長老会
ぐだぐだ続きます。
儒式塔上階――。塔の壁の内側に付いた螺旋階段を上った先にある開けた小部屋に、アレス、トラス、レミの三人は案内された。前方に四人、後方に八人の『付きの者』が配置されている。厳粛な雰囲気を構成するのは、三人の目の前にある、宗教関係の大きな人型の彫刻だけではなく、おそらく彼らの有している槍もあるのだろう。人型の彫刻に挟まれる形で鎮座している空間から、かすれた声が響く。
「ならん。例え魔導師『風情』が来たとて、それは変わらん。御仏様のお力たる所以の方角を開拓するなど、ましてやそこから我ら汚れが飲み使用する水を通そうなど、断じてならん」
光だけがわずかに差し込むすだれの奥からの声――成る程相当年配とうかがえる。アレスは両脇の、しかと頭を下げたレミとトラスを無視するように、背筋を伸ばしながら堂々と長老会と対峙した。下等な者とは顔すら見せる必要が無いと、そう言わんばかりのすだれを無視した声で、アレスは返答した。
「その御仏とやらがどれ程神々しい偶像なのかは知らんが、人の乾き、やがては死をも疎かに出来るものではあるまい。陳腐な夢に希望を抱くのは一向に構わないが、絶望を見るというのは、些か宗教というものの本題をはずれすぎてはいないか?」
冷めた目でそう諭すアレスを、周りを囲んでいた付きの者達は許さなかった。
前方から二本、後方から四本の槍がアレスの首元目がけて伸びる。寸前で止まったそれの現状を、頭を下げたままのトラストレミは悟る事が出来ない。
「その妄言、撤回せよとは言わぬ。道理を問うのは、貴様を連れてきたそこに居る阿呆二人にするとしよう」
長老会の言葉の真意を理解したのか、合計六本の槍の切先は、徐々に下がってレミとトレスの体にそっと触れた。
「よせよせ、安心しろ。こんな救いのない村に手を差し伸べる気など、今この一瞬で消え失せたわ。破滅の道を歩むのなら、せいぜい余生を楽しむんだな。巻き込まれた若い命もまた、その内に含まれているのだろうよ」
傍に置いてあった杖を持って腰を浮かせたアレスに、その場の誰もが驚き目を見張った。
「そ、そんな! 魔導師様……」
自分の首間近まで寄った槍を気にする様子も無く、レミは顔を挙げて階段を降り行くアレスの後姿を見つめた。
するとすだれの奥の声色が変わった。長老会の、別の者が話し始めたようだ。
「レミ、今回ばかりは見逃してやろう。だが今後も同様の行動が目立つようならば、実の孫と言えど容赦はしないよ」
「……」
行動を起こしたのは、アレスだった。今回の仕事に、魔術師という敵がいることが発覚した以上、彼はその力がどれ程のものなのかを調べる必要があったからだ。元々単身で乗り込むつもりであったが、どうしても、と聞かず、結局レミとトラスも付いて来たのだった。塔の中には、案外楽に入る事が出来た。
(堀の外と内とに作られた巨大な門と、護衛の数。加えて村人の対応……そして何より儒式塔自体の大きさそのものが、この地における彼らの権力の象徴と言える)
塔を出たアレスは村を歩いて、はずれを目指していた。通りを歩く村人の視線が、彼に集まる。道行く人の流れに、ぽっかりと穴が開き、その中心を移動する状態だ。その内、遊んでいた三、四つの子供が、沈黙を破る。
「お母さん、あの人誰?」
「しっ! 目合わせちゃだめよ」
アレスは、頭をフードで深く覆った。
(どこからどこまで同じなんだ、この村は)
故郷と被せた自分の妄想を、非常にも裏切らない村と、その住民に背を向けて彼は地を離れた。
岩の形状は、実に分かりやすく解決方法をアレスに示していた。
(こうも露骨だと、逆にやりにくいな)
山を登ったアレスは、峠を越えて反対側まで来ていた。そこは即ち、山からの水流が、巨大な自然の壁に追い返されているところである。フィケルの土地を囲っているのは、東の山脈と、西側の山脈が主で、南北の伸びは比較的長い。だが、その細長い地域の北側、つまり二つの壁の谷間をさらに埋めるようにそびえる山があるのだ。そして、その山を越えた谷には、わざとらしく大河が走っている。
つまり、簡単に言えば三方向を山に囲まれている内、北側の向こうに川があったのだ。
(これ程の大河ならば、問題なく事が進みそうだ)
通常ならばその大河の根源たる上流付近がある、北東の方角を工事して、おそらく三カ月もあれば第二の道を作り、水を導くことは可能だろう。
(何故あの村はその工事に取り掛からなかったのか――。宗教的立場上、絶対的な地位を持つ長老会という権力によって叶わなかったのだろう。だが本当に何故、それだけの理由で人を抑止できる? もっと言えば、それに従う? 『御仏様のお力たる所以の方角を開拓するなど』……この言葉が、自傷行為とも呼べる愚行を強要できるとは到底思えないのだが)
アレスは、躊躇していた。このまま、仕事を遂行して、何事も無かったかのように国に『任務完了』の報告をしても良い――はずなのだが、何かが心に引っ掛かり、彼にその行動をさせなかった。
その時、アレスの背後で、女性の、高い声がした。レミだ。
「やっぱり、見放されてなどいなかったのですね」
息を切らし、膝に手を突いている姿を見るに、アレスを追うために走ってここまで来たのだろう。アレスはとても驚いたが、それよりもさらに強い安堵と、どこか心地よさを感じて、すぐに微笑みを見せた。
「君は、本当に不思議だな」
アレスは、理解を承知でもう一度事情を説明した。長老会にただならぬ雰囲気を感じ取ったため、正攻法をあきらめた事。あちらの権力の強さを見るに、魔導師たる自分と一緒に居るのは危険すぎるという事。もう一度外から状況を吟味し行動に移る事にした事。それら諸々を離した上で、ここに二人でいるのはまずい、と諭した。
「長老会の思考は読めん。ああ言って出てきたが、あいつらが完全に警戒を解いたとは思わない方が良いだろう。君も尾行されていないとは限らない。今は長く行動を共にしない方が良い」
レミも、それを了解してうなずく。
「ところで魔導師様、ここ……」
「ああ。この岩が、フィケルへの川の侵入をふさいでいるのだろう?」
「はい。何度も工事の計画が立てられたのですが……。でも、やっぱり流石魔導師様、と言うべきでしょうか」
突然尊敬の眼差しを向けられたアレスだったが、その真意が読めず、聞き返す。
「ん? 何故だ?」
「分析魔術、でしたっけ? 触れたり、目視するだけで対象の本質を理解できる術ですよね。本で読みはしましたが、実際にはこんな距離からできるなんて……」
まるで、英雄に憧憬の眼差しを向ける子供のようだ、とアレスは思い、苦笑しながら答えた。
「いや、興奮してくれているところ悪いが、これは分析魔術じゃない。俺の適当な推測にすぎん」
「え……」
まさにきょとん、とした顔で、口をぽっかり開けるレミ。それを見たアレスはスマン、と何の気なしに謝ったが、その表情は見る見るうちに曇っていった。
「それに……俺は、低級の魔導師でな。実際の所、分析や改修、促進、強化と言った初歩的な基本魔術すら満足にできないのが現実だ。先天的なものではあるがな」
魔導師にも、その使役する魔術の種類によって得手不得手があったが、例外として今彼が挙げた『分析』『改修』『促進』『強化』の四つはどの魔導師でもそれなりにこなせる基本魔術として知られていた。大体の魔術が、これら四つを応用させてできるものだ。故に、それら諸々を苦手にすると言う事は、魔術全般を苦手にする事と同意。そして、魔術を苦手とする魔導師など、魔導師として、不足し過ぎなのである。
レミの表情は固まっていた。相変わらず口を半開きにしたまま、両の目はアレスを見ているようで、アレスをも通り過ぎたその背後、もっと奥をながめている。
(失望、にしては、視線が直接的すぎないか? いや、これが普通なのだろう。こんな程度の低い奴が派遣されたのだ。不運を呪っても仕方あるまい)
彼女の思考は、そう考えたアレスのものと全く別の、次元の違うところにあった。思い出されたのは、今朝の事である。高山の冷気にさらされていた彼女を包んだのは、彼のローブであった。そして、彼は言ったのだ。『俺は魔力でなんとかなる』、と。今言われた事が本当で、アレスが初歩的な魔術すら叶わない魔導師なのであれば、体温維持という十分訓練を必要とするそれなりの魔術を、あんな長時間行使し続けるのは、至極困難だっただろう。もし仮に出来たとしても、相当な集中力が必要だったはずだ。
(暖かい――)
レミは、ただ微笑むだけで何も言わなかった。それを口に出したら、彼の優しさの意味さえも、同時に吐き出してしまいそうで、彼女はそれが怖かった。
「悪いな」
「いえ、……ありがとうございます」
お互い、別の思いを抱いたまま、ただそれだけの言葉を交わした。
まだまだ続きます。