称し、そこから悪が流れ込むものと考えるそうなのだ。故に、その方角を仏の力の所以とするのは、矛盾が生じると言う事さ」
「成る程」
アレスは、小さくうなずいた後、気が付いたように魔源石に目を写した。
「ああ、そういう事か」
マドラも、それに応じてうなずく。
「お前が考えた通りで、おそらく合っているだろう。魔源石は石の状態であれば、その使用者を限定しない。使いこなすとなると話は別だが、ただその魔力を引き出すだけであれば、常人でもそれが可能だ。現に、だ。俺は魔導師では無い。体中の魔導石を摘出し、石として再生させたからな。その俺が、この畳にこの石を置いただけで、この様だ」
アレスがひょいと置いてあった魔源石を持ち上げると、その下の畳は見事に黒こげ、細く白煙を上げていた。
「おそらく、長老会の強大な力と、信仰の原因は、魔源石を利用した魔術だろう。奴らは、それが発覚し、破壊されることを恐れて川の開発工事を拒んでいる」
アレスは、器を置いて、酒を止めた。
「……厄介な仕事を引き受けたものだ」
夜、寝る前に少し、とマドラに誘われ、アレスは外のデッキへと出ていた。
「この所山ばかり見てきたのだろう? 今の時期の海もなかなかだぞ?」
そう言うマドラには悪かったが、アレスにその海を理解する事は難しかった。
「暗いぞ、マドラ。何も見えやしない」
未だ騒音と共に活動を停止しない湖の星空を例外にして、アレスの目には黒しか入り込まない。
「なんだなんだ、つまらないな。お前は、見えているものしか見ないのか? それとも、いちいち見えるようにしないと、気が済まないのか? そんなんじゃ、この世の景観の趣など、一生かかっても理解できないぞ」
高いからだろう、風が強く、髪が乱れているが、そんな事も気にせず、マドラは手すりに大きく胸を預け、両手をだらんと垂らす。そして、その腕をいきなり上にあげたかと思うと、乾いた空を叩き割りそうな大声で語り始めた。
「見ろよ、アレス。見えないって事は、それだけ広がっているって事なんだ! あの漆黒の海にはな、やがて再び日が没するのだ、遠い太陽をも抱えるのだ! そんな偉大な海の全貌を、どうして臨むことができよう!」
アレスの耳には、工場の騒音が、マドラの大声をかきけそうと必死に増幅しているように思えた。二つの音が相容れずに、ぶつかり合いながら消えていくのが見えるようだ。
「だがな、アレス。俺は、この黒をいつまでも眺めてなどいないぞ! いつかはコイツすらかかえてみせる! それが、枷を捨て、自由を手に入れた俺の義務なのさ!」
最後の方は、声が裏返り、かすれ、押し出されたようだった。輪郭の無い闇は、その振動さえも、無慈悲に吸い上げていった。
「酔ってるな」
そう呟いたアレスは、笑っていた。
マドラさんのキャラは気に入ってます。