再起
「報告を聞かせてもらおうか、ヴァン・ホーヘン殿。あの魔導師は、始末出来たのか?」
儒式塔内部、最上階の部屋では、ホーヘンが長老会とすだれ越しに会話をしていた。相変わらず正体を明かすつもりはないらしい。それは許したホーヘンであったが、付きの者に常時槍を向けられることに憤慨し、もし止めないようならばこの塔はおろか、村全体をひっくり返してやると脅している。そのため彼の周りにはアレス達の時のような付添の姿が見えず、部屋には彼の姿だけがぽつりとあるだけであった。そこに、長老会の声が時折響く。
「なに、案ずる事はない。土葬する程の余裕があった。だが、まさかこんな雑用を押し付けるために、俺を雇った訳ではあるまい? 暇潰しにもならんぞ」
あぐらをかきながら退屈そうに欠伸をするホーヘン。
「ふむ……。あの者、貴殿の要求に相当し得る実力を有すると見えていたのだがな、とんだ見当違いであったようだ。依頼したい仕事は未だ残っているのだが、断るというのであれば、致し方あるまい。それも甘んじて飲み込もう」
「……」
長老会の返答に、ホーヘンはしばらく沈思黙考した。肘をあぐらの上に置いて頬杖をついている。
「俺は、あの魔導師を殺す権利を受け取ることを条件に、貴様の頼みを受けた。いかにあの男が虚弱な魔導師であったとしても、契約に違反はない。その頼みは聞こう」
細められた彼の視線には、長老会に向けた猜疑心が含まれている。長老会も、それを理解してゆっくりと口を開いた。
「何故意向を変えたか……敢えてその真意は聞かんよ。有り難く、その心遣いに頼るとしよう」
「ああ。次は、どんな雑用だ?」
お互いがお互いに一定の距離を持ちながら、決してその腹の内を明かす事無く、協力関係は築かれた。
「北東にある巨大な岩壁。その山を穿ち、坑道を一本通してもらいたく思う」
それを聞いたホーヘンは疑いを確信に変えて、小さく笑った。
「大した雑用だな」
――
――冷たい。
地中、呼吸もままならぬ程の圧迫感の中、アレスはようやく目を覚ました。気付けに、思い切り下の唇を噛み切る。
――痛い。
まだ彼は生きている。それは紛れもない事実であった。ここが地上からどれだけ離れた場所にあるのかは知らない。だが、彼の心臓は未だに鼓動を止めていなかった。
(腹の傷に虫がたかり始めている……早急にここを脱する必要があるな)
アレスはもう一袋、粉末状にした魔導草を取り出し、服用した。彼が今意識を保っていられるのは、地中に埋められた後にこの薬草を口に流し込んだからであった。最早肉体の傷は人が耐え得る程度を裕に超えている。
左の二の腕に一つ、首筋に一つ、さらに右の耳をえぐられた。だがおかげで、正面に少し空間が出来た。
「はぁ……」
やっと大きく息が吸える。吐ける。それだけでアレスは少し落ち着いた。
(急がねば……あれから一体どれ程の時間が経ったかは分からないが、大きく出遅れたのは確かだ)
杖を引き抜き、上へ向ける。ずん、という鈍い爆破音で土は崩れ落ちた。
「……くっ」
弱い。自分が念じている威力と、実際に起こっている爆発の威力との差が大きすぎる。どれだけ力強く念じても、両手で抱えられる程の土しかどかせない。
「くそっ!」
爆破、爆破、爆破。だが一向に光は見えない。この手の先には確実に地上があるはずなのに。
「ああああああああああああああああああああああああああああああ」
無力に、ただ叫ぶ事しか出来ない。最早、虫にたかられた腹の傷の痛みなど気にならない。それ以上に、自分自身が不甲斐なく感じられて仕方が無かった。
(レミ……すまない……)
どうしようもない謝罪が、どうしようもなく湿った土に染み渡る。アレスの意識が遠のき始めた。肉体の疲労が、魔導草によって増幅された生命力を上回ったのだ。まぶたが徐々に重くなり、動かそうとする腕にも力が入らない。目を閉じた。
「魔導師様! ご無事ですか? 一体何が……」
土が掻き分けられ、崩れ落ち、人の顔が見える。日は落ち、闇夜は景色をぼかしていたが、それでも若干アレスの視界に入ったのは、トラスだった。
「お前……何故ここに……」
土を被り、固まった血にまみれたアレスの体を見て、トラスはすぐに手を差し伸べた。足が半分以上埋まり切った状態で、最後には土ごと持ち上げ、やっとの事で彼の体は地上へと現れた。
「助かった。例を言おう」
「いえ。それより何故このように……?」
トラスは腹の傷に驚き、虫や土を丁寧にはらいながら聞く。
「魔導師にやられた。詳しい事は俺も分からないが、非常に強力な奴だった。それよりお前だ。お前は、一体何故こんな場所にいる?」
「それが……」
トラスが事の次第を語り始めようとした瞬間、アレスは大きく体を落とし、地面へと倒れ込んだ。暗闇に、彼の意識は溶けていく。
「魔導師様! しっかりしてください! 魔導師様!」
――
日が差し込み、視界を明るくする。どうやら夜は明けて朝がきたらしい。時間が、経過し過ぎている。焦る一方で、アレスの体は一向に言う事を聞かない。小さな部屋のベッドの上で寝ているようだったが、そのベッドにくくりつけられているかのように、彼は自分の体を動かす事が出来なかい。
目を覚ましたアレスの隣にいたのは、レミであった。ベッドの傍に座っている。初めは、嗚呼これは夢なのか、と考え、再びまぶたを下ろした。だが違う。今彼の目の前で優しく微笑んでいるのは紛れもなく彼女だ。
「レミ」
小さく唇が動くと、はい、と返った。次に、嗚呼これは幻想だな、と考える。そして、そう考える自分の頭を情けなく感じた。
「すまない」
口は乾いていない。なめらかに動く。言おう。言うべきだ。そう考えた。
「俺は、だらしなく負けたのだ。何より、自分に、だ。お前を救うと約束した自分に屈した。お前と話す資格すらない」
目を閉じ、暗闇に言い放っても、それでも尚彼の中から彼女は消えなかった。闇の中に浮かぶレミは、依然笑顔のまま語りかける。
「魔導師様、謝らないでください。私が今、こうして貴方様と言葉を交わせるのは、魔導師様のおかげなのですよ? 私は今、それが嬉しくてたまらない」
そして、ゆっくりと目を開けたアレスの視界の中央には、彼を覗きこむレミの顔がある。
「ありがとうございます」
暗闇に浮かんでいた笑顔ではない。そんなものより、あやふやな幻覚より、もっと暖かくて、もっと純粋なものだと、彼は思った。
「勝手ながら、マドラ魔導師よりお話を聞きました。魔導草という薬の事、大きな戦争の事、私を助けてくださった事。本当にありがたいです。なんと感謝して良いのやら……」
「だが、魔源石を得ねば、同じ事なのだぞ? お前は……お前は俺と同じように……」
悔しげに叫ぶアレスに、レミは優しく諭す。
「いえ、元より死にゆくこの体に、最後の選択肢を、可能性をくださったのは、貴方様です」
「だが……だが! だからこそ俺は、この命に代えても魔源石を獲得する責任があるのだ! でなければ、お前に『死』以上の苦痛と、それを伴う運命を押し付ける破目に……!」
彼の思考は、魔導草を使った若き日のあの瞬間から、何一つ変わっていなかった。それはつまり、肉体に伴う精神の成長すら皆無であった事を示す。
「ん……もう……」
駄々をこねる少年に言うような、そんな優しさと――。
「……お願いです」
彼女自身が駄々をこねているような、そんな無邪気さとが――。
「死なないでください」
相まってその言葉に乗せられた。
悔しさに顔をしかめ、目を瞑りながら寝ていたアレスは、体の上の重みに気が付いた。暖かい。
目を開けると、レミが彼の胸に顔をうずめている。
「死なないで、ください」
今度は、絞り出されたような窮屈な声が漏れた。
強い感情だった。
アレスは、その胸の暖かさに、何か自分の中にあった重いものが吸い込まれていくような心地よさを覚えた。そして、同時にその暖かさからは全く新しい感情を与えられたような気すらする。
気が付けば、腕を彼女の背に乗せていた。
「何故、魔導師様はお優しいのですか?」
ふいに、そう尋ねるレミ。顔を若干あげて、その目線はしかしアレスと合わせる事はない。その時少し、赤みがかかった頬を見たような気もしたが、妙な斥力を感じ、アレスは視線を外す。
「……俺はまだ幼い時、村で独りだった」
案外すんなりと言葉が出て、アレス自信も驚いた。
「前も話したが、魔導師は当時ヒトの敵だった。両親ともに既に他界していたのだが、俺は魔術が発覚しても、他に行くあてが無かったんだ。だから、仕方が無く村にしがみついた。丁度、今のフィケルと同じような村だった。扱いはあれ以上だったが……。暴言暴力は当然、魔術での反撃を恐れていたのか、殺される事さえ無かったものの、実質それとほぼ等しい事をされ続けた。……死のうと考えていたさ。反抗しようなどと、そんな概念が生まれるより先に、いっそ死ねばどれだけ楽か。そういう感情で満たされる」
アレスの話に、レミは時折ゆっくりとうなずく。
「だからこそ、この村で生まれながら報復を恐れず強かに自らの志を貫くお前に――魅せられた」
すぐ後に、はっと声をあげた。自分は何を言っているのだ? 何と言った?
(魅せられた?)
馬鹿言え――
と、以前の彼ならすぐさまそう思い、鼻で笑ったであろう感情。
だが。
『死なないでください』
あの時の彼女の声が、恥じらいの混じった彼女の気持ちが、彼の頭によぎる。
レミが顔をあげた。お互いの目が合い、表情を知った。
アレスは驚いていた。狼狽しながらも、だが自分の感情に気が付いている。
レミは笑っていた。顔を真っ赤にして、この上なく幸せそうな顔である。
(聞きながらも、知るのは初めての感情だ)
アレスも、優しく笑って答えた。
(それより、何より)
そしてもう一方の腕をレミの頭へとのせ、ゆっくりと撫でた。
「つくづく、調子が狂うな」
もう少しでラストシーンです。




