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OUT BURST  作者: 祭坊主
3/21

川岸の少女

 杖をついて山道を登りながら、先程の国家派遣魔導師のアレスは考えていた。

(これ程の大河なら、量が期待できそうだ。腐らない範囲で余分に摘んでおこうか)

 もちろん、アレスの目的は鑑賞用の草花を採取して楽しむことなどではない。しかし彼にはその花を摘んでしなければならない大きな理由があった。

 山道は、次第にそのゆるやかさを失くし、急勾配の岩場が代わって彼の足を捕えた。道という道こそ無いが、岩と岩の間をくぐりぬけ、手と足とを存分に使いながらの登山は体に負担をかけた。アレスの息は荒くなり、立ち止まる回数も増えた。だがその疲労を打ち消すような幻想的な風景に、彼は吸い込まれるようにして登り続けた。からっと乾燥した空気を切り裂く太陽の光は、それを遮る雲を完全に忘れている。岩が増えて顔を見せる植物こそ減ってきていたが、それを補うのが広々と開けた岩場から覗く谷川だった。少し身を乗り出せばはるか足元に深い谷と、底を流れる河川の音が、彼には励ましの音楽以外に聞こえなかった。深呼吸すると、川の清水をそのまま飲み込んでいるような感覚にとらわれる。肺が満たされた。

「お。あった、あった」

 彼が、谷の上と川との合流地点にたどり着いた時、山と山の間、少し低めの峠に差し掛かった時、彼はそれを見つけた。

 それは、見るに美しい花園。ほのかな白が混ざった灰色の岩にへばりつくようにして生きる、黄金の花がとても良く映えていた。なるほど、案の定水源に近いのは非常に好都合だったらしい。岩の壁一面がその花で覆われている。そう思い喜んだアレスはその花と、周りのつるを壁から引き離すように少量つかみ取り、鼻に近付けた。瞬間、意識を失いそうな程強烈で、甘い匂いが彼の鼻道を駆け抜けた。

「間違いない。魔導草だ」

 その花に語りかけるように呟くと、彼はおもむろに背負っていた鞄から鉄でできた様々な器具を取りだした。そしてそれらを地面に置くと、自らもどっしりと腰を据えた。

 円錐形の器に、それを置くための高めに作られた台。そしてその下に置いて火を灯す外殻の無いランプ。それらに、小枝を少し太くしたような棒が加わっている事を確認したアレスは、早速魔導草を器の中に入れた。

「ああしまった。水がまだだ」

 座ったばかりだと言うのに、あわただしく立ち上がったアレスは、傍を流れる川まで鉄の筒を持って駆けて行った。

 川は、人よりも大きな巨石を削るようにして流れていた。透き通っていて、人の手が関与していない事がうかがえる。アレスはブーツを脱いで裸足になると、清流にゆっくりと浸した。足首から先を通る神経に走った覚えは、冷たさ、気持ちよさ、自然の柔らかさ――などではなかった。

 激痛。そして激痛。さらに激痛と、それを覆い隠す強さの、激痛。彼の足が感じたのは唯のそれのみにして、他ならなかった。その苦痛に思わず顔を歪め、歯を食いしばりながら空を仰ぐようにして痛みをこらえるアレス。

「やはり先の行使の代償は足先だったか。あれほどの些細な魔でも、これか。なるほど『入り口』が相当狭まったと見える」

 呟きながら、右腕で力強く膝をおさえる。爪を立て、血が流れる程に掴まなければ、その痛覚には耐えきられないのだ。それでも、慰め程度のものではあるが。水に血が流れ出て、水流にたゆたうその様子を見て、アレスは水辺に置いたブーツを手に取った。中を覗くと、血がにじんでいて、布が赤黒く染まっている。ため息をつくと腰を低くし、そのブーツも川に泳がせた。

(歩きながら痛みに耐えるのは、相当きつかったな)

 彼の痛みの原因は、右足にあった。右足の、小指側の中腹辺り。その部位の肉が丸々欠けているのだ――否、欠けたのだ。つい先程。この山に登るほんの数分前に。

 血が出始めてから相当時間が経過していると思われるのに、傷口からは絶えず真っ赤な鮮血が出続けていた。唯の傷ならばそんな事は無かっただろうが、この傷は『えぐれ』て出来たものであるため、傷口が広く、固まりにくい。その上、この傷は普通の傷ではなく、治癒しない傷なのだから、尚更だ。

 アレスは痛みに慣れるまで足とブーツをを水に泳がせ、遮る物の無い広い空を見上げていた。雲など無く、崖や、山、建築物などに視界を狭められることなく、この青を一人占めしていられる快感は、下方の痛覚を打ち消す程のものだった。

(慣れなく痛いな、これは)

 そう思いながらゆっくりと息を吐き、吸う。何もしない。それはアレスに自らの『生』を再自覚させた。

 ふと、アレスは対岸の岩の陰に、一人の少女の姿を目にした。

(おかしいな。この周辺に集落は無いと聞いていたが……)

 彼が腰かけていた岩に手をつき、立ち上がった瞬間だった。少女が倒れたのだ。ふっと、一瞬の出来事で、アレスは焦った。断じて優しくも柔らかくも無い、硬く冷たい岩にか弱い小さな身体が叩きつけられる。

アレスは足の痛みも忘れて川を横切った。だが中心に近づくほどに激しさを増す水流に足をとられ、思うように進めない。

「くそっ!」

 決意したようにブーツを岸に放り投げ、ローブも脱いだ。そしてそれを折りたたみ、背中に背負う。腕はその下に入れ、腰を落とす。まっすぐ少女に目線を合わせ、アレスは念じた。

 閃光は水と共に弾け、その爆風は川の流れを一瞬止めた。と、同時にアレスの巨躯を軽々と空中へと押し上げる。空に放たれた体は一時的に制御が効かなくなり、結果、彼の体は少女の真横に叩きつけられた。今度の激痛は、背中の一部だった。だが今はそれを気にしていられる状況ではない。

 すぐ立ち上がり、少女の様子を確認する。

「おい、お前! 大丈夫か? 何があった? 何故突然……」

 抱き起した彼女の体を見て、アレスは驚愕した。手に持っている桶を見るに水を汲みに来た事は大体予想が付いた。しかしこの服装には、疑問しか抱かなかった。粗末な素材でできた全身を覆う肌着一枚。ありえなかった。低い部類に入るとは言え、ここも立派な山の中だ。それなりの高さがあれば、それだけの冷気が付いてくる。普段麓に住み、たまたまここに登ったとしても、気温の低下ぐらい予想が付く。厚着してこない道理が無い。逆に高山を住処とする部落に属しているとするのならば、話はするまでもない。山の寒さを知らない山岳部族が何処に居よう。

 アレスはすぐさまローブを少女の体に巻き付けた。肌に触れると、かなり冷えている事が分かる。肌は真っ白に染まり、震えていた。肩に届くか届かないか、という短い黒髪が、その純白の頬に垂れている。目は閉じていて分からないが、幼く、また華奢なその容姿は、美しい、綺麗、というよりも、可愛らしいという言葉が良く似合っていた。

「なんたってこんな……」

 アレスは、対岸に戻るため、彼女を抱いて再び背後で爆発を起こした。足元の岩が崩れ、少女とアレスの二人分の重さが、地を離れた。同時に、彼の左腕に激痛が走る。

(今は……まずい!)

 一瞬の痛みに気を取られ、アレスは空中で少女の体を離してしまった。慌てて右腕でローブのはしくれを掴み、地面へと墜落して行く自分の体の真上へと引き寄せる。

 背中から地面に落下した彼は、今までに無かった程自分の重さというものを自覚した。押し出された空気が気管を通り抜け、声として吐き出される。間を開けずに、少女の軽さも覚えた。やせ細っていて、自分が背中に感じた痛みとは比べ物にならない程柔らかい衝撃を腹に受ける。彼は、今度は意図的に、安堵のため息をついた。見上げた空の太陽は、傾き始めていた。


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