第四章 (2)
(ここは……)
ひどい寒さに襲われて、フリルデは目を覚ました。
疲れているからか、身体がだるくて動かすことが出来ない。
いや、動かせないのはそれだけが理由ではなかった。後ろ手に縛られ、なおかつ両足も縛られていた。
フリルデは目だけで、周りを見回してみた。
森の中で気を失ったはずなのに、そこにはまばらにしか木が生えておらず、背の低い草が茂っているだけだった。
月が、妙に近いところにあるように感じる。
(どこ?)
頭がぼうっとして、考えがよくまとまらなかった。森ではないどこかに、うつぶせの状態で倒れていることだけはわかった。
首を無理に動かして、もう少し見回してみると、すぐにそれは見つかった。
剣を腰に差した、やせた男の後ろ姿があった。その隣には黒いローブをまとった少女がいた。
(あいつはわたしがやっつけたはずなのに……。わたしはあいつの背中で眠っていたのか!?)
その背中を射殺さんばかりに、にらみ付ける。
(あたり一帯が黒いリップルに覆われている。結界か。トゥルもつかえない。くそっ!)
せめてもの抵抗に、考えつくばかりの罵倒を浴びせかけてやろうと、口を開きかける。
が、不意にハスナが咳き込みはじめたので、思わず口を閉じた。
「だいじょうぶ? 休んだほうがいい。少し、眠って」
リリが不安そうにハスナの肩に手をかける。
「いや、だいじょうぶです。気にしないで」
「ハスナって、本当に眠らない。眠くないの? 身体は、大丈夫なの?」
ハスナは小さく笑っただけで、なにも答えなかった。
「それにしても、静かですね」
しばらくの沈黙の後に、ゆったりと口を開く。
「あの日もわたしは、今日のように静かな夜に、咳を響かせていた」
「あの日の夜?」
「ほら、きみといっしょに僕が神殿を出た日の夜です。とても空が綺麗でしたよね。誰一人として、しゃべる人はいなかった。静かで、本当に静かで……」
感慨深げに、空を仰ぐ。
「あのとき、わたしは一つの誓いを立てました」
「誓い? それは、なに?」
「教えられないな、それだけは」
ハスナはまた、誤魔化すように笑った。
「ねえ、ハスナ。前から思っていた。おまえはどうして、そんなによくしてくれる?」
「記憶をなくして放浪していた無力なあなたを、どうして邪険に扱えましょうか」
「でも、わたしは人間じゃない。何者かもわからない、化け物だ」
(化け物?)
フリルデは内心で首を傾げながらも、いっそう聞き耳を立てる。
「そんな悲しいことは言わないでください、リリ。それにきみは化け物なんかではありませんよ。確かに今はまだ人間ではないけれど、わたしにとっては人間などよりも遙かにきみは魅力的です」
「でも、わたしは……」
「それ以上、自分を卑下するようなことは言わないで。もうすぐきみの願いも叶うのだから。あれを手に入れることが出来れば、その力で人間になれるはずだから。記憶も、取り戻せる」
「うん……。でも、もし、わたしが人間になれたら、わたしたち、どうするのかな?」
「そうですね……」
ハスナはすぐには答えなかった。
「もし、よかったら……」
そう切り出したリリの声は、少し小さい。
せわしなく目を瞬かせて、心なしか顔を赤らめているようにも見える。
「もう旅をするのはやめたいな。どこかに家でも建てて、ゆったりと暮らしたい」
「え?」
リリは、しどろもどろになりながら続ける。
「ええと、あれ。ええと、なんだっけ、二人で、ずっといっしょに住むの。同じ、名前を付けて……」
「同じ名前? 姓のことかな? それは、もしかして結婚?」
「そう、かな。けっこん……。けっこんして、いっしょに住みたい」
「……」
再び、沈黙が始まった。
「ねえ、だめ?」
答えを急かすように、リリが問いかけた。
ハスナは微笑み返した。
「いいえ。だめじゃありませんよ。ちょっと、驚いてしまって。いいかもしれませんね。そうなれば、わたしたちは夫婦だ」
「ふうふ……」
リリはその言葉を初めて聞いたかのように、何度か口の中で繰り返した。
(なにいちゃついてるんだか……。まったくうらやましい連中ね)
再び静かになったので、フリルデはゆっくりと息を吐いた。その顔は、ほんのりと赤い。
(なんでわたしが照れてるのかしら)
二人はまだフリルデが目を覚ましたことには気がついていないようだった。
静かに丘から眼下に広がる村を眺めている。
(でも、感化なんてされないわよ。盗賊のくせに)
どうにかして脱出できないものかと、イモムシのように身をよじった。すると、足が柔らかいなにかに触れた。
「!?」
思わず悲鳴があふれそうになるのを飲み込み、足下の方を見る。
暗い上に身体の自由がきかず、ほとんど姿を見ることが出来ない。それでもなんとなく、輪郭だけはわかった。
(子供?)
さらに目を凝らして、首を無理にねじる。すると、なんとか顔が見えた。
見覚えのある顔だった。
「ティル!?」
フリルデは、その少年の名を叫んだ。その顔は紛れもなく、実の弟のそれであったのだ。
「あんたどうしてこんな所にいるの!」
身を乗り出すと、驚きに見開かれた目がいっそう大きくなる。左腕のあたりから、血が出ていたのだ。
「怪我してるじゃない! だいじょうぶ! ねえ、だいじょうぶかって聞いてるのよ、ティル!」
その大声に、リリとハスナは当然気がついた。
「静かにしろ」
ハスナが駆け寄ってくる。その後を、ゆっくりリリが付いてきた。
「おまえら!」
フリルデの激情の矛先が、そちらに移る。
「非道! 悪魔! くそ野郎!」
噛みつかんばかりに声を荒げる。ばたばた激しくイモムシ状の体をばたつかせる。
「おまえら! 弟になにをした! 弟までさらってきてなにをするつもりだ!」
「弟?」
リリが、つぶやいた。
「そうらしいですね」
「そう」
「おまえら……!」
フリルデの目は怒りに燃えていた。のけぞるように首を上げて、わめき散らす。
「死んでもお前らゆるさないからな! 必ず、ぶっ殺してやる!」
「やかましい娘だな。少し、黙らせてしまおうか……」
ハスナがうんざり顔で、剣を抜いた。
「くそぉ!」
フリルデはそれに抵抗せんばかりにいっそう身体をばたつかせ、歯を剥いた。
「ちょっとちょっと、やめなさいな、フリルデ」
その時、声が響いてきた。
女の声。だが、リリでもなければ、当然フリルデでもなかった。
「ぶっ殺すとか、くそ野郎とか。女の子がそんな言葉を使っちゃだめだよ。あ、でも、男の子も使っちゃだめかな? やっぱり」
「何者!」
ハスナは勢いよく声をする方へ剣を構えた。
丘の麓のほうから歩いてきたのは、フード付きの分厚いマントをかぶった、旅の装いの女性。
「ユリノって言いますわ。ティルを迎えに来ました」
細い目を微笑みに染めて、柔らかそうな頬をほころばせ、ひどく楽しそうにして歩いてくる。
「先輩……」
フリルデは身体をのけぞらせたまま、驚きに見開いた目で、ユリノの顔を凝視する。
「フリルデ、セウラたちが心配してたわよ? あとで探さなきゃいけないと思ってたけど、手間が省けてよかったわ」